鉛の時代 (イタリア)

鉛の時代(なまりのじだい、イタリア語: Anni di piombo英語: Years of Lead)とは、1960年代の終わりから1980年代にかけて続いた、相次ぐテロリズムによるイタリアの社会的・政治的混乱の時代[1]。イタリア国内における社会主義勢力・新左翼運動の台頭と、それを阻止するアメリカやイタリア政府などの西側勢力による抗争という構図であり、冷戦の一環として発生した。

鉛の時代

抗議デモで警察に銃を向けるジュゼッペ・メメオ。この画像は鉛の時代の象徴となった。
戦争冷戦
年月日1968年3月1日 - 1988年10月23日
場所イタリア共和国
結果:イタリア政府の勝利
  • テロ組織の解散
交戦勢力
イタリアの旗 イタリア共和国

支援

極左テロリスト
  • 赤い旅団 (1970–1988)
  • 最前線英語版イタリア語版 (1976–1981)
  • 10月22日 (1969–1971)
  • PAC (1976–1979)
  • 闘争は続く (1969–1976)
  • 労働者の力 (1967–1973)
  • 労働者自治運動 (1973–1979)

支援

極右テロリスト
  • 新秩序 (1957–1973)
  • 国民前衛 (1960–1976)
  • 黒の教団 (1974–1978)
  • 武装革命中核 (1977–1981)
  • 第三の位置 (1978–1982)

支援

指導者・指揮官
  • レナート・クルシオ
  • マルゲリータ・カーゴル 
  • アルベルト・フランチェスキーニ
  • マルコ・ドナト=カッティン
  • マリオ・ロッシ
  • ジャンジャコモ・フェルトリネッリ 
  • チェーザレ・バティスティ
  • アドリアーノ・ソフリ
  • フランコ・ピペルノ
  • アントニオ・ネグリ
  • オレステ・スカルゾーネ
  • ランフランコ・ペース
  • エミリオ・ヴェシェ
  • フランコ・フリーダ
  • ピエルイジ・コンクテッリ
  • マリオ・トゥティ
  • ステファノ・デッレ・キアイエ
  • アドリアーノ・ティルガー
  • ヴィンチェンツォ・ヴィンチグエッラ
  • ファブリツィオ・ザーニ
  • ジュゼッペ・ヴァレリオ・フィオラヴァンティ
  • アレッサンドロ・アリブランディ 
  • マッシモ・カルミナティ
  • フランコ・アンセルミ 
  • ロベルト・フィオレ
  • ガブリエレ・アディノルフィ
  • border=no リーチオ・ジェッリ
戦力
イタリア軍: 90,000人~ (1973)
北大西洋条約機構の旗 グラディオ作戦: 622人
赤い旅団: 数百人
最前線: 活動家及び協力者1,072人
10月22日: 25人
PAC: 60 人
労働者自治運動: 200人
新秩序: 10,000人
国民前衛: 600~2,000人
武装革命中核: 53人
第三の位置: 42人
損害
イタリアの旗 イタリア
民間人:
公務員14人死亡

イタリア軍:

  • 空軍大将1人死亡
  • 兵士1人死亡
  • 2人負傷

カラビニエリ:

  • 15人死亡
  • 3人負傷

国家警察:

  • 32人死亡
  • 1人負傷

刑務警察:

  • 4人死亡

アメリカ合衆国の旗 アメリカ:

  • 陸軍将校1人誘拐
  • 外交官1人死亡

イタリアの旗 イタリア: 計67人
アメリカ合衆国の旗 アメリカ: 計1人

赤い旅団:
  • 12,000人逮捕
  • 600人国外逃亡
  • 2人死亡
  • 1人負傷

最前線:

  • 5人死亡
  • 1人逮捕

10月22日: 8人逮捕
PAC:

  • 1人負傷
  • 60人逮捕
  • 数人が拷問

闘争は続く:

  • 1人死亡
  • 5人逮捕

労働者自治運動:

  • 3人死亡
  • 200人追放
新秩序: 3人逮捕
武装革命中核: 53人逮捕
第三の位置: 42人起訴
冷戦
イタリアの歴史

この記事はシリーズの一部です。

イタリア ポータル

名称はテロに使用された鉛玉[2]、そして同時代のドイツを舞台としたマルガレーテ・フォン・トロッタ監督による1981年公開の映画「鉛の時代」に由来する[3]

概要

「鉛の時代」の定義は複数の歴史家による、様々な定義が存在するが、1968年の抗議運動と、1969年の「熱い秋」。もしくは1969年のフォンターナ広場爆破事件が始まりとされることが多い。

この時代は、「闘争は続く」「最前線」「赤い旅団」に代表される暴力的な新左翼運動や、学生運動、そしてそれに対抗する「武装革命中核」「新秩序」「国民前衛」等、ネオ・ファシストの活動により定義付けられる。とりわけ後者は、イタリア政府の支援やNATOによるグラディオ作戦の下、大規模な虐殺を行った。それは1968 年から1974 年の間だけでも140 件にも及ぶ。以下は特に著名な事件である。

また、「赤い旅団」による1978年のアルド・モーロ誘拐殺人事件イタリア語版英語版は鉛の時代を象徴する事件の一つであり、同組織は以後テロ組織として名を轟かせることとなった。

このような介入は反共組織であるロッジP2を介して行われていた。この事は、後にP2事件として世に広まることとなり、各国情報機関やイタリア政界、軍関係者の関係が明らかとなっている。

脚注

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