青江三奈

日本の歌手

青江 三奈(あおえ みな、1941年昭和16年〉5月7日 - 2000年平成12年〉7月2日)は、日本歌手演歌歌謡曲など)。本名は井原(鈴木) 静子(いはら しずこ)。芸能活動におけるプロフィールでは、生年月日を1945年7月7日としていた[2]。血液型はA型。

青江 三奈
『映画情報』1967年1月号より
基本情報
出生名井原(鈴木) 静子
生誕 (1941-05-07) 1941年5月7日
出身地日本の旗 日本 東京都江東区
死没 (2000-07-02) 2000年7月2日(59歳没)
日本の旗 日本 東京都港区
北里研究所病院[1]
学歴東京成徳高等学校卒業
ジャンル演歌歌謡曲ジャズ
職業歌手
担当楽器
活動期間1966年 - 1999年
レーベルJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント

略歴

東京都江東区南砂出身[3]。1947年区立南砂第一小学校に入学、1953年区立南砂第三中学校に入学を経て、1956年に東京成徳高等学校に進学[3]。1959年に高校を卒業した後、西武百貨店勤務を経てクラブ歌手となり、「銀巴里」などで歌い始める[3]

「青江三奈」の芸名は、作詞家・川内康範が『週刊新潮』で連載した小説「恍惚」のヒロインの歌手の名前に由来する。

1966年に『恍惚のブルース』でメジャーデビューし、80万枚[3]を売り上げるヒットとなる。特徴的なハスキーな低い声で歌うブルース演歌が評判となった[3]

1968年に冒頭部分の「色っぽい吐息」が有名な『伊勢佐木町ブルース』が100万枚、『長崎ブルース』が120万枚をそれぞれ売り上げて[3]いずれもミリオンセラーを記録。「伊勢佐木町ブルース」で第10回日本レコード大賞歌唱賞と第1回日本有線大賞スター賞を受賞した[3]

1969年に『池袋の夜』が150万枚[3]を売り上げて自身最大のヒット曲となり、史上初めて2年連続で第11回日本レコード大賞歌唱賞を受賞した。同年の『国際線待合室』も75万枚[3]を売り上げた。1969年度のレコード年間売上金額は青江が全歌手の中で1位、翌1970年度は4位だった。

この頃より、青江と同じくハスキーボイスでビクターレコードから同期デビューの男性演歌歌手・森進一と並んで“ため息路線”と呼ばれた[3]。また1968年に松竹映画の『いれずみ無残』に出演したのを皮切りに、その後1971年までの間に日活の「女の警察シリーズ」や東映の「夜の歌謡シリーズ」など10本以上の映画に脇役として出演した[2]

その後の活躍

1970年代に入るとヒット曲は途絶えるものの、その後1982年発表のシングル『横浜みれん坂』では、第1回日本作曲大賞協会賞を受賞。1984年には初のブラジル公演を開催する[3]。デビュー25周年となった1990年に「レディ・ブルース」で第32回日本レコード大賞・優秀アルバム賞を受賞するなど、テレビ番組やコンサートなどに精力的に出演し続けていた。

NHK紅白歌合戦」は1966年の第17回に初出場したのちに、1968年の第19回から1983年第34回まで16年連続で出場した。1990年第41回は同年12月に亡くなった「恍惚のブルース」の作曲家浜口庫之助を偲び、7年ぶりに通算18回目で紅白出場した。

1990年に青江三奈名義での歌手デビュー25周年を記念して、初のリサイタルを開催する[3]1991年ものまねタレント清水アキラと二人で「ラーメンブルース」のデュエット曲を発表する。1993年に初のジャズアルバム「THE SHADOW OF LOVE」も発表し、ニューヨークでもライブを開催する[3]1995年に歌手生活30周年リサイタルをNHKホールで開催するなど、1999年1月までコンスタントに歌手活動を行った。

闘病・死去

1998年の秋に背中の激痛で受診して膵臓癌と診断されたが[3]、病を隠して仕事をキャンセルせずに歌い続けた。1999年1月23日渋谷公会堂で催した「青江三奈・魅惑のコンサート」を最後に歌手活動を停止し、1月下旬に都内の病院へ入院し、膵炎による加療と発表された。最後のコンサート当日に痛みを耐えながら熱唱した公演の写真が、追悼の特集の際に公開されることがある。

1999年2月5日に9時間を要した手術が成功し、約3か月の入院生活を経て同年4月24日に退院した。退院後は抗癌剤の点滴のために通院しながら美容院へ通うなど歌手活動の復帰を図るが、2000年2月に体調が悪化して再入院して膵臓癌の転移が発覚する。その後は入退院を繰り返したが、2000年7月2日午後11時40分頃に東京都港区北里研究所病院で膵臓癌により59歳で死去[1]葬儀告別式で親友の水前寺清子[注釈 1]が歌手仲間の代表として弔辞を読んだ。

死去から約1年後の2001年7月1日に「伊勢佐木町ブルース」の歌碑が神奈川県横浜市中区イセザキモールに建立された[注釈 2]。歌碑は「楽器の王様」と言われるグランドピアノをモチーフとし、青江三奈自身が歌唱している姿のレリーフが刻まれている。台座部分にはスピーカーが内蔵してあり、スイッチを押すと同曲が約1分間流れる。歌碑に刻まれた楽譜は作曲した鈴木庸一が歌碑の為に書いたものであり、題名と青江三奈の名前は花礼二が書いたものである。歌碑の裏面には、二十世紀に親しまれた横浜に因んだ歌の中からアンケートで選ばれた50曲の曲名も刻まれている。

人物

歌手デビューまで

実家は洋品店を営み、5人兄弟[注釈 3]の末っ子として育つ[3]。子供の頃から下町育ちらしい気さくでさっぱりした性格だった。兄たちが皆音楽好きだったことから青江も自然と歌が好きになり、小学生時代に地元の合唱団に入った。NHKの番組内で小学生時代の写真を披露している。中学生の頃の修学旅行では門限を守らず、教師に呼び出されたが、ネグリジェで色仕掛けするイタズラで、計画通りにあえて教師から叩き出されて指導を即座に終わらせるなど活発な女学生であった。高校生の頃に将来歌手になる夢を持ち、在学中にミュージック・スクールで歌のレッスンを受けた[2]。しかしデビューのきっかけがつかめず、高校卒業後は西武百貨店池袋本店の化粧品売り場で働き始めた[3]

その後女友達に誘われて行った湘南での海水浴で偶然作曲家・花礼二と出会い[注釈 4]、これが転機となった。花が作曲家だと知った青江は、彼からジャズ、シャンソン、カンツォーネ、演歌など様々な歌を教わり始める。その後花が青江を「銀巴里」に売り込んだおかげでオーディションに合格し、クラブ歌手として銀巴里の他銀座や横浜などの店で歌うようになる[3]

その後青江のステージを見たビクターレコードのディレクターからスカウトされ[3]、1966年にデビュー。先述の通りデビュー曲「恍惚のブルース」はヒットしたが、その後1年半もの間ヒットが出ず地道な歌手活動が続く。この頃は、新宿区四谷の家賃3万円のアパートで暮らしていた[3]

「伊勢佐木町ブルース」

「伊勢佐木町ブルース」のイントロの青江による『色っぽい吐息』は、元々楽譜にはなかった。レコーディング時にスタッフから「伴奏のみのイントロがちょっと寂しい」との意見が出た。そこでディレクターが試しに青江にテキトーに声を出してもらった所、別のスタッフから「もっと色っぽくしてみよう」との案が出て『色っぽい吐息』を追加することが決まった[3]

同曲の発売後、世間では曲の冒頭の「色っぽい吐息」やサビの「ドゥドゥビドゥビドゥビ…」のフレーズが話題となった[3]。しかし当時は「“吐息”は子供向きではない」「お色気だ」の意見もあり、『第19回NHK紅白歌合戦』に2年ぶり2回目の出場時は、カズーの音と差し替えて[4]白組司会の坂本九は「ダチョウのため息」と紹介した。1982年『第33回NHK紅白歌合戦』で2回目に歌唱した際は「吐息」は差し替えられなかった。

その後1970年(昭和45年)から1979年(昭和54年)まで、マスプロ電工のマスプロアンテナのテレビCMへ出演した。その中で同曲の替え歌として「あなた知ってる〜 マスプロアンテナ〜 見えすぎちゃって 困ァるのォ〜」と唄った。サンバイザーにミニスカート姿でゴルフのグリーンでパッティングする際にミニスカートから内側がうかがえる光景が強調され、「お色気コマーシャル」として強い印象を残した。ただし、その後の青江が出演する同社CMは「お色気コマーシャル」では無くなった。

長者番付

「伊勢佐木町ブルース」の発売後からの数年間はテレビ出演のほか、1時間のステージを日に2回、時には地方を回ってひと月に28日間の公演をすることもあった。結構なハードスケジュールだったが、歌うことが大好きだったため一切泣き言を言わなかった[3]。この頃のステージ1回の青江の取り分は、60~70万円(大卒の初任給が約4万円の時代)だったとされる[3]

このことから、1970年代前半は長者番付(歌手部門)の常連となった[3]。所得金額は、1970年度は5位で4732万円[注釈 5]、1971年度は6位で5164万円[注釈 6]、1972年度は5位で5097万円、1973年度は4位で5202万円、1974年度は6位で4882万円だった[3]

花礼二との事実婚

作曲家の花礼二は青江と大井町で同居しながら歌唱指導した間柄で多くの曲を提供したが、2人は私生活においてもパートナーだった。青江は10歳ほど年上の花を“でんさん”と呼び、デビュー前の1965年頃から恋愛関係となった[3]。ただし当時の芸能界では、「女性タレントに恋人がいると芸能人として売れない」とされていたため、二人は籍を入れないままひっそりと交際を続けた[3]

しかし1981年に青江の方から突然別れを切り出し[注釈 7]、16年間に及んだ事実婚にピリオドが打たれた[注釈 8]。花と別れた後それまで以上に歌に打ち込み、先述の通り歌手として新しいことに挑戦したり海外公演なども行った。1990年頃から時々雑誌の対談などで「今考えると、“別れ”っていいんじゃないかと思えるの。人生観とか季節感とか全てにおいて深みが増した気がする。別れを経験していないとこの味わいがないんじゃないかしら」と語っていたという[3]

しかし2000年2月に膵臓癌の転移が判明した後、青江が花に直接連絡して「戻ってきて」と頼んだことで再会[3]。19年ぶりによりを戻した2人は、青江が死去する約2か月前に病床で婚姻届に署名して結婚した[注釈 9]。青江の死後は、青江の兄弟と花の間で相続について訴訟するなどして耳目を集めた。

その後、花は青江の一周忌を終えた頃に熱海市の借家に移住。生前に青江が暮らしていた目黒区の自宅は売却した。彼の自宅には青江がかつて着用したステージ衣装が数十着ほど運び込まれ、大切に保管されており、花の知人の証言では「(花は)いずれ、青江の記念館をつくって彼女の遺品を展示したい」と語っていたという。花は2021年の夏に89歳で逝去した。青江との死別後は一人暮らしで、葬儀は花の親戚が営んだ[5]

その他

  • 1978年に目黒区柿の木坂にプール付きの豪邸を構え、最晩年までここで暮らした。1981年に花と別れた後から2000年に復縁するまでの間は、この家でお手伝いさんと二人暮らしだった[3]
  • 「伊勢佐木町ブルース」がヒットしたことで町の名が全国区になり、その後青江は町の名誉会員になった[3]
  • 休日には、よく麻雀やゴルフをしていた。生前本人はゴルフの腕前について「調子が良いとハーフで40台前半」と言っていた[3]
  • 旅好きで国内旅行の時はゴルフと温泉を楽しむのが定番だった。また正月にはハワイ、夏休みにはパリを主に旅行していた[3]
  • 北海道内で主に活動する歌手・明江三奈のことを、「私の妹分、“北海道の青江三奈”として頑張って」と応援していた[3]

ディスコグラフィ

シングル

#発売日A/B面タイトル作詞作曲編曲規格品番
11966年
6月21日
A面恍惚のブルース川内康範浜口庫之助寺岡真三SV-416
B面ひと知れぬ愛
21966年
10月30日
A面ブルー・ブルースSV-484
B面東京のためいき
31967年
1月15日
A面眠られぬ夜のブルースSV-510
B面あなたとわたし
41967年
4月15日
A面夜の紅花利根一郎SV-551
B面女の海
51967年
8月15日
A面この恋なくしたら吉田正SV-603
B面チャオ 私の恋人吉田正寺岡真三
61967年
10月5日
A面女泣かせの銀座川井田誠一清水保雄SV-628
B面夜の花びら木賊大次郎鈴木庸一近藤進
71968年
1月5日
A面伊勢佐木町ブルース川内康範竹村次郎SV-659
B面霧のハイウェー大野正雄近藤進
81968年
2月5日
A面行かないで[注釈 10]吉田正SV-665
B面白い霧の二人
91968年
3月20日
A面札幌ブルース曽根幸明寺岡真三SV-687
B面夕陽の町、函館
101968年
6月5日
A面おんな酒井田誠一吉田正SV-711
B面女のこころ
111968年
7月5日
A面長崎ブルース吉川静夫渡久地政信寺岡真三SV-725
B面一人になりたい平山忠夫近藤進
121968年
10月5日
A面酒場人形山口洋子猪俣公章SV-756
B面恋のおわり猪俣公章渋谷毅
131968年
12月5日
A面新宿サタデー・ナイト佐伯孝夫鈴木庸一竹村次郎SV-778
B面夜霧のワルツ
141969年
3月5日
A面あなたに泣いた滝口暉子宮川としをSV-825
B面新宿ぐらし
151969年
5月5日
A面気まぐれブルース川内康範曽根幸明寺岡真三SV-838
B面痛みのブルース
161969年
7月1日
A面池袋の夜吉川静夫渡久地政信SV-858
B面私にさわらないで近藤進
171969年
9月25日
A面女だから藤公之介吉田正SV-892
B面二人きりで
181969年
12月25日
A面国際線待合室千坊さかえ花礼二近藤進SV-928
B面愛して恋して別れた二人宮川哲夫寺岡真三
191970年
3月25日
A面夜がわたしを誘惑するように佐伯孝夫鈴木庸一小谷充SV-2003
B面男たちのブルース竹村次郎
201970年
7月5日
A面夜の瀬戸内吉川静夫渡久地政信寺岡真三SV-2054
B面広小路ブルース近藤進
211970年
10月5日
A面昭和おんなブルースなかにし礼花礼二船木謙一SV-2087
B面爪をかむ女近藤進
221970年
12月25日
A面三人の女 (1)山口あかり井上かつおSV-2113
B面三人の女 (2)
231971年
3月25日
A面白夜千坊さかえ花礼二小谷充SV-2140
B面たそがれ平山忠夫
241971年
6月5日
A面長崎未練吉川静夫渡久地政信寺岡真三SV-2162
B面地下鉄午前0時近藤進
251971年
10月5日
A面みなと・恋唄千坊さかえ花礼二SV-2198
B面白い京の町
261971年
12月25日
A面恋岬佐伯孝夫鈴木庸一SV-2221
B面銀色の雨のブルース
271972年
3月25日
A面朝日に向ってサンバ川内康範花礼二高田弘SV-2242
B面恋に追われて
281972年
6月25日
A面木屋町の女千坊さかえ近藤進SV-2277
B面ナイト・イン・那覇橋本淳馬飼野俊一
291972年
10月5日
A面日本列島・みなと町吉川静夫渡久地政信寺岡真三SV-2293
B面能登路の雨
301973年
1月25日
A面旅路にひとり橋本淳猪俣公章SV-2311
B面過去にすがって平山忠夫花礼二近藤進
311973年
4月25日
A面女の夢橋本淳浜圭介SV-2334
B面恋の無情を知りました
321973年
7月25日
A面札幌の女吉川静夫渡久地政信寺岡真三SV-2357
B面あなたを忍ぶ街
331973年
10月25日
A面放浪の恋唄橋本淳花礼二SV-1157
B面かざり窓
341973年
12月1日
A面港・神戸の女山口洋子彩木雅夫SV-2389
B面意気地なし松元乾二
351974年
2月25日
A面私のスター橋本淳都倉俊一飯吉馨SV-1171
B面想い出のレンガ通り
361974年
9月5日
A面銀座ブルー・ナイト吉田正寺岡真三SV-2426
B面大阪の女
371975年
1月25日
A面神戸北ホテルSV-2457
B面悔んでみても千坊さかえ花礼二馬飼野俊一
381975年
6月25日
A面新宿みれん山口洋子吉田正寺岡真三SV-2489
B面よこはま朝から今日も雨
391975年
6月25日
A面忘れたい京都矢津太郎浜圭介竜崎孝路SV-2505
B面アカシアのワルツ橋本淳花礼二寺岡真三
401975年
12月5日
A面おんな酔い千家和也井上忠夫馬飼野俊一SV-1264
B面女だったら
411976年
3月5日
A面霧の港、神戸千坊さかえ花礼二竜崎孝路SV-1283
B面信濃路哀歌小山恭弘
421976年
6月25日
A面小樽の灯吉川静夫渡久地政信寺岡真三SV-6017
B面女泣かせの通り雨
431976年
10月25日
A面女から男への手紙荒木あい子井上忠夫川口真SV-6106
B面25時の女岡西通雄
441977年
4月5日
A面片恋い倶楽部阿久悠小林亜星竜崎孝路SV-6194
B面京都生まれ
451977年
9月5日
A面みなとブルースたかたかし花礼二あかのたちおSV-6274
B面たわむれの恋チト河内
461977年
12月20日
A面雪降る札幌白鳥園枝千葉毅竜崎孝路SV-6333
B面時雨藤公之介李在鎬
471978年
4月25日
A面ふられぐせ千家和也千葉毅伊藤雪彦SV-6407
B面北のエレジーたきのえいじ
481979年
1月25日
A面ゆきずり横井弘猪俣公章竹村次郎SV-6541
B面表参道日暮れ前東海林良徳久広司EDISON
491979年
9月5日
A面盛岡ブルースつのかけ芳克竹村次郎SV-6629
B面雨のネオン川千坊さかえ花礼二寺岡真三
501980年
6月21日
A面酔心千家和也千葉毅薗広昭SV-7013
B面迷い酒
511981年
5月21日
A面あなたにゆられて北川文化森田公一SV-7114
B面恋酒場森田公一竹村次郎
521982年
1月21日
A面横浜みれん坂峰尾勝己武谷光森岡賢一郎SV-7185
B面未練です里村龍一桜田誠一竜崎孝路
531982年
8月21日
A面夢灯り新條カオル斉藤恒夫SV-7239
B面あなたの函館佐々木徳直成田竜也竜崎孝路
541983年
1月21日
A面野母崎の夜馬津川まさを中山治美馬飼野俊一SV-7276
B面ヨコスカ哀歌橋本淳浜圭介
551983年
6月21日
A面新地ワルツ吉田正神山純一SV-7311
B面惚れてひとすじとまりれん竜崎孝路
561983年
11月21日
A面大阪ブルース水木かおる鈴木邦彦竹村次郎SV-7350
B面あなたがひとりでいるのなら茅野遊内山田洋
571984年
5月21日
A面大田ブルース三佳令二金富海竜崎孝路SV-7384
B面ミオ・ミオ・ミオ鄭豊松
581985年
3月21日
A面いつわり中津康治SV-9001
B面横須賀ブルース石本美由起三木たかし
591985年
7月5日
A面中洲・那珂川・涙街小野正則SV-9034
B面北へ行く中村泰士
601986年
4月21日
A面新宿の夜白鳥園枝市川昭介SV-9118
B面角舘しのび逢い石野ひさし岡千秋
611986年
10月21日
A面ぼやき池田充男西條キロクSV-9171
B面男と女の港町
621987年
11月21日
A面酒場歌桜田誠一SV-9289
B面函館みれん
631989年
3月21日
A面悲しみのモデル荒木とよひさ杉本真人馬飼野俊一SV-9393
B面時計
641990年
3月21日
01ベイブリッジ・ブルースジェームス三木吉田正服部克久VIDL-10016
02あなたがもうひとりいればいい
651990年
9月21日
01HONMOKUブルースなかにし礼鈴木道明前田憲男VIDL-10060
02TOKYOララバイ鈴木道明
661991年
4月21日
01雨に咲く花[注釈 11]高橋掬太郎池田不二男寺岡真三VIDL-10121
02白樺の小径[注釈 12]佐伯孝夫佐々木俊一前田憲男
671991年
9月21日
01ラーメンブルース[注釈 13]丼盛太郎猪俣公章伊戸のりおVIDL-10152
02デュオ 年上の女山口あゆみ
681992年
6月21日
01いとしのすっとこどっこいジェームス三木三木たかし若草恵VIDL-10249
02エゴイスト
691994年
9月21日
01淋しい時だけそばにいて麻こよみ鹿紋太郎宮崎慎二VIDL-10551
02LOVE IS FOREVER〜いつかまた〜
701995年
6月21日
01女とお酒のぶるーす仁井谷俊也宮下健治伊戸のりおVIDL-10665
02殉愛のブルース木下龍太郎南郷孝
711997年
1月22日
01恋命川内康範VIDL-11031
02夜明け川川内康範乃木五郎
721998年
5月21日
01しのび逢いそっと荒木とよひさ浜圭介川村栄二VIDL-30232
02夕昏れの街角
732000年
12月16日
01炎のように火のように山崎ふみえ曽根幸明高田弘VIDL-30517
02恍惚のブルース川内康範浜口庫之助寺岡真三

アルバム

オリジナル・アルバム

  1. 青江三奈ブルースを唄う (1968年10月)
  2. 盛り場流し唄 (1969年3月)
  3. グッド・ナイト (1969年7月)
  4. さすらいの唄/中山晋平メロディーを唄う (1970年)
  5. 麦と兵隊 青江三奈 男ごころを唄う (1970年5月)
  6. お富さん ~渡久地政信作品集~ (1970年9月)
  7.  (1971年)
  8. 懐しの映画音楽を唄う (1971年9月)
  9. 盛り場の女を唄う (1971年12月)
  10. 長崎を唄う (1972年3月)
  11. 女の望郷~沖縄から北海道まで~ (1972年7月)
  12. 影を慕いて (1972年9月)
  13. 放浪船 (1973年1月)
  14. 女の夢 (1973年5月)
  15. 日本のおんなを唄う (1973年8月)
  16. 私のスター/青江三奈愛を唄う (1974年4月)
  17. 女のなみだを唄う (1974年7月、SJX-180)
  18. 酒場・盛場・流し唄 (1974年12月)
  19. 神戸北ホテル (1975年3月)
  20. 女の情を唄う (1975年8月)
  21. 25時の女 (1976年7月)
  22. 佐藤千夜子の世界 (1977年)
  23. ゆきずり/青江ブルース (1979年2月)
  24. 盛岡ブルース (1979年10月)
  25. 酔心 (1980年7月)
  26. 夢灯り (1982年9月)
  27. Lady Blues -女・無言歌- (1990年3月21日、VICL-21)
  28. The Shadow Of Love (1993年10月21日、VICJ-182)

ライブ・アルバム

  1. 炎熟 (1977年)
  2. Passion Mina In N. Y. (1995年)
    • 1995年9月23日から25日まで、ニューヨーク・レインボールームにて収録。

出演

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回曲目出演順対戦相手備考
1966年(昭和41年)/第17回恍惚のブルース09/25城卓矢
1968年(昭和43年)/第19回2伊勢佐木町ブルース14/23アイ・ジョージ2年ぶり出場
1969年(昭和44年)/第20回3池袋の夜01/23布施明トップバッター
1970年(昭和45年)/第21回4国際線待合室23/24北島三郎トリ前
1971年(昭和46年)/第22回5長崎未練07/25五木ひろし
1972年(昭和47年)/第23回6日本列島・みなと町21/23五木ひろし(2)
1973年(昭和48年)/第24回7長崎ブルース18/22森進一1969年の大ヒット曲、紅白では初披露
1974年(昭和49年)/第25回8銀座ブルーナイト22/25フランク永井
1975年(昭和50年)/第26回9神戸北ホテル12/24内山田洋とクール・ファイブ
1976年(昭和51年)/第27回10女から男への手紙22/24北島三郎(2)
1977年(昭和52年)/第28回11みなとブルース17/24内山田洋とクール・ファイブ(2)
1978年(昭和53年)/第29回12ふられぐせ17/24春日八郎
1979年(昭和54年)/第30回13盛岡ブルース21/23村田英雄
1980年(昭和55年)/第31回14酔心21/23村田英雄(2)
1981年(昭和56年)/第32回15あなたにゆられて15/22村田英雄(3)
1982年(昭和57年)/第33回16伊勢佐木町ブルース(2)10/22フランク永井(2)
1983年(昭和58年)/第34回17大阪ブルース15/21サザンオールスターズ
1990年(平成2年)/第41回18恍惚のブルース(2)12/29西田敏行7年ぶり出場、最後の出演
  • 対戦相手の歌手名の()内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある()はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。

映画

  • いれずみ無残(1968年、松竹) - 女役
  • 新 いれずみ無残 鉄火の仁義(1968年、松竹) - 歌手役
  • 夜の歌謡シリーズ 伊勢佐木町ブルース(1968年、東映) - 青江三奈役[6]
  • 女の警察(1969年、日活) - 小金井蓉子役
  • 殺すまで追え 新宿25時(1969年、松竹) - あづさ役
  • 夜の歌謡シリーズ 長崎ブルース(1969年、東映) - 銀子役
  • 夜の歌謡シリーズ 悪党ブルース(1969年、東映) - 青木ナナ役
  • 夜をひらく 女の市場(1969年、日活) - 青江三奈役[7]
  • 女の手配師 池袋の夜(1969年、日活) - エリ子役
  • 女の警察 国際線待合室(1970年、日活) - 美奈役
  • 女の警察 乱れ蝶(1970年、ダイニチ映配) - 美穂役
  • 三人の女 夜の蝶(1971年、ダイニチ映配) - 美奈子役

テレビドラマ

CM

受賞

脚注

注釈

出典

関連項目

外部リンク