韓国での日本大衆文化の流入制限

韓国での日本大衆文化の流入制限(かんこくでのにほんたいしゅうぶんかのりゅうにゅうせいげん)では、大韓民国(韓国)における日本大衆文化の流入に対する規制について記述する。

韓国では自国文化の保護のため、また大日本帝国韓国併合とその後の日本統治時代(1910年-1945年)の影響による国民感情を害するとして、日本の漫画映画、音楽(邦楽、J-POP)など大衆文化を法令で規制してきた。

具体例としては、韓国のテレビ放送において日本語歌詞を放送することの禁止、日本のテレビ番組を放送することの禁止等がある。しかし近年、それも徐々に制限を緩和しつつある[1][2]

経緯

かつて、韓国では建国時初代大統領李承晩政権以来、放送局において日本のテレビドラマ日本映画、日本語の歌曲の放映が、法律で禁止ないし厳格に制限されていた[3]

韓国で日本語の歌は、芸術性が高い「歌曲」と「大衆歌謡」に区別され、「大衆歌謡」については1999年の法改正まで大田国際博覧会1993年)など特例を除いて公演が禁止されてきた[4]

日本の大衆文化は禁止されていたが、実際は海賊版、地上波テレビ・ラジオのスピルオーバー[5][6]衛星放送[7][8][9][10][11][12][13][14][15][16]インターネットなどを通じて韓国に流入しており、法令自体が堅固なものではなく、また「日本の大衆文化が禁止されているからこそ、私たちはより憧れを抱くようになった」という韓国人の意見もある[17]

韓国人のなかには、日本の大衆文化の流入を認めた場合、韓国のエンターテインメント産業が圧倒されてしまうと危惧する意見もあり、アニメ監督のカン・シンギルも「韓国と日本の文化の競争は、子供大人の戦いのようなものです」と述べており、「自分たちに自信が持てるようになるまでは、文化の解禁を望んでいない」という意見もある[17]

時系列

1987年、韓国は万国著作権条約に加盟。以降、日本からの書籍の版権輸入が本格化した。

1987年、ソウル88(パルパル)体育館(서울 88체육관)で開催された第4回PAX MUSICAにて、チョー・ヨンピルのバックバンドが「」(作曲:谷村新司)のメロディを演奏した。第二次世界大戦後の韓国で、日本人の作曲した楽曲が公に演奏されたのはこれが初のことであった[18]

1988年アイドルグループ少女隊ソウルオリンピックイメージソングKorea」を日本語で歌唱し(韓国側の放送局の了解なしに日本語で歌ったゲリラ歌唱[19]。公式には同年9月16日、ソウルオリンピック前夜祭での西城秀樹が最初[19][20])、韓国でもブレイクした。

1990年前後、韓国露天商によりX JAPANの「ENDLESS RAIN」が一日中どこでも流され、韓国メディアから「gilboard charts」(streetboard charts)と呼ばれていた露天商のチャートで大ヒットしX JAPAN旋風が巻き起こされた[21]

1992年には首都ソウル特別市で開催されたアジア太平洋映画祭で『遠き落日』『大誘拐 RAINBOW KIDS』など4本を、映画祭のスクリーンで一般公開した(日本映画として戦後初)[22]

1998年(平成10年)10月には韓国大統領金大中が来日し、国会衆議院本会議場での演説で「日本の大衆文化解禁の方針」を表明している。以降、日本の大衆文化を順次受け入れ始めた。日本映画の韓国での一般映画館公開第1号は、北野武監督の『HANA-BI』であった。

1999年(平成11年)日本語での音楽公演解禁第1号としてソウル喜納昌吉のコンサートが行われた。同年7月最終週のKDJC誌のロック部門のチャートにおいて、日韓混成のロックバンド・Y2Kの「別れた後に」(朝鮮語: 헤어진 후에、歌詞は韓国語)が1位を獲得した[23]。同年8月1日釜山市で開催された「第1回アジアン・ロック・フェスティバル」で、ソウル・フラワー・ユニオンValentine D.C.が日本語のロックを歌唱した。韓国において公開の場所で日本語のロックが歌唱されたのは、これが初のことであった[4]

2000年(平成12年)7月12日13日PENICILLINがソウルのヒルトンホテルで計8000人規模のコンサートを開催。日本人アーティストの歌謡公演の席数制限が撤廃された後、韓国での日本人アーティストの大規模公演の第1号となった[24]

2001年(平成13年)に2002 FIFAワールドカップの開催記念として企画されたコンピレーション・アルバム『PROJECT 2002 The Monsters』が日本と韓国で発売。韓国において日本語詞の楽曲を収録したCDが公式に発売されるのはこれが初のことだった[25][26]

2002年(平成14年)5月30日ソウルワールドカップ競技場横特設ステージで開催された2002 FIFAワールドカップの前夜祭にてVoices of KOREA/JAPANCHEMISTRYSoweluが、日本語で「Let's Get Together Now」を披露。この模様はKBSMBCSBSで生中継された。戦後の韓国で初めて、日本語詞を含む楽曲が政府公認でメディアにフルコーラスで流れることになった[27]

2004年(平成16年)には、ケーブルテレビといった有料放送においてのみ年齢制限付きで日本のテレビドラマ放映が解禁され、近年は日本のテレビドラマのリメイクや日本の小説・漫画を原作としてテレビドラマの製作が行われてはいる。しかし、地上波テレビ放送においては日本語の楽曲の放映は放送局側が録画放送だけに限って実施し、日本のドラマやバラエティ番組放送は現在も「国民情緒に配慮して」規制[28]している。

2004年1月1日、韓国での日本語詞のCD発売が全面解禁されるのと同日に、KICK THE CAN CREWが日本語詞のアルバム『GOOD MUSIC』を日本と韓国で同時発売した[29][30]

2004年6月3日に韓国で公開された映画『僕の彼女を紹介します』が韓国映画で初めてとなる日本語の挿入歌としてX JAPAN「Tears」を起用した[31]

2004年6月9日に放送された韓国のケーブルテレビ「Mnet」の番組『プライムコンサート』で、東京エスムジカが「月凪」「陽炎」を日本語韓国語で披露した。日本語音楽解禁後の韓国において、初めてテレビの音楽番組で日本語で歌唱した日本人アーティストとなった[32]

2010年(平成22年)9月10日にはSKE48が「2010ソウルドラマアワード」の授賞式に出演し、日本語で歌唱する姿が韓国の地上波で初めて生放送された[33][34][35]

2011年(平成23年)8月29日、日本の自由民主党党総務部会は民主党政権下(当時、菅第2次改造内閣)の野党であったが、自民党として正式に韓国の地上波で日本の番組が解禁されていない不公平を民間ベースでも追及するよう、同党所属の片山さつき参議院議員を通じ日本民間放送連盟広瀬道貞会長に対して要請を行った[36]。なお、2014年(平成26年)に開局したチャンネルWのように日本のテレビ番組などを放送する韓国内のケーブルテレビ向け専門チャンネルも存在する[37]

2023年(令和5年)7月12日、韓国文化体育観光部は日本で制作された映画作品やテレビ番組(ビデオスルーを含む)を韓国の動画配信サービスでも日本と同時に視聴出来るように制度を改正したことを明らかにした。この改正は同年9月1日から施行された[38][39][40]。これを巡っては同年6月にNetflixで世界配信されたドラマシリーズ『THE DAYS』が同サービスの展開国・地域の中では、韓国だけが50日遅れての公開となったため、物議となり、陰謀論まで出る事態となっていた[38][41][42][43]

開放された日本文化

第1次開放(1998年10月20日)

第2次開放(1999年9月10日)

  • 日本人アーティストによる2000席以下の歌謡公演(放送、レコードや映像作品・ビデオの販売は不可)
  • 日本映画の解禁範囲拡大
  • 日本の宗教団体の活動解禁

第3次開放(2000年6月27日)

第4次開放(2004年1月1日)

  • 映画の全面解禁
  • レコード、CD、テープ等の販売

今後

2011年2月23日には、韓国の鄭柄国文化体育観光部長官が地上波での放映が禁じられている日本のテレビドラマについても解禁に積極的な姿勢を示したが、そのコメントに対して文化体育観光省としての立場として「(鄭氏が)日ごろの考えを語ったもので、直ちに(開放措置を実施する)計画はない」と改めて反対のコメントをしている[44]

日本語歌詞の報道規制

2014年K-POPガールズグループ『CRAYON POP』の新曲の歌詞に「日本語的な表現がある」として、韓国の公共放送(日本のNHKにあたる)韓国放送公社(KBS)から「放送不適合」と判定された。

新曲「オイ」の中で、韓国語の「ピカポンチョク」という表現の中に日本語オノマトペ「ピカピカ」の「ピカ」が入ったことが理由であるとKBSは説明している[45]

脚注

関連項目