高王観世音経

仏説高王観世音経』(ぶっせつこうおうかんぜおんきょう)とは、中国で撰述された偽経である。東魏丞相高歓に因む応験が経名の由来とさる。霊験説話によって 南北朝時代以降庶民の観音信仰に大きな影響を与えた。大正新脩大蔵経では疑似部に収められている。この経を一千遍誦滿すれば重罪は消滅すると説く[1]

西夏語の『高王観世音経』

概要

牧田諦亮は1966年『高王観世音経の成立―北朝仏教の一断面』で、トルファン出土の高王経の古寫經残簡『仏説観世音折刀除罪経』[2](『折刀経』とも)[3]について、これを8世紀頃に書寫された現存最古本(当時)として紹介し、同経出現の歴史的背景についての精緻な諭考を発表した。以来研究が進み、房山石経敦煌出土本、金剛寺の古写本など、新たなテキストが発見され、校訂の報告などが為されてきた[4][5]

内容

釈迦がどこどこで誰に説いた、という場面設定の記載はない。冒頭部の文面が十句観音経と一部、重複しており、両者の間の関係性が指摘されている。内容は観音菩薩をはじめとする諸仏、諸菩薩への帰依と、観音経を彷彿とさせる観音菩薩の権能の列挙で占められる。千遍誦すれば、罪障は消滅すると説く[6][7]

霊験説話

『高王観世音経』の名は554年成立の『魏書』に見られるが、霊験によって刑死を免れた者の名は記述されていない[8]。この條の最後の段落に「高王觀世音」という題名の記述がある。

景裕雖不聚徒教授,所注易大行於世。又好釋氏,通其大義。天竺胡沙門道悕每譯諸經論,輒託景裕為之序。景裕之敗也。繫晉陽獄,至心誦經,枷鎖自脫。是時又有人負罪當死,夢沙門教講經,覺時如所夢,默誦千遍,臨刑刀折,主者以聞,赦之。此經遂行於世,號曰高王觀世音。

景裕は聚徒に教授せ不と雖ども、を注する所は大いに世に於て行われたり。又釋氏を好み、其の大義に通じたり。天竺の沙門道悕は諸の經論を翻ずる每に、輒ち景裕に之の序を為すを託せり。景裕之敗るる也。晉陽の獄に繋がれしも、至心誦經して、枷鎖自から脫す。是の時又た當に死の罪を負た人有りて、夢に沙門經を教講せり、覺し時夢みる所の如し、千遍默誦し、刑に臨みて刀折るる、主者聞くを以て、之を赦せり。此の經は遂に世に於て行われた、號して曰く高王觀世音と。

— 魏書卷八十四 列傳儒林第七十二 盧景裕の條、(原文・訓読)

追記部分にある霊験によって刑死を免れた人物の名「孫敬徳」が出現するのは、645年成立の続高僧伝 [9]である。

又高齊定州觀音瑞像。及高王經者。昔元魏天平定州募士孫敬徳。於防所造觀音像。及年滿還。常加禮事。後爲劫賊所引。禁在京獄。不勝拷掠。遂妄承罪。並處極刑。明旦將決。心既切至。涙如雨下。便自誓曰。今被枉酷。當是過去曾枉他來。願償債畢了。又願一切衆生所有禍横。弟子代受言已少時依俙如睡。夢一沙門教誦觀世音救生經。經有佛名。令誦千遍得免死厄。徳既覺已。縁夢中經。了無謬誤。比至平明已滿百遍。有司執縛向市。且行且誦。臨欲加刑誦滿千遍。執刀下斫。折爲三段。三換其刀。皮肉不損。怪以奏聞。承相高歡。表請免刑。仍勅傳寫被之於世。今所謂高王觀世音是也。徳既放還。觀在防時所造像項。有三刀迹。悲感之深慟發郷邑。

高齊定州の觀音瑞像、及び高王經者について。昔元魏 天平年間(534 - 537年)、定州募士の孫敬徳あり。防備に就きしところに観音像を造り年滿還に及ぶまで、常に禮事を加う。後に劫に賊と為され引るる所となる。京の獄に禁在し、拷掠に勝て不、並に極刑に處さる。明旦將に決す、心既に切するに至り、雨の如く淚下つ、自らを便て誓いて曰く、今枉酷を被るは、當に是れ過去に他を曾枉せるに來するや、願わくは償債し畢了るを、又願わくは一切の衆生の所有せる禍橫を、弟子代りて受くることを。言い已りて少時、俙に依りて睡れる如し、夢に一沙門ありて觀世音救生經誦むを教う、經に佛名有り、令て千遍誦さば、死厄を免ずるを得ん。德は既に覺め已りて、夢中の縁の經了り無謬無く、比に至り平明たり、已に滿百遍。有司執縛向市、且つ行じ且つ誦す、加刑せんと欲するに臨み、誦すること千遍に滿つる。執刀下ろすに斫る、折れ三段と為る、三たび其刀を換えれども、皮も肉も損ぜ不。怪を以て奏聞するに、承相高歡は請免刑を表せり、仍ねて傳寫を勅す、之世に於て被われ、今所謂高王觀世音經是也。德既に放還さるに、在防時造れる所の像の項を觀るに、三刀迹有り、悲感之深し、鄉邑を慟發せり。[10]

— 續高僧傳卷第二十九 大唐西明寺沙門釋道宣撰 興福篇第九
正紀十二人 附見五人 周鄜州大像寺釋僧明傳二 孫敬德の條 又、高齊定州觀音瑞像及高王經者 、(原文・訓読)[11]

その後、668年成立の『法苑珠林』もこの説話が収録されている[12]が、テキストはほぼ同じである。[13][14]

注・出典

参考文献

  • 永田昌文堂編集部 編『高王白衣観音経』永田昌文堂、1933年。 
    • 『高王白衣観音経霊験利益』も収録。
  • 石田瑞麿『民衆経典』筑摩書房〈仏教経典選〉、1986年6月。ISBN 978-4480330123 
    • 『高王観世音経』を収録。
  • 伊藤丈『「七観音」経典集』大法輪閣、1996年10月。ISBN 4-8046-1128-2 
  • 大法輪閣編集部 編『観音さま入門』(増補新装版)大法輪閣〈大法輪選書〉、2000年10月。ISBN 978-4804650265 
    • 『高王白衣観音経』を収録。

外部リンク