いっかくじゅう座

星座の一つ

いっかくじゅう座[4](いっかくじゅうざ、一角獣座、Monoceros[4][5])は、現代の88星座の1つ。17世紀に考案された新しい星座で、額に1本の角を持つ馬の姿をした架空の生物ユニコーンモノセロス)をモチーフとしている[1][5]シリウスプロキオンベテルギウスの3つの1等星が形作る「冬の大三角」に囲まれた領域に位置する。

いっかくじゅう座
Monoceros
Monoceros
属格Monocerotis
略符Mon
発音[məˈnɒsɨrəs]、属格 /ˌmɒnəsɨˈroʊtɨs/
象徴ユニコーン
概略位置:赤経 05h 55m 51.8s -  08h 11m 23.8s[1]
概略位置:赤緯11.93° - −11.37°[1]
広さ481.569平方度[2]35位
バイエル符号/
フラムスティード番号
を持つ恒星数
32
3.0等より明るい恒星数0
最輝星β Mon(3.74
メシエ天体1
確定流星群いっかくじゅう座12月流星群
いっかくじゅう座α流星群[3]
隣接する星座おおいぬ座
こいぬ座
ふたご座
うみへび座
うさぎ座
オリオン座
とも座
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主な天体

固有名もない4等星がいくつかあるだけの目立たない星座だが、ばら星雲など名の知られた星雲星団が属している。

恒星

2022年4月現在、国際天文学連合 (IAU) によって2個の恒星に固有名が認証されている[6]

  • HD 45652:国際天文学連合の100周年記念行事「IAU100 NameExoworlds」でポルトガルに命名権が与えられ、主星はLusitânia、太陽系外惑星はViriatoと命名された[7]
  • HD 52265:国際天文学連合の100周年記念行事「IAU100 NameExoworlds」でエルサルバドルに命名権が与えられ、主星はCitalá、太陽系外惑星はCayahuancaと命名された[7]

その他の特徴的な恒星には以下のものがある。

星団・星雲・銀河

由来と歴史

19世紀の星座カード集『ウラニアの鏡』に描かれたいっかくじゅう座。
古今図書集成に描かれた井宿星官。中央に四瀆と闕邱が描かれている。

オランダの神学者で地図製作者のペトルス・プランシウスが考案したものであるとされる[5]。プランシウスは、1612年に作成した天球儀[注 2]Monoceros Unicornisモノセロスユニコーン)という名前で星座を描いていた[5]。これより後の1624年に、ドイツの天文学者ヤコブス・バルチウスが刊行した『Usus Astronomicus Planisphaerii Stellati』に掲載した星図に Unicornu の名前でこの星座を加えていたことから、バルチウスが考案者であると誤解されることもある[4][5]。西洋の伝承に登場する額に1本の角を持つ馬であるユニコーンがモチーフとされたが、一部の星図では鼻先に角を持った魚類の姿で描かれることもあった[4]

19世紀末アメリカのアマチュア博物学者リチャード・ヒンクリー・アレンは、著書『Star Names: Their Lore and Meaning』の中でこの星座の考案者について異説を挙げている。アレンは、天文学者ヴィルヘルム・オルバースと年代学者ルートヴィヒ・イデラー英語版が「1564年の文献に「双子座と蟹座の南にある別の馬」という言及があることから、もっと早い時期に考案されたものである」と述べていたとした[29]。また、古典学者のヨセフ・スカリゲル英語版が「ペルシアの天球儀に描かれたこの星座を発見した」としていたとした[29]。さらにアレンは、フランスの天文学者カミーユ・フラマリオンが古い文献に見える謎の星座 Neper をこの星座に同定していたという話を紹介している[注 3]

1872年、イギリスの天文学者リチャード・アンソニー・プロクター英語版 は、星座名を簡略化するために「Cervus(鹿)」という名称に変更することを提唱した[4][29][30]が、受け入れられることはなかった。アメリカの天文学者ベンジャミン・グールドは、1879年に刊行した『Uranometria Argentina』の中で、この星座の6つの星にギリシャ文字の符号を付した[5]

1922年5月にローマで開催されたIAUの設立総会で現行の88星座が定められた際にそのうちの1つとして選定され、星座名は Monoceros、略称はMonと定められた[31]。17世紀に考案された新しい星座のため神話・伝承はない。

中国

中国の天文では、いっかくじゅう座の星のうち5つの星が二十八宿の南方朱雀七宿の第1宿の「井宿」の一部とされた[5][32]。17・13・εの3星は、ふたご座の5等星HD 52960とともに長江黄河淮河済水の四つの大河を表す「四瀆」と呼ばれる星官を成すとされ、18・21(または22[5])の2星は宮殿の門外にある小山を表す「闕邱」という星官を成すとされた[5][32]

呼称と方言

日本では、1879年(明治12年)にノーマン・ロッキャーの著書『Elements of Astronomy』を訳した『洛氏天文学』が刊行された際には「ユニコルン(一角)」と訳が充てられた[33]1908年(明治41年)4月に創刊された日本天文学会の会誌『天文月報』では同年12月の第9号から「一角獣」という星座名が記された星図が掲載されている[34]。1910年(明治43年)2月に訳語が改訂された際も「一角獣」がそのまま使用された[35]。この訳名は、1925年(大正14年)に初版が刊行された『理科年表』にも「一角獣(いっかくじう)」として引き継がれ[36]1944年(昭和19年)に学術研究会議によって天文学用語が改訂された際もこの呼称が継続して採用された[37]。戦後の1952年(昭和27年)7月に日本天文学会が「星座名はひらがなまたはカタカナで表記する」[38]とした際に、Monoceros の日本語名は「いつかくじゆう」と改められた[39]。さらに1974年(昭和49年)1月に刊行された『学術用語集(天文学編)』で仮名遣いが改められ「いっかくじゅう」が星座名とされた。この改定以降は「いっかくじゅう」が星座名として継続して用いられている。

現代の中国では「麒麟座」という呼称を用いている[40][注 4]

脚注

注釈

出典

07h 09m 00s, −05° 44′ 24″