アイズレー・ブラザーズ

アイズレー・ブラザーズThe Isley Brothers[ˈzl])は、アメリカ合衆国音楽グループ。1950年代にオケリー・アイズレー、ルドルフ・アイズレー、ロナルド・アイズレーの3人組ボーカル・グループとして結成された[2]

アイズレー・ブラザーズ
1969年
基本情報
出身地アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 オハイオ州シンシナティ
ジャンル
活動期間1954年 -
レーベル
公式サイトtheisleybrothersofficial.com
メンバー
旧メンバー
  • ルドルフ・アイズレー
  • オケリー・アイズレー
  • ヴァーノン・アイズレー
  • マーヴィン・アイズレー
  • クリス・ジャスパー

来歴

1950年代前半にヴォーカル・グループとして結成され、当初はドゥーワップも歌っていた[1]。アイズレーは、1959年にゴスペル・ソウル「シャウト」をヒットさせた。その後もビートルズのカバーでも有名な「ツイスト・アンド・シャウト」などをチャートに送り込んだ。1962年に発表した「Nobody but Me」はどのチャートにも入らなかったが、1967年にザ・ヒューマン・ベインズがカバーしたバージョンがヒットし(邦題「ノー・ノー・ノー」)、映画やテレビなどで頻繁に使用されている。

1960年代半ばには当時無名だったジミ・ヘンドリックスをツアー・メンバーに加え、ステージだけでなく、レコーディングにも参加させている。当時のヘンドリックスは、仕事がない時はアイズレー家に居候しており、幼い頃のアーニー・アイズレーは、ヘンドリックスのギター練習を間近で見続ける機会に恵まれた。結果、アーニーはヘンドリックス色を濃厚に受け継いだギタリストとしてグループに参加することになった[3]

1966年にはモータウンから「ジス・オールド・ハート・オブ・マイン[4]を発表した。またモータウン時代には「君の胸に抱かれたい」[注 1]も発表している。そして1969年、そのアーニーを含む3人のバンドメンバーを加え、6人編成のソウル、ファンク・バンドとなり「イッツ・ユア・シング」のヒットを放った[5]

1971年から74年には『Givin' It Back』『Live It Up』などを発表した。「ラブ・ザ・ワン・ユア・ウィズ」[注 2](「愛への讃歌」)、「思い出のサマー・ブリーズ」[注 3]などのカバー曲もシングルとしてリリースしている。1973年には「ザット・レイディ」が、ポップへのクロスオーバー・ヒットとなった[1]。1975年には「フォー・ザ・ラブ・オブ・ユー」、1977には「フットステップス・イン・ザ・ダーク」がソウル・チャートでのヒットとなっている。

1983年のアルバム『Between the Sheets』を発表後にCBSレコードとグループ側の評価の相違や、中途参加メンバーのグループ内での評価に対する不満により、中途参加メンバーはアイズレー・ジャスパー・アイズレーを結成する。1985年の「キャラバン・オブ・ラブ」はソウル・チャートで大ヒットになった。彼らはアルバムを3枚残した。

結成メンバーの3人はアイズレー・ブラザーズとして、1985年に「コールダー・アー・マイ・ナイツ」をソウル・チャートでヒットさせた。しかし1986年にオーケリー・アイズレーが心臓発作により急逝してしまう(48歳没)。87年には「スムース・セイリン・トゥナイト」がソウル・ヒットになっている。その後ルドルフ・アイズレーは聖職につくためにグループを離脱した。このメンバーが減った時期からアンジェラ・ウィンブッシュがグループをサポートした。1989年発表の『スペンド・ザ・ナイト』は「The Isley Brothers featuring Ronald Isley」名義であり、実質ロナルドのソロ・プロジェクトとなった。また、Gラッパーによって「フォー・ザ・ラブ・オブ・ユー」や「ビトウィーン・ザ・シーツ」が、バックトラックとして使用されるようになった。

アイズレーは「ヴォーカル・グループ・ホール・オブ・フェイム」にも選出されている[6]。1991年にアーニー・アイズレーとマーヴィン・アイズレーが復帰した。また1994年にはアリーヤが、「アット・ユア・ベスト」をカバー・ヒットさせている。90年代にはロナルドがRケリーと組んだ「ダウン・ロウ」がヒットした。1997年にマーヴィン・アイズレーが糖尿病による神経障害のため壊疽をおこした足を切断し、活動を離脱(2010年死去)。同じく97年に「トリート・ユー・ライト」を発表した。年2001年に「Isley Brothers Featuring Ronald Isley AKA Mr. Biggs」名義の「コンテイジャス」がビルボードHOT 100にチャートインすることで、1950年代から2000年代まで6つの西暦10年代(decade)連続でビルボードのシングルチャートに登場した史上初のアーティストとなった。

アイズレー・ブラザーズは2人でアルバムを出し続け、若手とのコラボレーション等も盛んに行なっていた。だが2005年、ロナルド・アイズレーが長年の所得税脱税などにより検挙され、2006年に懲役3年1ヶ月の実刑と罰金310万ドルの刑が確定してしまった。彼は収監されたため、グループは事実上の活動停止状態となっていたが、2010年4月13日、ロンが出所。これに伴い、彼は同年5月から出所後初のツアーを行っている。

ディスコグラフィ

  • Shout (1959)
  • Twist & Shout (1962)
  • The Fabulous Isley Brothers -Twisting and Shouting (1964)
  • Take Some Time out for the Isley Brothers (1964)
  • Twisting & Shouting (1964)
  • This Old Heart of Mine (1966)
  • Soul on the Rocks (1967)
  • Tamla Motown Presents (1967)
  • Doin' Their Thing (1969)
  • It's Our Thing (1969)
  • Live at Yankee Stadium (1969)
  • The Brothers: Isley (1969)
  • In the Beginning (1970)
  • Get into Something (1970)
  • Giving It Back (1971)
  • Brother, Brother, Brother (1972)
  • The Isleys Live (1972)
  • 3 + 3 (1973)
  • Live It Up (1975)
  • The Heat Is on (1975)
  • Harvest for the World (1976)
  • Go for Your Guns (1977)
  • Showdown (1978)
  • Winner Takes All (1979)
  • Go All the Way (1980)
  • Grand Slam (1981)
  • Inside You (1981)
  • The Real Deal (1982)
  • Between the Sheets (1983)
  • Masterpiece (1985)
  • Smooth Sailin' (1987)
  • Spend the Night (1989)
  • Tracks of Life (1992)
  • Live (1993)
  • Mission to Please (1996)
  • Eternal (2001)
  • Body Kiss (2003)
  • Baby Makin' Music (2006)
  • Make Me Say It Again, Girl (2022)

主要メンバー

()内は在籍期間

現メンバー

旧メンバー

  • オーケリー・アイズレー バッキングボーカル (1954年 - 1986年) 長男 1986年死去
  • ルドルフ・アイズレー バッキングボーカル (1954年 - 1989年) 次男 2023年10月11日[7]死去
  • マーヴィン・アイズレー ベース (1973年 - 1983年, 1991年 - 1997年) 6男 2010年死去
  • クリス・ジャスパー キーボード (1973年 - 1983年) ルドルフの妻の弟
  • ヴァーノン・アイズレー リードボーカル (1954年 - 1955年) 4男 交通事故により13歳で死去

脚注

注釈

出典

関連項目

外部リンク

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