ガラタサライSK (サッカー)

トルコのサッカークラブ

ガラタサライ・スポル・クリュビュトルコ語: Galatasaray Spor Kulübü トルコ語発音: [ɡaɫatasaˈɾaj ˈspoɾ kulyˈby])は、トルコイスタンブールをホームタウンとする、トルコプロサッカーリーグ(スュペル・リグ)に加盟するプロサッカークラブ。

ガラタサライ
原語表記Galatasaray Spor Kulübü
愛称Cim Bom Bom(ジム・ボム・ボム)
Cimbom
Aslan(ライオン)
Sarı Kırmızılılar(黄-赤)
Avrupa Fatihi(ヨーロッパの征服者)
クラブカラー    赤、   
創設年1905年
所属リーグスュペル・リグ
所属ディビジョンスュペル・リグ
ホームタウンイスタンブール
ホームスタジアムラムズ・パーク
収容人数52,652[1]
代表者トルコの旗 ドゥルスン・オズベク
監督トルコの旗 オカン・ブルク
公式サイト公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

概要

ガラタサライとして一般的に知られており、1905年にアリ・サミ・イェンによって創立された。本クラブは総合スポーツクラブであるガラタサライ・スポル・クリュビュのサッカー部門であり、総合スポーツクラブはガラタサライ大学やガラタサライ高校を含むガラタサライ・トプルルウ(ガラタサライ共同体)の一部である。

トルコで最も成功したサッカークラブであり、これまでにリーグを21回、カップを14回、TFFスュペル・クパ(スーパーカップ)を12回制している。イスタンブール・フトボル・リギの解体後、1959年からスュペル・リグの全55シーズンに参加している3チームの内の1つである。国際的には、2000年にUEFAカップUEFAスーパーカップを制し、ヨーロッパの優勝杯を掲げた初のトルコクラブとなった。また、UEFAカップを無敗で制した初のクラブである。国内では、スュペル・リグで4連覇(1997年、1998年、1999年、2000年)を果たして唯一のクラブである。1999-2000シーズンには、スュペル・リグ、テュルキエ・クパス、UEFAカップ、TSYDカップを制し、単一シーズンでの四冠を達成した。また、IFFHS世界ランキングで1位(2000年)になった唯一のトルコのクラブである。

2011年から、クラブの本拠地は収容人数52,695人のネフ・スタデュムである。このアリーナはスポーツスタジアムでの歓声の大きさの世界記録(131.76 dBA)を保持している[2]。これ以前は、1963年からアリ・サミ・イェン・スタジアムを本拠地としていた。

長年のライバルは同じイスタンブールを本拠地とするベシクタシュJKフェネルバフチェSKであり、特にフェネルバフチェとのダービーはクタラララス・デルビ(大陸間ダービー)として知られ、世界でも最大級のダービーと見なされている。

トルコ国中に多くのサポーターを抱える、最も人気のあるチームであり[3]、2500万人のファン(約38%はトルコ国外)がいると見積られている。また、ガラタサライはトルコの最も強力なグローバルブランドであると見なされている[4]

名称および発音

ガラタサライの短縮形の呼び名はない。ファンはクラブを正式名か愛称の「Cim Bom Bom」(ジム・ボム・ボム)、あるいはそれを縮めた「Cim Bom」と呼ぶ。これは激励や感嘆の掛け声であり、言葉そのものに意味はない。

ガラタサライは複合語であるため、そのように発音される。ガラ・タサライと切って発音するのは誤りであり、ガラタ・サライのように非常に短い間を空けて発音しなければならない[5]

UEFAのホームページには、トルコ語での株式会社の意味を示すAŞを用いて、Galatasaray AŞ (ガラタサライ AŞ)とも表記されている[6]

歴史

ガラタサライの最初の写真(1905年)。

ガラタサライSKは1905年の秋に、ガラタサライ高校(1481年創立)の生徒によってサッカークラブとして設立された。ガラタサライの初代代表はアリ・サミ・イェンである。初試合はCadi-Keuy FCとの間で行われ、ガラタサライが2対0で勝利した。クラブの名称に関しては議論があり、「Gloria」(勝利)や「Audace」(勇気)といった名称を提案するものもいたが、ガラタサライに決定した。

ガラタサライという名称はガラタサライ高校から取られている。ガラタサライ高校の名称は1481年に設立されたGalata Sarayı Enderûn-u Hümâyûn(ガラタ宮殿帝国学校)に由来しており、ガラタは近隣の中世ジェノアの属州ガラタから取られている。ガラタサライは直訳すると「ガラタ宮殿」という意味である。

オスマン帝国時代の1905年は結社のための法律がなかったため、クラブは公式に登録することができなかったが、1912年に結社法が出来、クラブは法的に登録された[7]

当初のクラブカラーは赤と白であった。これはトルコの国旗の色である。クラブカラーはその後変更され、1907年まで黄色と紺青色が使用された。1908年には赤と黄色が選ばれた。

当時、他にトルコ人のチームが存在しなかったため、ガラタサライはイングランド人やギリシャ人のチームで構成されるイスタンブール・サンデー・リーグ英語版に1905-06シーズンから参加した。ガラタサライは1907-08シーズンに初優勝を果たし、トルコサッカーの歴史の始まりを告げた[8]

1952年までにガラタサライは「イスタンブール・リーグ」のタイトルを10回、「サンデー・リーグ」のタイトルを6回、「フライデー・リーグ」のタイトルを3回獲得した。1952年から1959年までは、トルコ初のプロリーグ「イスタンブール・プロフェッショナル・リーグ」が開催された(ただしナショナルリーグではない)。ガラタサライは7年間で3回の優勝を果たした。

1959年に「テュルキエ・プロフェショネル・1. リギ」(現在のトルコ・スュペル・リグ)が結成された。これはトルコサッカーの全国リーグであり、ガラタサライはこれまで全てのシーズンで戦い、18度のリーグ制覇を果たしている。

1962-63シーズンから始まったトルコカップではこれまでに14回の優勝を果たしている[9]

2000年5月17日、UEFAカップ決勝、アーセナルFC戦の先発メンバー。

ガラタサライは1990年代末に最も成功した。2002 FIFAワールドカップで3位、UEFA EURO 2000で準々決勝に進出したトルコサッカーの黄金世代に支えられ、トルコのサッカークラブで初のヨーロッパタイトルを手にした。才能豊かな選手達に加えて、ガラタサライのサポーターによって「地獄」と呼ばれ、威圧的な雰囲気を持つアリ・サミ・イェン・スタジアムへ訪れるのを相手チームは嫌っていた[10]

クレスト

ガラタサライSKの最初のクレスト

ガラタサライの最初のエンブレムは、学籍番号333のŞevki Egeによって描かれた。これは、くちばしにサッカーボールを咥えて翼を広げた鷲を描いていた。1925年に、Ayetullah Eminによってデザインされた現在の「Ghayn-Sin」クレストになった。

競技場

ラムズ・パーク
施設情報
所在地イスタンブール
起工2007年12月13日
開場2011年1月15日
設計者'asp' architekten Stuttgart[11]
使用チーム、大会
収容人員
52,652

ガラタサライが結成された時、ホームグラウンドを持つトルコのチームはなく、インスタンブル・フトボル・リギの全試合はパパズン・チャユル(現在のフェネルバフチェのホーム・シュクリュ・サラジオウル・スタジアム)で行われていた。1921年、イスタンブール初のサッカー競技場であるタクシム・スタジアムが建設された。このスタジアムはイスタンブールの全チームのホームグラウンドとして使用された。タクシム・スタジアムが1940年に解体された時、ガラタサライは大きく近代的なスタジアムの建設を決定した。第二次世界大戦の影響により、スタジアムの建設は20年以上送れた。この期間は、シェレフ・スタジアムおよびドルマバフチェ・スタジアムでプレーした。

アリ・サミ・イェン・スタジアム

1964年12月20日、アリ・サミ・イェン・スタジアムがオープンした[12]。ガラタサライの創設者であるアリ・サミ・イェンの名を冠したこのスタジアムは、イスタンブールの中心にあるシシリ区のメジディイェキョイ地区にある。1964年は、スタジアムの収容人数は35,000人強であった。安全や立見席の禁止などにより、1993年に全席座席付きで収容人数は22,000人に減少した。数年後、地震で損傷を受けたメインスタンドの改築により収容人数がわずかに増加した[13]

イスタンブールのオリンピック招致のためアタテュルク・オリンピヤト・スタドゥが建設された2002年の後、ガラタサライはUEFAチャンピオンズリーグの試合をこのスタジアムで開催し始めた。ガラタサライとオリンピアコスとの試合は79,414人の観客を集め、トルコのスタジアムにおける観客動員記録を破った。しかし、規模が小さいアリ・サミ・イェン・スタジアムもガラタサライのファンにとって歴史的な重要性を有していた[14]

ガラタサライが新たに建設されたテュルク・テレコム・アレナに移った後の2011年に、アリ・サミ・イェン・スタジアムは解体された。

ラムズ・パーク

ガラタサライの新本拠地は、シシリ区のマスラク金融街に近いアスランテペ地区にあるテュルク・テレコム・アレナである。2011年1月15日にオープンした新スタジアムは座席数52,695で、トルコのクラブが所有するスタジアムの中で最大である[15]

2021年に不動産会社のネフ社と2031年までの10年契約を結び、ネフ・スタデュムと改名したが、2023年に契約を解消しラムズ・パークと改名した。

スタジアム・アンセム

1998年から、ガラタサライの選手がゴールを決めた後は必ず、エルメス・ハウス・バンドの「恋のサバイバル(I Will Survive)」の最終部が歌われる。この曲の歌詞は英語であるが、最終部は「ラ・ラ・ラ・ラ」以外に歌詞はない。また、試合前は必ず北米インディアンの非常に古いチャントであるフロリダ州ウォー・チャント(Galatasaray War Chant)が、ガラタサライのスカーフやバナー、旗を振るファンによって歌われる。このスタジアム・アンセムとサポーターによる絶え間のない轟音のため、多くの人々はスタジアムを「ジェヘンネム Cehennem」(地獄)と呼ぶ。

スタジアムの歴史

#StadiumYears[16]
1パパズン・チャユル1905–1921
2タクスィム・スタジアム1921–1940
3シェレフ・スタジアム1940–1948
4ドルマバフチェ・スタジアム1948–1966
5アリ・サミ・イェン・スタジアム1966–1972
6ドルマバフチェ・スタジアム1972–1980
7アリ・サミ・イェン・スタジアム1980–1984
8ドルマバフチェ・スタジアム1984–1986
9アリ・サミ・イェン・スタジアム1986–2003
10アタテュルク・オリンピヤト・スタドゥ2003–2004
11アリ・サミ・イェン・スタジアム2004–2011
12ネフ・スタデュム2011–
#スタジアム使用年数
1アリ・サミ・イェン・スタジアム34
2ドルマバフチェ・スタジアム28
3タクスィム・スタジアム18
4パパズン・チャユル17
5シェレフ・スタジアム8
6テュルク・テレコム・アレナ2
7アタテュルク・オリンピヤト・スタドゥ1

選手の記録

サポーター

ヨーロッパでの試合

ガラタサライのファンはヨーロッパでの大会を重要視しており、ガラタサライはファンによって「欧州の征服者」として知られている。この愛称は、ガラタサライが1999-2000シーズンにUEFAカップとUEFAスーパーカップを制したことから来ている。ガラタサライのファンは、ultrAslanと共に、世界で最も熱狂的なファンとしても知られている。

トルコにおけるガラタサライの人気

メディアの世論調査によると2000年以来、ガラタサライSKはトルコで最も人気のあるチームである。2012年6月に行われた調査では、ガラタサライSKが41.8%で1位、フェネルバフチェSKが35.9%で2位、ベシクタシュJKが16.3%で3位、トラブゾンスポルが4.7%で4位であった[17][18][19][20]

イスタンブール・ダービー

1909年1月17日にパパズン・チャユルで行われた初の「大陸間ダービー」。

イスタンブールの「ビッグ・スリー」クラブであるベシクタシュJKフェネルバフチェSK、ガラタサライSKは100年以上ライバル関係にある。ガラタサライとフェネルバフチェのライバル関係は、イスタンブール最大のダービーであり、トルコサッカーにおける最も重要なライバル関係である。このダービーはサポーターにとって象徴的な重要性を持っており、サポーターはダービーに勝利せずにリーグを制したとしても空虚であるとしばしば口にする。以前はサポーター間の暴力などが数え切れない程起こっていたが、近年は減少傾向にある。ダービーの特徴は、満員の観客、試合の間途切れない大音量の声援、キックオフ前にサポーターによる相手チームを嘲る振り付けなどである[21]。その他の1部に所属するイスタンブールのクラブ(イスタンブールBBカスムパシャSK)とのダービーマッチもあるが、歴史的にはライバル関係は薄く、ビッグスリー同士のダービーのように国内中からの関心は集めない。

タイトル

国内大会

  • スュペル・リグ:
    • 1961-62, 1962-63, 1968-69, 1970-71, 1971-72, 1972-73, 1986-87, 1987-88, 1992-93, 1993-94, 1996-97, 1997-98, 1998-99, 1999-00, 2001-02, 2005-06, 2007-08, 2011-12, 2012-13, 2014-15, 2017-18, 2018-19
  • テュルキエ・クパス:
    • 1963, 1964, 1965, 1966, 1973, 1976, 1982, 1985, 1991, 1993, 1996, 1999, 2000, 2005, 2014, 2015, 2016, 2019
  • スュペル・クパ:
    • 1966, 1969, 1972, 1982, 1987, 1988, 1991, 1993, 1996, 1997, 2008, 2012, 2013, 2015

国際大会

現存しない国内大会

  • ミッリ・キュメ・シャムピヨナス:
    • 1938–39
  • バシュバカンルク・クパス:
    • 1975, 1979, 1986, 1990, 1995
  • TSYDカップ:
    • 1963, 1966, 1967, 1970, 1977, 1981, 1987, 1991, 1992, 1997, 1998, 1999
  • アタテュルク・ガズィ・カップ:
    • 1928
  • 50. Yıl カップ:
    • 1973

現存しない地域大会

  • イスタンブール・フトボル・リギ:
    • 1908–09, 1909–10, 1910–11, 1914–15, 1915–16, 1921–22, 1924–25, 1925–26, 1926–27, 1928–29, 1930–31, 1948–49, 1954–55, 1955–56, 1957–58
  • イスタンブール・フトボル・クパス:
    • 1942, 1943
  • イスタンブール・シルディ:
    • 1932–33
  • ユニオン・クラブ・カップ:
    • 1909

過去の成績

シーズンリーグ戦テュルキエ・クパス欧州カップ
ディビジョン順位
1992-93スュペル・リグ1位302064742166優勝UCベスト16
1993-941位302244672870準優勝CL準々決勝敗退
1994-953位342167763869準優勝CLGS敗退
1995-964位342158673868優勝UC予選ラウンド敗退
1996-971位342572903082ベスト16CWCベスト16
1997-981位342365864375準優勝CLGS敗退
1998-991位342392853078優勝CLGS敗退
1999-001位342473772379優勝CLGS敗退
UC優勝
2000-012位342347773573準決勝敗退CL準々決勝敗退
2001-021位342464753178ベスト32CLベスト16
2002-032位342455612777準々決勝敗退CLGS敗退
2003-046位3415910564754ベスト16CLGS敗退
UCベスト32
2004-053位342446642576優勝
2005-061位342653823483準々決勝敗退UC1回戦敗退
2006-073位3415118583756準々決勝敗退CLGS敗退
2007-081位342473642379準決勝敗退UCGS敗退
2008-095位341789573961準々決勝敗退CL予選3回戦敗退
UCベスト16
2009-103位341978613564準々決勝敗退 ELベスト32
2010-118位3414416414646準々決勝敗退 ELプレーオフ敗退
2011-121位342383692477ベスト16
2012-131位3421856635715回戦敗退CL準々決勝敗退
2013-142位3418115593265優勝CLベスト16
2014-151位342455603577優勝CLGS敗退
2015-166位3413129694951優勝CLGS敗退
ELベスト32
2016-174位3420410654064ベスト16
2017-181位342437753375準決勝敗退 EL予選2回戦敗退
2018-191位342095723669優勝CLGS敗退
ELベスト32
2019-206位3415118553756準々決勝敗退 CLGS敗退
2020-212位402668803684準々決勝敗退ELプレーオフ敗退
2021-2213位381410145153525回戦敗退 CL 予選2回戦敗退
ELベスト16
2022-231位362844832788準々決勝敗退
2023-2438CLGS敗退
EL

現所属メンバー

2023年9月2日現在

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
1GK フェルナンド・ムスレラ
2DF レオ・デュボワ
3DF アンへリーニョ
6MF フレドリク・ミッシェ
7FW ケレム・アクトゥルコール
8MF ケレム・デミルバイ
9FW マウロ・イカルディ
10FW ドリース・メルテンス
12GK アタカン・オルドゥ
14FW ウィルフレッド・ザハ
19GK ギュナイ・ギュヴェンチ
20MF テテ
21FW ハリル・デルヴィショール
22MF ハキム・ツィエク
23DF カーン・アイハン
25DF ヴィクトル・ネルソン
No.Pos. 選手名
27MF セルジオ・オリヴェイラ
34MF ルーカス・トレイラ
42DF アブドゥルケリム・バルダクチ
50GK ジャンカット・ユルマズ
53MF バリシュ・ユルマズ
56MF バラン・デミログル
58DF アリ・イェシルユルト
63MF エズギュル・バラン・アクサカ
72DF アリ・ビュルビュル
81MF ハムザ・イギット・アクマン
85MF エフェ・アクマン
88DF カズミカン・カラカス
91MF タンギ・エンドンベレ
93DF サシャ・ブイ
94FW セドリック・バカンブ
--DF ダビンソン・サンチェス
監督

歴代監督

歴代所属選手

GK

DF

MF

FW

脚注

参考文献

  • Birand, M. A., & Polat, M. M. (2006). Passion that continues for 100 years. İstanbul: D Yapım. OCLC 164788939
  • Turagay, U., Özgün, G., Gökçin, B., Ahunbay (2006). 17 May: The story of a championship. İstanbul: D Yapım. OCLC 169899400
  • Hasol, D. (2004). Dreams/realities in Galatasaray. İstanbul: Yapı Yayın. ISBN 978-975-8599-44-8
  • Tuncay, B. (2003). Galatasaray with European Success and Notable Players. Yapı Kredi Kü̈ltü̈r Sanat Yayıncılık. ISBN 978-975-08-0427-4
  • Yamak, O. (2001). Galatasaray: Story of 95 years. Sinerji. OCLC 59287768
  • Çakar, A. (1995). 90 questions about history of Galatasaray SK. Cağaloğlu, İstanbul: Demir Ajans Yayınları. OCLC 42434622
  • Tekil, S. (1986). History of Galatasaray, 1905–1985. Galatasaray Spor Kulübü. OCLC 25025508
  • Tekil, S. (1983). Galatasaray 1905–1982: Memories. Arset Matbaacılık Koll. Şti. OCLC 62614035
  • İsfendiyar, F. (1952). History of Galatasaray. İstanbul: [Doğan Kardeş yayınları]. OCLC 27753643

外部リンク