フェネルバフチェSK

トルコのサッカークラブ

フェネルバフチェ・スポル・クリュビュトルコ語: Fenerbahçe Spor Kulübü)は、トルコイスタンブールを本拠地とする総合スポーツクラブ。

フェネルバフチェSK
原語表記Fenerbahçe Spor Kulübü
愛称Sarı Kanaryalar (The Yellow Canaries)
Sarı Lacivertliler (The Yellow-Navy Blues)
Efsane (The Legend)
Fener
クラブカラー黄と青
創設年1907年
所属リーグトルコ・スュペル・リグ
ホームタウンイスタンブール
ホームスタジアムシュクリュ・サラジオウル・スタジアム
収容人数50,530[1]
代表者トルコの旗 アリ・コチュ
監督トルコの旗 イスマイル・カルタル
公式サイト公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

ガラタサライベシクタシュと並びトルコサッカー界を代表するチーム。リーグでは創設1年目の優勝など19回を数える。トルコではガラタサライに次いで2番目に人気のあるクラブである[2]

歴史

フェネルバフチェはイスタンブールのカドゥキョイ地区に、3名のトルコ人によって設立された。当時トルコでは、時のスルタンであるアブデュルハミト2世が、トルコ人がサッカーチームを設立しプレーすることを禁じていたため、この設立は極秘裏になされた。その後の最初のミーティングで、創設者の中からソンギュレンが最初の会長として選出された。1908年に起こった青年トルコ人革命により政変がなされるまで、フェネルバフチェの活動は密かに行われていた。チームは1909年にイスタンブールのサッカーリーグに加盟し、1912-13シーズンには初めてチャンピオンシップを制した。

2006年7月4日、元日本代表監督ジーコの監督就任が発表された。同監督の下で、2007年5月13日、記念すべきクラブ創立100周年目に17回目のリーグ優勝を達成。また、2007-08シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは、トルコのクラブ史上2度目の準々決勝進出を果たした。しかし、国内リーグでは2位に終わり、ジーコ監督はクラブと次シーズンについての意見が合わず退任することとなった。兄でコーチでもあったエドゥのインタビューによると、アジズ会長の現場への介入に関する対立が主原因であったという[3]

後任にルイス・アラゴネスを招聘した2008-09シーズンは、トルコ代表キャプテンのエムレ・ベロゾールやスペイン代表ダニエル・グイサを獲得。王座奪還を期待されたが、もともと多数を占めていたブラジル人選手とアラゴネスが獲得したスペイン人選手が最後まで馴染まず、チャンピオンズリーグは1勝もできず敗退、リーグ戦でも4位という結果に終わった。

2009-10シーズンは、2003-04, 2004-05シーズンの連覇を達成したクリストフ・ダウムが再任。勝てば優勝という条件だった最終節のトラブゾンスポル戦に引き分けまたもリーグ制覇を逃す。カップ戦こそ優勝したものの、この年限りでダウムはチームを離れることとなった。

2010-11シーズン、チームの歴代最多得点記録保持者でもあるアイクト・コジャマンが監督に就任。セネガル代表ママドゥ・ニアングやスロバキア代表ミロスラフ・ストフなど攻撃的な選手を数多く加え、攻撃サッカーを標榜すると、勝ち点でトラブゾンスポルに並ばれるも得失点差で上回り優勝を果たした。しかし、このシーズンにおいて八百長疑惑が浮上(後述)。国内リーグにおいては証拠不十分として降格などの厳罰は免れたが、事態を重く見たUEFAから欧州大会への出場権を剥奪されるなどの処分が下った。

2011-12シーズンは前年の八百長疑惑の影響で選手補強が進まず、特に開幕前に獲得したエマヌエル・エメニケを、公式戦に出場することなく放出するといった事態が生じた。(なおエメニケは2013-14シーズンに再び獲得され、フェネルバフチェに復帰している。)

2012-13シーズンはラウル・メイレレスミロシュ・クラシッチメフメト・トパルディルク・カイトらを獲得するも、シーズン前に副キャプテンのエムレがアトレティコ・マドリードに移籍。さらにはキャプテンであり長年にわたってチームを支えてきたアレックスが開幕直後の2012年10月1日に契約解除により退団。このように、チームの象徴とも言えるアレックスの退団を巡るトラブルもありチームは序盤戦低迷し4位で折り返す。冬の移籍市場でエムレをアトレティコから、レト・ツィーグラーユヴェントスFCから呼び戻し、さらにはピエール・ウェボも獲得。すると徐々にチーム状態は上向き、2位でシーズンを終えた。

2013-14シーズンはエルスン・ヤナルが新監督に就任。ミハル・カドレツブルーノ・アルヴェスエマヌエル・エメニケといったビッグネームを次々と獲得する。開幕戦こそコンヤスポルに敗れるも、2節から14試合無敗(12勝2分)を達成するなど好調を維持。5節から一度も首位を明け渡すことなくシーズンを終え、2011-12シーズン以来の優勝を達成した。

2014-15シーズンはジエゴらを獲得した。2015年4月4日、アウェーで行われたチャイクル・リゼスポル戦後にチームバスが銃撃に遭い、運転手が重傷を負った[4]

2015-16シーズンはロビン・ファン・ペルシナニラザル・マルコヴィッチシモン・ケアーら大物を次々と獲得。

2016-17シーズンはグレゴリー・ファン・デル・ヴィールマルティン・シュクルテルロマン・ノイシュテッターを完全移籍で獲得し、イェレマイン・レンスムサ・ソウオレクサンドル・カラバエフをレンタルで獲得した一方でナニ、ブルーノ・アウベス、ジエゴ、ラウル・メイレレスらが退団した。ヨーロッパリーグではマンチェスター・ユナイテッドフェイエノールトを抑えグループリーグを1位通過するものの、ベスト32でFCクラスノダールに敗れた。

2017-18シーズン。夏の移籍市場において、モロッコ代表MFナビル・ディラルフランス代表MFマテュー・ヴァルブエナチリ代表DFマウリシオ・イスラカメルーン代表GKイドリス・カメニスペイン代表FWロベルト・ソルダードブラジル代表MFジュリアーノを獲得した一方でエメニケ、ストフ、ケアーといった主力を放出した。

著名な選手

1907年に設立された際、フェネルバフチェは多くの選手を抱えていた。その中でもっとも長くチームに在籍したのがガリプ・クラクシゾールである。彼は17年にわたりチームに在籍し、1924年に引退するまでに216試合に出場した。

ゼキ・リザ・スポレルは、フェネルバフチェの初めてのユース出身の選手である。18年にわたる在籍期間で、352試合で470得点という記録を残した。ゼキはトルコ代表としても16試合に出場し、15得点を記録している。

近年において有名なのは、ブラジル生まれのメフメト・アウレリオで、2006年にトルコ国籍を取得し、トルコ代表に選出された初めての選手となった。 もう一人のブラジル生まれの選手であるウェデルソンもトルコ国籍を持っていた。元ブラジル代表アレックスは、外国籍の選手としてフェネルバフチェでの最多得点記録を保持している。カタールワールドカッブで活躍したクロアチアのGKドミニク・リヴァコヴィッチが現在在籍している。

ライバル

フェネルバフチェ、ガラタサライベシクタシュのイスタンブールの3チームは「ビッグ3」と呼ばれ、100年を超えるライバル関係がある。特にフェネルバフチェとガラタサライのダービーはクタラララス・デルビと呼ばれ、トルコにおいてもっとも重要なダービーとなっている。

そのライバル関係は時にサポーターの危険な行動をも引き起こしている。特に発炎筒、旗、巨大なポスターを用いた応援はアウェイチームに大きなプレッシャーを与えており、ファンの間では"welcoming them to hell"(地獄へようこそ)と呼ばれている。

ホームスタジアム

フェネルバフチェのホームスタジアムは設立された1908年から変わらず、イスタンブールのカドゥキョイ地区のシュクリュ・サラジオウルである。1999年から2006年にかけて改築が行われ、50,509人を収容するスタジアムとなった。2005年にはクラブのミュージアムも同スタジアム内に作られた。

スタジアムが建設される前、この地のグラウンドは"Papazın Çayırı"(聖職者のグラウンド)と呼ばれていた。しかしこのスタジアムはイスタンブールのサッカーリーグが行われる最初のスタジアムとなった。1908年、各地のチームが常設のサッカースタジアムを求めるようになり、この土地はアブデュルハミト2世によって貸し出されることとなり、その名ももっとも寄付金を支払ったチーム命にちなんでユニオンクラブフィールドと改められた。ユニオンクラブフィールドは当時の持ち主であるユニオンクラブ(第一次世界大戦後にイッティハツスポルと改称)をはじめ、フェネルバフチェ、ガラタサライ、ベシクタシュなど多くのクラブによって使用された。

しかし、1922年にタクシムスタジアムが作られるとユニオンクラブフィールドはその重要性を失った。スタジアムの所有者であったイッティハツスポルは、シュクリュ・サラジオウルがメンバーに名を連ねていた当時の政府によってスタジアム売却を強いられる。こうしてスタジアムは市の所有物となったものの、その後すぐにフェネルバフチェに貸し出されることとなった。

1933年5月27日、シュクリュ・サラジオウルがフェネルバフチェの会長を務めていた際に、クラブは政府からスタジアムを購入した。スタジアム名はフェネルバフチェスタジアムと改称され、シュクリュ・サラジオウルの助けがあったものの、フェネルバフチェはスタジアムを所有するトルコで最初のチームとなった。

その後、フェネルバフチェはスタジアムの改修を行い、規模を拡大させる。1949年には25,000人を収容するトルコ最大のスタジアムとなる。1998年にはフェネルバフチェの会長でもあり、トルコの第6代首相でもあるシュクリュ・サラジオウルにちなんでフェネルバフチェ・シュクリュ・サラジオウルスタジアムと改称した。

シュクリュ・サラジオウル・スタジアム

スキャンダル

2010-11シーズンに、国内において八百長を行った疑惑が浮上し、UEFA規律委員会による調査の後、2013年6月25日、2012-13シーズンの成績によって参加資格を得ていたUEFAチャンピオンズリーグ 2013-14予選への出場権剥奪、および同シーズンを含む今後3シーズンのUEFA主催大会への参加禁止が通達された。ただし、3シーズン目の処分には5年間の執行猶予が付いており、猶予期間に同様の問題が起きなければ、処分の適応は2シーズンとなる[5]

タイトル

国内

  • スュペル・リグ
    • 1959, 1960-61, 1963-64, 1964-65, 1967-68, 1969-70, 1973-74, 1974-75, 1977-78, 1982-83, 1984-85, 1988-89, 1995-96, 2000-01, 2003-04, 2004-05, 2006-07, 2010-11, 2013-14
  • トルコカップ
    • 1967-68, 1973-74, 1978-79, 1982-83, 2011-12, 2012-13, 2022-23
  • トルコスーパーカップ
    • 1968, 1973, 1975, 1984, 1985, 1990, 2007, 2009, 2014
  • トルコサッカー選手権
    • 1933, 1935, 1944
  • ナショナルリーグ
    • 1936-37, 1939-40, 1942-43, 1944-45, 1945-46, 1949-50
  • 内閣総理大臣杯
    • 1944-45, 1945-46, 1949-50, 1972-73, 1979-80, 1988-89, 1992-93, 1997-98
  • TSYDカップ
    • 1969-70, 1973-74, 1975-76, 1976-77, 1978-79, 1979-80, 1980-81, 1982-83, 1985-86, 1986-87, 1994-95, 1995-96
  • アタチュルクカップ
    • 1963-64, 1998
  • イスタンブールフットボールリーグ
    • 1911-12, 1913-14, 1914-15, 1920-21, 1922-23, 1929-30, 1932-33, 1934-35, 1935-36, 1936-37, 1943-44, 1946-47, 1947-48, 1952-53, 1956-57, 1958-59
  • イスタンブールカップ
    • 1945
  • イスタンブールシールド
    • 1930, 1934, 1938, 1939
  • スポーツトトカップ
    • 1967
  • 艦隊杯
    • 1982, 1983, 1984, 1985

国外

過去の成績

シーズンディビジョンカップ欧州カップ
リーグ順位
1980-81スュペル・リグ309111031272910位UEFAカップ1回戦敗退
1981-82スュペル・リグ32151164826413位
1982-83スュペル・リグ34181334320491位優勝
1983-84スュペル・リグ34171164624452位チャンピオンズカップ1回戦敗退
1984-85スュペル・リグ34181426525501位UEFAカップ1回戦敗退
1985-86スュペル・リグ36131674032425位チャンピオンズカップ2回戦敗退
1986-87ファーストリガ361313104639395位
1987-88スュペル・リグ381510134543558位
1988-89スュペル・リグ36296110327931位準優勝
1989-90スュペル・リグ3422487038702位チャンピオンズカップ1回戦敗退
1990-91スュペル・リグ30128105353445位UEFAカップ2回戦敗退
1991-92スュペル・リグ3023258135712位
1992-93スュペル・リグ3018487541585位準決勝敗退UEFAカップ2回戦敗退
1993-94スュペル・リグ3021636926692位準々決勝敗退
1994-95スュペル・リグ3420777835674位準決勝敗退UEFAカップ1回戦敗退
1995-96スュペル・リグ3426626819841位準優勝UEFAカップ1回戦敗退
1996-97スュペル・リグ3422757925733位準々決勝敗退チャンピオンズリーググループステージ敗退
1997-98スュペル・リグ3421856125712位準々決勝敗退UEFAカップ1回戦敗退
1998-99スュペル・リグ3422668429723位UEFAカップ1回戦敗退
1999-00スュペル・リグ34171075944614位ベスト32UEFAカップ1回戦敗退
2000-01スュペル・リグ3424468239761位準優勝
2001-02スュペル・リグ3424377031752位4回戦敗退
2002-03スュペル・リグ34131295542516位2回戦敗退UEFAカップ2回戦敗退
2003-04スュペル・リグ3423748241761位準決勝敗退-
2004-05スュペル・リグ3426267724801位準優勝チャンピオンズリーググループリーグ敗退
UEFAカップベスト32
2005-06スュペル・リグ3425639034812位準優勝チャンピオンズリーググループリーグ敗退
2006-07スュペル・リグ34201046531701位準決勝敗退チャンピオンズリーグ予選3回戦敗退
UEFAカップベスト32
2007-08スュペル・リグ3422757237732位準々決勝敗退チャンピオンズリーグ準々決勝敗退
2008-09スュペル・リグ3418796036614位準優勝チャンピオンズリーググループリーグ敗退
2009-10スュペル・リグ3423566128742位準優勝ヨーロッパリーグベスト32
2010-11スュペル・リグ3426448434821位グループステージ敗退チャンピオンズリーグ予選3回戦敗退
ヨーロッパリーグプレーオフ敗退
2011-12スュペル・リグ3420866134682位優勝-
2012-13スュペル・リグ3418795639612位優勝チャンピオンズリーグプレーオフ敗退
ヨーロッパリーグ準決勝敗退
2013-14スュペル・リグ3423567433741位4回戦敗退チャンピオンズリーグプレーオフ敗退
ヨーロッパリーグ出場権剥奪
2014-15スュペル・リグ3422846029742位準決勝敗退-
2015-16スュペル・リグ3422846027742位準優勝チャンピオンズリーグ予選3回戦敗退
ヨーロッパリーグベスト16
2016-17スュペル・リグ34181066032643位準決勝敗退チャンピオンズリーグ予選3回戦敗退
ヨーロッパリーグベスト32
2017-18スュペル・リグ3424377533751位準優勝ヨーロッパリーグプレーオフ敗退
2018-19スュペル・リグ341113104444466位ベスト16チャンピオンズリーグ予選3回戦敗退
ヨーロッパリーグベスト32
2019-20スュペル・リグ34158115846537位準決勝敗退
2020-21スュペル・リグ4025787241823位準々決勝敗退
2021-22スュペル・リグ34211077338732位ベスト16 ヨーロッパリーグ グループリーグ敗退
ヨーロッパカンファレンスリーグ 決勝プレーオフ敗退
2022-23スュペル・リグ3625568742802位優勝チャンピオンズリーグ予選2回戦敗退
ヨーロッパリーグ ベスト16

現所属メンバー

2018-19シーズン基本フォーメーション
2022年9月29日現在

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
1GK アルタイ・バユンドゥル
2DF グスタヴォ・エンリキ
4DF セルダル・アジズ
5MF ヴィリアン・アロン
6DF エズジャン・アリオスキ ( )
7DF フェルディ・カディオグル ( )
8MF メルト・ハカン・ヤンダシュ
9FW ディエゴ・ロッシ ( )
10MF アルダ・ギュレル
13FW エネル・バレンシア
15FW ジョシュア・キング
16MF イサク・ヴラル ( )
17MF イルファン・ジャン・カフヴェジ
18MF リンコウン・エンヒキ
19FW セルダル・ドゥルスン ( )
No.Pos. 選手名
20FW ジョアン・ペドロ ( )
21DF ブライト・オサイ=サミュエル ( )
22MF ブルーマ ( )
23FW ミシー・バチュアイ ( )
26MF ミハ・ザイツ
27MF ミゲウ・クレスポ ( )
28DF ルアン・ペレス
29DF マウリシオ・レモス
30DF ナズム・サンガレ ( )
33DF チャアタイ・クルカリプ
41DF サライ・アティッラ
54GK オスマン・エルトゥールル・チェティン
70GK イルファン・ジャン・エグリバヤト
80MF イスマイル・ユクセク
99MF エムレ・モル ( )
監督

ローン移籍

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
2DF グスタヴォ・エンリキ (フラメンゴ)
6DF エズジャン・アリオスキ (アル・アハリ) ( )
22MF ブルーマ (PSV) ( )
No.Pos. 選手名
70GK イルファン・ジャン・エグリバヤト (ギョズテペSK)
99MF エムレ・モル (ファティ・カラギュムリュク) ( )
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
--MF エユプ・アクカン (ゾングルダク・キョミュルスポル)
--MF ディミトリス・ペルカス (ハル・シティ)
--MF ブラク・カパジャク (ファティ・カラギュムリュク)
No.Pos. 選手名
--MF チアゴ・チュクル (FCVデンデルEH)
--FW メルギム・ベリシャ (アウクスブルク)
--FW ムブワナ・サマッタ (ヘンク)

歴代監督

歴代所属選手

GK

DF

MF

FW

歴代会長

名前期間
ファルク・イルガズ1976-1980
ラジ・トラク1980-1981
アリ・ハイダル・シェン1981-1983
ファルク・イルガズ1983-1984
フィクレト・アルジャン1984-1986
タフスィン・カヤ1986-1989
メティン・アシュク1989-1993
ギュヴェン・サザク1993-1994
ハサン・ヨザイドゥン1994
アリ・ハイダル・シェン1994-1998
アジズ・ユルドゥルム1998-2018
アリ・コチュ2018-

関連項目

脚注

外部リンク