コア4

1990年代後半から2000年代のニューヨーク・ヤンキースの主力4人組、ジーター、ペティット、ポサダ、リベラ

コア4(コア・フォー、:Core Four)は、ニューヨーク・ヤンキースデレク・ジーターアンディ・ペティットホルヘ・ポサダマリアノ・リベラの4選手のことを指し、1990年代後半から2000年代ジョー・トーリ監督のもと、ワールドシリーズを4回制覇するなど主力選手として活躍し、ヤンキースの黄金時代を築いた。

2015年のコア4。左から:アンディ・ペティットホルヘ・ポサダマリアノ・リベラデレク・ジーター

コア4の始まり

デレク・ジーターマリアノ・リベラホルヘ・ポサダアンディ・ペティットは、1990年代初頭にアマチュア選手としてニューヨーク・ヤンキースに加わった。

個人の業績

デレク・ジーター

デレク・ジーター

ジーターは、ヤンキースで一筋20年のフランチャイズ・プレイヤー(1995-2014)。2009年9月11日にヤンキースの安打記録を持っていたルー・ゲーリックの2721安打を上回った[1]2011年7月9日タンパベイ・レイズ戦で、メジャー史上28人目の通算3000本安打を達成[2]2014年シーズンで現役引退。通算3465安打。2016年にジーターの背番号『2』を永久欠番に指定することを発表。2017年5月14日に永久欠番に指定された。2020年アメリカ野球殿堂入り[3]

アンディ・ペティット

アンディ・ペティット

ペティットはヤンキースとヒューストン・アストロズでプレー。2003年ウォーレン・スパーン賞を受賞。ポストシーズンで歴代1位の19勝を拳げる[4]2011年に引退宣言をするも、その後ヤンキースに復帰。しかし、2013年に再び現役引退。2015年にペティットの背番号『46』が、ホルヘ・ポサダバーニー・ウィリアムズと共に永久欠番に指定された[5]

ホルヘ・ポサダ

ポサダはヤンキースで17年間(1995-2011)捕手として活躍し、通算1664安打、275本塁打、1065打点の強打の捕手として知られる。2012年1月24日に現役引退。2015年2月16日にポサダの背番号『20』が、アンディ・ペティットバーニー・ウィリアムズと共に永久欠番に指定された。

マリアノ・リベラ

マリアノ・リベラ

リベラはヤンキース一筋で19シーズン(1995-2013)をプレーし2013年に現役引退。同年、リベラの背番号『42』が永久欠番に指定。652セーブは歴代1位。2019年アメリカ野球殿堂入り[6]

コア4の成績

コア4が在籍している間合計19個のワールドシリーズリングを獲得した[7]

2010年、ジーター、リベラ、ポサダは、北米4大プロスポーツリーグのいずれかで、16シーズン連続で同じチームでプレーする最初の3人になった[8]

コア4の終わり

ペティットは2011年2月4日に現役引退を発表。しかし、2012年3月16日、ヤンキースに現役復帰。2013年9月20日に二度目の現役引退を発表した。

ポサダは2011年にチームに加入したラッセル・マーティンにポジションを奪われてしまい、2012年1月24日に現役引退を発表した。

リベラはオフシーズンを通して怪我をリハビリした後、2013年に現役引退を発表した[9]

ジーターはコア4最後の引退選手であり、2014年2月12日に現役引退を発表した[10]

これにより、コア4全員が引退した。

ヤンキースとのキャリア統計

テーブルキー

 ヤンキースのチーム記録
^アメリカンリーグの記録
メジャーリーグの記録
野球殿堂選出
(X)ヤンキースのトップ10以内にランクイン

野手

野手
選手名ポジション[A]試合打席得点安打本塁打打点打率盗塁備考
ジーター, デレクデレク・ジーター 遊撃手2747 (1位)12602 (1位)1923 (3位)3465 (1位)260 (9位)1311 (6位).310 (7位)358 (1位)[13]
ホルヘ・ポサダ捕手1829 (8位)60929001664275 (8位)1065.27320[11]

投手

投手
選手名ポジション[A]登板投球回勝利敗戦セーブ防御率[B]奪三振四球備考
アンディ・ペティット先発447 (5th)2796+13 (3位)219 (3位)127 (3位)03.942020 (1位)889 (4位)[15]
マリアノ・リベラ リリーフ1115^ (1位)1283+238260652 (1位)2.21 (2位)1173 (8位)286[12]

在籍期間

脚注

注釈

出典