タンジュン・ピナン

インドネシアの都市

タンジュン・ピナンインドネシア語:Tanjung Pinang、または、Tanjungpinang)は、インドネシアリアウ諸島州における最大の都市であり首府である。人口は約19万人である。リアウ諸島の交易港である。ビンタン島に位置し、バタム島シンガポールジョホールバルフェリーやスピードボートで往来できる。タンジョン・ピナンと表記される事もある。

タンジュン・ピナン
Kota Tanjung Pinang
インドネシアの旗
タンジュン・ピナンの市章
市章
位置
タンジュン・ピナンの位置(スマトラ島内)
タンジュン・ピナン
タンジュン・ピナン
タンジュン・ピナン (スマトラ島)
タンジュン・ピナンの位置(インドネシア内)
タンジュン・ピナン
タンジュン・ピナン
タンジュン・ピナン (インドネシア)
座標 : 北緯1度50分 東経104度29分 / 北緯1.833度 東経104.483度 / 1.833; 104.483
行政
インドネシアの旗 インドネシア
 リアウ諸島州
 市タンジュン・ピナン
市長Hj. Dra. Suryatati A. Manan
地理
面積 
  市域812.7 km2 (313.8 mi2)
人口
人口(?年現在)
  市域225,086人
    人口密度  7,681人/km2(19,873.7人/mi2
その他
等時帯WIB(インドネシア時間) (UTC+7)
夏時間なし
公式ウェブサイト : http://www.tanjungpinangkota.go.id/

歴史

マラッカ王国が、ポルトガルにより陥落させられた後、スルタンのマフムッドが、ビンタンに亡命し、ポルトガルに対抗する基地とした以降の500年にわたり、この島は政治の中心を担ってきた。

行政

タンジュン・ピナンは、ビンタン島の中で最大の都市であり、行政の中心である。また、インドネシア、リアウ諸島州の首府である。

後に、ビンタンは、マレーシアの南部にあるジョホール王国の首都となった。この都市は、常にマレー人の指導的役割を果たしてきた。300年前にマラッカ王国が果たしてきたように、ビンタンは、交易港であり、地元やヨーロッパ人、インド人、さらに華人を引きつけ、受け入れてきたのである。

インドネシアの国民的英雄であるラージャ・ハッジ・フィサビリラハは、1784年オランダとの戦いの最中に死亡している。彼は、有名なマレー人の王で、タンジョン・ピナン沖のペニヤガット島に王宮を所持していた。

観光地

タンジュン・ピナンには、マレー音楽と舞踊を上演するセンターがある。このセンターは、定期的に催し物や他の企画を行っている。新しく仏教寺院が、タンジュン・ピナンの郊外のスンガランに位置している。

ペニヤガット島

リアウ王国の遺跡として、王宮や王墓が残されている。その中には、マレー語最初の文法書を著したラージャ・アリ・ハッジの墓もある。マスジッド・ラヤは、王達の副モスクであったが現在でも使われている。世界遺産の候補とされている。[1]

ラージャ・ハッジ・フィサビリラハ記念碑

オランダとの戦いで1784年に死亡したラージャ・ハッジ・フィサビリラハ王は、国民英雄とされ、マレーの王の中でも有名であり、ペニヤガット島に王宮まで持っていた。この王を記念して28メートルの像が建てられていたが、現在はこの像は存在していない。

脚注

外部リンク

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