ダスティン・アクリー

アメリカの野球選手 (1988 - )

ダスティン・マイケル・アクリーDustin Michael Ackley, 1988年2月26日 - )は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州ウィンストン・セーラム出身の元プロ野球選手内野手外野手)。

ダスティン・アクリー
Dustin Ackley
シアトル・マリナーズでの現役時代
(2012年3月28日)
基本情報
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地ノースカロライナ州ウィンストン・セーラム
生年月日 (1988-02-26) 1988年2月26日(36歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション二塁手外野手一塁手
プロ入り2009年 MLBドラフト1巡目(全体2位)
初出場2011年6月17日
最終出場2016年5月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

メディアによっては、アックリーと表記される場合もある。

父親のジョン・アクリーは、かつてボストン・レッドソックス傘下のAAA級ポータケットなどに所属していたプロ野球選手だったが、結局メジャーには昇格できずに選手生活を終えている[1]

経歴

プロ入り前

ノースカロライナ大学時代は3年連続で打率4割を記録し、通算打率は.412と卓越したバットコントロールを誇った。大学入学時は遊撃手で、その後は中堅手へ転向したが、2008年トミー・ジョン手術後、一塁手へコンバートされた。2009年にはゴールデンスパイク賞の最終選考まで残ったものの[2]スティーブン・ストラスバーグが受賞した。

プロ入りとマリナーズ時代

2009年のMLBドラフト1巡目(全体2位)でシアトル・マリナーズから指名を受け、5年750万ドルの契約を結ぶ。

2011年6月17日、フィラデルフィア・フィリーズ戦にて、7番二塁手でメジャーデビューを果たす。観客から大歓声を送られて立った第1打席では、2ストライク後にピッチャー返しとなる中堅前安打を放ち、MLB初安打を記録。翌6月18日には、同フィリーズ戦で右翼へMLB初本塁打を記録した。その後も安定して打ち続け、6月24日以降は5番打者を務め、7月8日以降には3番打者に定着。不安視されていた二塁の守備も無難にこなした。途中までは打率3割前後を残していたが、徹底的なマークに遭ったことやハムストリングを痛めた影響などからシーズン終盤に失速し、打率.273・出塁率.348でシーズンを終えた。90試合の出場ながら三塁打を7本記録し、イチローの持つ新人最多三塁打8本の球団記録にあと1本まで迫った。シーズン終了後、マリナーズのチームMVPに選出された。

2012年オークランド・アスレチックス東京ドームで開催されたMLB日本開幕戦のメンバーとして訪日。開幕戦で同年のMLB第1号と決勝打を記録した[3]。シーズンでは前年を大きく上回る153試合に出場したものの、打率.226、出塁率.294と極度の不振に陥った。

2013年は出場試合数が減少して規定打席到達こそならなかったが、打率は.253まで上昇した。守備面では、セカンドとセンターでそれぞれ50試合以上の守備に就き、他に左翼手や一塁手に就く機会もあり、ユーティリティ選手として起用された。

2014年、左翼手に固定されて起用され、2年ぶりに規定打席に到達した。しかし打率.250・出塁率.300のラインを下回り、低調だった。

ヤンキース時代

ニューヨーク・ヤンキースでの現役時代(2015年9月12日)

2015年7月30日にホセ・ラミレスラモン・フローレスとのトレードでニューヨーク・ヤンキースに移籍した[4][5]。マリナーズでは不振だったが、ヤンキース加入後は調子を上げ、23試合で打率.288・4本塁打・11打点という内容だった。両チームでの合算成績は、108試合で打率.231であり、2年連続2ケタ本塁打を放った。ヤンキースでは、固定ポジションを与えられたわけではなく、内外野の複数ポジションを守った。

2016年は、アーロン・ヒックスロブ・レフスナイダーら若手のユーティリティ格が台頭した事もあって出番を大幅に減らし、5月30日以降は右肩の脱臼で故障者リストに入ったため、メジャーデビュー以来ワーストの28試合の出場に終わった。打率は.148で長打はなく、挙げた打点も4だった。守備成績は、一塁手の13試合で無失策、右翼手の9試合で無失策だった。11月18日にFAとなった[6]

エンゼルス傘下時代

2017年2月4日、ロサンゼルス・エンゼルスとマイナー契約を結び、同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[6]。4月5日にエンゼルス傘下AAAチームのソルトレイク・ビーズに送られ、そのままメジャーに昇格することなく1年間プレーし、シーズン終了後の11月6日にFAとなった[6]

2018年もエンゼルスとマイナー契約を結び[7]、ソルトレイク・ビーズでプレーした。

マリナーズ復帰

2019年1月24日に古巣のシアトル・マリナーズとマイナー契約を結んだ[6]。しかし、シーズン開幕前の3月12日にFAとなった[8]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2011SEA90376333399116761393660034010793.273.348.417.766
20121536686078413722212199501331159701243.226.294.328.622
2013113427384409718241313123413711726.253.319.341.660
2014143542502641232741420065843232139010.245.293.398.692
2015852071862240816681922331401383.215.270.366.635
NYY2357526153243411000140070.288.333.654.987
'15計1082642382855113101023022341801453.231.284.429.712
20162870616900094000180090.148.243.148.390
MLB:6年635234721252615129418467802163112111219410541925.241.304.367.671
  • 2018年度シーズン終了時

背番号

  • 13 (2011年 - 2015年途中)
  • 29 (2015年途中 - 2016年)

脚注

関連項目

外部リンク

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