ディディ・グレゴリウス

オランダの野球選手 (1990 - )

ディディ・グレゴリウス英語: Didi Gregorius, 本名:マリエクソン・ユリウス・グレゴリウスオランダ語: Mariekson Julius Gregorius , 1990年2月18日 - )は、オランダ王国北ホラント州アムステルダム出身のプロ野球選手遊撃手)。右投左打。

ディディ・グレゴリウス
Didi Gregorius
フィラデルフィア・フィリーズ時代
(2020年7月18日)
基本情報
国籍オランダの旗 オランダ
出身地北ホラント州アムステルダム
生年月日 (1990-02-18) 1990年2月18日(34歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
205 lb =約93 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション遊撃手
プロ入り2007年 アマチュアFA
初出場2012年9月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
派遣歴
国際大会
代表チームオランダの旗 オランダ代表
WBC2017年2023年

登録名の"ディディ"は愛称である。2011年に行われたIBAFワールドカップでオランダ代表として優勝した際に「サー」の爵位を賜り[1]サー・ディディとも称される[2]

父親と8歳年上の兄は、オランダの野球リーグであるホーフトクラッセでプレーしていた[3]

ニューヨーク・ヤンキースの遊撃手の歴代最多シーズン本塁打記録を持つ[4]

経歴

プロ入り前

オランダのアムステルダムで生まれ、アムステルダムとオランダ領アンティルキュラソー島で育つ。父親はキュラソー島出身で、父がアムステルダムのセミプロ野球チームでプレーしていた時に生まれる。ユースチームでは、ケンリー・ジャンセンアンドレルトン・シモンズとチームメイトだった。その後オランダ野球リーグ・ホーフトクラッセアムステルダム・パイレーツに加入。

プロ入りとレッズ時代

2007年8月6日にシンシナティ・レッズとマイナー契約を結んだ。

2008年、傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・レッズでプロデビュー。31試合に出場して打率.155、9打点、2盗塁を記録した。

2009年はまずA+級サラソタ・レッズでプレーし、22試合に出場して打率.254、2打点を記録した。7月からはパイオニアリーグのルーキー級ビリングス・マスタングス英語版でプレー。50試合に出場して打率.314、1本塁打、16打点、8盗塁を記録した。オフの9月にイタリアネットゥーノで行われた第38回IBAFワールドカップオランダ代表として出場した。

2010年はまずA級デイトン・ドラゴンズでプレーし、120試合に出場して打率.273、5本塁打、41打点、16盗塁を記録した。8月31日にA+級リンチバーグ・ヒルキャッツ[5]へ昇格し、7試合に出場した。オフにオーストラリアン・ベースボールリーグに参加し、キャンベラ・キャバルリーに加入した。ここでは、36試合に出場して打率.189、1本塁打、9打点、4盗塁を記録した。

2011年はまずA+級ベーカーズフィールド・ブレイズ英語版[6]でプレーし、46試合に出場して打率.303、5本塁打、28打点、8盗塁を記録した。7月にAA級カロライナ・マドキャッツ(現:ペンサコーラ・ブルーワフーズ。現行の同球団とは別物)へ昇格。38試合に出場して打率.270、2本塁打、16打点、3盗塁を記録した。9月20日に第39回IBAFワールドカップのオランダ代表に選出された[7]。同大会ではヨーロッパの代表としては、1938年大会のイギリス代表以来73年ぶりの優勝を果たした。この栄誉を称えて代表24人全員に「サー」の爵位が贈られ[1]、グレゴリウスにも贈られた[2]。11月18日にレッズとメジャー契約を結び[8]40人枠入りを果たした。

2012年3月18日にAA級ペンサコーラ[9]へ配属され、開幕を迎えた。AA級ペンサコーラでは81試合に出場して打率.278、1本塁打、31打点、3盗塁を記録した。7月にAAA級ルイビル・バッツへ昇格。同球団では48試合に出場し、打率.243・6本塁打・23打点だった。登録枠が拡大された9月1日にメジャーへ初昇格し[10]、9月5日のフィラデルフィア・フィリーズ戦でメジャーデビュー。「8番・遊撃手」として先発起用され、4打数無安打だった。この年メジャーでは8試合に出場して打率.300、2打点を記録した。

ダイヤモンドバックス時代

2012年12月11日にクリーブランド・インディアンスを含めた三角トレードで、アリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した[11]

ダイヤモンドバックス時代、2013年8月9日

2013年3月2日にダイヤモンドバックスと単年契約に合意[12]。開幕直前の3月31日に右肘の故障で15日間の故障者リスト入りした[13]。4月16日に復帰[14]。復帰後は遊撃手として先発起用され、復帰から7試合連続安打を記録していたが、4月26日のコロラド・ロッキーズ戦でジョシュ・アウトマンから頭部死球を受け途中退場し、28日に故障者リスト入りした[15]。5月4日に復帰[16]後も正遊撃手として奮闘し、この年は103試合に出場。打率.252、7本塁打、28打点を記録した。

2014年3月3日にダイヤモンドバックスと1年契約に合意した[17]。3月30日にAAA級リノ・エーシズへ配属され[18]、アメリカで開幕を迎えた。開幕後は前年AAA級リノでMVPや新人王を獲得したクリス・オーウィングスに遊撃の定位置を奪われ、6月3日にメジャーへ昇格[19]後は主にオーウィングスのバックアップや二塁の守備に就いていたが、6月29日にオーウィングスが故障者リスト入りしたため、遊撃の定位置を奪取。9月にオーウィングスが復帰したがグレゴリウスは遊撃に固定され、オーウィングスは二塁に回った。この年は80試合に出場して打率.226、6本塁打、27打点、3盗塁を記録した。

ヤンキース時代

2014年12月5日にデトロイト・タイガースを含んだ三角トレードで、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍した[20]

2015年4月14日

2015年は、前年に引退したスター遊撃手のデレク・ジーターの後継者としてレギュラーの座に入り、155試合に出場。打撃面では打率.265、9本塁打、56打点、5盗塁を記録した。

2016年は153試合に出場して打率.276、20本塁打、70打点という成績を記録した。本塁打は自己最多だった。

ニューヨーク・ヤンキース時代
(2017年9月4日)

2017年はシーズン開幕前の1月24日に第4回WBCオランダ代表に選出された[21]。3月20日に右肩を負傷したため代表を離脱した[22]。シーズンでは9月4日のボルチモア・オリオールズ戦でディラン・バンディから球団遊撃手初となる2年連続シーズン20号本塁打を記録した[23]。9月20日のミネソタ・ツインズ戦でシーズン25号本塁打を記録し、1999年に前述のジーターが記録した24本を越えて、球団遊撃手のシーズン本塁打記録を更新した[4]

2018年4月3日のホーム開幕戦となるタンパベイ・レイズ戦で4安打、2本塁打、8打点でチームも11-8で勝利した[24]。5月1日には10本塁打を達成し、1908年からの遊撃手でもっとも速いペースで10本塁打を達成した選手だった[25]。また、同日にアメリカンリーグのプレイヤー・オブ・ザ・ウィークにも選出され、5月3日には4月のプレイヤー・オブ・ザ・マンスに選出された[26]。レギュラーシーズンでは、シーズンで20本塁打を超える27本塁打を打ち、ヤンキースの遊撃手の連続20本塁打超えの記録を3年に伸ばした[27]。シーズン終了後の10月13日に右尺骨側靭帯損傷と診断され、同月17日にトミー・ジョン手術を受けた[28]

2019年はトミー・ジョン手術のリハビリによって、メジャー初出場が6月7日のクリーブランド・インディアンス戦となった[29]。復帰後は遊撃手のレギュラーを務めたが、82試合出場で打率.238、16本塁打、61打点に終わった。オフの10月31日にFAとなった[30]

フィリーズ時代

2019年12月13日にフィラデルフィア・フィリーズと1400万ドルの単年契約を結んだ[31]

2020年のオフにFAとなった[32]

2021年2月10日にフィリーズと2年総額2800万ドルで再契約した[33]

2022年8月4日に自由契約となった[34]

2023年3月に第5回WBCオランダ代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした。同大会では一塁手として起用された。

メキシカンリーグ時代

2023年5月2日にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルラグナ・ユニオン・コットンファーマーズと契約した[35]。26試合に出場で打率.359、11本塁打、34打点と活躍し、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのオールスターゲームに選出された。

マリナーズ傘下時代

2023年6月8日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結んだ[36]。8月2日にFAとなった[37]

マリナーズ退団後

2023年9月に開催されたヨーロッパ野球選手権大会英語版のオランダ代表に選出された。10月23日には中東南アジアを拠点とする新設されたプロ野球リーグであるベースボール・ユナイテッドのドラフトでドバイ・ウルブズに1巡目で指名をされた。同年のシーズン開催はないが、ショーケースとしてイーストとウエストに分かれてオールスターゲームは開催され、10月27日にウエストの先発遊撃手を務めることになった[38]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2012CIN821201600062001000050.300.300.300.600
2013ARI103404357479016371332802213756654.252.332.373.704
2014802992703561956982730222233521.226.290.363.653
2015NYY15557852557139242919456533633011854.265.318.370.688
201615359756268155322202517071551926829.276.304.447.751
201713657053473153270252558731072513707.287.318.478.796
2018134569504891352352724986106194837698.268.335.494.829
2019823443244777142161436121021711535.238.276.441.718
2020PHI602372153461102101054032121534284.284.339.488.827
20211034083683577162131365430072518678.209.270.370.639
2022632322141745941651910021303360.210.263.304.567
MLB:11年10774259389350399918027134163553037161543254195261250.257.308.420.728
  • 2022年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



二塁(2B)三塁(3B)遊撃(SS)




































2012CIN--6810041.000
2013ARI--1001522791351.971
201411132613.975221001.0006798189539.983
2015NYY--1551774301377.979
2016--1531803801568.974
2017--135144360947.982
2018--132160309654.987
2019--8093181648.979
2020PHI--5979132735.968
2021--1011312361849.953
2022--6170140229.991
MLB11132613.975221001.00010491292264694500.977
  • 2022年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

背番号

  • 25(2012年)
  • 1(2013年 - 2014年)
  • 18(2015年 - )

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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