フアン・アントニオ・バルデム

フアン・アントニオ・バルデムスペイン語: Juan Antonio Bardem, スペイン語発音: [xuan baɾˈðen], 1922年6月2日 - 2002年10月30日)は、スペインマドリード出身の脚本家映画監督

フアン・アントニオ・バルデム
本名Juan Antonio Bardem Muñoz
生年月日 (1922-06-02) 1922年6月2日
没年月日 (2002-10-30) 2002年10月30日(80歳没)
出生地スペインの旗 スペイン王国マドリード県マドリード
死没地スペインの旗 スペインマドリード州マドリード
国籍スペインの旗 スペイン
職業脚本家映画監督
活動期間1951年-1997年
配偶者マリーア・アグアド・バルバド
著名な家族ラファエル・バルデムスペイン語版(父)
マティルデ・ムニョス・サンペドロスペイン語版(母)
ピラール・バルデムスペイン語版(妹)
ミゲル・バルデムスペイン語版(息子)
ハビエル・バルデム(甥)
 
受賞
カンヌ国際映画祭
国際映画批評家連盟賞
1955年『恐怖の逢びき』
1958年『La Venganz
ヴェネツィア国際映画祭
国際映画批評家連盟賞
1956年『大通り』
ベルリン国際映画祭
国際映画批評家連盟賞
1963年『無実の人』
ゴヤ賞
名誉ゴヤ賞
2002年
その他の賞
モスクワ国際映画祭
最優秀作品賞
1977年El Puente
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人物

同時代のスペインに生まれた映画監督、ルイス・ブニュエル(Buñuel、1900年生)、ルイス・ガルシア・ベルランガ(Berlanga、1921年生)とともに「3人の優れた"B"」と呼ばれ[1]、やや後年のカルロス・サウラ(Saura、1932年生)を加えて「3B1S」と呼ばれることもある[2]。2002年度には名誉ゴヤ賞を受賞し、2011年にはマドリード・ウォーク・オブ・フェームスペイン語版のひとりに選ばれた。

経歴

国立映画研究所時代

1922年6月2日にマドリードに生まれた。それぞれ俳優・女優だった両親の希望で、スペイン内戦後の1943年に大学に入学して農業工学を学び[3]、1946年にはスペイン政府農業省で働きはじめた[4]。1947年に国立映画研究所が設立されると1期生として入学[5]。しかし、卒業制作は教授陣に認められず、映画監督のクレジットに必要な監督資格を授与されなかった[5][3][4]

1950年にマドリードのイタリア文化会館で開催された映画祭でイタリアのネオレアリズモに強い影響を受け、映画研究所同期のルイス・ガルシア・ベルランガと共同で脚本・監督を務めて1951年に『あの幸せなカップル』を撮った[3][4]。この映画は公開までに2年間を要したため、再びベルランガと共同で脚本を書いて『ようこそ、マーシャルさん!』を完成させた[3]。『ようこそ、マーシャルさん!』はスペイン映画が国際舞台で評価を受けるきっかけを作った映画とされ[6]、1953年のカンヌ国際映画祭でユーモア映画・脚本賞を受賞[7]。バルデムとベルランガは新時代のスペイン人映画監督の象徴的存在だったが作風は異なり[8]、バルデムは辛辣な社会批判を盛り込んだシリアスなドラマを好んだが、ベルランガはブラックユーモアあふれるコメディを好んだ[9]

国際映画祭での高評価

1954年の『役者』はかつて書いた脚本を基に撮影した作品であり[3]第7回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品されている。当時のスペインはフランコ独裁時代であり、スペイン映画が国外で上映されるのは稀なことだった[10]。1953年には映画雑誌「レンズ」を創刊しており、同誌とサラマンカ大学生協映画クラブは1955年5月にサラマンカで国民映画会議を主催[11]。この会議にはバルデムやベルランガの他に、俳優・監督のフェルナン・ゴメス、小説家のビスカイーノ・カサス、言語学者のフェルナンド・ラサロ・カレテールなどが参加し[12]、検閲や映画批評のあり方、法制度や労働契約などが話し合われている[13]。バルデムがスペイン映画に対して「政治的には無効、社会的には偽り、知的には最低、美的には無価値、そして、産業的には脆弱」と分析したことは後々まで語り草となっている[12][5]。これを機にスペイン各地に映画クラブが誕生し、サラマンカ国民映画会議はスペイン映画史における歴史的事件のひとつとなった[13]

1955年の第8回カンヌ国際映画祭では審査員を務めた。1955年の『恐怖の逢びき』と1956年の『大通り』は1950年代のスペイン映画を代表する作品であり[3]、スペイン映画史に残る不朽の名作とされている[5]。『恐怖の逢びき』は人妻とその浮気相手が起こしたひき逃げ事件を描いたサスペンス映画であり、同年のカンヌ国際映画祭で国際映画批評家連盟(FIPRESCI)賞を受賞した[14][4]。カルロス・アルニーチェスの戯曲を原作とする『大通り』では撮影中に逮捕された事件もあったが[4]ヴェネツィア国際映画祭の国際映画批評家連盟賞を受賞した[15]。1958年には『La vengeanza』でアカデミー外国語映画賞にノミネートされ、この作品は第11回カンヌ国際映画祭にも出品された。

フランコ体制下

1958年には制作会社のウニチを共同設立して社長となり、この会社は亡命していたルイス・ブニュエル監督が久々にスペインで撮った『ビリディアナ』(1961年)を制作した[4]。コメディ映画を得意としたベルランガとは対照的に、バルデムはシリアスなドラマ映画を得意としたが、フランコ独裁政権下では検閲の影響で思うような映画が取れなかった。バルデム自身はフランコ体制下で公には存在が認められていないスペイン共産党(PCE)員だった。1962年の『無実の人』はどうしても検閲に通らなかったため、アルゼンチンに赴いて撮影した[16]。1963年には第13回ベルリン国際映画祭にこの作品が出品されている。スペイン帰国後にはかつての『大通り』に近い『何も起こりはしない』を撮影したが、1960年代前半の作品はいずれも興行的には成功しなかった[16]

1965年の『太陽が目にしみる』はA・F・レイの小説『自動ピアノ』を原作とするドラマ映画であり、日本人女優の岸恵子が出演、第18回カンヌ国際映画祭に出品された。1977年の『橋』にはピンク・コメディ女優のアルフレド・ランダを主演に抜擢し、ランダがシリアスな役でも活躍できることを示した[17]。この映画では第10回モスクワ国際映画祭で金賞を受賞し[18]、1979年の『1月の7日間』は第11回モスクワ国際映画祭で再び金賞を受賞した[19]。この作品は4人の労働法専門家が極右活動家に殺害されたアトーチャの殺人スペイン語版に関するドラマ映画である[20]

民主化後

映画監督として多作ではあるものの、1950年代の名作の数々以降は成功した作品は少なく、検閲が撤廃された民主化後の作品も凡庸な出来だったとされている[5]。1981年には第12回モスクワ国際映画祭の審査員を務めている[21]。日本で初めて体系的にスペイン映画が紹介された第1回スペイン映画祭(1984年、渋谷東急名画座)では、ベルランガ、サウラ、アラゴン、イマノル・ウリベらとともに日本を訪れている[22]。1993年には第43回ベルリン国際映画祭の審査員を務めた[23]。1990年代中頃からはスペイン映画監督組合の会長を務めた[4]

2002年10月30日、肝臓疾患のために死去した。80歳だった。同年度には生前の功績に対して名誉ゴヤ賞が贈られた。2011年にはマドリード・ウォーク・オブ・フェームスペイン語版(25+1人)のひとりに選ばれた[24][25]

家族

バルデム家はスペインでも有名な芸能一家である。父親のラファエル・バルデムスペイン語版は映画と舞台で活躍した俳優であり、母親のマティルデ・ムニョス・サンペドロスペイン語版は女優だった。バルデムの映画にはしばしば端役で母親のサンペドロが登場している[3]。バルデムはマリーア・アグアド・バルバドと結婚して4人の子どもを儲け、息子のミゲル・バルデムスペイン語版は父親と同じく映画監督となった。ミゲル・バルデムは初短編映画『La Madre』でゴヤ賞短編映画賞を受賞し[26]、1999年の長編デビュー作『世界で一番醜い女』はプチョン国際ファンタスティック映画祭でグランプリを受賞した[27]

フアン・アントニオの妹のピラール・バルデムスペイン語版は女優であり、1995年の『死んでしまったら私のことなんか誰も話さない』でゴヤ賞助演女優賞を受賞した[26]。ピラールは俳優・舞踏家・映画監督からなるAISGE財団の代表も務めた。ピラールの息子(フアン・アントニオの甥)のハビエル・バルデムも俳優であり、ゴヤ賞を5度、ヴェネツィア国際映画祭男優賞を2度獲得しているほか、スペイン人俳優として初めてアカデミー賞を受賞した。ハビエル・バルデムの兄(フアン・アントニオの甥)のカルロス・バルデムスペイン語版も俳優であり、ゴヤ賞助演男優賞に2度ノミネートされている。ハビエル・バルデムの姉(フアン・アントニオの姪)のモニカ・バルデムスペイン語版も女優であり、またモニカはマドリードのチュエカでレストランを経営する実業家でもある。

フアン・アントニオ・バルデムの近親関係

フィルモグラフィー

日本語題原題担当受賞歴など
1951あの幸せなカップルEsa pareja feliz共同脚本・共同監督
1953ようこそマーシャルさんBienvenido Mister Marshall!脚本監督はベルランガ
カンヌ映画祭ユーモア映画・脚本賞受賞
フィルムセンター「スペイン映画の史的展望<1951~1977>」で無字幕上映
1954役者Cómicos監督カンヌ映画祭正式出品作品
1954Felices pascuas監督
1955恐怖の逢びきMuerte de un ciclista脚本・監督カンヌ映画祭国際映画批評家連盟賞受賞
1956大通りCalle Mayor脚本・監督ヴェネツィア映画祭正式出品
日本はテレビ放映あり
フィルムセンター「スペイン映画の史的展望<1951~1977>」で無字幕上映
1957La venganza脚本・監督アカデミー外国語映画賞ノミネート
カンヌ映画祭正式出品作品
1959Sonatas脚本・監督ヴェネツィア映画祭正式出品作品
1961A las cinco de la tarde脚本・監督
1963無実の人Los inocentes脚本・監督ベルリン映画祭正式出品作品
1963何も起こりはしないNunca pasa nada監督ヴェネツィア映画祭正式出品作品
1965太陽が目にしみるLos pianos mecánicos脚本・監督・編集カンヌ映画祭正式出品作品
1968最後の戦塵El último día de la guerra脚本・監督日本ではテレビ放映のみ
1971Varietés脚本・監督
1973真夜中の恐怖La corrupción de Chris Miller出演・監督
1973ミステリー島探検/地底人間の謎La Isla misteriosa脚本・監督テレビ作品
1975El poder del deseo脚本・監督
1977El puente脚本・監督モスクワ映画祭作品賞受賞
フィルムセンター無字幕上映
1977ドッグチェイスEl perro出演
19791月の7日間Siete días de enero脚本・監督モスクワ映画祭作品賞受賞
1979El diputado出演
1982Die Mahnung脚本・監督
1985España, una fiesta監督短編ドキュメンタリー
1985La huella del crimen脚本・監督テレビ作品(脚本1話・監督1話)
1986Adiós, pequeña出演
1987Lorca, muerte de un poeta脚本・監督テレビ作品(脚本6話・監督6話)
1993El joven Picasso脚本・監督テレビ作品(脚本2話・監督4話)
1997Resultado final脚本・監督

受賞

映画祭/映画賞作品カテゴリー結果
1952 スペイン映画批評家協会賞あの幸せなカップルヒメノ・リベラシオン賞受賞
1953 カンヌ国際映画祭ようこそ、マーシャルさん!ユーモア映画・脚本賞受賞
1954 スペイン映画批評家協会賞ようこそ、マーシャルさん!作品賞受賞
1954 カンヌ国際映画祭役者作品賞ノミネート
1955 カンヌ国際映画祭恐怖の逢びき国際映画批評家連盟賞受賞
1956 ヴェネツィア国際映画祭大通り作品賞ノミネート
特別な視点賞受賞
ニューシネマ賞受賞
国際映画批評家連盟賞受賞
1957 サン・ジョルディ賞大通り作品賞受賞
特別賞受賞
1958 カンヌ国際映画祭La venganza作品賞ノミネート
1959 ヴェネツィア国際映画祭Sonatas作品賞ノミネート
1960 サン・ジョルディ賞La venganza作品賞受賞
1963 ヴェネツィア国際映画祭何も起こりはしない作品賞ノミネート
1963 ベルリン国際映画祭無実の人国際批評家連盟賞受賞
作品賞ノミネート
1964 アルゼンチン映画批評家協会賞無実の人銀のコンドル受賞
1965 カンヌ国際映画祭太陽が目にしみる作品賞ノミネート
1977 サン・ジョルディ賞作品賞受賞
1977 モスクワ国際映画祭作品賞受賞
1979 モスクワ国際映画祭1月の7日間作品賞受賞
1998 カイロ国際映画祭Resultado final金のピラミッドノミネート

脚注

参考文献

  • 池上岑夫、牛島信明、神吉敬三、金七紀男、小林一宏・フアンソ ペーニャ・浜田滋郎・渡部哲郎(監修)『新訂増補 スペイン・ポルトガルを知る事典』平凡社、2001年。 
  • 乾英一郎『スペイン映画史』芳賀書店、1992年。ISBN 4-8261-0708-0 
  • 大原志麻「フランコ期の映画における政治文化 : ベルランガとBienvenido Mister Marshall!の歴史性」『翻訳の文化/文化の翻訳』第6号、静岡大学、2011年、45-74頁。 
  • 小倉英敬「ポスト・フランコ期における『スペイン内戦』映画論」『研究紀要』第10号、常磐会学園大学、2010年、23-37頁。 
  • 杉浦勉『ポストフランコのスペイン文化』水声社、1999年。 

外部リンク

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