フランキー・フリッシュ

アメリカ合衆国の野球選手 (1898-1973)

フランキー・フリッシュ(Francis "Frankie" Frisch、1898年9月9日 - 1973年3月12日) は、1920年代 - 1930年代MLB選手、および監督。主なポジションは二塁手アメリカ合衆国ニューヨークブロンクス区出身。右投両打。

フランキー・フリッシュ
Frankie Frisch
基本情報
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地ニューヨーク州ニューヨーク市ブロンクス区
生年月日1898年9月9日
没年月日 (1973-03-12) 1973年3月12日(74歳没)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
165 lb =約74.8 kg
選手情報
投球・打席右投両打
ポジション二塁手
プロ入り1919年
初出場1919年6月14日
最終出場1937年8月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
殿堂表彰者
選出年1947年
得票率84.47%
選出方法全米野球記者協会選出

ニックネーム"The Fordham Flash"(フォーダム・フラッシュ)。これは彼がフォーダム大学の出身であることから来ている。

経歴

現役時代

1919年、フォーダム大学卒業後にニューヨーク・ジャイアンツへ入団。マイナーリーグを経ることなくメジャーデビューを果たす。早くからチームのキャプテンに指名されたフリッシュは、3年目の1921年に49盗塁を記録して初の盗塁王となる。打率はこの年初めて3割を超え、それ以降11年間ずっと打率3割以上を維持していた。ジャイアンツ時代には1923年に最多安打、翌1924年にリーグ最多得点をマーク。1921年からは4年続けてワールドシリーズに出場した。

1926年、フリッシュはロジャース・ホーンスビーとのトレードでセントルイス・カージナルスに移籍する。翌1927年には、208安打、打率.337をマーク、自身二度目の盗塁王となるとともに、守備でも補殺、併殺数でリーグ最多を記録するなど、攻守で活躍を見せた。この年に記録した641補殺は、1シーズン補殺数(二塁手)のメジャーリーグ記録(2020年現在)である。

フリッシュは1930年代の「ガスハウス・ギャング」と呼ばれていたチームを牽引し、1928年以後4度ワールドシリーズに出場する。1933年以降は監督兼任選手となり、1934年のワールドシリーズ進出は自らの指揮によるものである。選手としては1937年まで出場、翌年からカージナルスの監督に専念するようになった。

監督として

フリッシュは1938年までカージナルスで監督を務めたが、この年はチームの成績が不振で、シーズン終盤で監督の座を退く。1940年からはピッツバーグ・パイレーツを率い、1944年に90勝をあげるもののリーグ制覇はできなかった。更に1949年からはシカゴ・カブスの監督をつとめたものの、在籍時のチームの順位は毎年7位から8位と全く振るわなかった。監督としてリーグ制覇を成し遂げたのは、結局兼任監督であった1934年の1度きりだった。

引退後

フリッシュはパイレーツの監督を退いた翌年の1947年、記者投票によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。球界を離れてからは、ラジオの実況放送を何年かつとめ、ジャイアンツのコーチもしていたが、1956年心臓発作を起こしてから、それらの活動も制限するようになっていた。その後フリッシュは、アメリカ野球殿堂のベテランズ委員会の委員長職を務めた。その影響力は大きく、特に彼のチームメイトだった選手たちの殿堂入り選考については、多くの批判があった。

1973年、フロリダでのベテランズ委員会の会議から、車でロードアイランド州へ戻る途中に交通事故を起こし負傷、1か月後にデラウェア州ウィルミントンで死去した。74歳。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1919NYG541971902143322562415-3-4-014-.226.242.295.537
1920110473440571231010416577341113-20-018-.280.311.375.686
192115368761812121131178300100491326-42-128-.341.384.485.870
19221325825141011681613522551311718-47-313-.327.387.438.824
1923151703641116223321012311111291211-46-412-.348.395.485.880
1924145675603121198331572826922914-56-224-.328.387.468.855
192512054250289166266112374821125-32-314-.331.374.472.846
19261355895457517129452234423-11-33-016-.314.353.409.762
1927STL1536936171122083111102917848-26-43-710-.337.387.472.858
1928141631547107164299102418629-19-64-117-.300.374.441.815
192913859852793176401252557424-17-53-212-.334.397.484.881
19301336115401211874691028111415-16-55-016-.346.407.520.927
19311315705189616124442058228-5-45-213-.311.368.396.764
19321155134865914226231816018-2-25-013-.292.327.372.699
19331476465857417732642336618-10-48-31620.303.358.398.757
19341406055507416830632197511-10-45-11017.305.359.398.757
1935103402354521041621127552-14-33-1167.294.356.359.714
1936933483034083100196262-8-36-1109.274.353.317.670
193717343237200940-1-1-002.219.242.281.524
通算:19年23111009991121532288046613810539371244419*74229-728-31272*55.316.369.432.801
  • 「-」は公式記録なし。
  • 通算成績の「*数字」は、不明年度がある事を示す。
  • 太字はリーグ1位。

タイトル

  • 盗塁王:3回 (1921年、1927年、1931年)

表彰

監督としての通算戦績

2246試合、1138勝1078敗、勝率.514、ワールドシリーズ出場:1回 (1934年)

出典・外部リンク