ヘンダーソン・アルバレス

ベネズエラの野球選手 (1990 - )

ヘンダーソン・ハビアー・アルバレス西: Henderson Javier Alvarez, 1990年4月18日 - )は、ベネズエラカラボボ州バレンシア出身のプロ野球選手投手)。右投右打。メキシカンリーグユカタン・ライオンズ所属。

ヘンダーソン・アルバレス III
Henderson Alvarez III
ユカタン・ライオンズ
オークランド・アスレチックス時代
(2016年5月1日)
基本情報
国籍ベネズエラの旗 ベネズエラ
出身地カラボボ州バレンシア
生年月日 (1990-04-18) 1990年4月18日(34歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り2006年 アマチュア・フリーエージェントとしてトロント・ブルージェイズと契約
初出場2011年8月10日 オークランド・アスレチックス
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
派遣歴
国際大会
代表チームベネズエラの旗 ベネズエラ代表
WBC2013年
プレミア122019年

スペイン語での発音はエンデルソン・ハビエル・アルバレス

経歴

ブルージェイズ時代

2006年トロント・ブルージェイズと契約。それまでは三塁手だったが、契約後に投手へ転向した[1]。当時憧れていた選手は、同じベネズエラバレンシア出身のフェリックス・ヘルナンデスだった[2]

マイナー時代

2007年に17歳でルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・ブルージェイズでデビュー。

2008年に渡米すると、2009年にはA級ランシング・ラグナッツで9勝6敗、防御率3.47を記録して頭角を現した。

2010年はA+級ダニーデン・ブルージェイズで防御率4.33と振るわず、やや評価を下げた。

2011年直球の球速が前年から飛躍的に上昇し[3]、AA級ニューハンプシャー・フィッシャーキャッツで8勝4敗、防御率2.84と活躍。

メジャーデビューと退団まで

カルロス・ビヤヌエバ故障者リスト入りに伴い、ブルージェイズの他の若手有望投手と同じく打者天国のAAA級ラスベガスをスキップしてMLBに昇格し、8月10日のオークランド・アスレチックス戦でメジャーデビュー。8月31日のボルチモア・オリオールズ戦で8回3安打無失点と好投し、メジャー初勝利を挙げた。21歳135日でのメジャー初勝利はブルージェイズの投手では1997年ケルビム・エスコバー以来の若さであり、先発に限れば1979年フィル・ハフマン以来となった[4]

トロント・ブルージェイズ時代
(2012年4月24日)

2012年は初めてフルシーズンをメジャーで過ごしたが、奪三振率の低下と被弾の多さにより、成績は伸び悩んだ。9月以降はチェンジアップの改良が功を奏して復調の兆しを見せた[5]

マーリンズ時代

マイアミ・マーリンズ時代
(2014年4月13日)

2012年11月13日にジョシュ・ジョンソンマーク・バーリーホセ・レイエスユネル・エスコバーら総勢11人が動く大型トレードで、マイアミ・マーリンズへ移籍した[6]

2013年開幕前の3月に開催された第3回WBCベネズエラ代表に選出された[7]

シーズンでは右肩痛で開幕は出遅れた。9月30日、シーズン最終戦の対デトロイト・タイガース戦でメジャーリーグ史上4人目のシーズン最終戦でのノーヒットノーランを達成。試合は9回裏2死満塁から暴投によるサヨナラ勝利で、ノーヒッター試合でのサヨナラ暴投での決着は61年ぶり史上2度目[8]。勝利の瞬間、アルバレスはネクストバッターズサークルにいた。

2014年は、8月及び9月に登板回避した場面があった[9] ものの、30試合に先発登板。自責点1以内に抑えたのが16試合 (8試合は無失点) あり[9]、防御率2.65・メジャートップタイの3完封勝利を含む12勝を挙げ、エース格として先発ローテーションを牽引した。なお、この年はオールスターのメンバーにも選出されている。活躍ぶりが評価され、1.0ポイントだけであるがサイ・ヤング賞のポイントを獲得した[10]

2015年4月MRIにより肩と肘の炎症が判明し、15日間のDL入りをした[11]。その後、7月28日にシャットダウンし、肩の手術を受けた[12]。これら故障の影響があって4試合の先発登板に終わり、防御率6.45・全試合で敗戦投手になった。オフの12月2日にノンテンダーFAとなった[13]

アスレチックス時代

2015年12月18日、アスレチックスと1年契約を結んだ[14]

2016年は開幕から15日間の故障者リストに入り、マイナーでリハビリ調整が行われたが6月25日に60日間の故障者リスト入りとなった[15]。その後もリハビリ調整は行われたものの10月7日に40人枠から外れAAA級ナッシュビル・サウンズに降格し、同日FAとなった[15]

アスレチックス退団後

2017年7月14日に独立リーグ・アトランティックリーグロングアイランド・ダックスと契約。8月22日にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結び、傘下のAAA級リーハイバレー・アイアンピッグスへ配属された。9月13日にメジャー契約を結び、アクティブ・ロースター入りした。この年は3試合に先発登板して0勝1敗・防御率4.30・6奪三振の成績を残した。レギュラーシーズン終了後の10月6日にFAとなった[15]。オフは母国ベネズエラのウィンターリーグ(LVBP)に参加。

2018年3月14日にメキシカンリーグキンタナロー・タイガースと契約。20試合に登板し9勝5敗の成績を残した。11月16日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ。オフはLVBPに参加。

2019年は傘下AAA級フレズノ・グリズリーズで1勝4敗の成績にとどまり、7月1日にナショナルズを解雇となった。7月20日にキンタナロー・タイガースと再び契約。オフには第2回プレミア12のベネズエラ代表に選出された。

2020年7月20日にアメリカン・アソシエーションミルウォーキー・ミルクメンにレンタル移籍[16]。5試合に登板して2勝1敗、防御率2.90の成績を挙げ、シーズン終了後にキンタナロー・タイガースに復帰。オフはLVBPに参加。

2021年5月3日にキンタナロー・タイガースを自由契約となった[15]。その後はいずれの球団にも所属せず、オフはLVBPに参加。

2021年12月28日にユカタン・ライオンズと契約した[17]

投球スタイル

平均球速149km/h、最速156km/hのツーシームが投球全体の半分以上を占め、次いでほぼ同じ球速のフォーシームが約20%という割合となっている。他に持ち球は、平均134km/hのスライダー、平均139km/hのチェンジアップ、平均121km/hのカーブ、さらに70km/h台のイーファスも投げる[18]

2012年までは、フォーシームが主体で、この頃にはカットボールも投げていた。ツーシームを主体として典型的なグラウンドボーラーとなったのは2013年からで、速球系で計75%ほどを占め、変化球はそれぞれ多くても約10%程度となっている[19]

また、2015年は右肩痛で4試合にしか登板していないが、肩の故障をかばうため、イーファスを多投している。

マイナーリーグでの通算与四球率(9回あたりの与四球数)は、わずか1.6というズバ抜けた数字を残している。これは、制球力の高さも実証しているが、与四球を与える前にバットに当てさせるため、結果的に与四球が少ないというグラウンドボーラーの典型例である。

詳細情報

年度別投球成績





















































W
H
I
P
2011TOR10100001300.25025963.2648804402026253.531.13
2012313111091400.391807187.121629542379311101014.851.44
2013MIA17171105600.455418102.29022717574142413.591.14
2014303033212700.632772187.01981433381114065552.651.24
2015440000400.00010222.128171093118166.451.57
2017PHI330000100.0006714.21421110601774.301.71
MLB:6年9595552273500.4352425577.2610561408223021642682453.821.30
  • 2017年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

MiLB
MLB

背番号

  • 37(2011年 - 2015年)
  • 58(2017年)

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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