ベトナム時間

ベトナムでは協定世界時を7時間進めた標準時UTC+7)を使用している。夏時間はない。

歴史

フランス領インドシナ政府は、PhủLiễn観測所が建設されたあと、1906年7月1日00:00以後すべての地域で東経104°17'17"を基準とした標準時を採用するとした。

1911年からフランス本国で、GMT+0が公式な標準時に採用された(夏期にはGMT+1を使用)。それに合わせてフランス領インドシナでも1911年5月1日00:00からGMT+7へ標準時の変更を行った。

第二次世界大戦が始まり、ナチス・ドイツのフランス侵攻でフランスが占領されると、ヴィシー政権が成立した。ヴィシー政権はフランス領インドシナの標準時を1942年12月31日23時00分にGMT+8に変更した。

フランス領インドシナが日本に占領されると1945年3月14日23時に日本標準時UTC+9)に変更された。

ベトナム八月革命によってベトナム帝国が倒され、ベトナム民主共和国の独立宣言が行われた。ベトナム民主共和国は1945年9月2日にGMT+7を公式な標準時とした。その後第一次インドシナ戦争が勃発しベトナム、ラオスカンボジアはGMT+8を採用した。戦闘が行われなかった地域では1947年4月1日からGMT+7を採用された。また、1954年4月15日からはラオスで、1954年10月からはハノイで、1955年5月からはハイフォンで採用された。

ベトナム国の統治下にあった南ベトナムでは1955年7月1日00:00よりGMT+7が採用された。その後1960年1月1日23:00よりGMT+8へ変更された。

北ベトナムでは1968年1月1日よりUTC+7が採用された。

1975年4月のサイゴン陥落に続いて同年5月、再統一されたベトナムは、同年6月13日にサイゴンを含む南ベトナムの標準時をUTC+7へ変更した。

フランス領インドシナの時間

使用期間協定世界時との差備考
1906年7月1日 - 1911年4月30日UTC+06:57:09.133
1911年5月1日 - 1942年12月31日UTC+7
1943年1月1日 - 1945年3月14日UTC+8
1945年3月15日 - 1945年9月UTC+9日本標準時
1945年9月 - ジュネーヴ協定締結UTC+8

北ベトナムの時間

使用期間協定世界時との差備考
1945年9月 - 1947年3月31日UTC+7ハノイ時間
1947年4月1日 - 1967年12月標準時なし
UTC+7 非戦闘地域
UTC+8 戦闘地域
1968年1月 - 1975年6月12日UTC+7ハノイ時間

南ベトナムの時間

使用期間協定世界時との差備考
ジュネーヴ協定締結 - 1955年6月30日UTC+8サイゴン標準時
1955年7月1日 - 1959年12月31日UTC+7サイゴン標準時
1960年1月1日 - 1975年6月12日UTC+8サイゴン標準時

再統一後のベトナムの時間

使用期間協定世界時との差備考
1975年6月13日 - 現在UTC+7ベトナム標準時

IANAのTime Zone Database

IANATime Zone Databaseには、ベトナムの標準時が1つ含まれている[1][2]

国コード座標時間帯ID注釈協定世界時との差夏時間備考
VN+1045+10640Asia/Ho_Chi_Minhベトナム(南部)+07:00+07:00

参考文献

  • Trần Tiến Bình (2005), Lịch Việt Nam thế kỷ XX-XXI (1901-2100), Nhà xuất bản Văn hoá Thông tin, Hanoi.

参照

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