ベルギーグランプリ

ベルギーグランプリ(ベルギーGP, : Belgian Grand Prix, : Grote Prijs van België, : Grand Prix de Belgique, : Großer Preis von Belgien)はベルギーで行われている自動車レースであり、F1世界選手権レースのひとつ。

Belgian Grand Prix
スパ・フランコルシャン
レース情報
周回44
コース長7.004 km (4.352 mi)
レース長308.052 km (191.410 mi)
開催回数77
初回1925年
最多勝利
(ドライバー)
ドイツの旗 ミハエル・シューマッハ (6)
最多勝利
(コンストラクター)
イタリアの旗 フェラーリ (18)
最新開催(2023年):
ポールポジションモナコの旗 シャルル・ルクレール[注 1]
フェラーリ
1:46.988
決勝順位1. オランダの旗 マックス・フェルスタッペン
レッドブル-ホンダRBPT
1:22:30.450
2. メキシコの旗 セルジオ・ペレス
レッドブル-ホンダRBPT
+22.305s
3. モナコの旗 シャルル・ルクレール
フェラーリ
+26.886s
ファステストラップイギリスの旗 ルイス・ハミルトン
メルセデス
1:47.305
2008年ベルギーGPのスタート

概要

初開催は1925年。以来幾度かの中断を挟みながら開催され、1950年のF1世界選手権開幕シーズンからカレンダー入りした。全長14kmの公道コース、スパ・フランコルシャンを舞台に行われていたが、時代とともにマシンの性能向上に対して安全対策の不備が批判されるようになった。1969年のベルギーGPは選手組合 (GPDA) のボイコットによりキャンセルされ、1972年より常設コースのニヴェル・ボレールゾルダー・サーキットへ舞台を移した。この2ヵ所で交互開催を続ける予定だったが、ニヴェルが経営破綻したため、1975年から1982年までゾルダーで連続開催された。1983年には1周の距離が短縮されたスパ・フランコルシャンに再び戻り、1985年以降はずっとスパで開催されている。

開催時期は夏の終わりで、ハンガリーグランプリイタリアグランプリの間に挟まれることが多い。コスト削減の一環で2009年よりサマーブレイクが導入されたが、2010年以降はサマーブレイク明けの最初のレースとなっている。オー・ルージュをはじめ、高速コーナーが多いスパ・フランコルシャンでのレースは、スパ・ウェザーと呼ばれる短時間で天気が頻繁に変わることにより、レースに波乱の展開が多く見られる。

F1から欧州圏のGPが減っていく中で、ベルギーGPも存続が揺らいでいる。2003年はタバコ広告禁止法の施行により開催されず、2006年は主催者の破産や施設改修の遅れにより開催中止となった[1]2013年以降はフランスグランプリとの隔年開催という案も検討された[2]が、その後も通年開催が続いた。開催契約が満了する2022年にはモナコグランプリやフランスグランプリとともに契約延長が危ぶまれたものの、翌2023年までの開催延長にこぎつけた[3]。さらに2023年には2025年までの開催延長に向けた契約が結ばれた[4]

特筆すべき過去のレース

  • 1960年のレースは重大事故が相次ぎ、「暗黒の週末」と呼ばれた。予選ではスターリング・モスマイク・テイラーが負傷。決勝ではクリス・ブリストウアラン・ステイシーが死亡した。
  • 1964年のレースでは、レース終盤にガス欠による逆転劇が発生した。レースを独走したダン・ガーニーが残り2周でストップし、最終ラップにはグラハム・ヒルブルース・マクラーレンも同じ目に遭い、たなぼたでジム・クラークに勝利が転がり込んだ。そのクラーク自身もチェッカーを受けた後にガス欠でストップした。クラークは1962年のベルギーGPでF1初勝利を挙げてから1965年まで4連覇した。
  • 1967年にはダン・ガーニーイーグル)、1968年にはブルース・マクラーレン(マクラーレン)がオーナードライバーとしてチーム初優勝を達成した。
  • 1977年にゾルダーで行われたレースでは、ロータスのNo.2ドライバーのグンナー・ニルソンが雨中の接戦を制してF1初優勝を果たした。しかし、ニルソンの体は精巣癌に侵されており、これが最後の勝利になった。
  • 1981年にゾルダーで行われたレースでは、予選中ピットレーンでオゼッラのメカニックがカルロス・ロイテマンのマシンに撥ねられた。決勝スタートではアロウズのメカニックがエンジンストールしたリカルド・パトレーゼのマシンに駆け寄ったところ、後方からチームメイトのジークフリート・ストールのマシンに追突され両足骨折の重傷を負った。レースはロイテマンがポール・トゥ・ウィンで優勝し、入院していたオゼッラのメカニックは翌週死亡した。
  • 1982年にゾルダーで行われたレースでは、予選でフェラーリジル・ヴィルヌーヴが事故死するアクシデントが発生。決勝レースはヴィルヌーヴのチームメイト、ディディエ・ピローニが撤退し、フェラーリ勢抜きで行われた。この年からウィリアムズに加入したケケ・ロズベルグが序盤からトップを快走していたが、ラスト2周というところで後方グリッドから追い上げを見せたマクラーレンのジョン・ワトソンにかわされてしまい、自身F1初優勝はならなかった。
  • 1985年スパ・フランコルシャンで行なわれたレースでは、補修したばかりの路面のアスファルトが剥がれるというアクシデントに見舞われた。このため、予選後に路面の再補修が行なわれ、予選終了から3カ月後に決勝が開催された。
  • 1991年には、前戦でファステストラップを記録したベルトラン・ガショーが逮捕され、その代役としてミハエル・シューマッハジョーダンからF1デビューを果たした。シューマッハは初戦ながら予選7位の健闘を見せたが、スタート直後にリタイアした。レースはシューマッハのチームメイトのアンドレア・デ・チェザリスが終盤まで2位走行し、トップ走行していたマクラーレンのアイルトン・セナを追い上げるも、トラブルにより惜しくも自身とチームのF1初優勝を逃してしまった。ベネトンロベルト・モレノはこのレースでファステストラップを記録したが、次のイタリアGPでシューマッハとトレードされることになった。
  • 1992年には、ベネトンのミハエル・シューマッハがF1初優勝を果たすが、これは、レース序盤の雨による混乱の中、チームメイトのマーティン・ブランドルのタイヤのわずかな劣化(ブリスター)をシューマッハが見逃さずにいち早くドライタイヤに交換した判断と、ロス・ブラウンの戦略でトップに立ち勝利を収めたことで、その後のシューマッハとブラウンのコンビネーションの強さの礎となったばかりか、F1が純粋な速さだけでなく、戦略的な要素も含めた総合的な強さを必要とすることになる、転機のレースになった。またレース終盤、ロータスのミカ・ハッキネンがマクラーレンのアイルトン・セナと5位争いの最中、ケメルストレートでセナを抑える場面があり、結果ハッキネンはセナに抜かれ6位に終わったが、ハッキネンもこのレースでさらに評価を上げて、世代交代を予感させるレースとなった。ちなみに、このシューマッハの優勝は、現在において、F1におけるマニュアルシフト車最後の優勝記録でもある。
  • 1994年には、アイルトン・セナの事故死などで安全性が見直され、この年に限りオー・ルージュが大きく曲げられるカーブとなった。そして、2回の予選セッションともに雨となったが、ジョーダンのルーベンス・バリチェロが絶妙のタイミングでアタックを敢行し、自身及びチームのF1での初めてのポールポジションを獲得した。レースではベネトンのミハエル・シューマッハがトップでゴールするも、レース終了後にスキッドブロック(レギュレーションでマシン底部に付けることを定められている板)が削れ過ぎているという違反を問われて失格になった為、2位でフィニッシュしていたウィリアムズのデイモン・ヒルが繰上げ優勝となった。
  • 1995年も、前年同様予選は雨となったが、途中から雨がやんだことにより、アタックのタイミングにより大きくタイムに影響する結果となった為、チャンピオン争いをしていたウィリアムズのデイモン・ヒルが8位、ベネトンのミハエル・シューマッハに至っては16位に沈むことになった。レースでも、途中から降り出した雨による大きな順位変動が見られたが、最終的にはシューマッハが逆転優勝を果たすことになる。これはF1史上最多勝を誇るシューマッハの数多くの勝利の中でも、最も後方グリッドからのものである。
  • 1998年には、レーススタート直後に、マクラーレンのデビッド・クルサードとフェラーリのエディ・アーバインの接触から、クルサードのスピンをきっかけに後方の多数のマシンを巻き込む事故が発生した。レースは赤旗再スタートとなるが、再開後のレースでも、チャンピオン争いをしていたマクラーレンのミカ・ハッキネンが1コーナーでフェラーリのミハエル・シューマッハと接触後スピンし、リタイア。その後レースは大雨となり視界不良の中、多くのドライバーがリタイアしていった。そして、トップ走行していたミハエル・シューマッハが、周回遅れのクルサードに後方から追突するアクシデントが発生。ミハエル・シューマッハが豪雨のヘヴィーウェットの中、3輪状態でピットまでスピンせずに戻り、マクラーレンのガレージへ怒鳴り込みの抗議に出向く一幕があった。結局レースは、ジョーダンのデイモン・ヒルが、チームメイトのラルフ・シューマッハを従え、チーム初優勝を1-2フィニッシュで飾ることとなった。
  • 2000年のレースでは、13周目にトップを走っていたマクラーレンのミカ・ハッキネンが、スタブローの濡れた縁石でハーフスピンをした。2位走行していたフェラーリのミハエル・シューマッハがトップに躍り出る。その後、それぞれ1回のタイヤ交換を行い、順位はそのままであった。しかし、ここからハッキネンは、1周平均コンマ5秒もシューマッハより速いペースで追い上げる。徐々に差が縮まっていき、40周目と41周目でのケメル・ストレート・エンドの攻防となった。40周目は、ハッキネンがシューマッハのイン側からオーバーテイクを試みるも、シューマッハがぎりぎりマシン1台分のスペースまでイン側を締めるブロックにて防ぎ、ハッキネンの左フロントウィングとシューマッハの右リアタイヤがわずかに接触する際どいバトルとなったが、シューマッハは紙一重でブロックに成功する。翌41周目は周回遅れのBARリカルド・ゾンタを左のアウト側からシューマッハが追い抜こうとすると、同時にハッキネンはゾンタの右のイン側わずかなスペースに差込み、シューマッハ、ゾンタの2台ともまとめて一挙に追い抜き、再逆転。そのままトップでチェッカーを受けた。この3台が並走するオーバーテイクシーンは、「20世紀最高のオーバーテイク」とも報道され、近年のF1のバトルシーンのうちでも最も見ごたえのあるシーンの1つとなった。なお、ハッキネンがオー・ルージュからラディオンを抜けるときのスピードは、当時として初の300km/hオーバーとなった。
  • 2001年には、レース序盤にジャガーのエディ・アーバインとプロストルチアーノ・ブルティが接触し、ブルティは高速コーナのブランシモンのタイヤバリアに突っ込むという大事故が起こった為、赤旗中断となった。この事故でブルティが大事に至らなかったことは不幸中の幸いであった。レースはフェラーリのミハエル・シューマッハが優勝を果たすが、これはアラン・プロストの記録を破る、F1史上最多となる52勝目であった。
  • 2003年は、タバコ広告規制の問題が影響し、32年ぶりにベルギーGPが開催されなかった。
  • 2年ぶりにカレンダーに復活を果たした2004年のレースでは、フェラーリのミハエル・シューマッハが5年連続7回目のチャンピオンを決定した。これはファン・マヌエル・ファンジオの4年連続を上回る、史上最長期間連続のチャンピオン獲得の記録となった。また、ミシュランタイヤのトラブルにより、B・A・Rのジェンソン・バトンなど数名のドライバーがリタイアとなるが、高速走行中のもので、一歩間違えば大惨事につながりかねないものであった。
  • 2006年、暫定の開催カレンダーには決勝日9月17日の第16戦として掲載されていたが、ベルギーGP主催者側がFIAに開催辞退の申請をし受理され、同年の開幕戦直前(2月8日)に開催中止が発表された。スパ・フランコルシャンサーキットの改修が理由となっているが、財政難による中止がささやかれていた中での発表だった。
  • 2008年はレース終盤の雨の中でキミ・ライコネンルイス・ハミルトンが優勝争いを展開。ライコネンがクラッシュし、ハミルトンがトップチェッカーを受けた。しかし、バトルの際にシケインをショートカットしたことで利益を得たとしてレース後に25秒加算ペナルティを課され、3位に順位が落ちた。
  • 2009年フォース・インディアジャンカルロ・フィジケラがチーム初のポールポジションを獲得。「チーム初入賞が初優勝」という快挙が期待されたが、決勝ではライコネンに競り負け2位となった。
  • 2012年は予選8番手のロータスロマン・グロージャンルイス・ハミルトンに幅寄せし、ハミルトンは右側のタイヤをダートに落とし制御不能になりグロージャンに衝突。止まりきれないグロージャンは前にいたセルジオ・ペレスにぶつかり、ペレスはフェルナンド・アロンソに接触。ハミルトンは小林可夢偉のフロントタイヤに乗り上げたあと、アロンソのリヤに接触しアロンソ、ハミルトン、ペレス、グロージャンがその場でリタイア。可夢偉はノーズにダメージを受けピットインし最後尾まで後退するといった多重クラッシュが発生。グロージャンはこの多重クラッシュを引き起こした責を問われ、1レース出場停止処分と罰金50000ユーロが課せられた[5]。グロージャンが引き起こした多重クラッシュは一歩間違えば死亡事故に発展しかねない程の危険度であった。
  • 2018年は、レーシング・ポイントに買収されて再出発したフォース・インディアが予選で3・4番手の快挙を見せるも、決勝ではスタート直後にニコ・ヒュルケンベルグがブレーキングミスからフェルナンド・アロンソに追突し、アロンソのマシンは大きく宙を舞ってシャルル・ルクレールを巻き込みながら大破し、アロンソとルクレールをリタイアさせたうえ、ヒュルケンベルグ自身と共に3台揃ってリタイア。この際にルクレールのマシンのHalo[注 2]が損傷しながらもルクレール自身は無傷だったことから、今シーズンから義務化されたHaloの効果を実証する形になった(巻き添えを食らった当事者であるアロンソは「証明するまでもなく、Haloが装着されているのはよいことだ」、ニコ・ロズベルグは「Haloに関する議論はこれで終わり」とコメントした)。更にこの一件はキミ・ライコネンダニエル・リカルドにも波及し、両者ともマシンにダメージを受けてリタイアとなり、バルテリ・ボッタスセルゲイ・シロトキンもその多重クラッシュに巻き込まれてボッタスはシロトキンに接触、ボッタスはその責任を問われ5秒加算ペナルティを受ける。この件でヒュルケンベルグに次戦イタリアGPで10グリッド降格ペナルティが科せられた。一方でPU性能に優れるセバスチャン・ベッテルが1周目のケメルストレートでルイス・ハミルトンを抜いたあと、結局最後まで首位を譲らず全周回トップで優勝した。
  • 2019年は、この年フェラーリに移籍したルクレールがポール・トゥ・ウィンでF1初勝利を挙げた。
  • 2021年の決勝レースは断続的な雨の影響により所定の開始時刻より25分遅れでセーフティカー先導でスタートしたが、その直後レース続行不可能と判断されて赤旗が振られ、2時間47分の中断の後にセーフティカー先導により再スタートが切られたものの3周を終えたところで赤旗が振られてそのままレース終了となった。レースは成立したが、規定の周回数の75%を消化していないためハーフポイントレースとなった[6][7]
  • 2023年は、レッドブルが開幕12連勝[注 3]を飾り、1988年にマクラーレンが挙げた開幕11連勝を更新した[8]

過去の結果と開催サーキット

  • ピンク地はF1世界選手権以外で開催された年。
  • グリーン地第二次世界大戦前に行われていた世界マニュファクチャラーズ選手権英語版[注 4]の一戦として開催された年。ラウンドの数字は同選手権のもの。
  • クリーム地は第二次世界大戦前に行われていたヨーロッパ・ドライバーズ選手権の一戦[注 5]として開催された年。ラウンドの数字は同選手権のもの。

F1世界選手権レース開催前 (1925年-1949年)

決勝日ラウンドサーキット勝者コンストラクター結果
1925英語版6月28日2スパ・フランコルシャン アントニオ・アスカリ英語版アルファロメオ詳細英語版
1926
-
1929
開催されず
1930英語版7月20日1 [注 6]スパ・フランコルシャン ルイ・シロンブガッティ詳細英語版
19317月12日3スパ・フランコルシャン ウィリアム・グローバー=ウィリアムズ
カベルト・コネッリ英語版
ブガッティ詳細英語版
1932開催されず
19337月09日非選手権スパ・フランコルシャン タツィオ・ヌヴォラーリマセラティ詳細英語版
19347月29日非選手権スパ・フランコルシャン ルネ・ドレフュス英語版ブガッティ詳細英語版
19357月14日3スパ・フランコルシャン ルドルフ・カラツィオラメルセデス・ベンツ詳細英語版
1936開催されず
19377月11日1スパ・フランコルシャン ルドルフ・ハッセ英語版アウトウニオン詳細英語版
1938開催されず
19396月25日1スパ・フランコルシャン ヘルマン・ラングメルセデス・ベンツ詳細英語版
1940
-
1945
第二次世界大戦の影響により開催されず
19466月16日非選手権[注 7]カンブルの森英語版 ユージェン・シャブー英語版ドライエ詳細英語版
19476月29日非選手権スパ・フランコルシャン ジャン=ピエール・ウィミーユ英語版アルファロメオ詳細英語版
1948開催されず
19496月19日非選手権スパ・フランコルシャン ルイ・ロジェ英語版タルボ・ラーゴ詳細英語版

F1世界選手権レース開催後 (1950年-)

決勝日ラウンドサーキット勝者コンストラクター結果
19506月18日5スパ・フランコルシャン ファン・マヌエル・ファンジオアルファロメオ詳細
19516月17日3スパ・フランコルシャン ジュゼッペ・ファリーナアルファロメオ詳細
19526月22日3スパ・フランコルシャン アルベルト・アスカリフェラーリ詳細
19536月21日4スパ・フランコルシャン アルベルト・アスカリフェラーリ詳細
19546月20日3スパ・フランコルシャン ファン・マヌエル・ファンジオマセラティ詳細
19556月05日4スパ・フランコルシャン ファン・マヌエル・ファンジオメルセデス詳細
19566月03日4スパ・フランコルシャン ピーター・コリンズフェラーリ詳細
1957開催されず
19586月15日5スパ・フランコルシャン トニー・ブルックスヴァンウォール詳細
1959開催されず
19606月19日5スパ・フランコルシャン ジャック・ブラバムクーパー-クライマックス詳細
19616月18日3スパ・フランコルシャン フィル・ヒルフェラーリ詳細
19626月17日3スパ・フランコルシャン ジム・クラークロータス-クライマックス詳細
19636月09日2スパ・フランコルシャン ジム・クラークロータス-クライマックス詳細
19646月14日3スパ・フランコルシャン ジム・クラークロータス-クライマックス詳細
19656月13日3スパ・フランコルシャン ジム・クラークロータス-クライマックス詳細
19666月12日2スパ・フランコルシャン ジョン・サーティースフェラーリ詳細
19676月18日4スパ・フランコルシャン ダン・ガーニーイーグル-ウェスレイク英語版詳細
19686月09日4スパ・フランコルシャン ブルース・マクラーレンマクラーレン-フォード詳細
1969開催されず
19706月07日4スパ・フランコルシャン ペドロ・ロドリゲスBRM詳細
1971開催されず
19726月04日5ニヴェル エマーソン・フィッティパルディロータス-フォード詳細
19735月20日5ゾルダー ジャッキー・スチュワートティレル-フォード詳細
19745月12日5ニヴェル エマーソン・フィッティパルディマクラーレン-フォード詳細
19755月25日6ゾルダー ニキ・ラウダフェラーリ詳細
19765月16日5ゾルダー ニキ・ラウダフェラーリ詳細
19776月05日7ゾルダー グンナー・ニルソンロータス-フォード詳細
19785月21日6ゾルダー マリオ・アンドレッティロータス-フォード詳細
19795月13日6ゾルダー ジョディー・シェクターフェラーリ詳細
19805月04日5ゾルダー ディディエ・ピローニリジェ-フォード詳細
19815月17日5ゾルダー カルロス・ロイテマンウィリアムズ-フォード詳細
19825月09日5ゾルダー ジョン・ワトソンマクラーレン-フォード詳細
19835月22日6スパ・フランコルシャン アラン・プロストルノー詳細
19844月29日3ゾルダー ミケーレ・アルボレートフェラーリ詳細
19859月15日13スパ・フランコルシャン アイルトン・セナロータス-ルノー詳細
19865月25日5スパ・フランコルシャン ナイジェル・マンセルウィリアムズ-ホンダ詳細
19875月17日3スパ・フランコルシャン アラン・プロストマクラーレン-TAG詳細
19888月28日11スパ・フランコルシャン アイルトン・セナマクラーレン-ホンダ詳細
19898月27日11スパ・フランコルシャン アイルトン・セナマクラーレン-ホンダ詳細
19908月26日11スパ・フランコルシャン アイルトン・セナマクラーレン-ホンダ詳細
19918月25日11スパ・フランコルシャン アイルトン・セナマクラーレン-ホンダ詳細
19928月30日12スパ・フランコルシャン ミハエル・シューマッハベネトン-フォード詳細
19938月29日12スパ・フランコルシャン デイモン・ヒルウィリアムズ-ルノー詳細
19948月28日11スパ・フランコルシャン デイモン・ヒルウィリアムズ-ルノー詳細
19958月27日11スパ・フランコルシャン ミハエル・シューマッハベネトン-ルノー詳細
19968月25日13スパ・フランコルシャン ミハエル・シューマッハフェラーリ詳細
19978月24日12スパ・フランコルシャン ミハエル・シューマッハフェラーリ詳細
19988月30日13スパ・フランコルシャン デイモン・ヒルジョーダン-無限ホンダ詳細
19998月29日12スパ・フランコルシャン デビッド・クルサードマクラーレン-メルセデス詳細
20008月27日13スパ・フランコルシャン ミカ・ハッキネンマクラーレン-メルセデス詳細
20019月02日14スパ・フランコルシャン ミハエル・シューマッハフェラーリ詳細
20029月01日14スパ・フランコルシャン ミハエル・シューマッハフェラーリ詳細
2003開催されず
20048月29日14スパ・フランコルシャン キミ・ライコネンマクラーレン-メルセデス詳細
20059月11日16スパ・フランコルシャン キミ・ライコネンマクラーレン-メルセデス詳細
2006開催されず
20079月16日14スパ・フランコルシャン キミ・ライコネンフェラーリ詳細
20089月07日13スパ・フランコルシャン フェリペ・マッサフェラーリ詳細
20098月30日12スパ・フランコルシャン キミ・ライコネンフェラーリ詳細
20108月29日13スパ・フランコルシャン ルイス・ハミルトンマクラーレン-メルセデス詳細
20118月28日12スパ・フランコルシャン セバスチャン・ベッテルレッドブル-ルノー詳細
20129月02日12スパ・フランコルシャン ジェンソン・バトンマクラーレン-メルセデス詳細
20138月25日11スパ・フランコルシャン セバスチャン・ベッテルレッドブル-ルノー詳細
20148月24日12スパ・フランコルシャン ダニエル・リカルド[11]レッドブル-ルノー詳細
20158月23日11スパ・フランコルシャン ルイス・ハミルトンメルセデス詳細
20168月28日13スパ・フランコルシャン ニコ・ロズベルグメルセデス詳細
20178月27日12スパ・フランコルシャン ルイス・ハミルトンメルセデス詳細
20188月26日13スパ・フランコルシャン セバスチャン・ベッテルフェラーリ詳細
20199月01日13スパ・フランコルシャン シャルル・ルクレールフェラーリ詳細
20208月30日7スパ・フランコルシャン ルイス・ハミルトンメルセデス詳細
20218月29日12スパ・フランコルシャン マックス・フェルスタッペン[6]レッドブル-ホンダ詳細
20228月28日14スパ・フランコルシャン マックス・フェルスタッペンレッドブル-RBPT詳細
20237月30日13スパ・フランコルシャン マックス・フェルスタッペンレッドブル-ホンダ・RBPT詳細
20247月28日14スパ・フランコルシャン詳細

開催されたサーキット

ベルギーGPの開催サーキット

優勝回数

ドライバー

ドライバー別通算勝利数では、1992年にスパでF1初優勝をあげたミハエル・シューマッハが6勝。アイルトン・セナが5勝。ジム・クラークキミ・ライコネンルイス・ハミルトンが4勝と続き、ファン・マヌエル・ファンジオデイモン・ヒルセバスチャン・ベッテルマックス・フェルスタッペンが3勝と、F1史上に残るドライバーが名を連ねている。このうち、クラークは1962-1965年、セナは1988-1991年と4年連続で優勝している。ベルギーGPはスパ、ゾルダー、ニヴェルの3か所で開催されたが、複数のサーキットで優勝したドライバーはいない。

(2勝以上)

回数ドライバー優勝年
6 ミハエル・シューマッハ1992, 1995, 1996, 1997, 2001, 2002
5 アイルトン・セナ1985, 1988, 1989, 1990, 1991
4 ジム・クラーク1962, 1963, 1964, 1965
キミ・ライコネン2004, 2005, 2007, 2009
ルイス・ハミルトン2010, 2015, 2017, 2020
3 ファン・マヌエル・ファンジオ1950, 1954, 1955
デイモン・ヒル1993, 19941, 1998
セバスチャン・ベッテル2011, 2013, 2018
マックス・フェルスタッペン2021, 2022, 2023
2 アルベルト・アスカリ1952, 1953
エマーソン・フィッティパルディ1972, 1974
ニキ・ラウダ1975, 1976
アラン・プロスト1983, 1987
  • 太字2024年のF1世界選手権に参戦中のドライバー。
  • ^1 ミハエル・シューマッハの最低車高違反による失格裁定による繰り上げ。

コンストラクター

(2勝以上)

回数コンストラクター優勝年
18 フェラーリ1952, 1953, 1956, 1961, 1966, 1975, 1976, 1979, 1984, 1996,
1997, 2001, 2002, 2007, 2008, 2009, 2018, 2019
14 マクラーレン1968, 1974, 1982, 1987, 1988, 1989, 1990, 1991, 1999, 2000,
2004, 2005, 2010, 2012
8 ロータス1962, 1963, 1964, 1965, 1972, 1977, 1978, 1985
7 メルセデス1935, 1939, 1955, 2015, 2016, 2017, 2020
6 レッドブル2011, 2013, 2014, 2021, 2022, 2023
4 アルファロメオ1925, 1947, 1950, 1951
ウィリアムズ1981, 1986, 1993, 1994
3 ブガッティ1930, 1931, 1934
2 マセラティ1933, 1954
ベネトン *1992, 1995
  • 太字2024年のF1世界選手権に参戦中のコンストラクター。
  • ピンク地はF1世界選手権以外で開催された年。
  • クリーム地は第二次世界大戦前に行われていたヨーロッパ・ドライバーズ選手権[注 5]の一戦として開催された年。
  • グリーン地は第二次世界大戦前に行われていた世界マニュファクチャラーズ選手権[注 4]の一戦として開催された年。
  • * 1986年から1995年はイギリス国籍、1996年から2001年はイタリア国籍。

エンジン

回数メーカー優勝年
18 フェラーリ1952, 1953, 1956, 1961, 1966, 1975, 1976, 1979, 1984, 1996,
1997, 2001, 2002, 2007, 2008, 2009, 2018, 2019
11 メルセデス *1935, 1939, 1955, 1999, 2000, 2004, 2005, 2015, 2016, 2017,
2020
10 フォード **1968, 1972, 1973, 1974, 1977, 1978, 1980, 1981, 1982, 1992
8 ルノー1983, 1985, 1993, 1994, 1995, 2011, 2013, 2014
6 ホンダ ***1986, 1988, 1989, 1990, 1991, 2021
5 クライマックス1960, 1962, 1963, 1964, 1965
4 アルファロメオ1925, 1947, 1950, 1951
3 ブガッティ1930, 1931, 1934
2 マセラティ1933, 1954
RBPT / ホンダ・RBPT ***2022, 2023

冠スポンサー

脚注

注釈

出典

関連項目

外部リンク

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