1988年のF1世界選手権

1988年のFIAフォーミュラ1
世界選手権
前年:1987翌年:1989
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1988年のF1世界選手権(1988ねんのエフワンせかいせんしゅけん)は、FIAフォーミュラ1世界選手権の第39回大会である。ブラジルリオデジャネイロにあるジャカレパグア・サーキットで開幕し、最終戦のオーストラリアアデレード市街地コースまで、全16戦で争われた。

1988年のF1世界選手権

シーズン概要

この年はターボエンジン車最後のシーズンとなった(2014年にハイブリッド技術などを交えたパワーユニット(PU)と言う形で復活する)。ターボエンジンへの規制が更に厳しくなり、最大ブースト圧が前年の4バールから2.5バールへ低減され、燃料使用量も195リッターから150リッターに抑制された(自然吸気車は燃料使用量の制限無し)。シーズン開幕前はマクラーレンとウィリアムズ、フェラーリ、ロータスなどのトップチームによる混戦や自然吸気エンジン搭載車の健闘など予想された。

エントリー台数が30台を上回ったため(31台)、規定に従い予備予選が行われた。予備予選免除対象は26台で、残る5台が予備予選の対象となった。初日の第1回フリー走行が予備予選を兼ね、予備予選対象者のうち、上位4台が予選に進むことができた。

マクラーレン・ホンダの圧勝

アイルトン・セナがドライブするマクラーレンMP4/4・ホンダ

シーズン前の混戦の予想に反し、アイルトン・セナアラン・プロストを擁するマクラーレン・ホンダが、16戦中15勝という圧倒的な強さを見せた(唯一逃したイタリアGPでは、フェラーリゲルハルト・ベルガーが優勝している)。

セナはプロストとの激戦の末に最終戦を待たずに日本GPで初のワールドチャンピオンに輝き(総獲得ポイントはプロストが上回っていたが、当時は有効ポイント制だった)、ホンダの創設者の本田宗一郎に祝福を受けた。

他チーム

フェラーリ

フェラーリF188

フェラーリはベルガーが地元で1勝を挙げたものの、終盤までトップを走っていたセナと周回遅れのウィリアムズ・ジャッドジャン=ルイ・シュレッサーがからんでセナがリタイアしたことにより繰り上がっての勝利であり(プロストはマクラーレンにこの年唯一発生したエンジントラブルでリタイア)、純粋な速さではマクラーレン・ホンダには太刀打ち出来ず、コンストラクターズポイントはマクラーレンの199に対して65に終わった。

ベネトン

ベネトンB188・フォード

ベネトンフォードもマクラーレン・ホンダと伍して戦うことはできなかったが、その信頼性の高さから自然吸気エンジン車の中では最も良い成績を収めた。最上位は3位だったが、3位をブーツェンが5回、ナニーニが2回の計7回記録した。ベルギーGPではブーツェン3位、ナニーニ4位でフィニッシュしたが、2人とも燃料の規定違反で失格となっている。

ロータス

ロータス100T・ホンダ

名門チームのロータスは、マクラーレンと同じホンダエンジンを昨年に続き搭載し高い下馬評を得ていたものの、フランス人デザイナーのジェラール・ドゥカルージュがデザインしたマシンバランスの悪さと低い信頼性、エルフ・オイルとホンダエンジンの相性の悪さから、前年チャンピオンのネルソン・ピケのドライブと中嶋悟のセッティング能力をもってしても、予選決勝を通じて低迷続きであった。

また、シートがレース中に外れるなどの初歩的なトラブルや、予選時にメカニックがマシンセッティングを間違えるなどのミスも目立ち、ピケと中嶋の両者が予選で後方に落ちてしまうケースも頻発した他、中嶋は上記のセッティングミスにより予選落ちすらしてしまうこともあった。

ピケ、中嶋ともにレース中や予選において度々2列目や3列目と言う上位に顔を出し、入賞圏内でフェラーリやベネトン、ウィリアムズなどとバトルを見せたものの、マシンの信頼性が低いことからピケと中嶋の2人で延べ13回のリタイアを喫し、最上位はピケによる3位が3回に終わった。ポイントは23(ピケ22、中嶋1)で、アロウズと同点だった。

アロウズ

アロウズA10B・メガトロン

アロウズは前年のマシンA10の改良型、A10Bを使用した。エンジンも引き続きメガトロン(BMW)の直4を使用し、ドライバーラインアップもワーウィックとチーバーに変更は無かった。最上位はイタリアグランプリの3位1回(チーバー)だったが、安定したドライビングでコンスタントにポイントを獲得したのはワーウィックの方だった。

最終的な順位は4位であったが、実はシーズン最終戦を終えた時点では6位となっていた。しかし、ベルギーGPベネトンの燃料規定違反による失格裁定が確定すると、このレースで7、8位フィニッシュしていたアロウズが繰上げで5、6位となり、この3ポイントがきいて、同点で並んでいたウィリアムズや2点先行していたマーチをかわし、ロータスと並ぶコンストラクターズ4位に躍進することとなった(当時は現在と異なり、ポイント圏外の成績までを考慮した順位ではなかった)。

マーチ

イヴァン・カペリがドライブするマーチ881・ジャッド

バブル景気を受けてレイトンハウスから潤沢な予算を獲得したマーチは、この年よりブラジル人のルーキーであるマウリシオ・グージェルミンを迎えて2台体制での参戦となり、自然吸気のジャッドエンジンのパワーと信頼性には欠けるが空力バランスに優れたマシンにより、たびたび上位に顔を見せるようになった。イヴァン・カペリが、日本GPでの1周のみとはいえ、自然吸気エンジン搭載車で唯一ラップリーダーを記録した。カペリは2回表彰台に乗り、22ポイントを挙げた。マシンデザイナーは後にウィリアムズ、マクラーレンで数々のチャンピオンマシンを手掛けることになるエイドリアン・ニューウェイ

ウィリアムズ

ナイジェル・マンセルがドライブするウィリアムズFW12・ジャッド

ウィリアムズは前年まで搭載していたホンダエンジンを失い、自然吸気のジャッドエンジンを搭載したが、信頼性に欠けた。マンセルは14レースに出走し完走2回、パトレーゼは出走16回のうち完走8回に終わった。所々で光る走りを見せたものの優勝はなく、最上位はマンセルの2位が2回であり、パトレーゼと合わせ20ポイントを獲得するも1978年以来のシーズン未勝利に終わってしまった。

新チーム

オスカー・ララウリがドライブするユーロブルンER188・フォード

この年からリアルユーロブルンダラーラスクーデリア・イタリア)といった新興チームが参戦した。なお新規参戦したチームはいずれもコスワースやジャッドの市販V8自然吸気エンジンを搭載していた。

また、いずれのチームもメインスポンサーなしの低予算で、レースごとにスポットスポンサーを得て戦った上、予備予選から勝ち上がらねばならなかったものの、そのような状況下でリアルはデトロイトGPにおいてアンドレア・デ・チェザリスのドライブで4位入賞を果たした。

開催地及び勝者

ラウンドレース開催日開催地ポールポジションファステストラップ優勝者コンストラクターレポート
1 ブラジルグランプリ4月3日ジャカレパグア アイルトン・セナ ゲルハルト・ベルガー アラン・プロスト マクラーレン-ホンダ詳細
2 サンマリノグランプリ5月1日イモラ アイルトン・セナ アラン・プロスト アイルトン・セナ マクラーレン-ホンダ詳細
3 モナコグランプリ5月15日モナコ アイルトン・セナ アイルトン・セナ アラン・プロスト マクラーレン-ホンダ詳細
4 メキシコグランプリ5月29日メキシコシティ アイルトン・セナ アラン・プロスト アラン・プロスト マクラーレン-ホンダ詳細
5 カナダグランプリ6月12日モントリオール アイルトン・セナ アイルトン・セナ アイルトン・セナ マクラーレン-ホンダ詳細
6 デトロイトグランプリ6月19日デトロイト アイルトン・セナ アラン・プロスト アイルトン・セナ マクラーレン-ホンダ詳細
7 フランスグランプリ7月3日ポール・リカール アラン・プロスト アラン・プロスト アラン・プロスト マクラーレン-ホンダ詳細
8 イギリスグランプリ7月10日シルバーストン ゲルハルト・ベルガー ナイジェル・マンセル アイルトン・セナ マクラーレン-ホンダ詳細
9 ドイツグランプリ7月24日ホッケンハイムリンク アイルトン・セナ アレッサンドロ・ナニーニ アイルトン・セナ マクラーレン-ホンダ詳細
10 ハンガリーグランプリ8月7日ハンガロリンク アイルトン・セナ アラン・プロスト アイルトン・セナ マクラーレン-ホンダ詳細
11 ベルギーグランプリ8月28日スパ・フランコルシャン アイルトン・セナ ゲルハルト・ベルガー アイルトン・セナ マクラーレン-ホンダ詳細
12 イタリアグランプリ9月11日モンツァ アイルトン・セナ ミケーレ・アルボレート ゲルハルト・ベルガー フェラーリ詳細
13 ポルトガルグランプリ9月25日エストリル アラン・プロスト ゲルハルト・ベルガー アラン・プロスト マクラーレン-ホンダ詳細
14 スペイングランプリ10月2日ヘレス アイルトン・セナ アラン・プロスト アラン・プロスト マクラーレン-ホンダ詳細
15 日本グランプリ10月30日鈴鹿 アイルトン・セナ アイルトン・セナ アイルトン・セナ マクラーレン-ホンダ詳細
16 オーストラリアグランプリ11月13日アデレード アイルトン・セナ アラン・プロスト アラン・プロスト マクラーレン-ホンダ詳細

エントリーリスト

エントラントコンストラクタマシンエンジンタイヤドライバー
キャメル・チーム・ロータス・ホンダロータス100TホンダRA168E(V6ターボ)G1. ネルソン・ピケ
2. 中嶋悟
コートールズ・ティレル・レーシング・オーガニゼーションティレル017フォードDFZ(V8)G3. ジョナサン・パーマー
4. ジュリアン・ベイリー
キヤノン・ウィリアムズ・チームウィリアムズFW12ジャッドCV(V8)G5. ナイジェル・マンセル
(5.) マーティン・ブランドル
(5.) ジャン=ルイ・シュレッサー
6. リカルド・パトレーゼ
ウェスト・ザクスピード・レーシングザクスピード881ザクスピード F1[1](直4ターボ)G9. ピエルカルロ・ギンザーニ
10. ベルント・シュナイダー
ホンダ・マールボロ・マクラーレンマクラーレンMP4/4ホンダRA168E(V6ターボ)G11. アラン・プロスト
12. アイルトン・セナ 
オートモビルズ・ゴンファロネーズ・スポルティブAGSJH23フォードDFZ(V8)G14. フィリップ・ストレイフ
レイトンハウス・マーチ・レーシングマーチ881ジャッドCV(V8)G15. マウリシオ・グージェルミン
16. イヴァン・カペリ
USF&G・アロウズ・メガトロンアロウズA10Bメガトロン(BMW) M12/13(直4ターボ)G17. デレック・ワーウィック
18. エディ・チーバー
ベネトン・フォーミュラ LtdベネトンB188フォードDFR(V8)G19. アレッサンドロ・ナニーニ
20. ティエリー・ブーツェン
ステバーニ・オゼッラ・スクアドラ・コルセオゼッラFA1I,FA1Lオゼッラ(アルファロメオ)
890T(V8ターボ)
G21. ニコラ・ラリーニ
リアル・レーシングリアルARC01フォードDFZ(V8)G22. アンドレア・デ・チェザリス
ロイス・ミナルディ・チーム SpAミナルディM188フォードDFZ(V8)G23. エイドリアン・カンポス
(23.) ピエルルイジ・マルティニ
24. ルイス・ペレス=サラ
リジェ・ロトリジェJS31ジャッドCV(V8)G25. ルネ・アルヌー
26. ステファン・ヨハンソン
スクーデリア・フェラーリ SpA SEFACフェラーリF187/88CフェラーリTipo033E(V6ターボ)G27. ミケーレ・アルボレート
28. ゲルハルト・ベルガー
ラルース・カルメルローラLC88フォードDFZ(V8)G29. ヤニック・ダルマス
(29.) 鈴木亜久里
(29.) ピエール=アンリ・ラファネル
30. フィリップ・アリオー
コローニ SpAコローニFC188フォードDFZ(V8)G31. ガブリエル・タルキーニ
AP・ユーロブルン・レーシングユーロブルンER188フォードDFZ(V8)G32. オスカー・ララウリ
33. ステファノ・モデナ
AP・BMS・スクーデリア・イタリアダラーラF3087,BMS188フォードDFV,DFR(V8)G36. アレックス・カフィ

ドライバー変更

  • ウィリアムズのNo.5は第11戦をブランドル、第12戦をシュレッサーがドライブ。
  • ミナルディのNo.23は第6戦以降マルティニがドライブ。
  • ラルースのNo.29は第15戦を鈴木、最終戦をラファネルがドライブ。

1988年のドライバーズランキング

順位ドライバーBRA
SMR
MON
MEX
CAN
DET
FRA
GBR
GER
HUN
BEL
ITA
POR
ESP
JPN
AUS
ポイント[2]
1 アイルトン・セナDSQ1Ret2112111110641290 (94)*
2 アラン・プロスト1211221Ret222Ret112187 (105)*
3 ゲルハルト・ベルガー2523RetRet4934Ret1Ret64Ret41
4 ティエリー・ブーツェン748833RetRet63DSQ6393527
5 ミケーレ・アルボレート51834RetRet3174RetRet25Ret11Ret24
6 ネルソン・ピケ33RetRet4Ret55Ret84RetRet8Ret322
7 イヴァン・カペリRetRet10165DNS9Ret5Ret352RetRet617
8 デレック・ワーウィック49457RetRet67Ret544RetRetRet17
9 ナイジェル・マンセルRetRetRetRetRetRetRet2RetRetRet2RetRet12
10 アレッサンドロ・ナニーニRet6Ret7RetRet6318RetDSQ9Ret35Ret12
11 リカルド・パトレーゼRet136RetRetRetRet8Ret6Ret7Ret5648
12 エディ・チーバー87Ret6RetRet11710Ret63RetRetRetRet6
13 マウリシオ・グージェルミンRet15RetRetRetRet8485Ret8Ret710Ret5
14 ジョナサン・パーマーRet145DNQ65RetRet11Ret12DNQRetRet12Ret5
15 アンドレア・デ・チェザリスRetRetRetRet9410Ret13RetRetRetRetRetRet83
16 中嶋悟68DNQRet11DNQ71097RetRetRetRet7Ret1
17 ピエルルイジ・マルティニ61515DNQRetDNQRetRetRet1371
- ヤニック・ダルマスRet1279DNQ71313199RetRetRet110
- アレックス・カフィDNPQRetRetRetDNPQ8121115Ret8Ret710RetRet0
- マーティン・ブランドル70
- フィリップ・ストレイフRet10Ret12RetRetRetRetRetRet10Ret9Ret8110
- ルイス・ペレス=サラRet11Ret1113RetNCRetDNQ10DNQRet81215Ret0
- ガブリエル・タルキーニRetRetRet148DNPQDNPQDNPQDNPQ13RetDNQ11DNPQDNPQDNQ0
- フィリップ・アリオーRet17RetRet10RetRet14Ret129RetRet149100
- ステファン・ヨハンソン9DNQRet10RetRetDNQDNQDNQRet11DNQRetRetDNQ90
- ジュリアン・ベイリーDNQRetDNQDNQRet9DNQ16DNQDNQDNQ12DNQDNQ14DNQ0
- ニコラ・ラリーニDNQDSQ9DNQDNQRetRet19RetDNPQRetRet12RetRetDNPQ0
- ルネ・アルヌーRetDNQRetRetRetRetDNQ1817RetRet1310Ret17Ret0
- ステファノ・モデナRetNCDSQDSQ12Ret1412Ret11DNQDNQDNQ13DNQRet0
- ジャン=ルイ・シュレッサー110
- ベルント・シュナイダーDNQDNQDNQRetDNQDNQRetDNQ12DNQ13RetDNQDNQRetDNQ0
- オスカー・ララウリRetDNQRet13RetRetRetDNQ16DNQDNPQDNPQDNPQDNQDNQRet0
- ピエルカルロ・ギンザーニDNQRetRet1514DNQDSQDNQ14DNQRetRetDNQDNQDNQRet0
- エイドリアン・カンポスRet16DNQDNQDNQ0
- 鈴木亜久里160
- ピエール=アンリ・ラファネルDNQ0
順位ドライバーBRA
SMR
MON
MEX
CAN
DET
FRA
GBR
GER
HUN
BEL
ITA
POR
ESP
JPN
AUS
ポイント
結果
金色勝者
銀色2位
銅色3位
ポイント獲得
完走
完走扱い(全周回数の90%以上走行)
規定周回数不足(NC)
リタイア(Ret)
予選不通過(DNQ)
予備予選不通過(DNPQ)
失格(DSQ)
スタートせず(DNS)
レース中止(C)
水色プラクティスのみ(PO)
金曜日テストドライバー(TD)
2003年以降
空欄プラクティス出走せず(DNP)
除外 (EX)
到着せず (DNA)
欠場 (WD)
  • ドライバーズポイントは1位から順に6位まで 9-6-4-3-2-1 が与えられた[3]
  • ベスト11戦がポイントランキングに数えられた[4]。 プロストは105ポイントを獲得したが、ランキングでは87ポイントのみが有効とされた。セナの獲得ポイントは94であったが、優勝回数の差で有効ポイントは90となった。結果として総獲得ポイントが劣るセナがタイトルを獲得した。

1988年のコンストラクターズランキング

順位コンストラクター車番BRA
SMR
MON
MEX
CAN
DET
FRA
GBR
GER
HUN
BEL
ITA
POR
ESP
JPN
AUS
ポイント
1 マクラーレン-ホンダ111211221Ret222Ret1121199
12DSQ1Ret21121111106412
2 フェラーリ2751834RetRet3174RetRet25Ret11Ret65
282523RetRet4934Ret1Ret64Ret
3 ベネトン-フォード19Ret6Ret7RetRet6318RetDSQ9Ret35Ret39
20748833RetRet63DSQ63935
4 ロータス-ホンダ133RetRet4Ret55Ret84RetRet8Ret323
268DNQRet11DNQ71097RetRetRetRet7Ret
5 アロウズ-メガトロン1749457RetRet67Ret544RetRetRet23
1887Ret6RetRet11710Ret63RetRetRetRet
6 マーチ-ジャッド15Ret15RetRetRetRet8485Ret8Ret710Ret22
16RetRet10165DNS9Ret5Ret352RetRet6
7 ウィリアムズ-ジャッド5RetRetRetRetRetRetRet2RetRet711Ret2RetRet20
6Ret136RetRetRetRet8Ret6Ret7Ret564
8 ティレル-フォード3Ret145DNQ65RetRet11Ret12DNQRetRet12Ret5
4DNQRetDNQDNQRet9DNQ16DNQDNQDNQ12DNQDNQ14DNQ
9 リアル-フォード22RetRetRetRet9410Ret13RetRetRetRetRetRet83
10 ミナルディ-フォード23Ret16DNQDNQDNQ61515DNQRetDNQRetRetRet1371
24Ret11Ret1113RetNCRetDNQ10DNQRet81215Ret
- ローラ-フォード29Ret1279DNQ71313199RetRetRet1116DNQ0
30Ret17RetRet10RetRet14Ret129RetRet14910
- ダラーラ-フォード36DNPQRetRetRetDNPQ8121115Ret8Ret710RetRet0
- AGS-フォード14Ret10Ret12RetRetRetRetRetRet10Ret9Ret8110
- コローニ-フォード31RetRetRet148DNPQDNPQDNPQDNPQ13RetDNQ11DNPQDNPQDNQ0
- リジェ-ジャッド25RetDNQRetRetRetRetDNQ1817RetRet1310Ret17Ret0
269DNQRet10RetRetDNQDNQDNQRet11DNQRetRetDNQ9
- オゼッラ-アルファロメオ21DNQDSQ9DNQDNQRetRet19RetDNPQRetRet12RetRetDNPQ0
- ユーロブルン-フォード32RetDNQRet13RetRetRetDNQ16DNQDNPQDNPQDNPQDNQDNQRet0
33RetNCDSQDSQ12Ret1412Ret11DNQDNQDNQ13DNQRet
- ザクスピード9DNQRetRet1514DNQDSQDNQ14DNQRetRetDNQDNQDNQRet0
10DNQDNQDNQRetDNQDNQRetDNQ12DNQ13RetDNQDNQRetDNQ
順位コンストラクター車番BRA
SMR
MON
MEX
CAN
DET
FRA
GBR
GER
HUN
BEL
ITA
POR
ESP
JPN
AUS
ポイント

コンストラクターズポイントは1位から順に6位まで 9-6-4-3-2-1 が与えられた。

シーズン詳細

開幕戦ブラジルGP
予選では地元のセナが、マクラーレン移籍初戦でPPを獲得、2位グリッドにはノンターボながらマンセルが入った。決勝でセナは、マンセルをオーバーヒートさせようと、故意にフォーメーション・ラップを極端にスローペースで行うが[5]、自分のマシンにシフトトラブルが発生。結果として、同様にトラブルの起きたカペリと共にピットスタートとなったセナは、25位から猛攻し2位まで追い上げたが、32周目に黒旗を提示され失格となった。その理由はメカニックが「グリーンランプ点灯後にマシンを乗り換えてはならない」という規定を忘れ、再スタート前にTカーに乗り換えさせてしまっていたことによるものだったが、本来ならその時点で失格処分を下すべきだったにもかかわらず、30周以上も走行させた末に黒旗を提示したことは物議を醸した(地元のセナを、極力長く走らせたかったとの解釈もある)。
レースは、プロストが予選3位からトップを奪い、そのまま優勝。2位にはフェラーリのベルガー、3位にはロータスに移籍したばかりのピケが入った。
第2戦サンマリノGP
ロータスのピケが同じホンダエンジンを搭載するマクラーレンに予選で3秒も差を付けられたが、1988年シーズンのロータス不調の原因の1つはエルフのガソリンに不純物が混じっていたことが後に判明する。レースはセナがマクラーレン移籍後初の優勝を飾る。
第3戦モナコGP
レース終盤、セナはプロストに対して50秒もリードしていたが、セナはペースを落とす事なく周回を続けた。マクラーレン・ホンダの監督ロン・デニスがペースを落とす様に無線でセナに呼びかけたが、疲れで集中力を失ったセナが残り12週でポルティエコーナーでクラッシュしてリタイアした。レースはプロストが優勝した。
第4戦メキシコGP
ローラのアリオーが予選最終セッションの最終コーナーでコントロールを失ってピットウォールに240km/hで激突。幸いにも怪我はなかった。高地でのレースのため、ターボ勢が圧倒的有利な状況で進み、予選の上位3グリッドはマクラーレン、フェラーリ、ロータスのターボ6台が占めた。決勝ではロータス2台がリタイアしたが、上位6台はマクラーレン、フェラーリ、アロウズのターボ勢であった。
第5戦カナダGP
1987年はスポンサーの対立で開催されなかった為2年ぶりの開催となったが、前回の開催時からピットの位置が変更に大きく変更された。
レースはマクラーレンの2台が初めての直接対決となり、セナが優勝した。
第6戦デトロイトGP
セナが開幕7連続ポールポジションを達成したが、ベルガーが予選2位になった。レースはセナが優勝。デトロイト市街地コースのピットがFIAが求める最低要件を満たさなくなった為、本レースがF1としての最後のデトロイトGPになった(1989年以降はアリゾナ州フェニックスの市街地コースに開催地を変更)。
第7戦フランスGP
プロストが予選1位になった為、セナの開幕8連続ポールポジションの記録は達成出来なかった。序盤レースをリードしたセナにシフトトラブルが発生したため後退。2度目の直接対決を制しプロストが優勝した。
第8戦イギリスGP
ベルガーがポールポジションを獲得(フロントローもフェラーリが独占)し、マクラーレンがフロントローにいない唯一のレースとなった。ウィリアムズは金曜の予選後にFW12のアクティブサスペンションを止め、コンベンショナルサスペンションに戻したことでマシンバランスが大幅に改善し、マンセルが7連続リタイア後の今シーズン初完走で2位となった。プロストはエンジンのミスファイアとハンドリング不調でで9位に沈んだあと24周目にリタイアしたが、フランスのメディアは前週のフランスGPの勝利を棚に上げて「臆病者」と非難した。
第9戦西ドイツGP
雨天のレースにピケがノーマルタイヤで出走し、オープニングラップの第2シケインでクラッシュしてリタイアした。8周目にもアリオーが同じくスリックタイヤに交換して、ピケと同じシケインでタイヤバリアにぶつかった。レースではナニーニがF1で初めてファステストラップを獲得したが、セナが優勝した。
第10戦ハンガリーGP
セナが通算24回目のポールポジションでジムクラーク、ファンジオに次いで歴代3位に。水疱瘡にもかかわらず出場したマンセルがブラジル以来のフロントロー獲得。
レースではスタートに失敗して一時9位に沈んだプロストが追い上げ、49周目のストレートでセナをかわしたが第1コーナーでアウトに膨らんでセナに抜き返され、セナが優勝した。
第11戦ベルギーGP
マンセルが水疱瘡で本戦と次戦イタリアGPを欠場し、代わりにマーティンブランドルがスポット参戦した。ベネトンの2台は3位と4位でフィニッシュしたが、シーズン終了後に発覚した燃料の不正で失格となったため、カペリが繰り上げで3位となり初めての表彰台となった。
プロストは、これまでにセナにレース用のセッティングを真似される事が続いたため、裏をかいてレース直前にウィングを寝かせる設定に変更した。ストレートでの速度アップを狙ったが、これが裏目出てセナに30秒以上のリードを許し、セナが優勝。マクラーレンのコンストラクターズチャンピオンが決定。
第12戦イタリアGP
レース終盤、トップを走行していたセナが、バリアンテ・レティフィーロ(第1シケイン)でジャン=ルイ・シュレッサーが乗るウイリアムズと接触してリタイアした。プロストもエンジントラブルでリタイアした為、マクラーレン・ホンダの16戦全戦優勝が消えた。レースはフェラーリのベルガーとアルボレートが1-2フィニッシュを飾り、8月に亡くなったフェラーリの創始者エンツォ・フェラーリに地元イタリアGPの優勝を捧げた。
第13戦ポルトガルGP
スタート直後にホームストレート上で多重クラッシュが発生し、レースは赤旗により中断した。再スタート時にはプロストがセナに対して幅寄せ(低速)を行い、2周目ホームストレート上ではセナがプロストに対して報復の幅寄せ(高速)を行った。これは1989年にセナのドライバーズライセンスの発行が停止された際、セナが危険なドライバーである事を示す事例の一つとされた。
第14戦スペインGP
セナが優勝すればチャンピオン決定という状況で、セナの車両のみ燃費がマイナスを示し続けたためペースダウンを余儀なくされ4位に終わった。プロストが優勝したため、セナのチャンピオン決定は次戦日本GPに持ち越された。セナがチャンピオン争いをリードする中、ホンダがプロストに与えるエンジンを差別しているという事実無根の噂[6]があり、ホンダはセナとプロストがイコールコンディションでチャンピオン争いが出来る様に細心の注意を払っていた。この為、ホンダは二人のドライビングスタイルの差が原因であると考えていたが、セナは後日フジテレビのインタビュー[7]で「燃費の差は少なくともドライビングスタイルの違いではない」と語っている。
第15戦日本GP
1988年日本グランプリを参照
第16戦オーストラリアGP
ベルガーはターボ最後のレースで記録に残ろうと燃費を無視した走りを続け、一時トップに立ったがリタイア。ホンダの1-2-3フィニッシュでターボ最後のレースを飾った。

トピック

  • 昨年まで参戦していた名門チームのブラバムが、BMWからのエンジンの提供を受けられなかったことからこの年のみ参戦を休止した。なお翌シーズンは復帰している。
  • この年デビューした有力選手はマウリシオ・グージェルミン
  • 日本グランプリで鈴木亜久里がラルース・ローラからスポット参戦を行った。
  • 1985年シーズンからウィリアムズのスポンサーを行っていたキヤノンや、前年からマーチのスポンサーを始めた上記のレイトンハウスに加え、この年からロータスのスポンサーとなったセイコーエプソンなど、日本におけるF1ブームの始まりを受け多くの日本企業がスポンサーとなり始めた。また日本GPでは多くの弱小チームがスポットスポンサーを得た。

脚注

外部リンク