ベルナルト・ハイティンク

オランダの指揮者、ヴァイオリニスト (1929-2021)

ベルナルト・ヨハン・ヘルマン・ハイティンク(Bernard Johan Herman Haitink, 1929年3月4日 - 2021年10月21日[1])は、オランダ指揮者

ベルナルト・ハイティンク
Bernard Haitink
ベルナルト・ハイティンク
基本情報
出生名Bernard Johan Herman Haitink
生誕 (1929-03-04) 1929年3月4日
出身地オランダの旗 オランダアムステルダム
死没 (2021-10-21) 2021年10月21日(92歳没)
イギリスの旗 イギリスロンドン
ジャンルクラシック音楽
職業指揮者
ヴァイオリニスト
担当楽器ヴァイオリン

人物・来歴

アムステルダム出身で、同地の音楽学校に学ぶ。1954年から1955年までフェルディナント・ライトナーに指揮を師事するまでは、地元のオーケストラヴァイオリンを弾いていた。1955年にオランダ放送フィルハーモニー管弦楽団の次席指揮者(1957年より首席指揮者)に就任。1961年から1988年までアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の、1967年から1979年までロンドン・フィルハーモニー管弦楽団のそれぞれ首席指揮者に就任。1978年から1988年までグラインドボーン音楽祭の、1987年から2002年までロイヤル・オペラ・ハウスの音楽監督を務める。1991年エラスムス賞を受賞。1995年からボストン交響楽団の首席客演指揮者となり、2004年に名誉指揮者となっている。

2002年ドレスデン国立管弦楽団の首席指揮者に就任したが、これは音楽監督就任を要請されたものを辞退した結果であり、同時に次期音楽監督の選任への協力を託された。しかし2004年、楽団とザクセン州は、彼に相談なしにファビオ・ルイージ2007年からの次期音楽監督(ドレスデン国立歌劇場の同ポストと兼務)に指名。ハイティンクはこの事に対し、「オペラはともかく、オーケストラレパートリーの経験が少な過ぎる」として反対したが、聞き容れられなかったため、同年5月に辞任を発表、11月ロンドンでの演奏会を最後に辞任した[2]。以後は同楽団には客演していない。2004年5月には、同楽団と最初で最後の来日をした。2006年からシカゴ交響楽団の首席指揮者に就任。2009年2月にはシカゴ交響楽団とともに再来日を果たしている。

日本には、1962年のコンセルトヘボウ(オイゲン・ヨッフムが同行)との来日を皮切りに、1968年に再度コンセルトヘボウ(ヨッフムも同行)、1969年はロンドンフィル(ジョン・プリッチャードが同行)、1974年はコンセルトヘボウと初の単独来日、1977年はコンセルトヘボウと首席指揮者在任中最後の来日、1992年はロイヤルオペラ(テイトが同行)と初のオペラ公演、1997年ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団2003年PMFとスーパーワールドオーケストラ(チョン・キョンファと共演)、2004年はドレスデン国立管弦楽団、2009年はシカゴ交響楽団、2013年はロンドン交響楽団(共演はマリア・ジョアン・ピレシュ)、2015年にもロンドン交響楽団(共演はマレイ・ペライア)と来日。

2019年6月12日、2019年9月6日のルツェルン音楽祭でのウィーン・フィルとの共演を最後に引退すると発表した[3]

2021年10月21日、ロンドンの自宅で死去。92歳没[4]

音楽

レパートリーは幅広く、ベートーヴェンシューマンブラームスブルックナーチャイコフスキーエルガーマーラーショスタコーヴィチヴォーン・ウィリアムズ交響曲全集を完成させている(ベートーヴェンについては、ロンドン・フィル、コンセルトヘボウ、ロンドン交響楽団のそれぞれで1度ずつ完成させている)。

脚注

注釈・出典

関連項目

先代
ダニエル・バレンボイム
(音楽監督)
シカゴ交響楽団
首席指揮者
2006年 -
次代
リッカルド・ムーティ
(音楽監督、2010年 - )