ミッキー・ロリッチ

アメリカの野球選手 (1940 - )

マイケル・スティーブン・ロリッチMichael Stephen Lolich, 1940年9月12日 - )は、MLBの元プロ野球選手。ポジションは投手アメリカ合衆国オレゴン州ポートランド出身。

ミッキー・ロリッチ
Mickey Lolich
基本情報
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地オレゴン州ポートランド
生年月日 (1940-09-12) 1940年9月12日(83歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席左投両打
ポジション投手
プロ入り1958年
初出場1963年5月12日
最終出場1979年9月23日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

NPB南海ホークス近鉄バファローズでもプレイしたロン・ロリッチは従兄弟にあたる。

経歴

デトロイト・タイガース

1958年6月30日にデトロイト・タイガースと契約。1963年5月12日のクリーブランド・インディアンス戦でメジャーデビュー[1]。同年は5勝9敗、防御率3.55を記録。1964年は4月24日のミネソタ・ツインズ戦でメジャー初完封[2]8月18日ロサンゼルス・エンゼルス戦では2回以降無安打に抑えて3安打完封[3]、9月1日のシカゴ・ホワイトソックス戦では7回一死まで無安打に抑えて完封し[4]、そこから3試合連続完封を記録[2]するなど18勝9敗、防御率3.26、192奪三振、6完封の好成績を挙げる。

1965年は初の開幕投手を務め、15勝9敗、226奪三振を記録。

1966年は14勝を記録するが14敗を喫し、防御率4.77と不本意な成績に終わる。1967年は5月23日から10連敗を喫するが、9月22日からの3試合連続完封記録するなど8月・9月で9勝1敗、防御率1.31、5完封[5]と調子を上げ、チームの優勝争いの原動力となるが、ボストン・レッドソックスに1ゲーム差で敗れた。

1968年は8月・9月で10勝を挙げて17勝9敗、防御率3.19を記録し、チームのリーグ優勝に貢献。セントルイス・カージナルスとのワールドシリーズでは第2戦に先発して1失点完投勝利を挙げ、3回にレギュラーシーズンでも打ったことのない本塁打を放った[6]。第5戦では初回に3点を先行されるがその後立ち直って完投勝利。3勝3敗のタイで迎えた最終第7戦ではボブ・ギブソンと投げ合い、2度の牽制アウトでピンチを凌ぐなど[7]5安打1失点で完投し、チームは23年ぶりのワールドチャンピオンに輝いた。3勝・防御率1.67の活躍でシリーズMVPを受賞。「まさかギブソンに勝てるとは思わなかった」と語った[6]

1969年は5月7日から9連勝。5月23日のエンゼルス戦、6月9日のシアトル・パイロッツ戦でキャリアハイの16奪三振を記録する[8]など前半戦で13勝2敗、防御率2.70、151奪三振[9]の好成績で、自身初のオールスターゲームに選出される。後半戦は6勝に留まるが、キャリアワーストの122四球ながら19勝11敗、防御率3.14、サム・マクダウェルに次ぐリーグ2位の271奪三振を記録した。1970年は14勝、230奪三振の一方でリーグ最多の19敗を喫した。

1971年は前半戦で14勝を記録し、2年ぶりにオールスターゲームに選出され、8回から登板してロベルト・クレメンテに本塁打を浴びるもののセーブを記録した[10]。いずれもリーグ最多の25勝、308奪三振、29完投、376.0イニング、336被安打、45先発の成績で、最多勝利最多奪三振の二冠を獲得。しかしサイ・ヤング賞の投票ではヴァイダ・ブルーに次ぐ2位に終わった[11]1972年は前半戦17勝6敗、防御率2.39を記録し[12]、2年連続でオールスターゲームに選出される。後半戦は5勝に留まるが、22勝14敗、防御率2.50、250奪三振の成績でチームの地区優勝に貢献。オークランド・アスレチックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦に先発するが敗戦投手。第4戦では9回を1失点に抑えるも勝敗は付かず[13]、チームは2勝3敗で敗退した。サイ・ヤング賞の投票ではゲイロード・ペリーウィルバー・ウッドに次ぐ3位[14]

1973年は16勝15敗の成績。1974年は開幕から4連敗。その後は連勝と連敗を繰り返し[15]、リーグワーストの21敗、142自責点、38被本塁打と不本意だった。

1975年は後半戦で2勝12敗[16]と不振で12勝18敗に終わり、連続200奪三振も6年で途切れた。12月12日にラスティ・スタウブ他1選手との交換トレードで、ニューヨーク・メッツに移籍。

以後

1976年は好投しながら援護がなく、防御率3.22ながら8勝13敗に留まる。1977年は登板がなくオフにフリーエージェントとなり、1978年2月2日にサンディエゴ・パドレスと契約。

同年はリリーフとして登板し、防御率1.56を記録。1979年は0勝2敗に終わって10月3日に解雇され、現役引退。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1963DET331840-590--.357620144.11451356151038264573.551.39
19644433126-1892--.667949232.01962664051927088843.261.12
1965433773-1593--.6251015243.2216237221222671103923.441.18
1966403351-14142--.500894203.22042483861731111191084.771.41
19673130116-14130--.519820204.01651456271743071693.041.08
1968393284-1791--.654905220.017823654111973084783.191.11
19693736151-19111--.6331172280.2214221221014271141111983.141.20
19704039133-14190--.4241181272.227227109352301401251153.801.40
19714545294-25140--.6411538376.0336369227308701331222.921.14
19724141234-22140--.6111321327.1282297451125060100912.501.09
19734242173-16150--.5161286308.03153579752141201431313.821.28
19744141273-16210--.4321263308.031038781132021001551424.151.26
19753232191-12180--.4001016240.2260196450139701191113.781.35
1976NYM313052-8130--.381797192.218414521012011283693.221.23
1978SD20200-211--.66714034.230011311321661.561.19
197927500-020--.00022349.15942230202033264.741.64
MLB:16年58649619541-21719110--.532151403638.133663471099679228321248153713903.441.23
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



投手(P)












1963DET3342231.897
19644472830.921
196543112752.884
19664042131.893
196731102231.914
19683952630.912
19693754141.920
19704094621.965
19714594012.980
19724143222.947
197342114013.981
19744192921.950
197532232001.000
1976NYM3192761.857
1978SD2016001.000
19792709001.000
MLB5861004483816.935

タイトル

表彰

記録

背番号

  • 29(1963年 - 1976年、1978年 - 1979年)

脚注

外部リンク

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