ロシア臨時政府

二月革命後のロシアで成立した暫定政権
ロシア共和国
Временное правительство России (ロシア語)
Vremennoye pravitel'stvo Rossii (ラテン文字化
ロシア帝国1917年
3月16日 - 11月8日
ロシアの国旗ロシアの国章
国旗国章
国歌: Рабочая Марсельеза(ロシア語)
労働者のラ・マルセイエーズ

Гимн Свободной России(ロシア語)
自由ロシアの讃歌
ロシアの位置
ロシア臨時政府の領土(1917年)
公用語ロシア語
首都ペトログラード
首相
1917年3月23日 - 7月21日ゲオルギー・リヴォフ
1917年7月21日 - 11月8日アレクサンドル・ケレンスキー
変遷
成立1917年3月16日
崩壊1917年11月8日
通貨ロシア・ルーブル
先代次代
ロシア帝国 ロシア帝国ソビエト社会主義ロシア共和国 ソビエト社会主義ロシア共和国
エストニア共和国 エストニア共和国
フィンランド王国 フィンランド王国
ポーランド王国 ポーランド王国
モルダヴィア民主共和国 モルダヴィア民主共和国
リトアニア王国 リトアニア王国
ラトビア共和国 ラトビア共和国

(ロシアりんじせいふ、: Временное правительство России[1])は、1917年二月革命後にロシアで成立した臨時政府である。

ロシアの歴史

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ヴォルガ・ブルガール (7c–13c)
ハザール (7c–10c)
キエフ大公国 (9c–12c)
ウラジーミル・スーズダリ大公国 (12c–14c)
ノヴゴロド公国 (12c–15c)
タタールの軛 (13c–15c)
モスクワ大公国 (1340–1547)
ロシア・ツァーリ国 (1547–1721)
ロシア帝国 (1721–1917)
ロシア臨時政府 / ロシア共和国 (1917)
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 / ソビエト社会主義共和国連邦 (1917–1991)
ロシア連邦 (1991–現在)

ロシア ポータル

沿革

ロシア臨時政府による会議

1917年3月に勃発したロシア革命二月革命)により、ロシア皇帝ニコライ2世は退位し、ロシア帝国は打倒され、代わって新政府が樹立された[2]。こうして成立したロシア臨時政府は主に自由主義者の閣僚から成り、将来的に民主的な選挙で選ばれた代表者による全ロシア憲法制定議会英語版を開催することを意図していた[3]

臨時政府下では、ペトログラード労兵ソビエトが軍の指揮権を掌握していた[4]。そして、第一次世界大戦の継続を目指す第一次臨時政府と、講和を求めるソビエトのあいだで対立が生じ、第一次臨時政府は崩壊した[4]

同年5月5日、自由主義者に加えて、社会革命党(エスエル)とメンシェヴィキを中心とする社会主義者たちが参加する第一次連立政府が成立した[5]。この政府もウクライナ自治問題をめぐって立憲民主党(カデット)の閣僚が辞任して崩壊し、社会主義者であるケレンスキーを首班とする第二次連立政府が成立した[6]。一時的にソビエトの力は弱まったものの、「コルニーロフ反乱ロシア語版英語版」が起きた際には、ケレンスキーはソビエトを頼らざるを得なかった[6]。同年9月1日(グレゴリオ暦9月14日)には国号ロシア共和国(en)(Российская республика)とすることを発表したが、元老院はこれを拒否し、法令としての告示は行われなかった[7]

1917年10月25日(グレゴリオ暦11月7日)の十月革命により、ボリシェビキの主導するソビエトによって臨時政府は解体された[8]。脱出・逃亡したアレクサンドル・ケレンスキーを除く第三次臨時政府の閣僚たちのほとんどは逮捕・監禁されたが、その後国外追放され、もしくは脱獄・亡命した[注釈 1]。リヴォフ以下その他の閣僚経験者も大多数が亡命した。

閣僚

第一次臨時政府

出典:[9]

職名氏名所属備考
首相
内務相
ゲオルギー・リヴォフ無所属
外務相 パーヴェル・ミリュコーフカデット
陸海軍相 アレクサンドル・グチコフオクチャブリスト
運輸相 ニコライ・ネクラーソフカデット
商工相 アレクサンドル・コノヴァーロフ英語版進歩党英語版
財務相 ミハイル・テレシチェンコ無所属
教育相 アレクサンドル・マヌイロフ英語版カデット
農務相 アンドレイ・シンガリョフ英語版カデット
司法相 アレクサンドル・ケレンスキートルドヴィキ
宗務院 ウラジーミル・リヴォフロシア語版中央派
会計監査院長 イワン・ゴドネフロシア語版オクチャブリスト
フィンランド担当相 フョードル・ロジチェフロシア語版カデット

第一次連立政府

四月危機後の臨時政府の閣僚は以下の通り:

出典:[10]

職名氏名所属備考
首相
内務相
ゲオルギー・リヴォフ無所属留任
外務相 ミハイル・テレシチェンコ無所属蔵相から転任
陸海軍相 アレクサンドル・ケレンスキー社会革命党司法相から転任
交通相 ニコライ・ネクラーソフカデット留任
商工相 アレクサンドル・コノヴァーロフ英語版進歩党英語版留任
財務相 アンドレイ・シンガリョフ英語版カデット農務相から転任
教育相 アレクサンドル・マヌイロフ英語版カデット留任
農務相 ヴィクトル・チェルノフ社会革命党
司法相 パーヴェル・ペレヴェルゼフトルドヴィキ
郵政相 イラクリー・ツェレテリメンシェビキ
労働相 マトヴェイ・スコベレフ英語版メンシェビキ
食糧相 アレクセイ・ペシェホーノフ英語版人民社会党英語版
国家後見相 ドミトリー・シャホフスコーイロシア語版カデット
宗務院 ウラジーミル・リヴォフロシア語版中央派留任
会計監査院長 イワン・ゴドネフロシア語版オクチャブリスト留任

第二次連立政府

ケレンスキーの実権掌握後の閣僚は以下の通り:

出典:[2]

職名氏名所属備考
首相
陸海軍相
アレクサンドル・ケレンスキー社会革命党
副首相
財務相
ニコライ・ネクラーソフカデット交通相から転任
内務相 ニコライ・アフクセンチェフメンシェビキ
外務相 ミハイル・テレシチェンコ無所属留任
運輸相 ピョートル・ユーレネフカデット
商工相 セルゲイ・プロコヴィチ無所属
教育相 セルゲイ・オルデンブルクカデット
農務相 ヴィクトル・チェルノフ社会革命党留任
司法相 アレクサンドル・ザルドーヌイ人民社会党英語版
郵政相 アレクセイ・ニキーチンメンシェビキ
労働相 マトヴェイ・スコベレフ英語版メンシェビキ留任
食糧相 アレクセイ・ペシェホーノフ英語版人民社会党留任
国家後見相 イワン・ニコラエヴィッチ・エフレーモフロシア語版進歩党
宗務院 アントン・カルタシェフメンシェビキ
会計監査院長 フョードル・ココシキンカデット

第三次連立政府

第三次臨時政府の閣僚は以下の通り:

出典:[2]

職名氏名所属備考
首相 アレクサンドル・ケレンスキー社会革命党
副首相
商工相
アレクサンドル・コノヴァロフカデット
内務相
郵政相
アレクセイ・ニキーチンメンシェビキ
外務相 ミハイル・テレシチェンコ無所属留任
財務相 ミハイル・ベルナツキーカデット
運輸相 アレクサンドル・リヴェロフスキー無所属
陸軍相 アレクサンドル・ヴェルホフスキー
海軍相 ドミトリー・ヴェルジェレフスキー
教育相 セルゲイ・サラズキン無所属
農務相 セメイ・マスロフ[要出典]社会革命党
司法相 パーヴェル・マリャントヴィチメンシェビキ
労働相 クズマ・グヴォージェフメンシェビキ
食糧相 セルゲイ・プロコポーヴィチ無所属
国家後見相 ニコライ・キシュキンカデット
宗務院 アントン・カルタシェフカデット留任
会計監査院長 セルゲイ・スミルノフカデット
経済評議会議長 セルゲイ・トルチャコフ進歩党

脚注

注釈

出典

参考文献

関連文献

関連項目

外部リンク

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