三朝温泉

日本の鳥取県東伯郡三朝町にある温泉。

東経133度53分35.1秒 / 北緯35.410750度 東経133.893083度 / 35.410750; 133.893083

三朝温泉(みささ おんせん)は、鳥取県東伯郡三朝町にある温泉日本百景

三朝温泉
河原風呂と三徳川
温泉情報
所在地鳥取県東伯郡三朝町
交通鉄道:JR山陰本線倉吉駅より、日ノ丸バスで20 - 25分
飛行機:鳥取空港より、空港リムジンバス(日ノ丸バス)で約1時間
泉質塩化物泉単純温泉放射能泉
宿泊施設数24[1]
年間浴客数356,591[2]
統計年2017年
外部リンク三朝温泉観光協会/三朝温泉旅館協同組合
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三朝温泉の位置
三朝温泉の位置
三朝温泉の位置
三朝温泉の位置

2017年現在、年間入湯客数は鳥取県内では皆生温泉に次ぐ2位[2]。別名はとっとり梨の花温泉郷とも呼ばれる[1]

泉質

  • 含放射能/ナトリウム・塩化物泉
  • 含放射能/単純泉

三徳川によって南北に三朝群(三朝区)と山田群(山田区)の二つの温泉群に分けられる[3][4]。日本最大規模のラドン温泉地域で、泉温摂氏34度以上のラドン温泉は世界的にも希少な放射能泉である[4]

三朝には温泉療法を実施する医療機関が複数あり、温泉は泉質に応じて温泉プール療法、飲泉療法、鉱泥療法など様々な治療に用いられている[5][6]

温泉街

三徳川の両岸に旅館が立ち並ぶ[4]。また、三朝大橋のたもとに河原風呂(川原の温泉:24時間(奇数日午前中は清掃)・無料)がある[7]石畳が敷かれた温泉本通りには、こぢんまりした旅館や飲食店、古美術店、スナック、土産物屋、射的場等が並んでおり、情緒ある温泉街が形成されている。三朝温泉最古の源泉とされる「株湯」は温泉街から少し離れた静かな住宅街の中にあり、地元住民の利用が多い[4]

本格的な療養温泉でもあり、温泉療法を実施する病院や研究施設がある。また温水床暖房を持った長期滞在者向けの旅館や自炊宿も見られ、観光と療養(湯治)の並立が三朝温泉の特徴である[4]。二十数軒ある旅館・ホテルの多くが、「現代湯治」に対応している。温泉街にある病院での診察と組み合わせたり、ソムリエをもじった入浴アドバイザー「ラヂムリエ」がいたりする旅館もある[8]

なお、温泉街には公衆浴場「たまわりの湯」が設けられ、住民や観光客に利用されてきたが、施設の老朽化と従業員の高齢化により、2023年3月末で営業を終了することになった[9]。三朝町では新たな健康づくり施設を計画している[9]

温泉施設

  • 外湯 - 河原風呂、たまわりの湯(2023年3月末で閉館[9])、株湯
  • 足湯 - 河原の湯、薬師の湯、かじかの湯、株湯
  • 飲泉[10][11] - 薬師の湯、株湯、三朝神社(神の湯)

なお、三朝町営の国民宿舎としてブランナールみささが設置された[12]。旧名称は三朝温泉会館で、1963年(昭和38年)にオープンし、1995年(平成7年)にブランナールみささに改名した。国民宿舎ブランナールみささは、2023年(令和5年)に指定管理者ジーライオンのグループ会社に譲渡されることになった[13]

周辺施設

歴史

伝説によれば、平安時代末期の1164年(長寛2年)に源義朝の家臣、大久保左馬之祐(さまのすけ)によって発見されたという[3]。三朝温泉発祥の伝説として、白狼伝説があり、左馬之祐が三徳山三仏寺の参拝に赴いた際、老いた白いオオカミが現れ討ち取ろうとしたが、神仏の化身であることがわかると思いとどまり宿に帰った[15]。その夜、左馬之祐の夢枕に妙見大菩薩が現れて出湯の場所を道案内して消え、その教えられた場所に実際に行くと楠の老木の根元から湯が湧き出ていたという[4][15]。三朝温泉源泉の「株湯」の名はこの故事に由来する[15]

温泉名の由来は諸説あり、その一つが「三つ目の朝を迎えるころにはが消える」ことから三朝と呼ばれるようになったというものである[16]

出雲国風土記』にも温泉に関する記述がある。明治以降、与謝野鉄幹与謝野晶子野口雨情志賀直哉斎藤茂吉島崎藤村など多くの文人も訪れた。

1914年(大正3年)、三朝温泉の源泉の一つ(後の岡山大学分室泉)からラドンの存在が発見された[3]1939年(昭和14年)に岡山医科大学が療養所を設置し、1943年(昭和18年)に放射能泉研究所に改組された[3]。この研究所は1949年(昭和24年)の新制岡山大学の発足により同大学附置の研究所となった[3]

三朝温泉に関する作品

ギャラリー

周辺

アクセス

脚注

関連項目

外部リンク