中国の筆跡一覧

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中国の筆跡一覧(ちゅうごくのひっせきいちらん)では、有史以来、清代までの中国筆跡の一覧を示す。時代ごとに名称・年代・筆者・書体・所蔵場所などを記す。

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三代

年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
不詳小臣艅犠尊不明金文サンフランシスコ・アジアン・アート・ミュージアム (Asian Art Museum of San Francisco
  • 小臣艅犠尊(しょうしんよぎそん)
    • を象った殷代末期の酒器。銘文は4行、27字で、書風は甲骨文に比べて秀麗であり、横画がすこし右上がりである。銘文に殷末の東方侵略に関する史実を含んでいるが、このように大事件を書くことによって時期を示すこと(大事紀年)も殷代によくある書き方である。道光年間(1821年 - 1850年)に山東省寿張県梁山から出土した[1][2]

年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
不詳大豊簋不明金文
不詳周公簋不明金文
不詳令簋不明金文
不詳父丁卣(ふていゆう)不明金文
不詳史頌匜(ししょうい)不明金文
不詳大盂鼎不明金文
不詳大克鼎不明金文
不詳毛公鼎不明金文台北国立故宮博物院
不詳散氏盤不明金文(大篆とも)台北・国立故宮博物院
紀元前883年 or 紀元前815年など虢季子白盤不明金文(大篆とも)中国国家博物館
紀元前374年石鼓文史籀大篆
紀元前313年詛楚文(そそぶん)不明大篆
    • 周代の最も早い時期の銅器。銘文は8行、78字であり、殷の甲骨文に似たところが多い[3]
    • 周代初期の銅器。銘文は8行、67字である[4]
    • 西周時代初期の銅器。銘文は12行、110字である。民国になって洛陽付近から出土した[5]
    • 西周時代前期の銅。鼎としては極めて大きな例で、銘文は19行、291文字である。道光年間、『小盂鼎』とともに出土した[6]
    • 西周時代後期の銅鼎。器の高さが100 cm余りあり、現存する最大の鼎である。銘文は28行、291字である。清の光緒年間、陝西省岐山県から『小克鼎』とともに出土した[7]
    • 西周時代後期の銅鼎。全高53.8 cm、口径47.9 cm、重さ34.7 kgの大型の器である。銘文は現存する金文中、最も長文で、32行、497字に達する。西周晩期は字体が崩れ、緊張感のないものが多く見られる中で、この銘は引き締まった正しい文字で書かれている。道光年間、陝西省岐山県より出土した[8][9]
    • 西周厲王時代の銅盤。「散」とは氏族名で、同時にその支配していた国名でもある。銘文は19行、350字で、盤の内底に鋳出されている。文字は通例の金文に比べて字形が扁平で、右下がりの傾向がある。このような書風の金文は他に見ることの少ない珍しいものである。出土の事情は不明である[10][11]。銘文の内容は、渭水南岸沿いに、散氏と夨(そく)氏とが隣接して所領をもっていたが、夨氏側が散氏のを侵寇したというので訴訟となり、結果、夨氏から散氏に賠償として田土をおくることになった経過である。さらに文末には、その引渡しを終えての夨氏側の誓約文がある[12]
    • 西周時代後期の銅盤。「虢」は国名、「季」は兄弟の中で最年少の者、「子白」は人名でこの器の製作者である。盤は普通、円形であるが、この盤は角に丸みをつけた楕円長方形という珍しい形をしており、口径は118.2 cmある。銘文の内容は、王の征伐の功績を頌したもので、8行、104字が縦約83.5 cmに納められている。字間と行間を大きく空けて並べてあり、引き締まった縦長の篆書に近い文字とやや古い感じのする扁平な文字が混在している。道光年間に陝西省眉県で秣[13]の桶に使っていたのを発見された[14][15]

年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
紀元前219年[16]始皇七刻石李斯小篆泰安博物館、中国国家博物館
紀元前221年以後[17]権量銘李斯小篆
紀元前227年 - 217年(推定)[18]雲夢秦簡不明古隷

前漢

刻石
年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
紀元前158年群臣上醻刻石不明篆隷河北省邯鄲市永年区木鶏室
紀元前149年魯霊光殿址刻石(ろれいこうでんしこくせき)不明古隷
紀元前68年楊量買山刻石(ようりょうばいざんこくせき)不明刻石中最古の八分
紀元前56年魯孝王刻石不明古隷山東省曲阜市孔廟
紀元前26年麃孝禹刻石不明古隷山東省博物館
    • 前漢最古の刻石で、1行、15文字、1字の大きさが約10 cmの大字である。書風はほぼ古隷であるが、所々に秦篆に近い文字もある。文頭の「趙廿二年…」に諸説あったが、前漢の趙王遂の22年(紀元前158年)ということになった。道光年間に出土。縦125.0 cm、横30.5 cm[19][20]
    • 文は宮殿の建造物が完成したことを記している。書風は隷書としては早期のもので、篆書の筆意が残り、古意が多い。「年」の字の末筆を特に長く伸ばしている点は、木簡などにも多く見られる。12世紀、曲阜の孔子廟の改修時に出土。3行13字。縦24.0 cm、横25.5 cm[21][22]
    • 墓碑の先例と推測されている。円頭の長石に、「河平三年八月丁亥、平邑侯里麃孝禹」と2行に刻している[23]
木簡
年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
紀元前102年太初三年木簡(居延漢簡不明
紀元前98年天漢三年木簡(敦煌漢簡)不明古隷
紀元前94年太始三年木簡(敦煌漢簡)不明八分
紀元前78年本始六年木簡(敦煌漢簡)不明古隷
紀元前57年五鳳元年木簡(敦煌漢簡)不明八分
紀元前46年初元三年木簡(居延漢簡)不明八分
紀元前29年建始四年木簡不明八分
紀元前28年河平元年木簡(楼蘭漢簡)不明八分

年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
9年嘉量銘不明小篆
14年天鳳元年木牘(敦煌漢簡)不明八分
16年萊子侯刻石不明古隷山東省鄒城市孟廟
    • 兵器簿の見出し札で、木牘とは横幅の広い木簡のこと。『礼器碑』などの書風に近い洗練された隷書である[24]
    • 塚墓を作ったことを記念し記した古隷で、古雅あまりある傑作である。「始建国天鳳三年…」に始まる35字を、7行の罫内に配している。山東省嶧県で発見された。縦45 cm、横70 cm[23][25]

後漢

年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
52年頃三老諱字忌日記(さんろうきじきじっき)不明古隷浙江省杭州市西泠印社
66年開通褒斜道刻石不明古隷陝西省漢中市博物館
76年大吉買山地記(だいきちばいざんちき)不明古隷
92年以後袁安碑不明小篆河南省博物館
117年以後袁敞碑不明小篆遼寧省博物館
117年祀三公山碑不明篆隷木雞室
118年嵩山三闕銘不明小篆
143年北海相景君碑(ほっかいけいしょうくんひ)不明八分山東省済寧市博物館
148年石門頌不明八分陝西省漢中市博物館
153年乙瑛碑不明八分山東省曲阜市・漢魏碑刻陳列館
156年礼器碑不明八分山東省曲阜市・漢魏碑刻陳列館
159年以後張景造土牛碑(ちょうけいぞうどぎゅうひ)不明八分
164年孔宙碑不明八分山東省曲阜市孔廟
164年封龍山頌不明八分
165年西嶽華山廟碑蔡邕八分台東区立書道博物館ほか
169年史晨前碑不明八分
169年史晨後碑不明八分
171年西狭頌仇靖八分
171年博陵太守孔彪碑不明
173年楊淮表記不明八分
173年魯峻碑不明八分
175年韓仁銘不明八分
175年 - 183年熹平石経蔡邕?八分
177年豫州従事尹宙碑不明
179年弘農太守樊毅復華下民租碑不明
181年無極山碑不明
183年白石神君碑不明八分
不詳袁博残碑(えんばくざんぴ)不明八分
185年曹全碑不明八分陝西省博物館
186年張遷碑不明八分泰安博物館
    • 陝西省漢中の石門という渓谷中にある摩崖碑で、漢中の褒から斜へ通じる道路開通の記念碑である。大字で159字あり、書風は篆書から隷書に移る過渡的な書体で、すこぶる変化に富んでスケールが大きい[26][27]
    • 『楊孟文石門頌』(ようもうぶん-)、『楊孟文頌』ともいう。『開通褒斜道刻石』と同じ崖壁に刻された摩崖碑である。石門を開き、道を開通させた司隷校尉の楊孟文の功績を記したもので、『開通褒斜道刻石』の時代に開通した道路が再び壊れ、不通になっていたのを再開したときの碑である。古隷に近い文字も多いが、古来、隷書の傑作とも称せられ、学ぶ者が少なくない。字大は9 cm[28][29][30]
    • 全名は『魯相韓勅造孔廟礼器碑』(ろしょうかんちょくぞうこうびょう-)という。孔子廟内にあり、漢隷中でも神品第一とされている。碑文は桓帝永寿2年(156年)、魯相の韓勅の功績を述べたもので、正面に序と銘と韓勅以下9人の題名が16行・各行36字で刻されている。裏は3列・各列17行、右側は4列・各列4行、左側は3列・各列4行に、建碑に際して醵金した人達の官職、姓名、金額が刻されている。結体は方整で精妙、温雅な線を主調として、隷書の正統派の極地といえる字で、八分隷の極限を示した高い気品がある。
    • 全名は『泰山都尉孔宙碑』(たいざんとい-)という。孔子廟内にある。孔宙は孔子の19世の孫で、累進して泰山都尉となり、泰山郡(山東省)の賊徒の鎮定に功績をあげた。延熹6年(163年)に60歳で没したが、この碑はその翌年、彼の元の役人や門生が彼の徳を頌して建てたものである。碑額は、篆書で「有漢泰山都尉孔君之碑」と2行に書かれ、碑文は15行・各行28字である。裏には「門生故吏名」と1行に書かれた篆額があり、その下に、門生・故吏・弟子などの名が3段に刻されている。書は、秀麗な八分で、暢達、気品がある。
    • 『封龍山碑』ともいう。封龍山は、河北省元氏県の6つの神山(三公山・霊山・封龍山・無極山・白石山・御語山)の1つで、それぞれの山には、その山神の頌徳碑が建てられ、祀三公山碑・三公山碑・無極山碑・白石神君碑・封龍山頌の5つは、元氏の五碑として古来有名である。ただし、無極山碑のみ今日伝存していない。
      この碑は碑額がなく、第1行に標題として「元氏封龍山之頌」の7字があり、16行・各行26字が刻されている。碑文には、祭祀が王莽の時代に廃れ、延熹7年(164年)に古祀を修復し祭祀を復活させて神徳を頌したことが記されている。
    • 『華山廟碑』ともいう。もと陝西省華陰県の西嶽山廟にあったものを、弘農郡の郡守である袁逢が旧碑に基づいて建てたものである。原碑はすでに失われて、拓本だけによって知られている。拓本の中でも最も著名なものは、「長垣本」・「関中本」・「四明本」の3種である。「長垣本」は、河南省長垣の王文蓀が所蔵していたが、欠損した文字は僅かに10字で、最もよく保存されている。昭和4年(1929年)8月、中村不折の所有となり、現在台東区立書道博物館に保存されている。「関中本」は、陝西省関中の東雲駒・雲雛兄弟の所有していたものである。「四明本」は、浙江省四明の豊熙が所蔵していたもので、両本とも100字余りの欠字がある。古来、蔡邕の書とか、郭香察の書とか言われているが、確証はない。漢隷として代表的なものの1つである。
    • 全名は『魯相史晨祀孔子奏銘』(ろそうししんしこうしそうめい)という。2碑からなり、『史晨後碑』と合わせて『史晨碑』または『史晨前後碑』という。霊帝の時、魯国の相である史晨が孔子廟の祭典を盛んに行ったことを表彰したもので、山東省曲阜の孔子廟前に建てられている。碑文は、17行・各行36字で、字の大きさは3 cm、謹厳端正な隷書である。
    • 全名は『魯相史晨饗孔子廟碑』(ろそうししんきょうこうしびょうひ)という。『史晨前碑』の裏に刻されていて、内容は、前碑建立の由来で、祭典が、官吏、孔子一門の弟子など、907人が参会して盛況であったことを述べている。また、更に孔子の旧跡を修繕して、諸施設を設置した官吏たちの功績を讃えている。碑文は、14行・1行36字である。
    • 全名は『武都太守李翕西狭頌』(ぶとたいしゅりきゅう-)という。『李翕頌』とも称す。武都郡の西狭の険路を、太守の李翕が開いた功をたたえる摩崖刻である。頌のうしろに、「従史位、下弁仇靖、字漢徳書文」とあるので、筆者は仇靖(きゅう せい)であることが確認されている。碑文は、20行・各行12字で欠字はない。字の大きさは9.1 cmで、堂々とした書風で素朴でもあり、漢隷の正則と評される。なお、李翕は、建寧5年(172年)に陝西省略県西の析里橋郙閣と甘粛省成県治に近い天井道を修治したため、西狭頌の外の『析里橋郙閣頌』と『天井道摩崖』も彼の頌徳碑として伝えられている。
    • 全名は『司隷校尉楊淮表記』(しれいこうい-)という。『開通褒斜道刻石』・『楊孟文石門頌』とともに、陝西省褒城県北の石門にある摩崖刻である。霊帝の熹平2年(173年)、この石門を通過した黄門の卞玉(楊孟文と同郡の後輩)が、『楊孟文石門頌』を見て楊孟文の偉業をしのび、孟文の孫である楊淮と、その従弟楊弼の官暦を記して孟文の子孫の隆昌を祝ったものである。碑文は、7行・各行25-6字、字の大きさは6.1 cmで、書風は洒脱で古拙である。
    • 全名は『司隷校尉魯峻碑』(しれいこうい-)という。碑は、もと金郷山の魯氏の墓の側にあったが、のち任城県学から山東省済寧の州学に移された。碑高45.5 cm、幅136.4 cmで、碑文は17行・各行32字である。額には、「漢故司隷校尉忠恵父魯君子碑」と記されている。魯峻は、山陽昌邑の人で、桓帝の延熹7年(164年)司隷校尉となり、暴徒の粛正につとめて功績があったので、のちに屯騎校尉となり、霊帝の熹平元年(172年)に没した。碑は、その翌年、故吏・門生らによって建てられたものである。筆画は豊肥古雅である。なお建碑に関係した人たちの名を裏面に刻んであるが、その中に「妙」という字が草書体で書かれているのが珍しいとされている。
    • 不幸にして早死した韓仁を頌徳するために建てられた。楊守敬は、「この碑銘は乙瑛碑より品格が上である。(趣意)」と評している[31]
    • 霊帝が経書の文字の異文を正して定め、これを石碑に刻して洛陽の太学門外に建てたものである。刻された経書は周易尚書・魯詩・儀礼春秋公羊伝論語の7つであるが、その後の戦乱で破壊されてしまった。近年、多数の残石が出土して収蔵家の手に帰した。碑は64枚で表裏両面に隷書で刻され、本文は、毎石35行・各行70-78字で方整である。
    • 常山の相の馮巡、元氏令の王翊らが、白石神君の頌徳のために建てた碑である。碑文は16行・各行35字である。また、篆額は標題の5字で、碑文は八分を加味した方整な文字である。
    • 全名は『蕩陰令張遷碑』(とういんのれい-)という。山東省穀城県の吏員らが、前任の県長で河南省蕩陰県令の現職にある張遷の徳政をたたえて建てた碑で、明代に発見された。碑は縦287.9 cm、横97 cm。篆額は双行で「漢故穀城長蕩陰令張君表頌」とあり、本文はその下に16行・各行42字ある。裏には発起人41名の姓名職名・醵金額が刻されている。本文には誤字異字がある(例えば「賓」を「殯」に、「氏」を「是」に、「曁」を「既と旦」の2字に分けたりしている)ので贋作説もあるが、書は方勁で古拙のため隷書入門として学ぶものが多くいる。

三国

刻石
年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
220年(魏)公卿上尊号奏鍾繇 or 梁鵠八分許州繁城鎮
220年以後(魏)受禅表鍾繇 or 梁鵠 or 衛覬八分許州繁城鎮
221年(魏)封宗聖侯孔羨碑不明八分
231年以後(魏)曹真残碑不明八分北京・故宮博物院
235年(魏)廬江太守范式碑不明八分
240年 - 249年(魏)三体石経邯鄲淳[32]古文、小篆、八分洛陽博物館、台東区立書道博物館ほか
272年(呉)谷朗碑不明隷楷中間
276年(呉)天発神讖碑皇象篆隷(篆書を隷の方勢で書いた)[33]
不詳(呉)葛府君碑不明隷楷中間
276年(呉)封禅国山碑不明
    • 曹丕に帝位につくことを薦めた上奏文を刻したものである。筆者は鍾繇または梁鵠ともいうが確証はない。書法は温健な漢隷の流れを汲む[34]
    • 曹丕が帝位につくまでの経緯を石刻したもので、『公卿上尊号奏』と同時に建立された。碑の大きさは、高さ254.4 cm、幅139.4 cmで、碑文は、22行、各行49字ある。書者は、『公卿上尊号奏』と同じく鍾繇または梁鵠といい、あるいは衛覬ともいわれるが確証はない。書体は八分[34]
    • 「呉故衡陽郡太守葛府君之碑」の12字を3行に書いた碑額のみが残存する。長沙郡の西部を分けて衡陽郡が置かれたのは呉の太平2年(257年)であるから、この碑はそれ以後のものである。書風は『谷朗碑』と同じで隷楷中間の体である[35][36]
法帖
年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
不詳(魏)墓田丙舎帖(ぼでんへいしゃじょう)鍾繇小楷
219年(魏)賀捷表(がしょうひょう)鍾繇小楷
221年頃(魏)宣示表鍾繇小楷
221年(魏)薦季直表鍾繇小楷
不詳(魏)力命表(りきめいひょう)鍾繇小楷
不詳(魏)還示帖鍾繇小楷
不詳(魏)急就章鍾繇章草
不詳(呉)急就章皇象章草玉煙堂帖
303年 - 361年(呉)文武将隊帖(ぶんぶしょうたいじょう)皇象章草淳化閣帖
    • 『宣示表』は、呉の孫権が魏の曹操に和親を求めたとき、鍾繇が孫権の真意を弁じて曹操に上書したものである。現在の宣示表は、王羲之臨書したものといわれ、これを原本として宋代に『淳化閣帖』に刻されて以来、『東書堂帖』、『宝賢堂帖』、『停雲館帖』、『墨池堂選帖』、『玉煙堂帖』などに刻されている。したがって、鍾繇の真跡とはかなり隔たりがあると推測される。西晋の末の戦乱の時、王導がこの真跡を身につけて南方に逃れ、後、王羲之に贈ったという[37][38][39][40]
    • 『薦季直表』は、『宣示表』とともに小楷の名品とされ、鍾繇の代表作である。季直とは董遇の字。内容は、鍾繇が皇帝に書いた上奏文で、19行あり、行ごとに10字から12字で構成されている。末行に黄初2年(221年)の署名があり、これを信じれば、70歳のときの作品である。真跡本が北宋末頃から知られるようになり、明代に『真賞斎帖』に刻入されて有名になった。他に、『三希堂法帖』などにも刻入されているが、『真賞斎帖』の刻が最も精密とされ、古意豊かな筆意を味わうことができる。この作品は、鍾繇の作品として高く評価する人もあるが、偽物と断定する人もある[41][42][43][44][45]
    • 急就章』は前漢の史游が編纂した字書で、初めから終わりまで一字の重複もなく、もと子供に文字を覚えさせるための教科書であった。漢代から南北朝にかけて広く用いられたもので、鍾繇・皇象索靖の手本があったとされる。『玉煙堂帖』に現存するものは皇象の系統に属する[46][47]

六朝

西晋

刻石
年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
271年任城太守夫人孫氏碑不明
278年皇帝三臨辟雍碑不明八分
289年斉太公呂望表(せいたいこうりょうぼうひょう)不明
295年荀岳曁妻劉簡訓墓誌(じゅんがくおよびつまりゅうかんくんぼし)不明
300年張朗碑(ちょうろうひ)不明八分
    • 近年洛陽で発見された。文教政策として辟雍(大学)を建て、皇帝司馬炎が3度、皇太子司馬衷が2度、この地に臨幸したことを称揚したものである。碑文は、4行、23字、裏に立碑に関係した諸管、学生の氏名が刻まれている。書風は波磔が力強く格調が高い[48]
法帖
年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
不詳月儀帖索靖章草『太清楼続帖』
不詳急就章索靖章草
不詳平復帖陸機章草北京・故宮博物院、『秋碧堂帖
296年諸物要集経(しょぶつようしゅうきょう)不明八分(楷書に近い)
    • 索靖書と伝えられる。月儀とは時候に関する手紙文のことで、『月儀帖』は、1月から12月までの章草体の手紙の手本である。現在、4・5・6の3ヶ月を欠き、9ヶ月分が伝存する[49][50]

東晋

刻石
年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
340年王興之墓誌(おうこうしぼし)不明隷楷中間南京博物院
399年楊陽神道闕不明隷楷中間
405年爨宝子碑不明隷楷中間
    • 1877年に姚観元が四川で発見したもので、楊陽という役人の陵墓の神道に建てたの上部残欠である。隷楷を交えた書風であるが、気迫に欠ける[51]
法帖
年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
348年楽毅論王羲之小楷停雲館帖』ほか
353年蘭亭序王羲之行書北京・故宮博物院ほか
356年黄庭経王羲之小楷『停雲館帖』ほか
356年東方朔画賛王羲之小楷
358年孝女曹娥碑王羲之?小楷
不詳喪乱帖王羲之行書三の丸尚蔵館
不詳孔侍中帖王羲之行書前田育徳会
不詳快雪時晴帖王羲之行書台北・国立故宮博物院
不詳姨母帖(いぼじょう)王羲之行書万歳通天進帖』など
不詳奉橘帖(ほうきつじょう)王羲之行書
不詳十七帖王羲之草書
不詳游目帖王羲之草書
不詳行穣帖王羲之草書プリンストン大学美術館、『三希堂法帖』、『余清斎帖』など
不詳初月帖(しょげつじょう)王羲之草書『万歳通天進帖』など
不詳寒切帖(かんせつじょう)王羲之草書
不詳遠宦帖(えんかんじょう)王羲之草書
不詳妹至帖(まいしじょう)王羲之草書
不詳思想帖(しそうじょう)王羲之草書『余清斎帖』など
不詳中秋帖王献之行草北京・故宮博物院
不詳鴨頭丸帖王献之行草
不詳十二月帖王献之行草
不詳廿九日帖王献之行書
不詳地黄湯帖王献之行書台東区立書道博物館
不詳洛神賦十三行王献之小楷
672年集字聖教序王羲之の書を集字行書
721年興福寺断碑王羲之の書を集字行書

五胡十六国

年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
367年(前秦)鄧太尉祠碑(とうたいいしひ)不明隷楷中間
368年(前秦)広武将軍碑(こうぶしょうぐんひ)不明八分

南朝

年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
458年(宋)爨龍顔碑不明楷書(隷書に近い)
464年(宋)劉懐民墓誌(りゅうかいみんぼし)不明楷書(隷書に近い)
514年(梁)瘞鶴銘陶弘景楷書(隷意を含む)
不詳(陳)真草千字文智永楷書、草書個人蔵(日本)ほか

北朝

年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
456年(北魏・前期)中岳嵩高霊廟碑(ちゅうがくすうこうれいびょうひ)寇謙之楷書(隷意を含む)
495年 - 520年(北魏・後期)龍門二十品不明楷書
509年(北魏・後期)石門銘不明楷書
511年(北魏・後期)鄭文公碑鄭道昭楷書
511年(北魏・後期)論経書詩(ろんけいしょし)鄭道昭楷書
514年(北魏・後期)司馬昞妻孟敬訓墓誌(しばへいさいもうけいくんぼし)不明楷書
515年(北魏・後期)皇甫驎墓誌(こうほりんぼし)不明楷書
不詳(北魏・後期)刁遵墓誌不明楷書
517年(北魏・後期)崔敬邕墓誌(さいけいようぼし)不明楷書
517年(北魏・後期)元懐墓誌(げんかいぼし)不明楷書開封市博物館[52]
522年(北魏・後期)張猛龍碑不明楷書
523年(北魏・後期)高貞碑不明楷書
531年(北魏・後期)張黒女墓誌不明楷書
540年(東魏)敬史君顕儁碑(けいしくんけんしゅんひ)不明楷書
不詳(北斉)泰山経石峪金剛経(たいざんけいせきよくこんごうきょう)不明楷書
567年(北周)西嶽崋山神廟碑(せいがくかざんしんびょうひ)趙文淵楷書

年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
586年竜蔵寺碑張公礼?楷書河北省正定県竜興寺の大殿内
592年杜乾緒等造像記不明楷書(八分に近い)
597年美人董氏墓誌不明楷書
602年啓法寺碑(けいほうじひ)丁道護楷書個人蔵(日本、拓本)
603年蘇孝慈墓誌不明小楷
    • 建碑は開皇6年(586年)。恒州刺史・鄂国公王孝僊が建碑したもので、張公礼(ちょう こうれい)の書と伝えられる。書体は楷書で、書風は整正温雅であり、唐の虞世南褚遂良の先駆をなす。碑高215.2 cm、碑文30行、各行50字、字の大きさは2.4 cmである。仁寿2年(602年)に建碑された『啓法寺碑』(原石佚亡)とともに隋碑の代表作である。
    • 開皇12年(592年)、杜乾緒・張子元・董難当らが石仏一体をつくり、銘を刻したもので、上下6段に分けて八分に近い楷書が刻されている。
    • 開皇17年(597年)、隋の文帝の四男の蜀王楊秀が、19歳で病没した董氏のために墓誌の文を撰し長安郊外の龍首山に葬った。董氏は蜀王楊秀の侍女で容姿端麗の佳人であったといわれるが、美人とは官名で美しい人という意味ではない。清朝道光年間の初めに陝西省興平県から出土したもので、墓誌の文は楷書で21行、毎行23字ある。北魏の墓誌群にも優れたものが多くあるが、隋代になると一段と磨きがかかり品格も高い。この墓誌はその中でも極めて美しく、初唐の書と比べても遜色がないといわれる。
    • 蘇慈墓誌とも。仁寿3年(603年)。筆者は不明であるが、一説には唐の欧陽詢の若書きともいい、馬偏が3点の所なども彼の皇甫誕碑に符合する。書風は謹厳で鋭利、細楷の優品である。光緒14年(1888年)、陝西省蒲城県から出土したもので、文字が鮮明でまるで新刻のようである。

初唐

年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
627年 - 641年頃皇甫誕碑欧陽詢楷書
629年頃孔子廟堂碑虞世南楷書三井文庫(拓本)ほか
630年昭仁寺碑虞世南?楷書陝西省長武県城内
630年枯樹賦褚遂良行書戯鴻堂帖』など
631年化度寺邕禅師塔銘欧陽詢楷書
632年九成宮醴泉銘欧陽詢楷書陝西省麟遊県
637年温彦博碑欧陽詢楷書
637年裴鏡民碑殷令名楷書西安碑林博物館
641年伊闕仏龕碑褚遂良楷書
642年孟法師碑褚遂良楷書三井文庫(拓本)
646年晋祠銘太宗行書山西省太原市晋源区
648年温泉銘太宗行書
649年文皇哀冊褚遂良楷書『戯鴻堂帖』など
652年?房玄齢碑褚遂良楷書昭陵博物館
653年雁塔聖教序褚遂良楷書大慈恩寺内の大雁塔
不詳倪寛賛褚遂良楷書台北・国立故宮博物院、『鬱岡斎帖』など
663年道因法師碑欧陽通楷書
679年泉男生墓誌銘欧陽通小楷河南省博物館
686年草書千字文孫過庭草書遼寧省博物館ほか
687年書譜孫過庭草書台北・国立故宮博物院
699年昇仙太子碑則天武后草書仙君廟(河南省洛陽市偃師区

盛唐・中唐・晩唐

年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
不詳孝経賀知章草書
730年麓山寺碑李邕行書
735年法華寺碑李邕行書
739年李思訓碑李邕行書
714年自言帖張旭草書
741年郎官石柱記張旭楷書
752年多宝塔碑顔真卿楷書西安碑林
758年祭姪文稿顔真卿行書台北・国立故宮博物院
758年祭伯文稿(さいはくぶんこう)顔真卿行書
759年 or 779年顔勤礼碑顔真卿楷書
764年争座位帖顔真卿行書西安碑林
780年自書告身(じしょこくしん)顔真卿楷書台東区立書道博物館
780年顔氏家廟碑顔真卿楷書西安碑林
767年李氏三墳記李陽冰篆書西安碑林
777年自叙帖懐素草書台北・国立故宮博物院
792年聖母帖懐素草書西安碑林
799年草書千字文(千金帖)懐素草書台北・国立故宮博物院
不詳苦筍帖懐素草書上海博物館
824年金剛般若波羅蜜経柳公権楷書パリ国立図書館
841年玄秘塔碑柳公権楷書西安碑林
855年圭峰禅師碑(けいほうぜんじひ)裴休楷書

五代・十国

年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
不詳韭花帖(きゅうかじょう)楊凝式行書
948年神仙起居帖(しんせんききょじょう)楊凝式草書北京・故宮博物院、『停雲館帖

宋・遼・金

年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
1052年謝賜御書詩表(しゃしぎょしょしひょう)蔡襄楷書台東区立書道博物館
1063年澄心堂紙帖(ちょうしんどうしじょう)蔡襄楷行書台北・国立故宮博物院
1082年黄州寒食詩巻蘇軾行書台北・国立故宮博物院
1094年以後李白憶旧遊詩巻黄庭堅草書藤井斉成会有鄰館
1100年黄州寒食詩巻跋黄庭堅行書台北・国立故宮博物院
1101年伏波神祠詩巻黄庭堅行書永青文庫
1102年松風閣詩巻黄庭堅行書台北・国立故宮博物院
1083年方円庵記米芾行書『龍井山方円庵記』(単帖)
不詳張季明帖米芾行書東京国立博物館、『三希堂法帖
1091年以前叔晦帖米芾行書東京国立博物館、『三希堂法帖』
1088年李太師帖米芾行書東京国立博物館、『三希堂法帖』
1088年蜀素帖米芾行書台北・国立故宮博物院、『三希堂法帖』、『戯鴻堂帖
1088年苕渓詩巻米芾行書北京・故宮博物院、『玉煙堂帖』、『戯鴻堂帖』
不詳草書九帖草書四帖米芾草書大阪市立美術館、台北・国立故宮博物院、『停雲館帖
不詳呉江舟中詩巻米芾行草メトロポリタン美術館
不詳虹県詩巻米芾行書東京国立博物館
不詳楽兄帖米芾行書経訓堂帖
不詳戎薛帖米芾行草台北・国立故宮博物院
1154年徽宗文集序高宗小楷文化庁
1179年劉子羽神道碑朱熹楷書劉子羽の墓所(福建省崇安県蟹坑)、京都大学人文科学研究所拓本
1172年頃尺牘編輯文字帖朱熹行書東京国立博物館(『草書尺牘巻』として)
1177年頃論語集注残稿朱熹行草体京都国立博物館

年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
1298年杜甫詩巻鮮于枢行草藤井斉成会有鄰館
1302年以後玄妙観重修三門記(げんみょうかんちょうしゅうさんもんき)趙孟頫楷書東京国立博物館

年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
1603年行書詩巻(ぎょうしょしかん)董其昌草書東京国立博物館
不詳五言律詩(王維『終南山』)軸張瑞図草書169.5 cm × 48 cm
不詳杜甫飲中八仙歌巻張瑞図草書
不詳行書詩軸(ぎょうしょしじく、七言絶句)張瑞図行書上海博物館189.5 cm × 62.8 cm[53]
1621年感遼事作巻(かんりょうじさくかん)張瑞図行書26.5 cm × 579.5 cm(部分)[54]
1627年王羲之参朝帖軸(りんおうぎしさんちょうじょうじく)王鐸草書142.5 cm × 32.4 cm[55]
1637年王庭筠寒凝帖軸(りんおうていいんかんぎょうじょうじく)王鐸行書上海博物館186.8 cm × 50.7 cm[56][57]
1639年遊中条語(ゆうちゅうじょうご)[58]王鐸行草
1643年詩巻王鐸草書東京国立博物館26 cm × 469 cm(部分)
1643年王献之豹奴帖軸(りんおうけんしひょうどじょうじく)王鐸草書270 cm × 55 cm[55][59]
1646年臨褚遂良尺牘王鐸行書27 cm × 170 cm(部分)
1647年杜甫五律五首巻(とほごりつごしゅかん)[58]王鐸草書
1648年臨張芝帖軸(りんちょうしじょうじく)[60]王鐸草書
1652年容易語(よういのご)王鐸行書藤井斉成会有鄰館233.2 cm × 49.3 cm[55]
不詳臨王羲之鵞群帖軸(りんおうぎしがぐんじょうじく)王鐸行草京都国立博物館[56]

年代筆跡名筆者書体所蔵・法帖など
不詳論書鄭燮破体上海博物館
1764年懐素自叙帖幅鄭燮行書東京国立博物館

脚注

参考文献

  • 木村卜堂日本と中国の書史』(日本書作家協会、1971年)
  • 鈴木翠軒・伊東参州 『新説和漢書道史』(日本習字普及協会、1996年)ISBN 978-4-8195-0145-3
  • 玉村霽山 『中国書道史年表』(二玄社、1998年)ISBN 4-544-01241-4
  • 伊藤滋 「中国隷書名品選Ⅰ古代」(「隷書百科」『 1994年4月臨時増刊 書体シリーズ5』芸術新聞社
  • 伊藤滋 「中国 楷書名品選」(「楷書百科」(『墨 1996年7月臨時増刊 書体シリーズ1』芸術新聞社))
  • 藤原鶴来 『和漢書道史』(二玄社、2005年)ISBN 4-544-01008-X
  • 比田井南谷 『中国書道史事典』(雄山閣、1996年)ISBN 4-639-00673-X
  • 「中国書道史」(『書道藝術』別巻第3 中央公論社、1977年)
  • 魚住和晃 『書の歴史(殷-唐)』(講談社、2004年)ISBN 4-06-274150-4
  • 赤羽雲庭 「作品例・随想」(西川寧ほか 「行書」『書道講座』第2巻 二玄社、1967年)
  • 小坂奇石 「草書名品…解説」(西川寧ほか 「草書」『書道講座』第3巻 二玄社、1969年)
  • 西川寧編 「書道辞典」(『書道講座』第8巻 二玄社、1969年)
  • 『ヴィジュアル書芸術全集』(雄山閣)ISBN 4-639-01036-2
    • 西林昭一・浦野俊則 「殷・周」(第1巻、1992年)
    • 西林昭一・飯山三九郎 「秦・漢Ⅰ(石刻)」(第2巻、1992年)
    • 西林昭一・石田肇 「五代・宋・金」(第7巻、1992年)
    • 西林昭一・澤田雅弘 「元・明」(第8巻、1992年)
  • 鈴木洋保・弓野隆之・菅野智明 『中国書人名鑑』(二玄社、2007年)ISBN 978-4-544-01078-7
  • 「図説中国書道史」(『墨スペシャル』第9号 芸術新聞社、1991年)
    • 中村伸夫 「書道史概説【明】」「名品鑑賞 明」
  • 角井博監修 『〔決定版〕中国書道史』(芸術新聞社、2009年)ISBN 978-4-87586-165-2
    • 大橋修一 「三国・晋・東晋」
    • 澤田雅弘 「明」
  • 飯島春敬編 『書道辞典』(東京堂出版、1975年)
  • 白川静 『中国古代の文化』(講談社学術文庫、新版2010年(初版1979年))ISBN 4-06-158441-3

関連項目

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