中国の契丹主導の王朝
契丹國
契丹
唐
渤海 (国)
後晋
916年 - 1125年金 (王朝)
西遼
北遼
南遼
カムク・モンゴル
大遼の位置
遼の最大版図(1000年頃)
公用語契丹語中古漢語
宗教仏教道教アニミズム
首都上京臨潢府(現バイリン左旗
皇帝
916年 - 926年太祖
927年 - 947年太宗
947年 - 951年世宗
951年 - 969年穆宗
969年 - 982年景宗
982年 - 1031年聖宗
1031年 - 1055年興宗
1055年 - 1101年道宗
1101年 - 1125年天祚帝
面積
947年2,600,000km²
1111年4,500,000km²
変遷
建国916年3月17日
国号を「遼」と改称する947年2月24日
高麗侵攻993年-1020年
北宋澶淵の盟を締結する1004年
によって滅亡1125年3月26日
徳宗西遼を建国する1132年
通貨銅銭紙幣
現在中華人民共和国の旗 中華人民共和国
モンゴルの旗 モンゴル
ロシアの旗 ロシア
朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国

(りょう)は、遼朝(りょうちょう)ともいい、内モンゴルを中心に中国の北辺を支配した契丹人(キタイ人)耶律氏(ヤリュート氏)の征服王朝である。916年から1125年まで続いた。

各種表記
繁体字
簡体字
拼音Liáo
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中国歴史
中国歴史
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中石器時代中国語版
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西晋
東晋十六国
劉宋北魏
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(西魏)

(東魏)

(後梁)

(北周)

(北斉)
 
武周
 
五代十国契丹

北宋

(西夏)

南宋

(北元)

南明
後金
 
 
中華民国満洲
 
中華人民
共和国
中華
民国

台湾

中原に迫る大規模な版図(現在の北京を含む)を持ち、かつ長期間続いた異民族王朝であり、いわゆる征服王朝(が続く)とされる。ただし、領有したのは燕雲十六州遼寧のみであり、金・元・清のように中原を支配下にはおいていない。

名称

建国当初の国号大契丹国(イェケ・キタイ・オルン、Yeke Khitai Orun)で、遼の国号を立てたのは947年である。さらに983年には再び契丹に戻され、1066年にまた遼に戻されているため、正確には947年以前と983年から1066年までについては遼でなく契丹と称すべきであるが、便宜上まとめて遼とする。

歴史

11世紀のアジア
モンゴルの歴史
モンゴル高原
獫狁葷粥山戎
月氏匈奴東胡
南匈奴
丁零鮮卑
高車柔然
鉄勒突厥
 東突厥
回鶻
黠戛斯達靼契丹
ナイマンケレイト大遼
(乃蛮)(客烈亦)モンゴル
モンゴル帝国
大元嶺北行省
ドチン・ドルベン
ハルハオイラト
大清外藩外蒙古
大モンゴル国
モンゴル人民共和国
モンゴル国

現在の内モンゴル自治区の東南部、遼河の上流域にいた契丹族の耶律阿保機(太祖)が907年、契丹可汗の位について勢力を蓄え、916年天皇帝と称し年号を神冊と定めたのが遼の起こりである。

太祖耶律阿保機は西はモンゴル高原東部のモンゴル族を攻め、926年東は渤海を滅ぼして東丹国を建て、満州からモンゴル高原東部までに及ぶ帝国を作り上げた。

さらに2代耶律徳光五代後晋から華北北京大同近辺(燕雲十六州)の割譲を受ける。この時に渤海旧領とあわせて多くの農耕を主とする定住民を抱えることになった。このため、遼はモンゴル高原の遊牧民統治機構(北面官)と式の定住民統治機構(南面官)を持つ二元的な国制を発展させ、最初の征服王朝と評価されている。

太宗燕雲十六州の奪還をもくろんで、北伐軍を起こしたが、遼は撃退した。しかし遼の側でも、この時期には皇帝の擁立合戦が起きて内部での争いに忙しく、宋に介入する余力はなかった。

6代聖宗は内部抗争を収めて、中央集権を進めた。1004年、再び宋へ遠征軍を送り「澶淵の盟」を結んで、遼を弟・宋を兄とするものの、毎年大量のを宋から遼に送ることを約束させ、和平条約を結んだ。これにより、遼と宋の間には100年以上平和が保たれた。

その後は宋から入る収入により経済力をつけたことで、国力を増大させ、西の西夏を服属させることに成功し、北アジアの最強国となった。また、豊かな財政を背景に文化を発展させ、中国から様々な文物を取り入れて、繁栄は頂点に達した。しかし遼の貴族層の中では贅沢が募るようになり、建国の時の強大な武力は弱まっていった。また服属させている女真族などの民族に対しての収奪も激しくなり、恨みを買った。

女真は次第に強大になり、1115年には自らの王朝を立て、遼に対して反旗を翻した。遼は大軍を送って鎮圧しようとするが逆に大敗した。

この遼の弱体を見た宋は金と盟約を結んで遼を挟撃し、最後は1125年に金に滅ぼされた。このとき、一部の契丹人は王族の耶律大石に率いられて中央アジアに移住し、西遼(カラ・キタイ)を立てた(他に王族の耶律淳北遼13世紀に成立した旧王族耶律留哥東遼などもある)。

政治

遼の政治体制は、遊牧民農耕民をそれぞれ別の法で治める二元政治であり、契丹族を代表とする遊牧民には北面官があたり、燕雲十六州の漢人や渤海遺民ら農耕民には南面官があたる。原則的に、北は契丹族や他の遊牧民族には固有の部族主義的な法で臨み、南は唐制を模倣した法制で臨んだ。

北面官の機関には北枢密院・宣微員・大于越府・夷離畢院・大林牙院などがあり、北枢密院が軍事・政治の両権を一手に握っている最高機関となっている。この機関は太祖の勃興時には存在せず、後から南面官の役職と同じ名前で作られたものである。当初は大于越府が最高機関であったが、北枢密院が作られてからは有名無実化し、名誉職のようなものになった。

南面官の機関は南枢密院を頂点とし、三省六部や御史台と言った唐制に倣った役職が置かれて統治されていた。ただし南枢密院は北枢密院と違って軍権は持っておらず、民政の最高機関である。

この二元政治は、聖宗期を過ぎた頃から契丹族内での中国化が進んだため、実情に合わなくなった。これをの体制に一本化しようとする派と契丹固有に固守しようとする派とで争いが激しくなり、滅亡の原因の一端となった。

遼の兵制は、北では国民皆兵制であり、これが基本的に国軍となる。南では郷兵と呼ばれる徴兵制を取っていたが、これは地方守備軍に当てられており、指揮権は南面官にはなく、各地方の長官が持っていたとされる。南軍も時に北軍に従って遠征軍に入ることもあった。

満洲の歴史
箕子朝鮮東胡濊貊
沃沮
粛慎
遼西郡遼東郡
遼西郡遼東郡
前漢遼西郡遼東郡衛氏朝鮮匈奴
漢四郡夫余
後漢遼西郡烏桓鮮卑挹婁
遼東郡高句麗
玄菟郡
昌黎郡公孫度
遼東郡
玄菟郡
西晋平州
慕容部宇文部
前燕平州
前秦平州
後燕平州
北燕
北魏営州契丹庫莫奚室韋
東魏営州勿吉
北斉営州
北周営州
柳城郡靺鞨
燕郡
遼西郡
営州松漠都督府饒楽都督府室韋都督府安東都護府渤海国黒水都督府靺鞨
五代十国営州契丹渤海国靺鞨
上京道 東丹女真
中京道定安
東京道
東京路
上京路
東遼大真国
遼陽行省
遼東都司奴児干都指揮使司
建州女真海西女真野人女真
満洲
 

東三省
ロマノフ朝
中華民国
東三省
ソ連
極東
満洲国
ソ連占領下の満洲
中華人民共和国
中国東北部
ロシア連邦
極東連邦管区/極東ロシア
北朝鮮
薪島郡
中国朝鮮関係史
Portal:中国

地方行政

遼の領域は五道に分けられ、それぞれに中心都市として「府」が設けられた(→複都制[1]

首都は、上京臨潢府で、内モンゴル自治区バイリン左旗(赤峰市北方の大興安嶺山脈の麓)の南に置かれた[1]。遼の五京制は、女真(ジュシェン)国家の金朝にも引き継がれた[1]

日本との関係

中国(遼)と日本との間には正式な国交はなかったが、『遼史』の「太祖本紀」には天賛4年(925年)冬十月庚辰に「日本国、来貢す」との一文がある[2]

また日本側の『中右記』によれば寛治6年(1092年9月13日の記事として、明範という僧侶が契丹(遼)に渡って武器を密売して多額の宝貨を持ち帰った容疑で検非違使から取り調べを受けている[3]

続いて、嘉保2年(1094年5月25日前大宰権帥正二位中納言藤原伊房前対馬守藤原敦輔と謀り、国禁の私貿易を行った。発覚後、伊房は従二位に降格の上、敦輔は従五位下位階を剥奪された[4]

なお、平将門が「実力者が天下を治める」典型例として遼の太祖を挙げている。

将門記』によれば、939年承平天慶の乱の折、将門が時の太政大臣藤原忠平の四男の藤原師氏に当てた奏状には

「今の世の人は、必ず勝つ実力をもって君主となる。たとえ我が朝廷でなくとも、人の国であることに変わりがない。去る延長年間の大赦契王(大契丹王の誤り)の如きは、正月一日に渤海国を討ち取り、東丹国を成している。どうして力をもって占領しないことがあろうか」

との一文がある[5]

高麗との関係

993年、契丹は鴨緑江以南高句麗の故地を獲得するためにはじめて高麗に進攻した。翌年、高麗は使を遣わして契丹に赴き、契丹の正朔(契丹の統治に服従する)をおこなうことを告げた。

その後、顕宗元年1010年)に至る時期に、高麗は契丹に方物を献じ、契丹語を習い、を請い、を納め、冊封を乞い、生辰を賀するなどの修好をおこなった[6]。『高麗史』は、この時代の歴史記述において、契丹皇帝を「契丹主」と記している[6]

高麗王顕宗が即位すると、契丹は康兆の弑君を理由に大いに問罪の師を興し、高麗は使を遣わして和を請うたが果さず、遼の聖宗は高麗に親征し、この年(1010年)十二月郭州(現在の朝鮮民主主義人民共和国平安北道郭山郡)を攻陥した[6]

遼の皇帝

契丹と遼 907年 - 1125年
廟号諡号漢名契丹名常用名称在位時間年号
太祖大聖大明神烈天皇帝阿保機耶律阿保機907年 - 926年7月
淳欽皇后月里朶述律平926年7月 - 927年11月天顕 926年 - 927年
太宗孝武恵文皇帝徳光堯骨耶律徳光926年11月 - 947年4月
世宗孝和荘憲皇帝兀欲耶律阮947年4月 - 951年9月天禄 947年9月 - 951年9月
穆宗孝安敬正皇帝璟/明述律耶律璟951年9月 - 969年2月応暦 951年9月 - 969年2月
景宗孝成康靖皇帝明扆耶律賢969年2月 - 982年9月
聖宗文武大孝宣皇帝隆緒文殊奴耶律隆緒982年9月 - 1031年6月
興宗神聖孝章皇帝宗真只骨耶律宗真1031年6月 - 1055年8月
道宗孝文皇帝洪基査剌耶律洪基1055年8月 - 1101年1月
延禧阿果耶律延禧1101年2月 - 1125年2月
南遼 1122年
廟号諡号漢名契丹名常用名称在位時間年号
宣宗涅里耶律淳1122年3月 - 6月建福 1122年3月 - 6月
耶律定摂政:蕭普賢女)1122年6月 - 12月徳興 1122年6月 - 12月
北遼 1123年
雅里耶律雅里1123年5月 - 10月神暦 1123年5月 - 10月
朮烈耶律朮烈1123年10月 - 11月神暦 1123年10月 - 11月
西遼 1132年 - 1218年
廟号諡号漢名契丹名常用名称在位時間年号
徳宗大石耶律大石1124年7月 - 1143年
仁宗夷列耶律夷列1151年 - 1163年紹興 1151年 - 1163年
直魯古耶律直魯古1179年 - 1211年天禧 1179年 - 1211年
屈出律屈出律1212年 - 1218年天禧 1212年 - 1218年

系図

  • 遼史より
(1)太祖0
耶律阿保機
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(追)義宗0
耶律突欲
 
(2)太宗0
耶律堯骨
 
(追)章肅帝0
耶律李胡
 
耶律牙里果
 中国語版
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(3)世宗0
耶律兀欲
 
(4)穆宗0
耶律述律
 
宋王
耶律喜隠
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(5)景宗0
耶律明扆
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(6)聖宗0
耶律文殊奴
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(7)興宗0
耶律只骨
 
秦王
耶律重元
 
燕王
耶律呉哥
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(8)道宗0
耶律査剌
 
宋魏王
耶律和魯斡
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(追)順宗0
耶律濬
 
(北1)宣宗
耶律淳
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(9)天祚帝0
耶律阿果
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(西1)徳宗
耶律大石
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(北3)梁王
耶律雅里
 
(北2)秦王
耶律定
 
(北4)耶律朮烈
 
(西2)仁宗
耶律夷列
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(西3)耶律直魯古
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(女)
 
(西4)クチュルク
 

朝鮮の歴史
考古学朝鮮の旧石器時代朝鮮語版
櫛目文土器時代 8000 BC-1500 BC
無文土器時代 1500 BC-300 BC
伝説檀君朝鮮
古朝鮮箕子朝鮮
辰国衛氏朝鮮
原三国辰韓弁韓漢四郡
馬韓帯方郡楽浪郡

三国伽耶
42-
562
百済
高句麗
新羅
南北国熊津都督府安東都護府
統一新羅
鶏林州都督府
676-892
安東都護府

668-756
渤海
698
-926
後三国新羅
-935

百済

892
-936
後高句麗
901
-918
女真
統一
王朝
高麗 918-
遼陽行省
東寧双城耽羅
元朝
高麗 1356-1392
李氏朝鮮 1392-1897
大韓帝国 1897-1910
近代日本統治時代の朝鮮 1910-1945
現代朝鮮人民共和国 1945
連合軍軍政期 1945-1948
アメリカ占領区ソビエト占領区
北朝鮮人民委員会
大韓民国
1948-
朝鮮民主主義
人民共和国

1948-
Portal:朝鮮

脚注

参考資料

関連項目