中瀬ゆかり

日本の編集者

中瀬 ゆかり(なかせ ゆかり、1964年6月3日 - )は、日本編集者新潮社執行役員

なかせ ゆかり
中瀬 ゆかり
生年月日 (1964-06-03) 1964年6月3日(59歳)
出身地和歌山県田辺市
国籍日本の旗 日本
学歴奈良女子大学文学部英語米文学
職業新潮社出版部長→新潮社出版部執行役員(2024年4月より昇格)
所属新潮社
活動期間1987年 -
中瀬喜陽

来歴・人物

1964年(昭和39年)生まれ。郷土史家南方熊楠研究家の中瀬喜陽の次女[1][2]で、和歌山県田辺市出身である。姉、弟がいる。田辺市立田辺第一小学校、田辺市立東陽中学校、和歌山県立田辺高等学校[要出典]奈良女子大学文学部英語米文学[3]を卒業[4]

1987年昭和62年)に新潮社へ入社。最初の2年間は出版部で書籍編集を担当し田辺聖子北杜夫の本の担当補助を行った。独り立ちして初めて作家と二人で進めたのは、群ようこのエッセイ集『鞄に本だけつめこんで』であった[2]。その後、『新潮』編集部へ異動。(当時の編集長は坂本忠雄)9年間在籍し、当初は苦手意識が強かった純文学を好むようになったという[2][5]

1998年(昭和63年)に『新潮45』へ異動して2001年平成13年)8月から編集長を務める[2]2008年(平成20年)10月1日から『週刊新潮』部長職編集委員を、2011年より出版部部長[6]を務める。2024年4月より執行役員。

テレビ番組の出演も多く、TBSテレビサンデーモーニング』で保守寄り論客としてコメントした。現在は東京メトロポリタンテレビジョン (TOKYO MX) 『5時に夢中!』のコメンテーターとして木曜日にレギュラー出演し、「中瀬親方」の愛称で親しまれている[7]

親友の漫画家西原理恵子と小説家岩井志麻子らとともに「熟女キャッツアイ」を名乗り、トークショーを催すなど[8]活動している。

32歳のときに六本木のバーで偶然出会ったハードボイルド作家の白川道[9]事実婚の間柄であった[10]

エピソード

  • 父が教員・研究者であったため家のいたるところに本がある環境で育つ。その影響で読書家になり、中学時代は小説家を夢見てショートショート風の作品を書いて同級生に読ませていたが、自分には才能がないと思い断念[2]。しかし、小説家としての才能がある人たちをサポートする仕事をしたいという思いが芽生えたため、編集者になった(「最初に自分にダメ出しをしたのが、編集者としての原点」)と語っている[2]
  • 新潮』編集部への異動は、同編集部にいた小島千加子三島由紀夫の最後の原稿を取ったことで有名な編集者。〈本名:小島喜久江〉)の定年退職で女性が不在となったことから手伝うことになった[2]
  • 25歳のときに最初の結婚をしたが4年半で破局[11]。32歳のときに白川道に出会い事実婚関係となる[12]。互いを「トウチャン、ペコマル」と呼び合い、「魂の双子」と名乗るほど深く結びついていたという[9]
  • 5時に夢中!罰ゲームとして、マリー・アントワネットコスプレをして新潮社に出社[13]したり、メイド喫茶で1日店員として働いたことがある。岩井志麻子からは「ゆかりちゃんのマリー・アントワネットを超えるコスプレをしたい」と、コスプレのライバルとしてみなされている。
  • お下げ髪がトレードマーク」とされるが、それ以前には「腰まで髪が垂れるロングヘア、縦ロールなど」のかつらを使用していた時期もあった[14]
  • 小学生時代から読売ジャイアンツ原辰徳の大ファン[15]。新潮45」編集長に就任したときに、監督1年目の原へのインタビューが実現。長年の癖でつい原様って呼び続けてしまったことを明かしている[15]。また、甲子園のヒーローだった愛甲猛は永遠の憧れ人であると公言。『5時に夢中!』で共演した[16]
  • 漫F画太郎の『罪と罰』の登場人物であるユカリのモデルであることから[17]新潮社オンラインショップでユカリTシャツが発売された。
  • 上申書殺人事件を映画化した、日本映画凶悪』では、村岡希美が中瀬ゆかり役を演じた。
  • 編集者として携わった「かもめのジョナサン完全版」では、創訳を担当した五木寛之から、あとがきにて特別な謝辞を贈られている。
  • 趣味のひとつが競輪[18]競輪マニアと言われていた白川と競輪場を訪れており、内田裕也にもよく会ったという[19]。他にも麻雀を好む[18]
  • シンガーソングライターの辛島美登里奈良女子大学での2学年先輩で、同じ学生寮で生活していた[20]

出演

過去

連載

  • 夕刊フジ「ななめ45度・おんなの坂道」(木曜夕方発行・金曜付け) - 白川道が「“とお”ちゃん」の名義でたびたび登場する

出典

外部リンク