南渕時高

日本の野球選手

南渕 時高(みなみぶち ときたか、1965年10月29日 - )は、大阪府東大阪市出身の元プロ野球選手内野手)、野球指導者。

南渕 時高
基本情報
国籍日本の旗 日本
出身地大阪府東大阪市
生年月日 (1965-10-29) 1965年10月29日(58歳)
身長
体重
170 cm
70 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション遊撃手二塁手
プロ入り1989年 ドラフト4位
初出場1990年6月16日
最終出場2000年9月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

現役時代は粘り強い打撃で相手投手に嫌がられる打者としてチームを支えた[要出典]

経歴

天理高校時代は、3年次の1983年遊撃手として第65回全国選手権に出場。1回戦で岐阜一高に完封負け[1]

高校卒業後は、青山学院大学に進学。東都大学リーグでは1984年秋季リーグから一部昇格を果たすが、優勝には届かなかった。一部リーグ通算88試合に出場し、打率.327(312打数102安打)、6本塁打、39打点。ベストナイン(遊撃手)2回受賞。4年時は主将を務めた。大学同期に内山正博投手がいる[2]

大学卒業後は、社会人野球東芝に進み、1988年都市対抗に出場。準々決勝で新日本製鐵堺野茂英雄をKOし、快勝。準決勝では適時打を放ち、大昭和製紙北海道を降す。決勝ではNTT東海に9回裏サヨナラ勝ち、5年ぶりの優勝を飾った[3]。続く同年の日本選手権でも順調に勝ち進み、決勝では本田技研熊本と対戦、大学同期の内山投手を打ち崩し、優勝。都市対抗、日本選手権の同一年制覇は史上初である。この大会では準決勝で本塁打を放つなど攻守の要として活躍し、最高殊勲選手賞を獲得[4]。同年の社会人ベストナイン(遊撃手)にも選出される。1989年にも都市対抗に連続出場。同年は第9回インターコンチネンタルカップ、第15回アジア野球選手権大会日本代表に選出された。東芝のチームメートには丹波健二菊池総らがいる。

1989年度プロ野球ドラフト会議にてロッテオリオンズから4位指名を受け、入団。

1991年シーズンには佐藤健一と遊撃手のレギュラーを争い、翌1992年シーズンには定位置を確保する。1993年シーズンには当時の日本記録である14打席連続出塁を達成。この年チーム唯一のスポーツ紙の一面を飾った。1995年シーズンから二塁手に回り、1996年シーズンには初の規定打席(18位、打率.264)に達する。同年4月には無本塁打ながら打率0.349、2打点を記録し、月間MVPを受賞。しかし翌1997年シーズンには小坂誠の入団によって内野陣が再編成され出場機会が激減、シーズン後半にはほとんど出番がなくなる。[要出典]同年のシーズンオフに読売ジャイアンツ阪神タイガースも獲得しようとしていたようだが中日ドラゴンズへ移籍。移籍1年目の1998年シーズンには、控え内野手として起用される[要出典]

2000年シーズンには、当時監督に在任していた仰木彬にパンチ力を買われ、オリックス・ブルーウェーブへ移籍したものの[5]、同シーズン限りで現役を引退。

引退後は一時期、ヤングリーグ所属の中学硬式野球チーム「ヤングパドレス」の監督として指導をしていた。その後、サンリーグ所属の中学硬式野球チーム「奈良サンマリーンズ」の総監督を務めた。一方、プロ野球マスターズリーグでは名古屋80D'sersに所属していたが、2006年より大阪ロマンズに所属した。[要出典]

2017年より、独立リーグベースボール・チャレンジ・リーグ信濃グランセローズで野手総合コーチを務める[6]2020年11月20日、東京ヤクルトスワローズから育成ドラフト2位指名を受けた赤羽由紘の素質を伸ばした育成手腕などを評価され、2021年もコーチ契約を更新したことが発表された[7]。同年シーズン終了後の10月9日、退任が発表された[8]。10月30日、2022年よりリーグ戦を開始する日本海オセアンリーグ福井ネクサスエレファンツ(福井ワイルドラプターズに代わる新球団)で監督に就任することが発表された[9]。シーズン開幕後の4月24日に、体調不良による休養を球団に申し入れ、ヘッドコーチ兼投手コーチの吉田篤史が監督代行に就任した[10]。5月31日、福井球団は「諸般の事情」により南渕との監督契約を解除したと発表した[11]

2023年1月25日、ベイサイドリーグ(日本海オセアンリーグが改組改称)の本部長に就任することが発表された[12]

人物

同い年である古田敦也池山隆寛とは以前から親交があり、彼らからは「ブチ」と呼ばれている[要出典]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1990ロッテ379680122180029521201301134.263.372.363.735
1991104263214215314438424031603201309.248.348.393.741
19921053622993476162310527212423512406.254.334.351.685
1993107294220376012217922422534402254.273.394.359.753
19941113753192988191612739131153812297.276.352.398.750
19951073553032482101410631501433302266.271.343.350.693
1996128518439411162215155387129248203612.264.335.353.688
19973582735153001810010800103.205.284.247.531
1998中日6697871236002913000091192.264.340.333.674
19991616141220041000110011.143.188.286.473
2000オリックス8971200020000020020.286.444.286.730
通算:11年82424672055206538112112273820121111221626351122154.262.346.359.705

表彰

記録

初記録
その他の記録
  • 14打席連続出塁(1993年7月16日 - 25日) ※当時のNPB記録[13]

背番号

  • 31 (1990年 - 1991年途中、1998年 - 1999年)
  • 7 (1991年途中 - 1996年)※シーズン途中に広島東洋カープから復帰し、一旦7を着用していた高沢秀昭(移籍前には31を着用)と背番号を交換
  • 1 (1997年)
  • 35 (2000年)
  • 76(2017年 - 2021年)
  • 77(2022年)

関連情報

著書

出演

映画

脚注

関連項目

外部リンク