原一朗

原 一朗(はら いちろう、1918年4月10日 - 戦死)は、広島県出身のプロ野球選手

原 一朗
基本情報
出身地日本の旗 日本 広島県
生年月日1918年4月10日
没年月日戦死
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション捕手
プロ入り1937年
初出場1937年3月27日
最終出場1938年9月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物

旧制呉港中学校では、1年先輩の藤村富美男とバッテリーを組んだ。全国制覇した1934年夏の甲子園大会から1936年にかけて、5回甲子園に出場している。1937年大阪タイガースに入団。しかし門前真佐人の他、広田修三田中義雄が加入してきて出場機会はほとんど無く、同年春季シーズン中に大東京軍に移籍した。阪神には半年も在籍しなかった。移籍後は、たびたび試合に出場するようになった。しかし、1938年に軍に召集され、退団。後に戦死した。

東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑に、彼の名前が刻まれている。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1937大阪11100000000--0--0--00--.000.000.000.000
大東京
ライオン
53300000000--0--0--00--.000.000.000.000
'37春計64400000000--0--0--00--.000.000.000.000
19372068648151011981--0--4--06--.234.279.297.576
19382174677170001731--0--7--07--.254.324.254.578
19384161312000220--0--3--03--.154.313.154.466
通算:2年51162148163410138132--0--14--016--.230.296.257.553
  • 大東京(大東京軍)は、1937年秋にライオン(ライオン軍)に球団名を変更

記録

背番号

  • 23(1937年初め - 1937年途中)
  • 16(1937年途中 - 1938年)

関連項目

参考文献

外部リンク