天領

幕府の直轄地

天領(てんりょう)は、江戸時代における江戸幕府の直轄地。天領は俗称であり、ほかに江戸幕府直轄領徳川幕府領徳川支配地幕府領幕領など様々な呼称がある。これらの呼び名は、正式な歴史用語ではない[1]

幕府直轄領は元禄以降、全国で約400万石あった。領地は日本全国に散らばっており、江戸時代を通じて何らかの形で幕府直轄地が存在した国は51ヶ国と1地域(蝦夷地)に及び[2]、年貢収取の対象となる田畑以外に交通商業の要衝と港湾、主要な鉱山、城郭や御殿の建築用材の産出地としての山林地帯が編入され江戸幕府の主要な財源であった[1]

幕府直轄地が「天領」と呼ばれるようになったのは明治時代からで、江戸時代に使われていた呼称ではない。大政奉還後に幕府直轄地が明治政府に返還された際に、「天朝の御料(御領)」などの略語として「天領」と呼ばれたのがはじまりである。その後、天領の呼称が江戸時代にもさかのぼって使われるようになった。

江戸幕府での正式名は御料・御領(ごりょう)だった。その他、江戸時代の幕府法令には御料所(ごりょうしょ、ごりょうじょ)、代官所[注釈 1]支配所(しはいしょ、しはいじょ)の呼び名もある[1]。江戸時代の地方書では、大名領や旗本領を私領としたのに対して公領・公料、また公儀御料所(こうぎごりょうしょ)という呼称もあった[1]

大政奉還後の慶応4年(1868年、同年明治元年)には徳川支配地を天領と呼んだ布告があるが、同時期の別の布告では「これまで徳川支配地を天領と称し居候は言語道断の儀に候、総て天朝の御料に復し、真の天領に相成候間」とある[1]

上記の観点から、近年は幕府の直轄地の呼称は「天領」から「幕領」と呼ぶ傾向になっている。全国の歴史教科書なども「幕領」への表記の変更が進められている[注釈 2]

概要

天領は、豊臣政権時代の徳川氏蔵入地が基である[1]関ヶ原の戦い大坂の陣などでの没収地を加えて、17世紀末には江戸幕府直轄地は約400万石となった。その地からの年貢収入は江戸幕府の財政基盤となった。

京都大坂長崎など重要な都市や、佐渡金山などの鉱山湯の花から明礬を生産していた明礬温泉も天領とされた。佐渡甲斐飛騨隠岐は一国まるごと天領となった。

箱館奉行所の置かれた五稜郭(函館市)

また、蝦夷錦俵物の産地であった蝦夷地では、1799年寛政11年)には東蝦夷地(北海道太平洋岸および北方領土得撫郡域)が、1807年文化4年)には和人地および西蝦夷地(北海道日本海岸樺太およびオホーツク海岸)が天領となり、このとき奉行所は宇須岸館に置かれ奥羽諸藩が警固に就いた。文化6年(1809年)に西蝦夷地から、樺太が北蝦夷地として分立。松田伝十郎による改革で、山丹交易を幕府直営とした。1821年文政4年)には一旦松前藩領に復した。1855年安政2年)になると、和人地の一部と蝦夷地全土が松前藩領から再び天領とされているが、1859年(安政6年)の6藩分領以降に奥羽諸藩の領地となった地域もあった[3]箱館奉行所は、幕末元治元年(1864年)から五稜郭に置かれた。

高山陣屋表門

幕府直轄の各領地には代官処がつくられ、郡代代官遠国奉行が支配した。また預地として近隣の大名に支配を委託したものもあった。観光地として有名な岐阜県高山市高山陣屋は、江戸幕府が飛騨国を直轄領として管理するために設置した代官所・郡代役所である。

江戸時代末期に老中首座となった水野忠邦は、天保の改革の一環として上知令江戸城大坂城の十里四方を天領とする)を発令したため、天領の石高は増えたが、周辺に領地を持つ大名から大きく非難された。

天領の規模の変遷

豊臣政権末期には、全国検地高1850万石余の内、12.2%に相当する222万3641石余が豊臣氏の蔵入地であった。一方徳川氏の関東入国当時の蔵入地の実態は明らかではないが、所領伊豆・相模・武蔵・上総・下総・上野の六か国240万石余のうち、100~120万石が直轄化されていたと推定されている。関ヶ原の戦いののち、豊臣氏の蔵入地の接収を含む没収高622万石余が論功行賞の加増・加転に、さらに徳川一門や譜代大名の創出、直轄領の拡大に当てられているが、江戸幕府の直轄地も、初期においては豊臣氏のそれと大差なかったものと考えられ、江戸幕府成立時点で230~240万石が幕府直轄領であったと考えられる。

上方・関東の天領の石高・年貢高に関しては、向山誠斎著『癸卯日記 四』所収の「御取箇辻書付」により享保元年(1716年)から天保12年(1841年)までの年度別の変遷が古くより知られていたが、さらに大河内家記録「御取箇辻書付」[4]の発見により、17世紀中頃からの天領の石高の変遷が明らかになった。それによれば、天領の石高が初めて300万石を超えたのが徳川家綱政権下の万治3年(1660年)だが、寛文印知の前後には300万石を切り、延宝3年(1675年)に至って再び300万石台を回復し、以降300万石を下回ることはない。徳川綱吉政権下になると大名改易による天領石高の増加が著しく、元禄5年(1692年)に初めて400万石を突破し、宝永6年(1709年)以降400万石を下回ることはない。徳川吉宗政権下では無嗣断絶による公収が相次ぎ、享保16年(1731年)には450万石に達し、延享元年(1744年)には江戸時代を通じて最大の463万4076石余となった。その後徳川御三卿が相次ぎ分立することにより、延享4年(1747年)以降天領の石高は減少する。宝暦13年(1763年)から寛政5年(1793年)まで430万石台を維持した後、寛政7年(1795年)~寛政10年(1798年)には再び450万石台に戻るが、その後徐々に石高は減少し、天保9年(1838年)には410万石台に落ちる。天保以降では文久年間の石高の数字が残っており、幕末まで410万石台を維持したと考えられる。

なお個々の年度の石高は史料によって異なり、例えば元禄7年(1694年)の天領総石高は、『癸卯日記』所収の「御取箇辻書付」では395万5560石余とあるのに対し、『近藤重蔵遺書』所収の「御蔵入高並御物成元払積書」では418万1000石余と20万石以上の差がある。また天保9年(1838年)の天領総石高は『癸卯日記』所収の「御取箇辻書付」では419万4211石余とあるのに対し、『天保九年戌年御代官並御預所御物成納払御勘定帳』では419万1968石6斗5升8合9勺9才、天保12年(1841年)の天領総石高は『癸卯日記』所収の「御取箇辻書付」では416万7613石余とあるのに対し、同じ向山誠斎の著作である『丙午雑記』所収の「天保十二丑地方勘定下組帳」では412万2044石3斗0升8合9勺8才と、微妙に数字が異なる。

以下に『大河内家記録』と『癸卯日記』所収の「御取箇辻書付」による天領の石高・年貢高の変遷の詳細を示す。譜代の大名や旗本への加増・改易・減封や臨時の役知の支払いは天領を切り崩して行われるため、天領の所領・石高は年度毎に必ず変動する[5]

「御取箇辻書付」による天領総石高・年貢高の変遷
(慶安4年(1651年)~天保13年(1842年))
和暦年 / 西暦年石高 (石余)年貢高 (石余)内米 (石余)内金 (両余)
 
慶安4年[注1 1]16511,590,910665,280
承応元年[注1 1]16521,602,290598,320
承応2年[注1 1]16531,610,910608,760
承応3年[注1 2]1654
明暦元年[注1 2]1655
明暦2年[注1 3]16561,224,900427,120275,20060,769
明暦3年16572,925,4701,119,530966,03061,390
万治元年16582,916,5401,033,550887,97058,220
万治2年16592,918,6001,114,270966,95058,920
万治3年16603,064,770979,050837,21056,730
寛文元年[注1 3]16611,132,750422,390274,94058,980
寛文2年16622,734,3901,099,600957,27056,940
寛文3年16632,663,100880,760764,49046,505
寛文4年16642,793,3601,073,170918,90054,205
寛文5年16652,829,9501,053,970897,76054,960
寛文6年16662,872,2201,033,310892,33048,810
寛文7年16672,900,9501,042,360895,67051,089
寛文8年16682,852,6301,010,610904,18036,820
寛文9年16692,925,450965,900815,30053,140
寛文10年16702,994,6601,057,460902,17053,120
寛文11年16712,974,7501,130,750971,39054,720
寛文12年16722,882,9501,031,520854,79061,050
延享元年[注1 3]16731,406,560465,940297,00058,760
延享2年[注1 3]16741,432,720427,730264,37056,070
延享3年16753,136,2701,074,890876,80069,520
延享4年16763,106,2501,110,620831,19073,910
延享5年16773,096,6301,196,460969,52080,940
延享6年16783,130,1601,200,400985,59077,380
延享7年16793,007,2001,121,840948,55068,900
延享8年16803,262,250942,590740,44079,110
天和元年16813,401,2701,026,270851,75069,390
天和2年16823,640,2001,269,8801,013,72092,300
天和3年16833,210,5601,116,150839,110100,340
貞享元年16843,433,7701,177,310910,96097,710
貞享2年16853,414,1301,094,570869,50093,630
貞享3年16863,554,9301,218,940961,18997,380
貞享4年16873,731,4001,179,030942,23089,200
元禄元年16883,813,0001,242,320981,83096,940
元禄2年16893,972,9101,348,2701,061,690107,350
元禄3年16903,880,0001,385,8201,101,120106,130
元禄4年16913,971,3001,353,5801,078,510102,390
元禄5年16924,013,8401,402,1201,114,410107,809
元禄6年16934,034,4901,307,7401,034,370101,710
元禄7年16943,955,5601,315,4801,058,51096,610
元禄8年16953,887,1801,276,3701,000,470102,990
元禄9年[注1 4]16964,136,9001,314,830
元禄10年[注1 4]16974,346,5001,386,400
元禄11年[注1 4]16983,889,4001,240,430
元禄12年[注1 4]16993,889,1001,100,880
元禄13年[注1 4]17003,762,8001,138,400
元禄14年[注1 4]17013,849,3001,114,590
元禄15年[注1 4]17023,841,9001,199,490
元禄16年[注1 4]17033,882,5001,262,280
宝永元年[注1 4]17043,750,3001,178,380
宝永2年[注1 4]17054,021,9001,299,660
宝永3年[注1 4]17064,001,1001,350,830
宝永4年[注1 4]17074,047,5001,270,490
宝永5年[注1 4]17083,972,9001,251,930
宝永6年[注1 4]17094,017,8001,275,140
宝永7年[注1 4]17104,150,7001,317,380
正徳元年[注1 4]17114,144,2001,299,740
正徳2年17124,167,6001,265,9701,022,62097,340
正徳3年17134,117,6001,390,5001,131,215103,709
正徳4年17144,126,0001,316,0601,057,963103,226
正徳5年17154,127,0001,457,7001,151,622112,406
享保元年[注1 5]17164,088,5301,389,5701,074,035115,176
享保2年17174,098,3711,365,0601,080,090102,494
享保3年[注1 5]17184,044,5701,435,5421,127,181111,765
享保4年17194,050,8501,393,5291,092,581109,236
享保5年17204,057,1801,395,6821,098,490107,949
享保6年17214,066,5001,305,6501,027,061100,722
享保7年[注1 5]17224,043,3201,414,2901,115,508108,478
享保8年[注1 5]17234,112,3901,303,9301,050,28991,534
享保9年17244,278,3701,488,3601,190,997107,910
享保10年17254,360,6701,466,2151,166,544108,849
享保11年17264,310,1001,500,6911,204,965107,182
享保12年17274,414,8501,621,9801,374,545110,750
享保13年[注1 5]17284,409,7531,465,4861,181,659101,501
享保14年17294,446,6881,608,3541,292,703114,346
享保15年17304,481,0561,551,3451,233,428115,654
享保16年17314,530,9081,365,0491,090,557100,769
享保17年17324,521,4011,392,3911,062,635119,558
享保18年17334,541,7441,461,9861,153,187113,489
享保19年17344,541,8161,343,5191,061,441101,655
享保20年17354,539,3311,462,7061,137,432119,238
元文元年17364,565,3591,334,4811,018,661115,445
元文2年17374,567,1511,670,8191,314,779128,643
元文3年17384,580,5541,533,1331,181,529127,282
元文4年17394,583,4461,668,5841,313,907127,838
元文5年17404,581,5231,492,4921,153,881122,431
寛保元年17414,586,4721,570,3881,228,550123,445
寛保2年17424,614,5021,419,5581,140,59298,989
寛保3年17434,624,6641,636,4091,298,149122,666
延享元年17444,634,0761,801,8551,462,749123,262
延享2年17454,628,9351,676,3221,335,114124,001
延享3年17464,634,0651,766,2141,422,876124,602
延享4年17474,415,8201,551,2141,237,156117,334
寛延元年17484,411,2411,590,4911,270,661117,702
寛延2年17494,397,0891,673,5731,353,984117,411
寛延3年17504,390,1091,693,7261,380,425115,691
宝暦元年17514,394,5251,704,6641,389,211115,471
宝暦2年17524,409,6371,715,6301,398,975115,947
宝暦3年17534,413,5411,680,0021,365,578115,165
宝暦4年17544,407,5151,650,3871,336,747114,783
宝暦5年17554,412,3471,642,5511,336,213113,371
宝暦6年[注1 5]17564,406,0641,649,3841,331,264116,328
宝暦7年17574,420,5031,552,8461,262,896105,630
宝暦8年17584,426,8891,649,5321,332,456116,202
宝暦9年17594,471,7121,701,5601,383,755116,464
宝暦10年17604,461,6311,685,3451,369,539115,682
宝暦11年17614,465,6541,680,1271,359,958117,523
宝暦12年17624,458,0831,674,6991,354,852117,320
宝暦13年17634,375,8361,643,9631,334,204113,262
明和元年17644,376,4321,636,3861,324,862113,954
明和2年17654,387,2921,594,0401,284,248113,332
明和3年17664,387,0451,538,9711,241,641108,724
明和4年17674,394,7561,589,7671,287,527114,163
明和5年17684,378,6841,547,2481,229,794116,619
明和6年17694,378,5741,594,4611,275,740117,153
明和7年17704,371,9231,467,0101,131,973123,549
明和8年17714,375,6471,353,2821,021,543123,363
安永元年17724,375,9611,525,6241,193,539123,281
安永2年17734,378,8191,508,0261,175,311123,413
安永3年17744,379,6991,530,6151,208,170119,349
安永4年17754,387,0911,520,8661,199,900117,450
安永5年17764,387,2011,569,9881,250,265117,405
安永6年17774,392,7911,556,6811,237,367116,793
安永7年17784,372,4351,517,8581,190,441118,462
安永8年17794,373,9961,525,4521,194,575119,859
安永9年17804,371,6391,427,7891,124,839108,691
天明元年[注1 6]17814,348,2781,465,8361,147,934114,663
天明2年17824,332,4411,460,9331,138,370116,529
天明3年17834,350,7091,219,484968,41895,865
天明4年[注1 6]17844,360,5211,492,1391,172,935116,465
天明5年17854,330,6341,403,7081,093,200114,412
天明6年17864,341,2131,081,485851,49383,945
天明7年[注1 5]17874,361,5441,444,9331,164,205112,291
天明8年17884,384,3341,433,3771,162,389108,395
寛政元年[注1 6]17894,384,2791,410,4141,118,088107,612
寛政2年[注1 6]17904,380,5241,442,9951,159,230105,731
寛政3年17914,382,8131,356,2891,088,66999,550
寛政4年17924,393,5721,470,3991,187,978105,196
寛政5年17934,393,0001,476,2781,199,720103,481
寛政6年17944,403,6221,471,3011,190,091105,320
寛政7年17954,504,5161,545,7671,257,316107,963
寛政8年17964,507,2261,559,0231,269,573108,164
寛政9年17974,501,1931,561,8281,274,532107,273
寛政10年17984,504,5651,544,8211,256,977107,609
寛政11年17994,499,0201,501,1081,212,107107,801
寛政12年18004,493,3951,552,7401,265,727107,103
享和元年18014,474,9771,558,3511,273,466106,658
享和2年18024,488,6361,443,6661,170,456102,311
享和3年18034,485,7111,562,8721,272,120107,627
文化元年18044,487,7801,536,2031,266,228107,990
文化2年18054,487,8851,546,9151,277,485107,771
文化3年18064,482,7401,519,0751,250,456107,447
文化4年18074,453,8701,425,1021,163,522107,211
文化5年[注1 7]18084,459,0791,391,8811,151,22696,261
文化6年18094,457,0801,501,9891,230,897108,436
文化7年18104,455,3941,527,0311,256,77799,994
文化8年18114,478,8731,532,9101,241,483108,476
文化9年18124,434,5561,520,9691,240,486102,731
文化10年18134,437,4581,501,8771,221,763103,459
文化11年18144,442,6691,535,7991,249,917105,053
文化12年18154,423,9291,501,0231,214,791105,240
文化13年18164,423,2741,483,0671,196,505105,212
文化14年18174,412,4521,518,9911,231,283105,629
文政元年18184,334,5701,519,3741,233,374104,982
文政2年18194,352,5481,537,2071,250,568105,133
文政3年18204,333,6341,490,7521,205,297104,672
文政4年18214,326,4891,433,6941,148,678104,968
文政5年18224,320,4821,496,2401,208,342105,244
文政6年18234,333,8861,403,3841,117,660105,592
文政7年18244,223,9231,427,6191,158,67798,889
文政8年18254,223,0681,317,8401,065,74594,194
文政9年18264,229,3891,428,5371,163,50297,406
文政10年18274,218,0891,434,4981,166,66998,523
文政11年18284,194,5541,339,5781,077,78796,223
文政12年18294,201,0331,399,2891,133,20197,797
天保元年18304,182,6911,378,5781,113,20497,715
天保2年18314,201,3011,429,3281,162,44897,980
天保3年18324,204,0381,396,3901,120,504101,292
天保4年18334,205,9101,258,2301,005,36796,023
天保5年18344,202,8061,427,1931,150,709101,648
天保6年18354,205,5701,304,3131,036,65398,054
天保7年18364,202,4931,039,970807,068931,161
天保8年18374,229,5811,392,9151,122,234100,023
天保9年18384,194,2101,305,7461,046,10497,412
天保10年18394,192,8371,407,2181,140,49999,311
天保11年18404,166,4751,382,6981,138,35997,735
天保12年18414,167,6131,434,3421,168,41297,737
天保13年[注1 8]18424,191,123

注釈

日本全国の総石高に占める天領の割合は、慶長10年(1605年)における日本全国の総石高2217万1689石余に対して推定230~240万石であり、10.4~10.8%となる。また元禄10年代(1697年~1703年)の全国の石高(元禄国絵図・郷帳高)2578万6929石余に対して約400万石であり、15.5%となる。[5]さらに天保期における日本の天保年間の総石高(天保国絵図・郷帳高)は3055万8917石余と算出されているが、勝海舟編『吹塵録』所収「天保十三年全国石高内訳」によると、1842年(天保13年)の天領は総石高の13.7%に当たる420万石弱を占めた。

全国類別石高(天保13年)
類別石高割合 (%)
禁裏仙洞御料 - 天皇上皇女院御料地4万0247石余0.1
御料所高 - 幕府直轄領(天領)419万1123石余13.7
万石以上総高 - 大名領分2249万9497石余73.6
寺社御朱印地 - 寺社名義領29万4491石余1.0
高家並交替寄合 - 高家交代寄合(老中支配の旗本)領17万9482石余0.6
公家衆家領寺社除之分 - 公家領・宮家領・寺社除地[注2 1]
万石以下拝領高並込高之分 - 旗本(若年寄支配の旗本)知行所・込高地[注2 2]
335万4077石余11.0
六拾余州並琉球国共 - 日本全国・琉球国領地総計3055万8917石余100.0

注釈

天領の内訳の変遷

徳川の関東入国直後には、直轄領は関東総奉行や代官頭によって支配されていたが、慶長年間に関東総奉行や代官頭が消滅後は、その配下の代官・手代衆が昇格して天領支配を担当するようになった。天領の管轄は当初江戸(関東)と京都・大坂(上方)に二分されていたが、寛永19年(1642年)に勘定頭が設置されると、司法・行政区域が統一され、地方の支配組織は老中→勘定奉行→郡代・代官への系統へと整備されるようになった。また江戸時代の当初から遠隔地の都市・港・鉱山には遠国奉行が置かれていたが、これらも老中支配下に統合された。

これとは別に大名に支配を委ねた大名預地があった。豊臣政権の太閤蔵入地が形を変えたもので、徳川綱吉による幕府支配機構の整備と強化のもと、貞享4年(1687年)に廃止されたが、元禄4年(1691年)には復活した。さらに正徳2年(1712年)には財政立て直しのために再び新井白石により大名預地は廃止されて代官の直支配となったが、年貢収納率の低下を招いたため、享保7年(1722年)に再び徳川吉宗により大名預地は復活した。

天領は当初関東と上方の二分に分けられていたが、享保2年(1717年)以降、関東・海道・北国・東国・畿内・中国・西国の七筋に区分されるようになった。[1]

18世紀以降の天領の石高における内訳の変遷は以下の通りである[6][7]

天領石高内訳変遷
内訳元禄15年
(1702年)
享保15年
(1730年)
宝暦7年
(1757年)
天保9年
(1838年)
文久3年
(1863年)
郡代・代官支配地3,867,435.7003,602,3803,896,0003,284,478.266653,173,924.14438
   関東筋1,199,833.9061,076,4511,149,400932,014.13504882,192.33367
   畿内筋662,924.000668,647414,300463,696.31026521,454.30627
   海道筋497,333.000738,747715,300719,794.80472691,916.20596
   北国筋555,300.000267,118734,400355,058.24664240,506.50338
   奥羽筋455,394.794319,988380,000375,375.91618378,040.55971
   中国筋252,050.000407,564365,000284,327.64181286,813.23685
   西国筋244,600.000123,865137,600154,211.21200173,000.99854
遠国奉行支配地138,188.000139,6519,100144,196.73099149,406.53199
   浦賀(相模国)奉行7707006,517.382993,456.14331
   神奈川(武蔵国)奉行6,187.78250
   伏見奉行4,320.0004,4945,0005,166.682005,174.96700
   佐渡奉行130,433.000130,952132,512.66600132,572.37700
   新潟(越後国)奉行2,015.26218
   長崎奉行3,435.0003,4353,400
代官・遠国奉行支配地合計4,005,623.7003,742,0313,905,1003,428,674.997643,323,330.67637
大名預所739,025577,800763,366.31504752,411.43166
   関東筋12,70044,551.89540
   畿内筋42,272255,800106,465.5148183,296.10637
   海道筋59,90930,40070,710.7808270,710.78082
   北国筋397,955123,700254,358.19707256,785.96562
   奥羽筋180,207103,500170,964.18122166,818.83083
   中国筋34,27323,300111,829.02950103,141.17024
   西国筋24,40928,40049,038.6116227,106.68238
総石高4,481,0564,482,9004,192,041.312684,075,742.10803

関連用語

  • 領分(藩) - 石高1万石以上の大名が知行する領地(大名領)。
  • 知行所 - 石高1万石未満の旗本が知行する領地(旗本領)で、大名の「〜藩」とは区別して「〜領」と呼んだ。
  • 禁裏御料 - 天皇上皇 (院)女院の財政基盤となった御料地
  • 公家衆家領 - 公家宮家の財政基盤となった料所
  • 朱印地 - 由緒ある寺院神社に幕府が特例の朱印状をもって付与した所領で、表向きには公領扱いのため領内で幕府の代官が年貢を取り立てることもあった。
  • 寺社除地 - 寺社名義の所領のうち寺社が占有的に支配する権限を得た私領で、幕府への年貢も免除され収益は全て寺社のものとなった。

幕末の天領

地方区分は現代のもの。人名は代官を務めた旗本

北海地方

いずれも箱館奉行の「御預所」。戊辰戦争箱館戦争)後の令制国およびをカッコ内に記す。

奥羽地方

戊辰戦争(東北戦争)後の令制国をカッコ内に記す。

関東地方

北陸・甲信地方

東海地方

畿内近国

山陽・山陰地方

四国地方

九州地方

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 安藤博, 『徳川幕府県治要略』, 赤城書店, 1915年.
  • 小野清, 『徳川制度史料』, 六合館, 1927年.
  • 村上直, 『天領』, 人物往来社, 1965年.
  • 村上直, 荒川秀俊, 『江戸幕府代官史料』, 吉川弘文館、1975年.
  • 藤野保, 『日本封建制と幕藩体制』, 塙書房, 1983年.
  • 藤野保編, 『論集幕藩体制史』 第四巻 「天領と支配形態」, 雄山閣出版, 1994年.
  • 大野瑞男, 『江戸幕府財政史論』, 吉川弘文社, 1996年.
  • 大野瑞男編, 『江戸幕府財政史料集成』 (上巻, 下巻), 吉川弘文館, 2008年.
  • 和泉清司, 『徳川幕府領の形成と展開』, 同成社, 2011年.
  • 旧高旧領取調帳データベース
  • 『函館市史』デジタル版 - 函館市中央図書館デジタル資料館
  • 田島佳也、「近世期~明治初期、北海道・樺太・千島の海で操業した紀州漁民・商人」『知多半島の歴史と現在』 2015年 19巻 p.57-78, NAID 120005724562, 日本福祉大学知多半島総合研究所
  • 榎森進、「「日露和親条約」調印後の幕府の北方地域政策について」『東北学院大学論集 歴史と文化 (52)』 2014年 52巻 p.17-37, NAID 40020051072
  • 平成18年度 秋田県公文書館企画展 秋田藩の海防警備

関連項目

外部リンク