幸福駅

かつて北海道帯広市にあった日本国有鉄道の駅

幸福駅(こうふくえき)は、北海道十勝支庁帯広市幸福町にあった日本国有鉄道(国鉄)広尾線である[2]事務管理コードは▲111504[3]

幸福駅
廃止後の敷地に再建されたレプリカ駅舎(2021年5月)
こうふく
Kōfuku
大正 (5.3 km)
(6.1 km) 中札内
地図
所在地北海道帯広市幸福町東1線
北緯42度44分42.9秒 東経143度9分42.4秒 / 北緯42.745250度 東経143.161778度 / 42.745250; 143.161778 東経143度9分42.4秒 / 北緯42.745250度 東経143.161778度 / 42.745250; 143.161778
所属事業者日本国有鉄道(国鉄)
所属路線広尾線
キロ程22.0 km(帯広起点)
駅構造地上駅
ホーム1面1線
乗降人員
-統計年度-
13人/日
-1981年(昭和56年)-
開業年月日1956年昭和31年)11月1日[1]
廃止年月日1987年(昭和62年)2月2日[2]
備考広尾線廃線に伴い廃駅
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1977年の幸福駅と周囲約500 m範囲。下が広尾方面。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

駅名の縁起の良さから乗車券入場券などでブームを起こした[2]

歴史

駅名の由来

現在の札内川のアイヌ語名「サッナイ(sat-nay)」に「震(さつない)」と当て字し、後年音読みの「幸震(こうしん)」を村名としていたが、井県人の入植が多かった土地であること、また「将来の幸福を願う意味もあって」、「幸福」の地名が生まれたとされている[4]

駅構造

廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(広尾駅方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた。

開業時からの無人駅だが、ホーム南側の出入口から東側に少し離れた位置に待合所機能のみの木造駅舎を有した[8]。駅舎内に売店があり、簡易委託駅として乗車券の販売が行われていた。別棟でトイレを有した。駅舎の前には「ようこそ愛の国から幸福へ」と記載されたアーチが設置されていた[9]

利用状況

1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は13人[8]

駅周辺

「愛の国から幸福へ」ブーム

1973年3月、NHKの紀行番組『新日本紀行』において「幸福への旅 〜帯広〜」として紹介されたことで当駅の知名度は上昇した。

1972年には7枚しか売れなかった愛国 - 幸福間の切符が、1973年は300万枚、4年間で1000万枚超も売れた[11]

ブームの最盛期である1974年の営業係数は、前年の704から189と大幅に改善したが、翌1975年には481, 1976年には623と悪化し、一時的なものに留まり広尾線全体の営業改善にはあまり結びつかなかった。

同線は1984年に第2次廃止対象特定地方交通線に指定され、1987年2月2日をもって幸福駅は広尾線とともに廃止となった[2]

なお、十勝バスも、国鉄広尾線が健在だった当時から、現在に至るまで、地紋を自社仕様にした同様の区間の硬券切符を発売している[12]

駅跡

広尾線代行バスである、十勝バス広尾線の幸福バス停がある。

交通公園

駅敷地は廃止後に帯広市によって[13]、「交通公園」となり、幸福地区観光再開発協議会が管理を受託している[14][11]

敷地内は駅舎、トイレ、ホーム、レール駅名標が当時とほとんど変わらない状態で保存されていたが[15]、駅舎については2013年(平成24年)9月に、老朽化のため解体され、同年11月16日に、旧駅舎外壁の半分を流用したレプリカの新駅舎に建て替えられた[16]

1990年代後半には観光バスも利用可能なアスファルト舗装の駐車場やトイレ、花壇などが整備された。

レール上にはキハ22形キハ22 221キハ22 238の2両の気動車モーターカー1両が静態保存・展示されている[13][17]

2012年にはみけおうがデザインをした観光PRキャラクター「みゆき」(幸福駅の駅神)と「めぐみ」(愛国駅の駅神)が登場した[18]

隣の駅

日本国有鉄道
広尾線
大正駅 - 幸福駅 - 中札内駅

脚注

関連項目

外部リンク