源 宛(みなもと の あつる)は、平安時代中期の武士。名は充とも表記される。嵯峨源氏、左大臣・源融の曾孫。
承平3年(933年)、武蔵守・源仕の子として誕生。
父・仕の任地である武蔵国足立郡箕田村で生まれたことから、箕田源二また箕田源次と号した。子である渡辺綱の生年とされる天暦7年(953年)の3月8日に21歳で死去したとされ、八幡の辺りに葬られたという[1]。
『今昔物語集』には陸奥守・平良文との一騎討ちの逸話がある[2]。