無冠の帝王

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無冠の帝王(むかんのていおう、英:uncrowned monarchもしくはa king without a crown)とは、 特定の分野で第一人者の実力を有しながら、大きなタイトルを獲得できない人を指す言葉。

概要

特別な地位や肩書きをもっていないが、実質的な実力を備えている人[1] という意味もあり、「無冠の帝王」とほぼ同じ意味で、儒教では孔子を「素王」と呼ぶ[2]。後半生に渡って貴い地位には縁が無かった孔子を、帝王の徳を持つが帝王の冠を持たない人としてたたえている(同様のことばは道教にもある)。しかし、実際には孔子は幾度も仕官を求め、時には成り上がり者の陽虎(陽貨)のような、儒家・儒教の道徳上では好ましくない人物に出仕しようとした(『論語』陽貨篇)こともあったのである。

元々は新聞記者を指した表現といわれる[3]。これは、新聞記者は特に地位や権力を有しているわけではないが、決して圧力に屈することなく、世論を武器に権力者に対抗するという意味から名付けられたものである。また「新聞記者は時の実力者(政治家実業家等)に名刺一枚で会って話を聞くことができるから」という説や[4]、いわゆるマスコミ第四の権力としての機能を評価した表現という説もある[5]

現在では、相当の実力を持ちながらも、その実力に相応しい賞やタイトルを獲得できていない人物を指す言葉となっている。多くの分野で用いられるが、特にスポーツ選手の実力を賞賛するために使われる例が多い。一方で、肝心なところで勝負強さを発揮できず、賞を取り逃していることから、やや揶揄的な意味を込めて使われることもある。

また、この類似的表現として「シルバーコレクター」がある。主にスポーツの世界において、何度もあと一歩で優勝を逃し2位(あるいは銀メダル)に甘んじている選手やチームを指す和製英語である。「万年2位」もほぼ同義語。これに似た意味として、「ブロンズコレクター」もほぼ同じ意味の用語である(何度もあと一歩で優勝を逃し3位(あるいは銅メダル)に甘んじている選手やチームを指す和製英語である)。「優勝するだけの能力を持ちながらも運に恵まれない」としてその選手(チーム)の実力を賞賛する目的で使われることがある一方で、「実力はあるが肝心のところで精神的な弱さが露呈する」などと揶揄する意味で使われる場合もある。

下記にて、該当する人物(団体・チーム)の一覧を示すが、「無冠の帝王」「シルバーコレクター」のみならず、類似的表現で形容されている人物(団体・チーム)を含むこと、及び、かつてそのように形容されていたが、タイトル「優勝」を叶えたことで現在は称号を返上している人物(団体・チーム)をも一覧の対象として含むことに留意されたい。

無冠の帝王の例

野球

サッカー

2017年シーズンにJ1優勝を果たすまで「シルバーコレクター」と呼ばれていた[15][16]
1979年にブンデスリーガ1部に昇格後、ブンデスリーガ2023-2024で初優勝を飾るまで45年間も無冠が続き、一部では「ネバークーゼン英語版」とも呼ばれていた[21]

バスケットボール

NBAにおいて、シーズンMVPに1回、得点王に4回輝いたが、「NBA優勝」を叶えられないまま、2013年に引退した[22]
NBAでのシーズン得点王に1回、及び、オリンピック金メダルに3回輝いているが、2018年2月現在、「NBA優勝」は叶っていない。このため、「無冠のスーパースター」と称されている[23]

陸上

2004年のアテネオリンピックから2016年のリオデジャネイロオリンピックまで、4回のオリンピックに出場したが、個人種目としての金メダルが叶っていないことから、「無冠の帝王」と称される。なお、2016年のリオデジャネイロオリンピックでの400mリレーでの金メダルメンバーに輝いている[24]
1980年のモスクワオリンピックから2000年のシドニーオリンピックまで、6回のオリンピックに出場したが、金メダルをついに叶えられなかったことに加えて、100mで2個、200mで3個の銅メダルを獲得したことから、「ブロンズコレクター」と称された[25]

テニス

1998年の全豪オープンで準優勝を果たしたリオスは[26]、同年3月に北米で開かれたマスターズ1000のATPツアーであるインディアン・ウェルズマイアミ・オープンを2週連続で制覇し、3月末のランキングでピート・サンプラスを抜き1位になった。四大大会無冠の状態でランキング1位になったのは1983年のイワン・レンドル以来史上2人目のことであった。在位1位期間を6週で終えたリオスはその後、怪我や不調に悩まされ2004年に現役を退いた。オープン化以降の元1位の男子テニス選手としては唯一のグランドスラム無冠の選手である。[27]
2回のグランドスラム準優勝があったサフィナは、2009年4月に女子シングルスの世界ランキング1位になり、その直後に行われたどちらもクレーコートのプレミアトーナメントであるBNLイタリア国際マドリード・オープンにおいて2週連続での優勝を果たした[28]。続く世界女王として初めて臨んだ四大大会である2009年全仏オープンでも決勝まで進出したものの、決勝で同じロシアのスベトラーナ・クズネツォワに4-6、2-6のストレートで敗れ、全仏オープン2年連続準優勝、グランドスラムでは通算3回目の準優勝となった[29]。その後も彼女は一度も四大大会の女子シングルスのタイトルに手が届かず、「無冠の女王」を返上できぬまま2014年に現役を引退した。なお、ダブルスでは2007年全米オープンでフランスのナタリー・ドシーとのペアで四大大会優勝を果たしている。
2010年に女子テニスの世界ランキング1位に輝いたが、長らく四大大会のタイトルと縁がなく、「無冠の女王」と称されていた。しかし、2018年1月の全豪オープンで優勝して、「無冠の女王」を返上した[30]
2017年に女子シングルスの世界ランキング1位となるが、グランドスラムでは3回決勝進出するもいずれも敗れて準優勝。3回目の2018年全豪オープンでは、先述のウォズニアッキとの「無冠の女王」対決に敗れての準優勝であった。しかし4回目の決勝進出となった2018年全仏オープンで優勝し、「無冠の女王」を返上した[31]

バドミントン

2004年にマレーシア・オープンで優勝して以降、BWFスーパーシリーズで数々の優勝を重ね、2008年から2012年までのおよそ4年間にわたって男子シングルスの世界ランキング1位に君臨したが、オリンピックでは北京ロンドンリオデジャネイロと3大会連続で決勝に進みながらもすべて敗れて準優勝、世界選手権でも4度決勝に進出しながらすべて敗れており、「無冠の帝王」と称される。結局オリンピックや世界選手権のタイトルには届かないまま、2019年に病気が原因で引退した[32]

大相撲

春秋園事件により日本相撲協会を一時脱退したが、1933年1月場所に幕内格で帰参。「別席」で地位が明記されていなかったが、この場所11戦全勝で初優勝を果たし、NHKの相撲中継アナウンサーとして名を馳せた山本照から「無冠の帝王」と称された[33]

フィギュアスケート

柔軟性を活かした演技や表現力で、2000年代を代表するフィギュアスケート選手であり、グランプリファイナルでは1回優勝しているが、オリンピック、世界選手権ではいずれも最高成績が銀メダルにとどまり、「シルバーコレクター」「無冠の天才」と称された。
ジュニア時代は主要タイトルを全て制覇している一方、シニア以降は毎年主要国際大会で表彰台に上っているものの準優勝で終わることが多いため「シルバーコレクター」と称されることがあったが、2019年の四大陸選手権にて初の主要国際大会優勝を成し遂げ、「シルバーコレクター」を返上した[36]

スピードスケート

世界スプリント選手権を4回優勝するなど、1990年代後半から2000年代を代表するスピードスケート選手であったが、オリンピックでは4回の出場のうち長野オリンピックの銀メダルのみにとどまり、「悲運の英雄」と称された[37]

ノルディック複合

2位が続いたことから「シルバーコレクター」と称される[38]
ノルディック複合・ワールドカップで、2003-2004シーズンから、個人総合4連覇を達成しているが、オリンピック(通算で5回出場)や世界選手権では、個人での金メダル(優勝)に全く縁がなかった(なお、ソルトレークシティオリンピックでの団体戦で金メダルを獲得している)。そのため、「無冠の帝王」と称されることがある[39]

アルペンスキー

競馬

3歳時の条件戦阿寒湖特別勝利以降、GI含む重賞競走で7回2着となり、初の重賞制覇となった2000年の目黒記念まで約2年8ヶ月間勝利がなかったことで「善戦ホース」として人気を博した。
その後、引退レースとなった50戦目の2001年香港ヴァーズにおいて、初めてGIを勝利した。
1991年から1993年にかけて、3年連続で有馬記念で3着に終わるなどして、GI未勝利に終わったことから、「ブロンズコレクター」と称された[42]
同じ世代に三冠馬オルフェーヴルがおり、同馬の2着に敗れたことが4度もある(2011年東京優駿神戸新聞杯菊花賞・2013年有馬記念)[43]他、2014年天皇賞(春)フェノーメノに敗れ2着であった。なお、オルフェーヴル・フェノーメノの父はいずれも上述のステイゴールドである[44][45]
2014年以後、GI競走にコンスタントに出走しており、2015年から有馬記念に3年連続で出走しているが、2015年の有馬記念、2016年のジャパンカップで2着に終わるなど、GIを含む重賞未勝であることから「シルバーコレクター」と称される[46]
父はステイゴールド。引退まで17戦、勝利は未勝利戦の1度のみ。2着は2018年菊花賞など7度を数え「ステイゴールドの後継者」[47]「最強の1勝馬」[48]と称するメディアもある。獲得した本賞金1億9570万円は、JRAに記録の残る1986年以降の1勝馬の中で史上最高額となった[49]
出走した30回のうち10回2着となっており[52]、その内重賞で6回2着となっている[52][53]。5戦連続で2着を記録したが[52][54]、2019年の中山牝馬ステークスにて重賞初勝利となった[55]
3歳時にスイートピーステークスリステッド)で2勝目を挙げて以降、優駿牝馬秋華賞ジャパンカップとGIで3度の2着を含めて、重賞で2着6回・3着2回の好成績を残すも勝ちきれず「シルバーコレクター」と称される[57]

K-1

F1

WRC

お笑い賞レース

将棋

将棋のタイトル戦でタイトル獲得歴の無い棋士としては最多の6度も挑戦者となるもタイトルを獲得していないため「無冠の帝王」「シルバーコレクター」と称される。

プロレス

空手

脚注

関連項目

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