真鶴町

日本の神奈川県足柄下郡の町

真鶴町(まなづるまち)は、神奈川県の南西部に位置し、足柄下郡に属する。町域の半分は、三方を海に囲まれる[1]

まなづるまち ウィキデータを編集
真鶴町
星ヶ山から眺めた真鶴半島と真鶴港
真鶴町旗真鶴町章
真鶴町旗真鶴町章
日本の旗 日本
地方関東地方
都道府県神奈川県
足柄下郡
市町村コード14383-9
法人番号6000020143839 ウィキデータを編集
面積7.05km2
総人口6,228[編集]
推計人口、2024年4月1日)
人口密度883人/km2
隣接自治体小田原市、足柄下郡湯河原町
町の木クスノキ
町の花ハマユウ
町の鳥イソヒヨドリ
真鶴町役場
町長小林伸行
所在地259-0202
神奈川県足柄下郡真鶴町244-1
北緯35度09分30秒 東経139度08分14秒 / 北緯35.15844度 東経139.13717度 / 35.15844; 139.13717 東経139度08分14秒 / 北緯35.15844度 東経139.13717度 / 35.15844; 139.13717
真鶴町役場
真鶴町役場
地図
町庁舎位置
外部リンク公式ウェブサイト

真鶴町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

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真鶴半島とその周辺にあり、歴史的な経緯から真鶴町真鶴と、同町の2つの地区で構成されている[2]。古くから上質の石材とされる本小松石の産地である。町の名は、半島の形が羽根を広げたツルに似ていることから付けられた[3]

地理

真鶴半島湯河原町の中心部
丹沢山地より見た真鶴半島と相模灘

箱根火山の南東に位置し、相模湾の西を画す小さな真鶴半島と、その北の海岸部・後背の山地からなり(岩 (真鶴町))、北西から南東に伸びた細長い形をしている[2]。北東の小田原市と南西の湯河原町に挟まれる。

真鶴半島は、切り立った海岸を持つ溶岩台地である。先端は真鶴岬で、岬の先の海上に三ツ石(三つ岩)を望む。県立真鶴半島自然公園に指定されている。町域は全般に起伏が多く、平地は少ない。緩い傾斜面を持つ半島の付け根に市街地があり、その北西に真鶴駅、東に岩漁港と海水浴場、南東に真鶴港がある。市街地の北の山には採石場が多い。北部海岸沿いの丘陵はミカンの栽培が盛んである。町の北西部は、箱根火山の外輪まで続く山地の一部である。

日本のリビエラ

町域の大部分が山地帯で平坦地に乏しいが、箱根火山の山麓はミカン園として利用され、北に箱根、南に相模湾を望む斜面地からの眺望は、南フランスイタリア地中海沿岸に良く似ているといわれ、日本のリビエラと呼ばれている[4]

なお、隣接する小田原市の片浦地区は「東洋のリビエラ」とも呼ばれている[5]

隣接している自治体

人口

1970年以降、人口は減少傾向にある。2017年には神奈川県内で初めての過疎地域に指定された[6]

真鶴町と全国の年齢別人口分布(2005年)真鶴町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 真鶴町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

真鶴町(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より


歴史

沿革

平成の大合併における真鶴町

真鶴町は湯河原町と、2005年1月を目処に合併を目指していたが、真鶴町で行われた合併の賛否を問う住民投票で僅差で反対が上回り、合併は中止になった。真鶴町民の十分な理解が得られなかった背景には、「新市名が湯河原市となる」「これまでなかった都市計画税が新たに徴収される」等の要因が挙げられる。

行政

神奈川県の13町1村の首長で作る神奈川県町村長会に加盟する[9]

「真鶴」の読み方について

真鶴駅の駅名標

「真鶴」(自治体名)は、現在は「まなる」と読むのが正しい。自治体名の読み方は、岩村と合併した際の昭和31年9月30日『官報』[注釈 1]で「まなづる」として告示されている。しかし、その後発行されている『全国市町村要覧』等の各種文献では「まなつる」と記載されている。

真鶴町ではこの経緯を調査したが、合併告示の処理の際に誤植があった、昭和37年に自治体名の読み方を「まなつる」に変更した、などいくつかはっきりしない情報があるのみで、確かな事実は判明しなかった。いずれにしても、地元で「まなつる」と澄んで読む人はいないとのことであり、2005年(平成17年)に、一般的な発音である「まなづる」に自治体名を変更し、総務省に届け出た[11][12]

字名については、昭和31年11月9日神奈川県公報にて「まなる」と告示され、今に至っている。これについても、湯河原町との合併協議[13]や自治体名変更の際に「まなづる」に統一することも検討されたが、湯河原町との合併が破談に終わったこと、上記の通り告示の経緯が不明であったことなどから、「まなつる」のままである[14]。よって、「真鶴町真鶴」は「まなるまち まなる」と読むのが、地名としては正確である。

東海道本線真鶴駅、および真鶴道路(真鶴ブルーライン)の「真鶴」の読み方は「まなる」である。なお、真鶴駅については1920年代後半、全国的に駅名表記を発音どおりに改めたことがあり、短期間ながら「まなる」としていた時期がある[15]

まちづくり条例

「真鶴町まちづくり条例」は国による1993年制定、翌年施行の条例である[20]。まちづくり計画として条例第10条「美の原則(8つの原則)」および「美の基準」、開発や建築を行うときのルール、議会の役割や住民参加などを定めている[21]まちづくりを条例で規定した例として、全国的に先駆的な事例で、「美」を法令上規定することも異例であった[21]。「美の原則」のデザインの指針(デザインコード)は、かつて美しかったイギリスの歴史的建築物が次々と取り壊されていくのを心配したチャールズ3世(当時皇太子)の『英国の未来像 建築に関する考察』[22][23]の発想を参照している。この著書でいわれている「建築の10の原則」は、都市に住む人間にとって、国や時間を超えて共通の普遍性を持つものであるため、考え方のヒントとされている[27]

なお、真鶴町は2005年、市町村で初めて景観法に基づく景観団体になり、2006年に景観計画を告示した[24]

箱根山からの傾斜地であるという地形上の特徴とあいまって独特の眺めを作り出している。古くからその地形的条件でわずかな土地を居住地として、海・山・畑の仕事により風景が織り成されてきた。また、真鶴半島の先端は御林として真鶴町の象徴として精神的なシンボルともなっている。これらの景観を豊かで美しい景観形成を図るために定めている。

美の基準

真鶴町では「」を個人的な主観としないために、8つの原則美の原則)を立てている。真鶴町を美しくすることによって生き生きと生活するために、原則の具体的な手がかりや、全体のつながり、基準の詳細が基準として定められている。この美の基準は強制されるものではなく、みんなで作るものであり、参加によって修正されたり蓄積されたりする意図がある。実験的に長期にわたり続けられることで、真鶴町を「美しく豊かにしていく」ものとして計画されている[21]

  • 美の基準(#美の原則と関連)
    • 私たちは「場所」を尊重することによりその歴史、文化、風土を町や建築の各部に「格づけ」し、それら各部の「尺度」の継りを持って青い海、輝く森、と言った自然、美しい建物の部分の共演による「調和」の創造を図る。それらは真鶴町の大地、生活が生み出す「材料」にはぐくまれ、「装飾と芸術」といった、人々に深い慈愛や楽しみをもたらす真鶴独自の質をもつものたちに支えられ、町共通の誇りとして「コミュニティ」を守り育てるための権利、義務、自由を生きづかせる。これらの全体は真鶴町の人々、町並、自然の美しい「眺め」に抱擁されるであろう。

美の原則

真鶴町は自然環境、生活環境及び歴史的文化的環境を守り、かつ発展させるために、次に掲げる美の原則に配慮するものとして定めている。

  • 場所
    • 建築は場所を尊重し、風景を支配しないようにしなければならない。
  • 格づけ
    • 建築は私たちの場所の記憶を再現し、私たちの町を表現するものである。
  • 尺度
    • すべての物の基準は人間である。建築はまず人間の大きさと調和した比率をもち、次に周囲の建物を尊重しなければならない
  • 調和
    • 建築は青い海と輝く緑の自然に調和し、かつ町全体と調和しなければならない。
  • 材料
    • 建築は町の材料を活かしてつくらなければならない。
  • 装飾芸術
    • 建築には装飾が必要であり、私たちは町に独自な装飾を作り出す。芸術は人の心を豊かにする。建築は芸術と一体化しなければならない。
  • コミュニティ
    • 建築は人々のコミュニティを守り育てるためにある。人々は建築に参加するべきであり、コミュニティを守り育てる権利と義務を有する。
  • 眺め
    • 建築は人々の眺めの中にあり、美しい眺めを育てるためにあらゆる努力をしなければならない。

経済

産業

水田がなく、北部海岸近くの丘陵にミカン果樹園が広がる。2000年(平成12年)の販売農家数は44戸で、経済的にも就業構造から見ても農業は微々たるものである。かつては真鶴港・岩漁港からの漁業が盛んだった。真鶴を特徴づける産業は、中世までさかのぼる小松石の採掘である。

加えて観光業が振興されている。2015年の観光客数は113万人で例年同様に推移しており、日帰りの飲食による割合が高い[29]。なお、周辺の箱根町は1737万人、小田原市は453万人、湯河原町は310万人である[29]

2015年の就業者数を産業別[30][要ページ番号]で見た内訳は次のとおり。

県の資料[注釈 3]によると、2015年(平成27年)の真鶴町の就業者数3467人は、最も割合が多かった宿泊業・飲食サービス業は第3位11.6%、同じく最も少なかった情報通信業は第53位1.7%。農林業は第15位1.9%。順位は神奈川県内の58市区町村に対してである[34]

真鶴町
(上・%
下・順位)
項目名神奈川県
(上・%
下・順位)
備考
3467従業者数(人)412万1817
1.9
15
農業・林業0.8
45
8.2
11
建設業6.7
41
11.6
43
製造業14.4
30
1.7
53
情報通信業6.0
2
4.6
44
運輸業・郵便業5.8
6
15.4
22
卸売業・小売業15.1
27
11.6
3
宿泊業・飲食サービス業5.6
15
11.7
17
医療・福祉10.7
40
6.5
43
サービス業6.8
5
上記に未分類の業種
=真鶴町は県下58市区町村に対して、神奈川県は全国47都道府県に対して、それぞれ順位を示した[34]

姉妹都市・提携都市

安曇野市役所本庁舎
玄関前には真鶴町寄贈の本小松石による銘板石が置かれている(左下[35])。

国内

地域

教育

官公庁・公共施設

医療

  • 真鶴町国民健康保険診療所

金融機関・郵便局

放送

交通

  • JR真鶴無線基地

公園

  • 荒井城址公園 - 真鶴町で唯一の都市公園で、遊具や駐車場が設置され、園内までベビーカーを押して移動ができる。[47]
  • 地域の公園
    • サンライズポイント前小公園
    • 用留小公園
    • 宝性院ちびっこ広場 - 宝性院跡地[48]
    • 大ヶ窪ちびっこ広場

店舗

交通

鉄道路線

真鶴駅
東日本旅客鉄道(JR東日本)
東海道線上野東京ライン

東海道本線の開通以前は、人車鉄道軽便鉄道豆相人車鉄道→熱海鉄道1896年(明治29年)から1923年(大正12年)にかけて存在していた。

路線バス

タクシー

  • 真鶴タクシー
  • 湯河原タクシー

その他

  • 真鶴半島遊覧船

道路

有料道路
国道
  • 国道135号 - 湯河原町福浦から内陸へ北上し、線路沿いに真鶴駅南脇を通り、岩地区北部で沿岸部へと出て真鶴道路を吸収しつつ、小田原市へと北上する。
県道
農道
林道

名所・旧跡・観光スポット

美術館、博物館
建造物

景観

水辺
里と町
  • 背戸道(せどみち) - #美の基準の一つで「真鶴」ならではの散策路。傾斜地の石垣は地元で採れる「小松石」が積まれている[53]。家と家との間を縫うように配され、階段や坂道まじりの小道を植栽が彩る。原義は車の通れない人の気配のする路地のこと。
旧跡、名所

神社・仏閣

公園

漁港・海水浴場・ボート

マリーナ

戦争遺跡

貴船神社慰霊碑
  • 海軍特別攻撃隊真鶴基地跡
    • 本土決戦に備えて海軍第一特攻戦隊の特殊潜航艇[注釈 5]が真鶴港周辺に少数配備された。現在の真鶴マリーナ周辺に特殊潜航艇の格納壕跡が残るが現在はブロックで封鎖されているため、見学不能。
  • 忠魂碑 - 貴船神社入り口右手に位置する。書は元帥公爵山形有朋
  • 戦没者慰霊碑 - 貴船神社忠魂碑手前に位置する。終戦五十年の年に建立された。
  • 三ツ石投下試験場
    • 大戦末期(1944年11月頃〜1945年5月)に三ツ石は軍艦に見立てられ、帝国陸軍の開発した無線誘導弾試作機の試験標的とされた。コンクリート製の投下目標は現在も引き潮時に見学可能。
  • 防空壕跡 - 真鶴橋直下。
    • 戦後、役目を終えた壕は鉄板で閉鎖された。貴船神社の下にも沼津の工作隊が建築した防空壕がある。どちらも見学不能CITEREF神奈川県歴史教育者協議会1996[58]

祭事・催事

  • 三ツ石初日の出(三ツ石海岸)- 1月1日
  • 貴船神社 初詣 - 1月1日
  • どんど焼き - 1月
  • 道祖神祭り - 1月
  • 真鶴まちなーれ - 3月 アートと町を巡る鑑賞ツアー、創作と交流のワークショップ
  • しだれ桜の宴 - 3月下旬
  • 豊漁豊作祭「岩龍宮祭」- 5月[59]
  • 児子神社例大祭 - 7月中旬
  • 貴船神社の船祭り (貴船まつり)(貴船神社、国の重要無形民俗文化財) - 7月27日、28日
  • 岩海岸夏まつり・豊漁豊作祭 盆踊り - 8月
    • 灯籠流し、花火大会、浴衣無料レンタル
  • マナ真鶴 ハワイアンの夕べ - 8月下旬
  • 豊漁豊作祭「真鶴龍宮祭」- 11月
  • 真鶴なぶら市(いち) - 毎月末日曜

出身有名人

ゆかりの有名人

脚注

注釈

出典

参考文献

本文の典拠、主な執筆者名順。

関連項目

関連資料

本文の典拠ではない資料、出版順。

景観
  • 西山 康雄「エセックス州のデザイン原理とデザイン・ブリーフ--イギリス人における住宅地デザイン・コントロール」『都市計画論文集』日本都市計画学会、1988年、211-216頁。
  • 西村 幸夫「英国都市計画における歴史的環境保全のための地区制度の展開」『日本建築学会計画系論文報告集』日本建築学会、1991年、第422号、53-67頁。
  • 五十嵐 敬喜、野口 和雄、池上 修一「第4章『美の基準』」『美の条例 : いきづく町をつくる : 真鶴町・一万人の選択』学芸出版社、1996年。ISBN 4761521538NCID BN14368362
  • わいふ編集部『年金で豊かに暮らせる町』社会思想社、2000年。ISBN 4390604325NCID BA46526960
  • 松原 隆一郎『失われた景観 : 戦後日本が築いたもの』PHP研究所〈PHP新書227〉、2002年。ISBN 4569622704NCID BA59787741
  • 北村 貞太郎『土地利用計画と市町村条例 : 地方分権時代へ向けての農村計画』農林統計協会、2003年。ISBN 4541030675NCID BA61977251
  • 阪上 順夫『21世紀地方都市の活性化 : 松阪市と小田原市の比較研究』和泉書院〈松阪大学地域社会研究所叢書5〉、2003年。ISBN 4757602596NCID BA67346107

中川一政美術館

建築
収蔵品、展示図録
  • 中川 一政、中川一政美術館 (神奈川県真鶴町立)『真鶴町立中川一政美術館図録』真鶴町立中川一政美術館、1989年。NCID BA54487503
  • 真鶴町立中川一政美術館、中川 一政、富岡 鉄斎『中川一政墨彩画展 : 富岡鉄斎の世界とともに 真鶴町立中川一政美術館』真鶴町立中川一政美術館、1997年。NCID BA66816136
  • 大竹 昭子『あの画家に会いたい : 個人美術館』新潮社〈とんぼの本〉、2009年。ISBN 9784106021886NCID BA90132567
  • 赤瀬川 原平『個人美術館の愉しみ』光文社〈光文社新書546〉2011年、ISBN 9784334036492NCID BB07060919
  • 中川 一政、真鶴町立中川一政美術館『中川一政美術館の軌跡 : 真鶴町立中川一政美術館開館三十年記念展』真鶴町立中川一政美術館、2018年。NCID BB2729138X

外部リンク