紀元前389年

紀元前389年(きげんぜん389ねん)は、ローマ暦の年である。

世紀前5世紀 - 前4世紀 - 前3世紀
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紀元前389年
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当時は、「ポプリコラ、カピトリヌス、エスクイリヌス、マメルキヌス、コルネリウス、アルビヌスが執政武官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元365年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前389年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法

できごと

ギリシア

中国

  • に侵攻した。
  • 田和と濁沢で会盟し、諸侯となることを求めた。
  • 令尹宰相呉起が、政治、行政、軍制改革に着手し、最初の一連の法令を定めた。呉起は、この国から腐敗を一掃し、特権を制限しようと取り組んでおり、それに反発していた楚の高官や貴族たちは呉起への怒りや不信を高めた。呉起は、最後には紀元前381年悼王の葬儀の際に暗殺されたが、暗殺者たちは直後に即位した粛王によって一族もろとも処刑された。
  • 歴史書『春秋』の代表的な注釈書で、左丘明という盲目の歴史家の作とされる『春秋左氏伝』が、この年までに成立した(より古い可能性がある)。

誕生

死去

脚注

注釈

出典

関連項目