赤色テロ
赤色テロ・赤色テロル(せきしょくテロ、せきしょくテロル、英語: Red Terror、ロシア語: красный террор, tr. krasnyj terror)とは、共産主義者が行なう反政府的暴力行為[1]、革命勢力や反政府勢力、共産主義国が起こすテロ (テロリズム)である。特に、ソビエト・ロシアにおいて、ボリシェヴィキおよび秘密警察チェーカーによって実行された政治的弾圧と大量虐殺、ロシア革命後の1918年9月初めから始まり、1922年まで続いたテロリズムを指す[2][3]。広義には、ロシア内戦(1917-1922年)を通じて行われたボリシェヴィキによる政治的弾圧を指し[4][5][6]、白軍によって実行された白色テロとは区別される。
対義語は白色テロで、これは為政者・政府が反政府運動や革命運動に対して行う弾圧[7]、復古勢力や政府が起こすテロのことをいう。
ロシア
赤色テロルとは、内戦期にチェーカーが行ったテロルのことである[8]。レーニンは、早くから革命にはテロリズムが必要であると考えていた。彼はフランス革命や自らの兄アレクサンドル・ウリヤノフも信奉したロシアの虚無主義、セルゲイ・ネチャーエフを研究し、熱心にテロを奨励したと言われている。[要出典]
チェーカーが、政治的テロルを行い始めたのは、7月危機の時期であった。左派エスエルの蜂起に対して、チェーカーは政敵の殺害をはじめ、共産党による一党独裁のための暴力装置になった[8]
さらに大きな転機は、1918年8月30日、左翼社会革命党(左派エスエル)の党員ファニヤ・カプラン (ファニー・カプラン)がレーニンを狙撃したレーニン暗殺未遂事件が起きた[注釈 1]、また、同日、ペトログラード・チェーカー議長モイセイ・ウリツキーが暗殺された。これらの事件以降、赤色テロルは、フランス革命の恐怖政治をモデルとして[10]、ボリシェヴィキ権力に対する反対派、敵対勢力、その他の脅威となりうる人間を排除していった[11]。
同年9月にレーニンは「赤色テロ」政令を発して、「白色テロには赤色テロで応じる」ことを宣言した[8]。しかし既にボリシェビキによるテロはいたる所で行われており、この宣言はそれを正当化した形であった。レーニンは、秘密警察チェーカー(後のKGB)を動員して反対派を徹底的に抹殺した。国民に密告を奨励して「反革命」とみなされた人物を次々と逮捕・処刑した。また、チェーカーによるテロルは単に政敵を葬るのみならず、その対象は対象となる人物の階級になった[12]。ロマノフ朝最後の皇帝であったニコライ2世一家もエカテリンブルクで全員虐殺された[13]。亡命できた者を除いて、その他の皇族や、資産家、クラークなども、「人民の敵」というレッテルを貼られて裁判もなしに殺害された。
これらの事実は欧米に衝撃を与え、ナチズムなどの反共主義が広がる要因となった。[要出典]さらに、チェーカーは、1918年の夏には、多発する農民反乱の鎮圧にも積極的に関与し、収容所の管理も行なった[14]。
赤色テロによる死者数
赤色テロによる死者数については諸説ある。
人民社会党のセルゲイ・メリグーノフが1924年に出版した本では、ボリシェヴィキの政策による死者数を176万6188人とするサロレアの説を紹介して、数値の正確性には疑問があるもの、サロレアによる赤色テロの描写は、自らが体験した現実と一致しているとして支持した[15][16]。
ブルース・リンカーン(1989年)は約100,000 人と推定する[17]。
ローウェ(2002年)は、犠牲者は200,000件と推定する[18]。
バディム・エリクマン(2004年)によると、赤色テロの犠牲者の数は少なくとも120万人に上る[19]。
歴史家セルゲイ・ヴォルコフ(2010年)は、赤色テロルを内戦時代のボリシェヴィキの抑圧政策全体であるとし、赤色テロルによる死者数を200万人と推定している[20]。
歴史家アンドレア・グラツィオージ(2010年)は、帝政時代とソビエト時代の人口統計の考察によれば、1914年から1922年までの超過死亡者数は約1600万人で、そのうち400万~500万人が軍人、残りが民間人だった。 民間人の死因の多くは、ロシア飢饉 (1921年-1922年)による飢餓、発疹チフス、流行病、スペインかぜによるもので、赤色・白色テロルや弾圧の犠牲者数は数十万人にのぼるという[21]。
ライアン(2012年)は、1917年12月から1922年2月にかけて年間28,000 件の死刑が執行され[22]、赤色テロの初期に射殺された人は少なくとも10,000人と推定する[23]。
ストーン・ベイリー(2013年)やリチャード・パイプス(2011年)の推定では、50,000件から140,000件である[24][25]。
ロバート・コンクエストは、1917年から1922年にかけて14万人が処刑されたとするが、ジョナサン・D・スメレはおそらくその半分以下だろうと推定している[26]。
歴史学者ニコライ・ザヤツ(2018年)は、1918年から1922年にかけてチェーカによって射殺された人の数は約37,300人であり、法廷により1918年から1921年に銃殺された人々は14,200人、また、チェーカーだけでなく、赤軍による処刑を含めて合計約50,000人から55,000人であると述べている[27][28]。
ボリシェヴィキによる正当化
ソビエトにおける赤色テロは、ソビエトの歴史学において、ロシア内戦中の反革命勢力(白軍)に対する戦時作戦として正当化されてきた。 ボリシェヴィキは、実際に白軍を支持しているかどうかに関係なく、反ボリシェヴィキの諸派を白軍と呼んだ。レオン・トロツキーは1920年にその背景を次のように説明した。
彼はテロと革命を対比し、ボリシェヴィキがそれを正当化した理由を次のように述べた。
1917年11月のソビエトによる最初の権力奪取 は、わずかな犠牲によって達成された。 ロシアのブルジョアジーは、大衆から疎遠であったし、戦時中という状況によって妥協せざるをえず、ケレンスキー政権によって意気消沈していたので、ほとんど抵抗しなかった。 ……武器を手にして権力を征服した革命的階級は、権力を引き剥がそうとする試みをライフルによって抑圧する義務を負っている。 敵対する勢力に対しては、軍事力によって敵対するだろう。 武力を用いた陰謀、殺人や反乱に直面した場合には、敵の頭に無慈悲な懲罰を科すだろう。
ウクライナのチェーカー長官マルティン・ラツィスは、新聞でこう述べている。
我々は個人に対して戦争をしているのではない。 我々はブルジョアジー階級を絶滅させているのだ。 捜査では、被告がソ連権力に反対する行動や発言をとったかという証拠を探す必要はない。 尋ねるべき質問は、どの階級に属しているか、 出身地、学歴、職業などであり、これらが被告人の運命を決定する。 これが赤色テロの意義と本質である。—Red Terror, no 1, Kazan, 1 November 1918, p. 2[29]
レーニンはラツィスの決意を穏やかに批判した。
非ソビエト的な人間を政治的に責任あるポストに就かせてはならない。 チェカーは、白軍を支持する階級を鋭く監視しなければならない。とはいえ、ラツィス同志が、カザンの雑誌『赤色テロル』で述べたような、「ソビエトに対する反抗があったかどうかの証拠を探す必要はない。」といった不条理なことをする必要はない。彼は、赤色テロとは搾取者への弾圧を意味すると言いたかったのだ。ブルジョワ政府に対する政治的不信は正当であり、不可欠だが、 行政や建設において政治不信を利用することを拒否することは愚かであり、共産主義に計り知れない害をもたらす。—Lenin、A Little Picture in Illustration of Big Problems (1918–1919)[30]
1918年9月中旬に グリゴリー・ジノヴィエフは次のように説明している。
敵に勝つためには、社会主義的な軍事力が必須である。我々はソビエト・ロシアの人口1億人のうち9千万人と共に進んで行かなければならないが、残りの1千万人については何も言うことはない。 彼らは絶滅されねばならない。—Grigory Zinoviev、1918[29]
当時刑務所で裁判を待っていた 社会革命党左派 指導者 マリア・スピリドーノワは、ボリシェヴィキ中央執行部に宛てた1918年11月の公開書簡で次のように批判した。
最も堕落した議会でも、資本主義社会の最も腐敗した新聞でも、反対派に対する憎しみが、これほど高い冷笑主義に達したことはない。[…] 足かせをされた、非武装の無力な人々を毎晩殺害し、背後から銃撃し、衣服を脱がされた遺体をその場で埋葬し、完全に死んでいるわけではない、まだうめき声を上げている人を埋葬する――これはどういった種類のテロか? これはテロリズムとさえ言えない。 ロシア革命において、テロリズムという言葉は、復讐や脅迫を意味するものではなかった。テロリズムの当初の目的は、圧政に抗議し、抑圧された人々の魂の中にある価値観を目覚めさせ、黙って服従していた人々の良心を呼び覚ますことだった。 テロリストは、自らの自由と命を犠牲にしてテロ行為を行った。 このやり方でのみ、革命家のテロ行為が正当化され得る。 しかし、そのような正当性は、卑劣なチェーカーたち、ボリシェヴィキ指導者たちの信じがたい道徳的貧困のどこにも見出せない。これまで労働者階級は、自らの血で赤く染まった、汚れなき赤旗のもとに革命をもたらしてきた。 彼らの力強い道徳心は、人類の最高の理想のために苦しんできた。 社会主義への信念は、同時に、人類の高貴な未来への信念であり、善、真理、美への信念であり、あらゆる種類の武力の使用の廃止、世界の同胞愛への信念である。 そして今、あなた方は、かつてないほど人々の魂を燃え上がらせたこの信念を、その根幹から傷つけてしまった。—Maria Spiridonova, Open Letter to the Central Executive of the Bolshevik Party、November 1918[31]
カンボジア
1975年に親米政権を打倒して政権を掌握したクメール・ルージュは、農村部から都市部に至るまで、反対派を大量に殺戮した。クメール・ルージュによる大量殺戮は、1979年にベトナム軍が介入するまで続いた。
語源
「白色テロ」「赤色テロ」という用語はカール・マルクスの文献においても見られるが、本格的に行われるようになったのは、ロシア革命でウラジーミル・レーニンが樹立したボリシェヴィキ政権からである。
脚注
注釈
出典
参考文献
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