走高跳

陸上競技の一種

走高跳(走り高跳び、はしりたかとび、英語: High Jump)は、陸上競技の跳躍競技に属する種目で、助走をつけて片足で踏み切り、飛び越えるバーの高さを競う競技である。近代陸上競技としては19世紀のイギリスで始まった。「はさみ跳び」「ベリーロール」「背面跳び」などの跳躍方法があり、現在では「背面跳び」が主流となっている。2021年現在の世界記録は、男子は1993年のハビエル・ソトマヨルによる2.45m、女子は1987年のステフカ・コスタディノヴァによる2.09mである。

アテネオリンピック金メダリストエレーナ・スレサレンコによる背面跳び

ルール

シューズ
  • 靴底のスパイクは長さ12㎜以内のものが11本まで取り付け可能で、靴底の厚さは20㎜以内のものが使用できる[1]
マーカー
  • 助走の目安となるマーカー(目印)を2個まで置くことができる[2]
  • 主催者側がマーカーを用意していない場合は、選手側が用意した粘着テープなどを使うことができるが、チョークやその類似品、消えないマーカーは使用できない[2]
試技時間
  • 試技開始の合図があってから、競技者が4人以上の場合は1分以内、競技者が2-3人の場合は1分30秒以内、競技者が最後の1人の場合は3分以内、競技者が2人以上の場合で同一競技者が同一の高さを連続して試技を行う場合は2分以内に、試技を行わなければならない[3]
  • 混成競技の場合は、競技者が4人以上の場合は1分以内、競技者が2-3人の場合は1分30秒以内、競技者が最後の1人の場合は2分以内、競技者が2人以上の場合で同一競技者が連続して試技を行う場合(高さが変わっても適用)は2分以内に、試技を行わなければならない[3]
試技
  • 審判員より事前告知された高さのうち、競技者は任意の高さから開始してもよい[4]
  • 跳躍は、片足で踏み切らなければならない[5]
  • 跳躍中の動作により、バーが落下した場合は無効試技(失敗)となる[5]
  • バーを越えずに、バーの向こう側に触れたり身体の一部が出た場合は、無効試技(失敗)となる。ただし、跳躍になんら有利でないと審判が判断した場合は無効試技とはならない[5]
  • 3回続けて失敗すると、次の跳躍をすることが出来ない。[4]
  • ある高さを跳ばずにパスをして次の高さを試技することができる[4]
  • ある高さの1回目あるいは2回目を失敗した状態でパスをすることもできるが、次の高さは「3-(前の高さで失敗した回数)」回しか試技が行えない[4]
  • 最後の1人の試技では、試技者の希望の高さを聞いてバーを上げる[6]
順位決定方法
  • 複数の競技者で最後に超えた高さが同一の場合は、順位を以下のように決定する。
  1. 最後に超えた高さの試技回数が最も少ない方。
  2. 上記1が同一の場合、試技全体(最後に超えた高さおよびそれまでの高さまでを含めた試技数の全体)のうち、無効試技数の少ない方。[7]
  • なおそれでも1位が決定しなかった場合は当事者どうしの決戦試技(ジャンプオフ)がおこなわれる。ただし、競技者は決戦試技を拒否することができ、この場合は同率1位となる。[8]2位以下の場合は同順位となる。[9]

跳躍方法

1928年アムステルダムオリンピックの金メダリスト、エセル・キャサーウッド によるはさみ跳び
はさみ跳び(英語:Scissors jump)

バーに近い脚→バーから遠い脚を交互に振り上げてバーを超す方法[10][11]。1874年頃にはすでに用いられており[11]、 ウィリアム・バード・ページ(William Byrd Page)が1874年にバーから遠い脚をやや後方に配置する跳び方に改良した[10][注 1]。バー正面からの直線助走で行う「はさみ跳び」は日本においては「正面跳び」と呼ばれた[13][11]

イースタンカットオフ(英語:Eastern Cut-off)

バー正面から助走し、脚を交互に広げ[14]、クリアランス時に体がバーと水平になる様に前屈方向に回転させることでお尻をより持ち上げる跳び方[15]。19世紀後半にマイケル・スウィーニー英語版が編み出した[12]。日本では「正面跳び」と呼ばれた[14][13]

ウエスタンロール(英語:Western Roll)

斜めから助走し、バー側の脚で踏み切り、踏み切り脚を横向きの体の下側に引き寄せ、体は横回転してバーを越え、着地は脚から行う、といった跳び方[13][16][17]。20世紀初頭にジョージ・ホーリンが開発したとされる[18]。背が下向きとなるバリエーションは「ロールオーバー(Roll Over)」と呼ばれた[16]

ベリーロール(英語:Belly Roll、別名:ステラドル Straddle)

ウエスタンロール英語版と同様に斜めに助走し、バーに近い脚で踏み切り、頭部から飛び込み、クリアランス時はバーを中心に腹ばいの状態で胴体を回転させバーを越す跳び方[14][19]。1930年代にデビッド・アルブリットンが編み出したとされる[14][注 2]。1950年代になるとソ連の指導者・選手により、クリアランス時に上体をバーの着地側下方に倒す方法に改良され、「ソ連式ベリーロール」「ダイブ・ストラドル」と呼ばれた[20]

背面跳び(英語:Fosbury Flop)

バーに向かって半円を描くように助走し、バーから遠い脚で踏み切ると同時にバーに背を向ける方向に回転し、頭部から飛び込み、体を反ってバーを越え、そのまま背中で着地する方法[19][21][17]ディック・フォスベリーが考案し[14]1968年メキシコシティーオリンピック金メダルを獲得し、世に広まった[22]。現在、最も使われている跳び方となっている[14][23]

歴史

近代陸上競技以前の高跳び

古代ギリシャの競技会では高跳び競技は行われていなかった様である[12][14][注 3]。一方、「垂直方向への跳躍能力」を誇示したり競ったりする儀式・祭事・競技はアジアアフリカ先住民族などの世界各地で確認されており[25]、またケルトの人々のあいだでは一般的に行われていた様である[12]

18世紀のドイツでは子供向けの体育教育の一環として高跳びが用いられており[24]、また1834年発行の『英国男性の身体訓練』には軍事訓練の一つとして紹介されている[14][26]。この頃は「バー正面から助走を行い、膝を曲げて跳び、足から安全に着地する」といった跳び方で[27]、高さを競うとともに跳躍姿勢の美しさも求められるものだった様である[26]

近代陸上競技としての走高跳の黎明

19世紀になるとイギリスの各学校で始まった陸上競技大会の一種目として走高跳が行われる様になり[24]、1865年には「同一の高さの試技は3回まで」「両足踏み切り禁止」といった現在に繋がるルールが制定された[12]。当時の競技環境は、走幅跳のようなバー正面からの直線の助走路で、着地場所は普通の地面や芝生で[27][13]、着地の安全対策としてその上になめし皮やベッドマットを敷いたりする程度であった[13]。助走路の制約や着地の安全性の観点より[27]、当時の跳躍は「バー正面から助走し膝を折り畳んで跳ぶ」[14][28]、「バー正面から助走するはさみ跳び正面跳び)」[19][27][注 4]、「正面を向いたままで走り幅跳びの様な跳び方」[13]、「正面を向いたままでハードルを飛び越える様な跳び方」[13]といった様々な方法が取られていた[24]。1864年の第1回オックスフォードケンブリッジ大学対抗戦では1.66mの記録が残っている[26]。その後、イギリスにおいては、1875年にはAAC選手権でマイケル・ジョージ・グレイズブルック英語版が1.80mを、1880年にはキャリック・オン・シュア・スポーツでパトリック・ダヴァン(Patrick Davin)が1.90mの記録を残した[24][29]

アメリカでの跳躍法の改良

走高跳がアメリカに伝わると、1868年には初の正式な競技会が開催された(記録は1.67m)[24]。その後、着地地点を砂場にし着地の安全対策が進むと、クリアランス時に無理な態勢をとっても安全に着地できる様になり[13]、1874年にはウィリアム・バード・ページ(William Byrd Page)が「はさみ跳び」を改良[10][注 5]、また、マイケル・スウィーニー英語版がさらに改良し「イースタンカットオフ英語版」を編み出した[12]。「イースタンカットオフ」は、バー正面から助走し、脚を交互に広げ[14]、クリアランス時に体がバーと水平になる様に前屈方向に回転させることでお尻をより持ち上げる跳び方で[15]、1880年代にはアメリカにおいて主流の跳び方となり[14]、1895年にはマイケル・スウィーニーがこの跳び方で1.97mを記録した[14][29]。「イースタンカットオフ」やその派生の跳び方は、1940年頃まで、速い助走を好む選手に用いられていた[18]

また、1896年アテネオリンピックでオリンピック競技に初めて採用され、アメリカのエラリー・クラークが1.81mで金メダルを獲得した[24]

20世紀に入ると、ジョージ・ホーリンが「斜めから助走し、バー側の脚で踏み切り、踏み切り脚を横向きの体の下側に引き寄せ、体は横回転してバーを越え、着地は脚から行う」といった新しい跳び方「ウエスタンロール英語版」を開発した[13][16][注 6]。「ウエスタンロール」に対しては「ダイビングの様であり走高跳の跳躍方法とはいえない」と異議が申し立てられ、「頭部は腰より高い位置に置き、両足から先にバーを越えること」との規則が追加されることになった[13]。「ウエスタンロール」によって、1912年にはジョージ・ホーリンが2.00mを、1937年にはメル・ウォーカー英語版が2.09mを記録した[16]。「ウエスタンロール」は1936年ベルリンオリンピック頃までは主流の跳び方であった[19]

ベリーロールの登場

1933年には「頭の位置は腰より高く」との規則が、また1936年には「頭や胴体よりも足が先にバーを越えなければならない」との規則がそれぞれ撤廃された[12][30]。この時期にデビッド・アルブリットンが「ウエスタンロール」と同様に斜めに助走し、クリアランス時はバーを中心に腹ばいの状態で胴体を回転させバーを越す」といった新しい跳び方「ベリーロール」を編み出した[14][19][注 2]、デビッド・アルブリットンはこの跳び方で1936年に2.07mを記録するなど[31]、この当時の最も効率的な跳び方として[19]、主流の跳躍方法となった[30]

「ベリーロール」で、1956年にはチャールズ・デュマ英語版が2.15m、翌1957年にはソ連のユーリー・ステパノフ英語版をが2.16mを記録したほか[32][注 7]、1960年にはほぼすべての競技者が「ベリーロール」を使用する様になっていた[19]。1950年代から始まるソ連の指導者・選手による「ベリーロール」の技術改良[注 8]により、1963年にはワレリー・ブルメルが228cmまで記録を伸ばした[32]

背面跳びの登場(1968年)後の1970年代も、ベリーロールを用いる選手と、背面跳びを用いる選手が混在し、互いに競っていたが[22]、1978年にウラジミール・ヤシュチェンコ英語版が出した室内記録2.35m[34]、屋外での記録2.34mが[35]、「ベリーロール」での最後の世界記録となった[36][23]

背面跳びの登場

1960年代半ばには、着地用マットの整備が進むと、「曲線で助走し、背面を下側にバーを越え肩や背中で着地する」といった新しい跳躍方法「背面跳び」がディック・フォスベリーにより編み出された[12][14][19][28][21]1968年メキシコシティーオリンピックでディック・フォスベリーがこの跳び方で金メダルを獲得し(記録2.24m)[31]、多くの選手がこの跳び方を採用するようになった[22]。1970年代は「ベリーロール」と「背面跳び」は互いに競っていたが[22]、1980年代以降は「背面跳び」が世界で最も使われている跳び方となっている[14][23]。2021年現在の世界記録は、1993年にハビエル・ソトマヨルが「背面跳び」で出した2.45mである[23][37]

女子競技とパラリンピック

女子競技はアメリカにおいて1895年に初めて開催され、オリンピックでは1928年のアムステルダム大会より正式種目となった[12]ヨランダ・バラシュは「はさみ跳び」を使い、1958年1.78mを皮切りに1961年1.91mまで世界記録を更新し、1971年まで世界記録を保持した[38][39]。「ベリーロール」では、1971年にイローナ・グーゼンバウアーが1.92mを記録、1977年にはローズマリー・アッカーマンは女子初の2.00mを記録した[40]。1978年にサラ・シメオニが「背面跳び」で2.01mを記録、1987年にはステフカ・コスタディノヴァが「背面跳び」で2.09mを記録し、これが2021年現在の女子世界記録となっている[40]

パラリンピックでは、男女とも1976年のトロント大会より実施されるようになった[41]

記録

世界記録の変遷

世界記録の変遷 男子[42][注 9]
日付記録名前国籍跳躍方法など
1850年9月21日1.675mフランシス・テンプル(Francis Temple) イギリス
1860年3月27日1.70mロバート・バートン(Robert Burton)
1864年7月9日1.705mトーマス・ミッチェル(Thomas Mitchell)
1866年3月5日1.725mジョン・ルーペル(John Roupell)
1866年3月23日1.75mトーマス・リトル(Thomas Little)
1866年3月23日1.75mジョン・ルーペル
1871年4月3日1.765mロバート・ミッチェル(Robert Mitchell)
1873年7月7日1.785mトーマス・ダヴィン(Thomas Davin)
1874年3月30日1.80mマーシャル・ブルックス英語版
1876年3月17日1.83m「a feet first technique」[12]
1876年4月7日1.89m
1880年7月5日1.90mパトリック・ダヴァン(Patrick Davin)
1887年8月15日1.91mウィリアム・バード・ページ(William Byrd Page) アメリカ合衆国
1887年10月7日1.93m
1892年10月8日1.935mマイケル・スウィーニー英語版イースタンカットオフ[29]
1895年8月19日1.945mジェームズ・ライアン(James Ryan) イギリス
1895年8月28日1.955mマイケル・スウィーニー アメリカ合衆国
1895年9月2日1.965m
1895年9月21日1.97mイースタンカットオフ[14]
1912年3月29日1.985mジョージ・ホーリンウエスタン・ロール[43]
1912年5月18日2.00m
1914年5月2日2.01mエドワード・ビーソンフランス語版
1924年5月27日2.03mハロルド・オズボーン
1933年5月13日2.04mウォルター・マーティ英語版
1934年4月28日2.06mウォルター・マーティ
1936年7月12日2.07mコーネリアス・ジョンソンウエスタン・ロール[44]
1936年7月12日2.07mデビッド・アルブリットンベリーロール[44]
1937年8月12日2.09mメル・ウォーカー英語版ウエスタン・ロール[44]
1941年4月26日2.10mレスター・スティアーズ英語版ベリーロール[44]
1941年5月24日2.105m
1941年6月17日2.11m
1953年6月27日2.12mウォルト・デイビス英語版ウエスタン・ロール[44]
1956年6月29日2.15mチャールズ・デュマ英語版ベリーロール[44]
1957年7月13日2.16mユーリー・ステパノフ英語版 ソビエト連邦
1960年4月30日2.17mジョン・トーマス アメリカ合衆国
1960年6月24日2.18m
1960年7月1日2.22m
1961年6月18日2.23mワレリー・ブルメル ソビエト連邦
1961年7月16日2.24m
1961年8月31日2.25m
1962年7月22日2.26m
1962年9月29日2.27m
1963年7月21日2.28m
1970年11月8日2.29m倪志欽中国語版 中国
1973年7月11日2.30mドワイト・ストーンズ アメリカ合衆国背面跳び[35]
1976年6月5日2.31m
1976年8月4日2.32m
1977年7月3日2.33mウラジミール・ヤシチェンコ英語版 ソビエト連邦ベリーロール[35]
1978年6月16日2.34m ソビエト連邦
1980年5月25日2.35mヤチェク・ウショラ ポーランド背面跳び[35]
1980年8月1日2.36mゲルト・ベッシク 東ドイツ
1983年6月11日2.37m朱建華 中国
1983年9月22日2.38m
1984年6月10日2.39m
1985年8月11日2.40mルドルフ・ポバルニツィン ソビエト連邦
1985年9月4日2.41mイゴール・パクリン ソビエト連邦
1987年6月30日2.42mパトリック・ショーベリ  スウェーデン
1988年9月8日2.43mハビエル・ソトマヨル  キューバ
1989年7月29日2.44m
1993年7月27日2.45m
世界記録の変遷 女子[45][注 10]
日付記録名前国籍跳躍方法など
1911年7月12日1.27mエミリー・コンスタブル(Emily Constable) イギリスはさみ跳び[46]
1918年6月16日1.32mヘレーネ・リッテナウアーポーランド語版  オーストリア
1918年6月29日1.335mマリア・ケラードイツ語版
1918年6月29日1.335mヒルデ・ラーポーランド語版
1919年4月27日1.40mテア・バーショウ(Thea Barschow) ドイツ
1920年11月13日1.42mエリーゼ・コンスタン(Elise Constant) フランス
1921年3月26日1.472m
1921年7月17日1.50mヴァルトラウデ・シュミット(Waltraude Schmidt) ドイツ
1923年6月10日1.51mゲルトルード・デューリンク(Gertrude Döring)
1925年7月11日1.524mフィリス・グリーン(Phyllis Green) イギリス
1926年7月21日1.536mヴィオラ・エドワーズ(Viola Edwards) アメリカ合衆国
1926年8月2日1.552mフィリス・グリーン イギリス
1926年9月6日1.58mエセル・キャサーウッド カナダ
1927年3月10日1.585mマージョリー・クラーク英語版 南アフリカ連邦
1928年6月23日1.60m
1929年3月30日1.603mジーン・シャーリー英語版 アメリカ合衆国
1929年8月18日1.605mリエン・ヒソルフ オランダ
1930年4月19日1.612mジーン・シャーリー アメリカ合衆国
1932年6月12日1.62mリエン・ヒソルフ オランダ
1932年8月7日1.65mジーン・シャーリー アメリカ合衆国
1932年8月7日1.65mベーブ・ディドリクソン=ザハリアス「ダイビング・ロール」[47]
1939年5月29日1.66mドロシー・オーダム イギリス
1943年5月30日1.71mフランシナ・ブランカース=クン オランダはさみ跳び[48]
1951年7月7日1.72mシーラ・レーウィル イギリスベリーロール[48]
1954年5月22日1.73mアレクサンドラ・チュジナ ソビエト連邦はさみ跳び[48]
1956年5月5日1.74mセルマ・ホプキンス英語版 イギリスベリーロール[48]
1956年7月14日1.75mヨランダ・バラシュ  ルーマニアはさみ跳び[48]
1956年12月1日1.76mミルドレッド・マクダニエル アメリカ合衆国ベリーロール[48]
1957年11月17日1.77m鄭鳳栄英語版 中国イースタンカットオフ[38]
1958年6月7日1.78mヨランダ・バラシュ  ルーマニアはさみ跳び[38]
1958年6月22日1.80m
1958年7月31日1.81m
1958年10月4日1.82m
1958年10月18日1.83m
1959年9月21日1.84m
1960年6月6日1.85m
1960年7月10日1.86m
1961年4月15日1.87m
1961年6月18日1.88m
1961年7月8日1.90m
1961年7月16日1.91m
1971年9月4日1.92mイローナ・グーゼンバウアー  オーストリアベリーロール[38]
1972年9月24日1.94mヨルダンカ・ブラゴエワ ブルガリア
1974年9月8日1.95mローズマリー・ヴィチャス 東ドイツ
1976年5月8日1.96mローズマリー・アッカーマン(旧姓:ヴィチャス) 東ドイツ
1977年8月14日1.97m
1977年8月26日2.00m
1978年8月4日2.01mサラ・シメオニ イタリア背面跳び[49]
1982年9月8日2.02mウルリケ・マイフェルト 西ドイツ
1983年8月21日2.03m
1983年8月21日2.03mタマラ・ブイコワ ソビエト連邦
1983年8月25日2.04m
1984年6月22日2.05m背面跳び[50]
1984年7月20日2.07mリュドミラ・アンドノワ ブルガリア
1986年5月31日2.08mステフカ・コスタディノヴァ ブルガリア
1987年8月30日2.09m  ブルガリア背面跳び[50]

世界歴代10傑

世界歴代10傑 男子[51]
記録名前国籍日付
12.45mハビエル・ソトマヨル  キューバ1993年7月27日
22.43mムタズ・エサ・バルシム カタール2014年9月5日
32.42mパトリック・ショーベリ  スウェーデン1987年6月30日
ボーダン・ボンダレンコ  ウクライナ2014年6月14日
イワン・ウーホフ ロシア2014年2月15日
62.41mイゴール・パクリン ソビエト連邦1985年9月4日
72.40mルドルフ・ポバルニツィン ソビエト連邦1985年8月11日
ソリン・マテイ英語版  ルーマニア1990年6月20日
チャールズ・オースチン アメリカ合衆国1991年8月7日
ビャチェスラフ・ヴォロニン英語版 ロシア2000年8月5日
デレク・ドルーアン英語版 カナダ2014年4月25日
アンドリー・プロツェンコ英語版  ウクライナ2014年7月3日
ダニール・リセンコ英語版 ロシア2018年7月21日
世界歴代10傑 女子[52]
記録名前国籍日付
12.09mステフカ・コスタディノヴァ ブルガリア1987年8月30日
22.08mカイサ・ベリークヴィスト  スウェーデン2006年2月6日
ブランカ・ブラシッチ クロアチア2009年8月31日
42.07mリュドミラ・アンドノワ ブルガリア1984年7月20日
アンナ・チチェロワ ロシア2011年7月22日
62.06mヘストリー・クルーテ 南アフリカ共和国2003年8月31日
エレーナ・スレサレンコ ロシア2004年8月28日
アリアネ・フリードリヒ ドイツ2009年6月14日
マリア・ラシツケネ ロシア2017年7月6日
ヤロスラワ・マフチク  ウクライナ2021年2月2日

世界各エリア記録

エリア記録 男子[53]
エリア記録名前国籍日付
アフリカ2.38mジャック・フライターク 南アフリカ共和国2005年3月5日
アジア2.43mムタズ・エサ・バルシム カタール2014年9月5日
ヨーロッパ2.42mパトリック・ショーベリ  スウェーデン1987年6月30日
北中米カリブ海2.45mハビエル・ソトマヨル  キューバ1993年7月27日
南アメリカ2.33mジルマール・マヨ英語版  コロンビア1994年10月17日
オセアニア2.36mティム・フォーサイス オーストラリア1997年3月2日
ブランドン・スターク英語版 オーストラリア2018年8月26日
エリア記録 女子[54]
エリア記録名前国籍日付
アフリカ2.06mヘストリー・クルーテ 南アフリカ共和国2003年8月31日
アジア2.00mナデジダ・ドゥボヴィツカヤ英語版 カザフスタン2021年6月8日
ヨーロッパ2.09mステフカ・コスタディノヴァ ブルガリア1987年8月30日
北中米カリブ海2.05mチャウント・ロー英語版 アメリカ合衆国2010年6月26日
南アメリカ1.96mソランジュ・ウィッテフェーン英語版 アルゼンチン1997年9月8日
オセアニア2.02mエレノール・パターソン オーストラリア2022年7月20日

U20世界記録

U20 世界歴代10傑 男子[55]
記録名前国籍日付
12.37mドラグティン・トピッチ英語版 ユーゴスラビア1990年8月12日
スティーブ・スミス イギリス1992年9月20日
32.36mハビエル・ソトマヨル  キューバ1986年2月23日
42.35mディートマー・メーゲンブルク 西ドイツ1980年5月26日
52.34mウラジミール・ヤシチェンコ英語版 ソビエト連邦1978年6月16日
ティム・フォーサイス オーストラリア1992年7月4日
72.33m朱建華 中国1982年12月1日
パトリック・ショーベリ  スウェーデン1983年7月9日
マクシム・ネダセカウ英語版  ベラルーシ2017年7月22日
102.32m黄海強中国語版 中国2006年8月17日
U20 世界歴代10傑 女子[56]
記録名前国籍日付
12.05mヤロスラヴァ・マフチク  ウクライナ2018年10月15日
22.01mオルガ・トゥルチャク英語版 ソビエト連邦1986年7月7日
ハイケ・バルックドイツ語版 東ドイツ1989年6月18日
42.00mステフカ・コスタディノヴァ ブルガリア1984年8月25日
アリーナ・アスタフェイ  ルーマニア1988年7月29日
61.99mヴァシュティ・カニンガム英語版 アメリカ合衆国2017年6月23日
71.98mシルビア・コスタ英語版  キューバ1983年7月11日
エレーナ・エレシナ ソビエト連邦1988年8月13日
91.97mアンジェリーナ・トピッチ セルビア2023年6月9日
101.96mシャーメイン・ウィーバーズ英語版 南アフリカ共和国1981年4月4日
スヴェトラーナ・レセヴァ英語版 ブルガリア1986年8月11日
マリーナ・カプツォーワ英語版 ロシア2000年7月26日
ブランカ・ブラシッチ クロアチア2002年7月20日
アイリーン・パルシテ英語版  リトアニア2011年8月21日
エレノア・パターソン英語版 オーストラリア2013年12月7日
U18 世界記録 男子 / 女子[57][58]
記録名前国籍日付
男子2.33mハビエル・ソトマヨル  キューバ1984年5月19日
記録名前国籍日付
女子1.96mシャーメイン・ウィーバーズ英語版 南アフリカ共和国1981年4月4日
オルガ・トゥルチャク英語版 ソビエト連邦1984年9月7日
エレノア・パターソン英語版 オーストラリア2013年12月7日
ヴァシュティ・カニンガム英語版 アメリカ合衆国2015年8月1日
アンジェリーナ・トピッチ セルビア2022年6月26日

日本歴代10傑

日本歴代10傑 男子[59]
記録名前所属日付
12.35m戸邉直人つくばツインピークス2019年2月2日
22.33m醍醐直幸富士通2006年7月2日
32.32m君野貴弘順天堂大学1993年9月18日
42.31m吉田孝久ミズノ1993年5月9日
真野友博九電工2020年9月20日
62.30m阪本孝男東海スポーツ1984年5月6日
衛藤昂AGF2017年4月16日
赤松諒一アワーズ2023年7月22日
92.28m氏野修次近大和歌山高校教員1984年7月21日
井上基史筑波大学1987年6月7日
野中悟洛北高校教員1993年6月13日
宇野雅昭福岡大学1993年8月8日
尾上三知也スズキ1997年5月5日
高張広海日立ICT2015年5月10日
平松祐司筑波大学2015年5月16日
藤田渓太郎佐竹食品AC2020年10月24日
日本歴代10傑 女子[60]
記録名前所属日付
11.96m今井美希ミズノ2001年9月15日
21.95m佐藤恵福岡大学1987年5月17日
1.95m太田陽子ミキハウス2002年7月21日
41.93m福光久代大昭和製紙1981年6月7日
51.92m青山幸吹田市立第一中学校教員2004年7月3日
61.90m八木たまみ関東学園大学1978年10月19日
貞廣千波中京女子大学1994年11月2日
81.87m髙橋渚セイコー2024年2月24日
91.86m松井昌美京都府立桃山高等学校教員1988年7月9日
岩切麻衣湖プレジャー企画2001年5月26日
101.85m曽根幹子大昭和製紙1975年11月8日
津田シェリアイ築地銀だこAC2020年9月20日

日本ジュニア記録

U20 日本記録 男子 / 女子[61][62]
記録名前所属日付
男子2.29m君野貴弘順天堂大学1992年9月20日
記録名前所属日付
女子1.93m太田陽子日本体育大学1993年9月18日
高校記録 男子 / 女子[63][64]
記録名前所属日付
男子2.23m戸邉直人専大松戸高校2009年10月5日
記録名前所属日付
女子1.90m佐藤恵新潟市立沼垂高校1983年7月10日
中学記録 男子 / 女子[65][66]
記録名前所属日付
男子2.10m境田裕之旭川市立春光台中学校1986年11月2日
記録名前所属日付
女子1.87m佐藤恵新潟市立木戸中学校1981年10月25日

オリンピック・世界選手権における日本人入賞者

オリンピック・世界選手権における日本人入賞者 男子 / 女子[67][68][69]
開催年大会開催国選手名成績記録
男子1928年第9回オリンピック・アムステルダム大会 オランダ木村一夫6位1.88m
1932年第10回オリンピック・ロサンゼルス大会 アメリカ合衆国木村一夫6位1.94m
1936年第11回オリンピック・ベルリン大会 ドイツ国矢田喜美雄5位1.97m
朝隈善郎6位1.94m
田中弘
女子1992年第25回オリンピック・バルセロナ大会 スペイン佐藤恵7位1.91m

脚注

注釈

出典

参考文献

関連項目

外部リンク