雨月物語 (映画)

1953年公開の日本映画

雨月物語』(うげつものがたり)は、1953年昭和28年)3月26日公開の日本映画である。大映製作・配給。監督は溝口健二、主演は森雅之京マチ子モノクロスタンダード、96分。

雨月物語
Ugetsu Monogatari
ポスター
監督溝口健二
脚本川口松太郎
依田義賢
原作上田秋成
製作永田雅一
出演者京マチ子
森雅之
水戸光子
田中絹代
音楽早坂文雄
撮影宮川一夫
編集宮田味津三
製作会社大映京都撮影所
配給日本の旗 大映
公開日本の旗 1953年3月26日
イタリアの旗 1953年8月20日
アメリカ合衆国の旗 1954年9月7日
上映時間96分
製作国日本の旗 日本
言語日本語
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上田秋成読本雨月物語』の「浅茅が宿」と「蛇性の婬」の2編に、モーパッサンの『勲章』を加えて、川口松太郎依田義賢が脚色した。戦乱と欲望に翻弄される人々を、幽玄な映像美の中に描いている。海外でも映画史上の最高傑作のひとつとして高く評価されており、第13回ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を受賞した。

あらすじ

村にて

近江の国琵琶湖北岸の村に暮らす貧農の源十郎は、畑の世話をする傍らで焼物を作り町で売っていた。賤ヶ岳の戦いの前に長浜羽柴秀吉の軍勢により占領され、賑わっていることを知った源十郎は、妻の宮木と子を残し、焼物を載せた大八車を引いて長浜へ向かった。義弟の藤兵衛は、侍になりたいと源十郎に同行する。源十郎は大銭をもって村へ帰ってきた。藤兵衛は市で見かけた侍に家来にするよう頼み込むが、具足を持って来いとあしらわれる。

源十郎は戦が続くうちに、さらに焼物を作り大儲けをしようと、人が変わったように取り組むが、宮木は親子3人が幸せに暮らせればそれで充分なのに、とつぶやく。源十郎と藤兵衛は焼物をへ入れ、火を付けるが、折り悪く柴田勝家の軍勢が村へ近づいて来た。男は人足として徴用され、女は乱暴される、と村の人々は山へと逃げだす。窯の火は消えていたが、焼物は綺麗に焼けていた。

離散

皆は裏道を使い湖畔に出て、そこから捨て船で対岸の丹羽氏の城下・大溝へ向かうが、海賊(湖賊)に襲われたという瀕死の男が乗る船と出会い、宮木と子はやはり村へと返すことにする。大溝で源十郎の焼物は飛ぶように売れる。分け前を手にした藤兵衛は、今度こそ侍になるのだと、阿浜を振り切って逃げ出し、具足と槍を買って兵の列に紛れる。探し疲れた阿浜は兵の集団に捕まり、強姦された。兵から代金だと銭を投げ捨てられた阿浜は、藤兵衛を呪う。

市で焼物を届けるように頼まれた源十郎は、若狭という上臈風の女の屋敷へ向かうが、座敷へ上げられ、饗しを受けた。織田信長に滅ぼされた朽木氏[1]の生き残りであるという若狭に惹かれ、源十郎はこの家に居つく。

そのころ、湖岸で別れた宮木と子は落武者勢に見つかり、宮木は槍で一突きされ殺されていた。いっぽう、藤兵衛は戦に敗れ切腹した敵大将の首を拾い、自らのものとすることで手柄を立てた。馬に乗り家来を連れて村へと凱旋しようとする途中で寄った宿で、遊女に成り下がった阿浜に出会い、許しを乞う。

町の着物屋で源十郎は買い物をするが、朽木屋敷へ届けるよう言うと、店の主は恐れ代金も受け取ろうとしない。帰り道では神官から死相が浮かんでいる、家族の元へと帰りなさいと諭され、死霊が触れられぬように呪文を体に書いてもらう。家族の元へと帰りたいと切り出した源十郎を若狭は引きとめようとするが、呪文のために触れることができない。源十郎は倒れ、気を失う。

帰還

翌朝、源十郎は気が付くと朽木家の屋敷跡だという野原の中で目を覚ます。金も侍に奪われた源十郎は村へ戻るが、家々は荒らされ、子は村名主に引き取られていた。源十郎は囲炉裏で飯の用意をする妻の宮木の幻を見て、自らの過ちを悟る。阿浜と村へ帰った藤兵衛が畑を、源十郎は焼物作りに取り組んでいるシーンで映画は幕を閉じる。

スタッフ

キャスト

原作との対応

短編集形式の『雨月物語』からの2篇、「浅茅が宿」と「蛇性の婬」が原作である。「浅茅が宿」は、行商に出た男が数年ぶりに帰ると、我が家から微かに光が漏れており、出迎えてくれた妻と一夜を共に過ごすと辺りは荒れ地になっていて、実は妻は死んでいてその幽霊に迎えられていたという話。「蛇性の婬」は、男が豪邸に住む女に見初められるが、その女は実は物怪で……(原作はまだ続く)という話である。

これらは、兄の源十郎と宮木の物語に使われている。物語の大枠は「浅茅が宿」だが、源十郎が長く家に帰らなかった理由が、「蛇性の婬」の要素に差し替えられている。

ただし、多くの固有名詞や設定は異なる。主要人物の中では、妻の名「宮木」だけが原作どおりである。地理も異なるが、映画の舞台の近江国は、「浅茅が宿」の主人公が帰路で病に倒れる地として現れている。

原作との相違
浅茅が宿蛇性の婬映画
男の名勝四郎豊雄源十郎
職業没落した地主網元の三男窯業を兼業する農民
所在下総国葛飾郡真間紀伊国三輪崎近江国
なし(描写なし)1子
戦災享徳の乱 (1455)賤ヶ岳の戦い (1585)
行商先長浜
行商の品田畑を売って買い付けた源十郎が焼いた焼物
宮木のその後死ぬまで留守を守り続ける途中まで同行するが、帰路で客死
男が帰らなかった理由帰路、病に倒れ、療養中に根を下ろす幽霊の家に住まう
女怪の名真女児(まなご)若狭
女怪との出会い雨宿り焼物の買い手
女怪の正体邪神幽霊

本作は『雨月物語』の他に、モーパッサンの短編小説「勲章」を元にしている[2]が、明確に「勲章」を基にしたストーリーや設定はないものの、「妻の貞操と引き換えに念願の勲章を手に入れる」というモチーフが、弟の藤兵衛と阿浜の物語と共通している。

評価

1953年ヴェネツィア国際映画祭に出品され、銀獅子賞を受賞した(金獅子賞は該当なしだったため実質的にはこの年の最優秀作となった[3])のを機に、1954年アメリカ1959年フランスで公開されるなど海外でも上映され、フランスの映画雑誌『カイエ・デュ・シネマ』が発表した年間トップ10英語版では1位に選ばれるなど賞賛された[4][5]。この作品もほかの溝口作品と同様に、ジャン=リュック・ゴダールジャック・リヴェットなどのヌーヴェルヴァーグの映画人に大きな影響を与えた。

その後も批評家や監督から高い評価を受けている。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには27件のレビューがあり、批評家支持率は100%、平均点は9.45/100となっている[6]。映画批評家のロジャー・イーバートはこの作品を「すべての映画の中でもっとも偉大な作品の一つ」と評しており、最高評価の星4つを与え、自身が選ぶ最高の映画のリストに加えている[7][8]マーティン・スコセッシはお気に入りの映画の1本にこの作品を選んでいる[9]BFIの映画雑誌『Sight & Sound』が10年毎に発表する史上最高の映画ベストテン英語版では1962年1972年の2度のランキングでベストテンに選ばれた[10][11]。また2012年のランキングでも批評家投票で50位、監督投票で67位に選ばれており、監督ではスコセッシ、マノエル・ド・オリヴェイラミカ・カウリスマキらが投票した[12]2005年に『タイム』が発表した「史上最高の映画100本」にも選出されている[13]

受賞

部門対象結果
第14回ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞受賞
イタリア批評家賞受賞
第28回アカデミー賞衣裳デザイン賞(白黒映画部門)甲斐庄楠音ノミネート
第27回キネマ旬報ベスト・テン日本映画ベスト・テン3位
毎日映画コンクール美術賞伊藤熹朔受賞
録音賞大谷巌受賞
第4回文部省芸能選奨宮川一夫受賞

ランキング

媒体・団体部門順位
1959年キネマ旬報日本映画60年を代表する最高作品ベスト・テン15位
1979年日本映画史上ベストテン17位
1989年日本映画史上ベストテン8位
1995年日本映画 オールタイム・ベストテン12位
世界映画 オールタイム・ベストテン38位
1999年オールタイム・ベスト100日本映画編10位[14]
2009年オールタイム・ベスト映画遺産200日本映画篇23位[15]
1962年英国映画協会『Sight&Sound』誌批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン4位
1972年批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン10位
1982年批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン21位
1992年批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン17位
2002年批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン27位
2012年批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン50位
映画監督が選ぶ史上最高の映画ベストテン67位
1989年文藝春秋大アンケートによる日本映画ベスト15012位
1998年Cinemaya批評家トップ102位[16]
2000年ヴィレッジ・ヴォイス20世紀の映画リスト29位
2008年カイエ・デュ・シネマ史上最高の映画100本16位
2010年トロント国際映画祭エッセンシャル10017位
2018年BBC史上最高の外国語映画ベスト10068位[17]

その他

  • この作品がヴェネツィア国際映画祭に出品されたのを機に溝口は1か月間滞欧した。同行した田中絹代によると、賞が取れなければ日本へ帰らずイタリアで映画の勉強をし直すと息巻くほど切望した受賞であった[18]
  • 公開後50年と監督没後38年の両方を満たす条件の著作権の保護期間が完全に終了したことから、現在激安DVDが発売されている。

脚注

外部リンク