黒澤満 (映画プロデューサー)

日本の映画プロデューサー

黒澤 満(くろさわ みつる、1933年[2] - 2018年11月30日[1])は、日本映画プロデューサー[3][4]東映ビデオ株式会社代表取締役副社長、株式会社セントラル・アーツ代表取締役を歴任。早稲田大学卒業。

くろさわ みつる
黒澤 満
生年月日1933年
没年月日2018年11月30日
出生地日本の旗 日本
死没地日本の旗 日本 東京都八王子市[1]
職業映画プロデューサー実業家
ジャンル映画
 
受賞
日本アカデミー賞
その他の賞
藤本賞 奨励賞
1985年それから
ヨコハマ映画祭
作品賞
2001年GO
日本映画プロフェッショナル大賞
特別賞
2010年
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経歴

1955年、日活に入社[4][5]。梅田日活、名古屋日活支配人、日活関西支社宣伝課長など劇場興行職10年を経て[1][6][7][8]、1970年に映画本部長室の開設に伴い[7]俳優部次長に就任し[8]ダイニチ映配時代のキャスティング等を担当[7]。1971年11月、ロマンポルノに転換した日活の企画製作の中核として多くのロマンポルノ作品をプロデュースした[7][8]。"ロマンポルノ"という呼称の名付け親とも言われている[9]。1973年10月、日活の撮影所長に就任[5][7]

1977年4月、日活役員会で旧知の社員仲間らを更迭する動議が出たため[10][11]、慰留されつつも彼らと共に日活を退社[7][10]。その後[12][13]、当時の東映社長・岡田茂から[6][7][10][13][14]ヘッドハンティングを受ける[4][14][15][16][17][18]。当時、妻には日活退社を内緒にしており[13][14]、毎日朝から晩まで山手線に乗り、本を読んで半年過ごしていたという[13][14]

1977年12月1日付けで[19]、岡田が作った東映セントラルフィルム[7][17]の製作部門のプロデューサーに迎えられる[4][15][16][20][21][22][23][24]。東映入りの際に撮影所との兼ね合いから、東映芸能ビデオの製作部勤務・嘱託社員となった[19]。1980年の終わりにこのセクションがセントラル・アーツとなる[16][25][26]。黒澤は1990年のインタビューで「セントラル・アーツになったのは『魔の刻』の後、『友よ、静かに瞑れ』からではないか」と語っている[13]

1978年、日活時代からの知古であった松田優作が『大都会 PARTII』の終了後に映画出演を望んでいたため[10]、『最も危険な遊戯』を東映セントラルフィルムの旗揚げ第一作として製作[2][10][23]。好評を博して松田が演じる殺し屋の鳴海昌平を主人公とする「遊戯シリーズ」として3作品が作られた[2]。この際、黒澤を慕って旧日活を中心に多くの才能が東映セントラル/セントラル・アーツに集結した[6][27]。『野獣死すべし』、テレビドラマ探偵物語』など、一連の松田優作作品や、舘ひろしの『皮ジャン反抗族』などの暴走族映画、『あぶない刑事』シリーズ、『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズや、角川映画やテレビドラマ、「東映Vシネマ」などを多数製作[5][15] [20][23]。従来の東映任侠路線実録路線、カラテアクションなどとは異なったハードボイルド感覚の日活アクションのテイストを東映に持ち込み[14][10]、東映との相性もよく、ジャンルの幅を拡げたと評される[14]。1988年の東映の新年挨拶で、岡田東映社長は「東映には三つの撮影所がある。太秦大泉と黒澤プロだ」と評した[13]。企画から実現までの決断が早く[6]、予算オーバーや尺に合わないと判断すれば大胆にカットし、却って作品の密度を高めるといったアンカーマンとして優れた才能を持ち[14]、終始、裏方に徹した[14]。功績を周囲の人たちのお陰として、自分では表立たない映画人であった[14]

2007年、第5回文化庁映画賞映画功労表彰部門を受賞[1][5]。2011年、第20回日本映画プロフェッショナル大賞特別賞を受賞[28]。2013年、第59回「映画の日」特別功労章[4]、第67回毎日映画コンクール特別賞を受賞した[1][29]

2018年11月30日10時47分(JST)、肺炎のため、東京都八王子市の自宅で死去。85歳没[1]

2019年1月には東京・京橋の国立映画アーカイブで代表作の特集上映が行われ[6][30]、2月にも東京・池袋の新文芸坐で特集上映が予定されている[11]

人物

映画製作者で、監督としても関わりがあった角川春樹は、「徹底した”現場主義”の人」と評し、「自分から口火を切って話すことはなく、いつも私が話し始めるのを待っていた」「気難しい俳優や監督の話を聞き、的確に判断を下していく。スタッフ、キャストの中に溶け込んで現場を掌握していく」「11本の映画のプロデューサーをお願いしましたが、何の心配もなく現場を委ねられたのは彼だけでしたね」と語り、自身が製作した映画『人間の証明』を日活撮影所で撮った際、公開後の挨拶回りで撮影所を訪問した角川に、当時、撮影所長だった黒澤が、歓迎の垂れ幕を張って、撮影所全体で迎えてくれたことを一例に、「あんな風に現場を掌握しているプロデューサーは他にいなかった」と述べ、また、黒澤が亡くなった際、マスコミの取材に対し、「『決して人の悪口を言わない』『どんなにキツイ状況でも愚痴を言わない』『常に人の言い分に耳を傾ける。いつも聞く側に回る』そんな人だった」と答えている[31]

フィルモグラフィー

劇場映画

テレビドラマ

脚注

参考文献

  • 東映セントラルフィルム研究 プログラム・ピクチュアこそ日本映画のオリジンだ 〔座談会〕村川透 佐治乾 黒沢満 〔司会〕山根貞男」『キネマ旬報』1978年12月号。 
  • 山口猛『松田優作 炎 静かに』社会思想社現代教養文庫 1505〉、1994年。ISBN 4-390-11505-7 
  • 松田優作丸山昇一『松田優作+丸山昇一 未発表シナリオ集』幻冬舎、1995年。ISBN 4-87728-074-X 
  • 男の教科書! 東映セントラルの世界 ~セントラル・アーツの世界」『映画秘宝』、洋泉社、2010年12月。 
  • 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』文化通信社、2012年。ISBN 978-4-636-88519-4 
  • 佐藤洋笑・高鳥都「男の教科書! 実録!セントラル・アーツ ハードボイルド映画40年史 優作はアメリカで『遊戯』を撮りたがっていた」(黒澤) セントラル・アーツ設立40周年記念座談会 黒澤満×伊藤亮爾×村川透×仙元誠三×丸山昇一」『映画秘宝』、洋泉社、2017年4月。 
  • 山本俊輔+佐藤洋笑+映画秘宝編集部 編『セントラル・アーツ読本』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2017年。ISBN 978-4-8003-1382-9 

外部リンク