FIRE DROPS

FIRE DROPS』(ファイアー・ドロップス)は、日本のロックバンドであるRED WARRIORSの5枚目のオリジナル・アルバム

FIRE DROPS
RED WARRIORSスタジオ・アルバム
リリース
録音
  • バーニッシュストーン
  • スタジオワンヴォイス
  • スタジオジャイヴ
ジャンル
時間
レーベルポニーキャニオン
プロデュース
  • RED WARRIOR
  • 永野治
チャート最高順位
RED WARRIORS アルバム 年表
『THE WORLD OF RED WARRIORS』
1996年
FIRE DROPS
(1997年)
LIVE DOGS
2000年
EANコード
『FIRE DROPS』収録のシングル
  1. 「ONE WAY DRIVER」
    リリース: 1996年11月21日
  2. 「SAIL AWAY -真黒な空へ-」
    リリース: 1997年3月5日
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1997年3月21日ポニーキャニオンからリリースされた。1989年に解散を表明したRED WARRIORSの再結成後初となるアルバムであり、前作『Swingin' Daze』(1989年)からおよそ8年ぶりの作品となった。作詞および作曲はダイアモンド☆ユカイおよび木暮武彦が担当し、プロデューサーはRED WARRIORS名義となっている。

1996年にオリジナル・メンバーのうち3人が再集合しRED WARRIORSが再結成され、11月12日に日本武道館において一日だけの再結成コンサートが行われた。ドラムス担当は小沼達也に代わり向山テツがサポート・メンバーとして参加している。本作からは先行シングルとして「ONE WAY DRIVER」および「SAIL AWAY -真黒な空へ-」がリリースされた。

本作はオリコンアルバムチャートにおいて最高位12位となった。本作の売り上げが振るわなかったことなどが影響し、モチベーションを維持できなかったことからRED WARRIORSは再び解散することになったため、ポニーキャニオンからリリースした唯一のアルバムとなった。

背景

3枚目のアルバム『KING'S』(1988年)を受けたコンサートツアー「KING'S ROCK'N'ROLL SHOW」を行ったRED WARRIROSであったが、ダイアモンド☆ユカイは「俺たちにとっちゃ、首までつかった泥沼のはじまりだった」として、同時期に解散の準備を始めることになったと述べている[3]。その理由としてユカイはツアー本数の多さを挙げ、また様々な業務を自身で行わなくなっていたことや演奏ミスがあってもライブは盛況であったことなどを踏まえて、「音楽のことなんて、ぜーんぜん考えなかった。なんの目標もないままの……ひでえ時期だったよ」と後にユカイは述懐している[4]。また自ら作り上げたRED WARRIORSというバンドがブランド化していた時期でもあり、バンドの扱い方が分からなくなっていたこともユカイは原因として挙げている[4]。この時期に木暮武彦アメリカ合衆国での活動を希望する発言を行い、RED WARRIORSの活動をアメリカ国内においてアマチュア、日本ではプロとして活動するという提案を行ったが、メンバーからの賛同を得られずユカイは「もうバンドは解散した方がいいよ」と告げる事態となった[5]。4枚目のアルバム『Swingin' Daze』(1989年)リリース後、同年10月30日および31日日本武道館で行われたコンサート「FINAL SESSION」を以ってRED WARRIORSとしての活動は終了することとなった。

解散後メンバーはそれぞれの活動を行っていたが、デビュー以前からの知り合いであるイベンターなどからはRED WARRIORSの再結成を度々切望されていた[6]。順調にソロ活動を行っていたユカイは何事にも自信があった時期であったため、日比谷野外音楽堂でのソロライブにおいてRED WARRIORSの再結成と日本武道館公演の予定を発表、ライブチケットは発売後に即完売となった[6]1996年11月12日の日本武道館公演にて再結成を果たしたRED WARRIORSであったが、ユカイによればソロ活動とはまったく勝手が異なっていたために思っていた通りにはならなかったという[7]アメリカ合衆国から帰国した木暮は以前とは異なり「絶対的な司令塔」ではなくなっており、また小川清史はソロ活動が円滑に進まず荒れている様子であったとユカイは述べている[7]。バンドとして一つになり切れないまま当日を迎えたユカイは、ステージ上で火のついたタバコを投げつける行為や役人を罵倒する発言などを行い、スタッフや開催者から総スカンにされただけでなく、日本武道館側の役所の者たちからも反感を買ったために同館への出入り禁止を言い渡された上で始末書を書かされ、さらにメンバーからも「やりすぎだ」と非難される事態となった[8]

リリース、チャート成績

本作は1997年3月21日ポニーキャニオンからCDにてリリースされた。本作からは前年11月21日に「ONE WAY DRIVER」、同年3月5日に「SAIL AWAY -真黒な空へ-」が先行シングルとしてシングルカットされた。本作はオリコンアルバムチャートにて最高位第12位の登場週数4回で、売り上げ枚数は4.4万枚となった[2]

この時期のRED WARRIORSはメンバーそれぞれの思惑が合致せず、また周囲の期待度の高さについていけていなかったと後にユカイは述べている[9]。また本作が想定よりも売上が低かったこともあり、モチベーションが維持できず再び解散することとなった[9]。解散後に再びソロ活動を開始したユカイであったが、まだ契約が残っていたポニーキャニオン側からソロでのベスト・アルバムの制作を提案され、ユカイの希望によりバラード・ベスト『Le Cinema』(1997年)をリリースすることとなった[9]

本作は2017年3月1日に、1996年11月12日の日本武道館公演にて演奏された「The Day After」をボーナス・トラックとして収録した上で再リリースされた[10][11]

批評

専門評論家によるレビュー
レビュー・スコア
出典評価
CDジャーナル肯定的[12][13]

音楽情報サイト『CDジャーナル』では、それぞれの楽器の音に重みがあるものの「過去のキャリアに頼ってどっしりしている感覚はない」と指摘したほかに、ユカイのボーカルに関して「最高の資質を持っている」と絶賛した[12]。また2017年の再リリース盤においても、ギターに関して「20年前とは思えぬグルーヴ感を放つ重厚」なサウンドであると指摘したほか、ユカイのボーカルに関しては「そのサウンドに不可欠なクールで艶やかなヴォーカルが際立っている」として称賛した[13]

収録曲

  • CD付属の歌詞カードに記載されたクレジットを参照[14]。また、最終曲の後半部分に隠しトラックが収録されている。
全編曲: RED WARRIORS。
#タイトル作詞作曲時間
1.熱病木暮武彦木暮武彦
2.ONE WAY DRIVER木暮武彦木暮武彦
3.EASY COME, EASY GOダイアモンド☆ユカイ木暮武彦
4.銀河のマシンヘッドダイアモンド☆ユカイ木暮武彦
5.SAIL AWAY -真黒な空へ-木暮武彦木暮武彦
6.ラストソングダイアモンド☆ユカイ、古賀勝哉ダイアモンド☆ユカイ
7.夢を見たのさ木暮武彦木暮武彦
8.快楽のダンスダイアモンド☆ユカイダイアモンド☆ユカイ
9.たったひとつのLove Song ダイアモンド☆ユカイ木暮武彦
10.DAY AFTER DAY 木暮武彦木暮武彦
合計時間:
2017年盤ボーナス・トラック
#タイトル作詞作曲時間
11.The Day After(1996年11月12日日本武道館ライヴより)ダイアモンド☆ユカイ木暮武彦

スタッフ・クレジット

RED WARRIORS

参加ミュージシャン

スタッフ

リリース日一覧

No.リリース日レーベル規格カタログ番号最高順位備考出典
11997年3月21日ポニーキャニオンCDPCCA-0109312位[12][1]
22017年3月1日PCCA-04472-[13][15]
3AAC-LC--デジタル・ダウンロード[16]

脚注

参考文献

外部リンク