プランクシュタット (ドイツ語 : Plankstadt ) は、ドイツ連邦共和国 バーデン=ヴュルテンベルク州 北西部ライン=ネッカー郡 に属する町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)。人口約9,500人のこの町は、711年に初めて記録され、何世紀もの間プファルツ選帝侯 領に属した。
地理 位置と環境 プランクシュタットはオーバーライン地溝帯 のライン=ネッカー大都市圏 に位置している。町域に大きな起伏はなく、平らな場所にある。実り豊かな土地であることから、19世紀の中頃にはすでに最後の森も伐り拓かれ、農地となった。
町域の広さは約839ha である。そのうち29.4%が市街地、70.2%が農業用地である。[2]
隣接市町村 直接町境を接する市町村は、西がシュヴェツィンゲン 、北がハイデルベルク のグレンツホーフ、東がエッペルハイム 、南東がハイデルベルクのパトリック・ヘンリー・ヴィレッジ、南西がオフタースハイム である。また、北東部にわずか200mほどマンハイム市のフリードリヒスフェルト区方面のドッセンヴァルトととも境を接している。
歴史 最初の入植は、おそらく紀元500年頃になされた。初めての文献上の記録は711年 のロルシュ文書で、Blanckenstatと記録されている。この贈与証明書には、少なくとも14戸の農場が記載されている。これに次ぐ記録は13世紀のものである。1256年 に宮中伯 がこの村の所有者として言及されている。その3年後の1259年 、土地の大部分はシトー会 のシェーナウ修道院 の所有に移っていた。修道士らは住民を移住させて、隔絶された修道院領を建設しようと試みたが、住民達の根強い抵抗に遭い失敗した。1296年 には自治体としてのプランクシュタットが成立し、プファルツ選帝侯 領に戻され、キルヒハイマー・ツェントに属すこととなった。
1462年 にこの村は、マインツ司教領のフェーデ に伴う戦闘であるゼッケンハイムの戦いの際に焼き払われた。これに次ぐ破壊はフランスの将軍Ezéchiel du Masによるものである。プファルツ継承戦争 では、ハイデルベルク城を含め、この地域の多くの部分がこの軍勢の犠牲となった。三十年戦争 やこの他の戦いも、この町に傷痕を残している。
1803年 にプファルツ選帝侯領は廃止され、プランクシュタットはバーデン 領となり、シュヴェツィンゲン管区に属した。1924年にマンハイム管区となり、これが後にマンハイム郡となった。
1895年 、火災が町並みの半分を破壊した。5年後にさらにひどい火災が起き、3つの通りで60棟の建物が犠牲となった。この事件は国中の話題となった。内務大臣アウグスト・アイゼンロールは火災現場を視察し、バーデン大公 フリードリヒは火災被害に対する救済委員会を組織した。
1907年のプランクシュタット周辺地図 政治の面では、1871年 のドイツ帝国 成立以後、中央党 が常にプランクシュタットで最も勢力のある政党であった。中央党の優位はヴァイマル共和政 の終わりまで続いた。1933年の帝国議会選挙では、中央党が36.3%、NSDAP が35.7%、KPD が16.9%の票を獲得した。
第二次世界大戦 後、この町は1,000人以上の旧ドイツ領の東プロイセン やシレジア 、チェコ領であったズデーテン地方 などから放逐された人々 を受け容れた。1971年には1200年祭を祝った。1973年の郡の再編によりプランクシュタットはライン=ネッカー郡に編入された。並行して行われた市町村再編では、当初、シュヴェツィンゲン、ブリュール 、ケッチュ 、オフタースハイムとプランクシュタットを合併するという計画が検討された。この案が却下されると、オフタースハイムとプランクシュタットだけでもシュヴェツィンゲンと合併させようという案が提出された。しかし、最終的にはこの案も否決され、プランクシュタットは独立した自治体として存続している。
年 1439 1577 1777 1834 1875 1905 1925 1950 1961 1967 1970 1980 1991 1995 2000 2005 2010 2015 人口[3] 125 220 380 1,123 2,532 2,766 5,303 7,294 7,905 8,784 9,050 8,977 9,652 9,744 9,599 9.548 9,685 10,176
行政 プランクシュタットの町役場 議会 プランクシュタットの議会は18議席で、議員は5年ごとの直接選挙で選出される。これに首長が議長として参加する。
首長 首長は、8年ごとに直接選挙で選出される。2008年の選挙では、対立候補が出馬せず、イュルゲン・シュミットが就任することになった。第二次世界大戦後の首長を以下に列記する。
1945年 - 1946年: ゲオルク・ゲルラッハ 1946年 - 1948年: カール・エーバーヴァイン 1948年 - 1966年: ゲオルク・バウスト 1966年 - 1992年: ヴェルナー・ヴァイク 1992年 - 2008年: ヴォルフガング・フッケーレ 2008年 - 2016年: イュルゲン・シュミット 2016年10月1日 - : ニルス・ドレッシャー 紋章 図柄: 青地に、切れ込みのある銀のユリ十字、その中心には緑の萼をもつ赤いバラの花。十字で区切られた4つの区画にはそれぞれ、5つ突起のある金の星。
この図案は、1487年に裁判所印として用いられた文書があり、その後、町の印章として用いられた。1896年にバーデンの文書局に紋章の認可を得た。この図柄の意味は明らかではない。
旗は、白 – 青で、1959年に内務書の認可を得た。この配色は、プファルツ系ヴィッテルバッハ家の色である。[4]
友好都市 文化と見所 見所 フォーゲルパーク(鳥類公園)には、外国や国内の鳥が飼育されている。公園や鳥たちの保護・維持管理はカナリア・外来鳥類保護協会1961プランクシュタットが行っている。
年中行事 プランクシュタットの「バッケンブレーザーのカーニバル のパレード 」は伝統的には、かつては謝肉祭前の日曜日に行われていた。このパレードには近隣市町村からも多くのグループが参加し、一緒に行列に加わる。現在は多くの場合、9日後のカーニバルの火曜日に行われている。
サークル活動 プランクシュタット最大のサークルは、TSG/Eintracht プランクシュタットである。他にはムジークフェライン・プランクシュタットがあるが、このサークルはむしろ「ビッグ・バンド MV プランクシュタット」の名前の方がよく知られている。プログラムは、ダンス・ミュージックからビッグ・バンドまで幅広い。郷土文化の継承・保護を行うサークルとして、Heimat- und Kulturkreis Plankstadtのほかいくつかのサークルがある。
経済と社会資本 ヴェルデブロイ 経済 最大の企業は、1752年にシュヴェツィンゲンで開業したビール 醸造会社 ヴェルデブロイである。この会社は1971年に新しいミネラルウォーター の源泉を発見して以来、プランクシュタットのシュヴェツィンゲンとの町境付近に拠点を置いている。また、製薬企業のアストラゼネカ の営業所もある。
プランクシュタットは、近隣市町村とともにドイツ有数のタバコ 栽培地である。プランクシュタットおよび周辺地域の農場では、特徴的な倉庫が目を引く。こうした倉庫では、現在もタバコの乾燥に利用されている。タバコ農家の多くは余分に、天井にフォイルをかぶせたビニールハウス のタバコ乾燥施設を持っており、タバコや他の野菜の栽培に用いたり、タバコの出荷用倉庫として用いたりしている。プランクシュタットや周辺地域では、町中に農地を持つ人が、数は多くないものの、活発に作業を行っている。
交通 1872年から1873年のハイデルベルク - シュパイアー 間の鉄道新設に伴い、町の南端に駅が建設された。この鉄道区間は、1967年に再び廃止された。1927年には、町の中心部を通り、ハイデルベルクからシュヴェツィンゲンを結ぶ路面電車 が開通した。しかし、この近距離公共交通機関も1974年には廃線となった。現在ではシュヴェツィンゲンやハイデルベルクにバス路線が通っている。プランクシュタットは、ライン=ネッカー交通連盟のサービス提供地域に含まれている。
町の南部を通る連邦道B535号バイパスは、2009年までに開通する予定である。[5] この道路は、近くを通るアウトバーン A6号線(マンハイム - ハイルブロン)とA5号線(フランクフルト・アム・マイン - カールスルーエ )を結んでいる。
人物 出身者 ペーター・シェーファー(「ブルーメペーター」、1875年 - 1940年)民話の登場人物 ファーレンティン・ガー(1905年 - 1969年)CDU の政治家、シュヴェツィンゲン市長、マンハイム郡の郡議会議員。 ロタール・ガー(1931年 - )CDUの政治家、バーデン=ヴュルテンベルク州の州議会議長 引用 参考文献 Hans Huth: Die Kunstdenkmäler des Landkreises Mannheim: Ohne Stadt Schwetzingen . München 1967 Staatl. Archivverwaltung Baden-Württemberg in Verbindung mit d. Städten u.d. Landkreisen Heidelberg u. Mannheim (Hrsg.): Die Stadt- und die Landkreise Heidelberg und Mannheim: Amtliche Kreisbeschreibung .Bd 1: Allgemeiner Teil . Karlsruhe 1966 Bd 3: Die Stadt Mannheim und die Gemeinden des Landkreises Mannheim . Karlsruhe 1970 これらの文献は、翻訳元であるドイツ語版の参考文献として挙げられていたものであり、日本語版作成に際し直接参照してはおりません。
外部リンク