深川不動堂 | |
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旧本堂 | |
所在地 | 東京都江東区富岡1丁目17番13号 |
位置 | 北緯35度40分22.5秒 東経139度47分54秒 / 北緯35.672917度 東経139.79833度 / 35.672917; 139.79833 東経139度47分54秒 / 北緯35.672917度 東経139.79833度 / 35.672917; 139.79833 |
山号 | 成田山 |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 不動明王 |
創建年 | 元禄16年(1703年) |
正式名 | 成田山 東京別院 深川不動堂 |
別称 | 深川不動尊 |
札所等 | 関東三十六不動20番 |
文化財 | 旧本堂(江東区有形文化財)ほか |
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成田山 東京別院 深川不動堂(なりたさん とうきょうべついん ふかがわふどうどう)は、東京都江東区富岡にある真言宗智山派の寺院であり、千葉県成田市にある成田山新勝寺の東京別院である。通称は深川不動尊、深川不動堂。
江戸時代のはじめ、歌舞伎役者の市川團十郎が不動明王が登場する芝居を打ったことなどにより、成田山の不動明王を拝観したいという気運が江戸っ子たちのあいだで高まった。これを受けて、元禄16年(1703年)、1回目の成田不動の「出開帳」(現代風にいえば「秘仏特別公開」)が富岡八幡宮の別当・永代寺で開かれた。これが深川不動堂の始まりである。江戸における成田不動の出開帳は安政3年(1856年)まで、江戸時代を通じて12回行われたが、そのうち1回を除いて深川永代寺が会場となった[1]。
永代寺は明治維新後、神仏分離令により廃寺となり、旧境内は深川公園となった。しかし不動尊信仰は止むことがなく、明治11年(1878年)に現在の場所に成田不動の分霊を祀り、「深川不動堂」として存続することが東京府により認められた。境内地は、深川公園の一部を永久かつ無償で借用することが認められたものである。明治14年(1881年)に本堂が完成。その後本堂は関東大震災・東京大空襲と二度にわたって焼失したが、本尊は役僧たちが命がけで運び出したことにより焼失を免れた。永代寺は門前にあった塔頭・吉祥院が明治29年(1896年)に再興され、名跡を継いだ[2]。なお、地名「門前仲町」は「永代寺の門前町」という意味である。
門前の参道は通称“人情深川ご利益通り”といい、毎月1・15・28日に縁日が開かれて賑わう[8]。有名な菓子店や食事処がある。
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