旧来住家住宅 | |
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情報 | |
旧名称 | 来住梅吉邸 |
建築主 | 来住梅吉 |
構造形式 | 木造軸組 |
敷地面積 | 1,226.40 m² |
建築面積 | 594.1 m² |
階数 | 地上2階建 |
着工 | 1915年 |
竣工 | 1918年 |
所在地 | 〒677-0015 兵庫県西脇市西脇394-1 |
座標 | 北緯34度59分13.6秒 東経134度58分20.3秒 / 北緯34.987111度 東経134.972306度 / 34.987111; 134.972306 東経134度58分20.3秒 / 北緯34.987111度 東経134.972306度 / 34.987111; 134.972306 |
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旧来住家住宅(きゅうきしけじゅうたく)は、兵庫県西脇市西脇にある歴史的建造物。1918年(大正7年)竣工の銀行家の来住梅吉旧邸で、国の登録有形文化財に登録されている[1]。
来住家は糸商を家業とし、田畑約10町歩、山林80町歩を抱える豪農豪商として、代々栄えてきた。この住宅の施主である来住梅吉は西脇商業銀行(後に神戸銀行へ合併)の創始者でもある。梅吉は父の意思を受け継ぎ1915年(大正4年)に着工し、3年後の1918年(大正7年)には母屋および離れ、庭園を完成させた[1]。
母屋の間取りは明治時代以降に発達した中廊下式の平面形が採用され、中央に廊下をはさみ南北2列の間取りがとられ、北側が家族空間、南側が接客空間、東端に台所と風呂などが配置される。廊下を畳敷きとすることで南北空間に連続性を持たせている。
当時の最高級材が適材適所に用いられ、現在では入手不可能な木材も多く用いられている。現在の貨幣価値に換算して54億円もの総建築費がかけられたが、現在その金額をもってしても入手困難な部材が多く、また当時の最高級の技術が駆使され、建築に当たっては釘は1本も使用されていないなど、技術的にも再建築は困難であろうといわれている[1]。
2001年(平成13年)10月16日には来住邸の相続人らから、西脇市への土地・建物の寄付の意向を受け、同年9月議会の議決を経て受入を決定、受納式が行われた。2002年(平成14年)2月には国の登録有形文化財に登録された。2003年(平成15年)5月1日より一般公開され、まちづくりの拠点施設として利用されている[1]。
なお、旧来住家住宅の敷地内には日替わりシェフレストラン「梅吉亭」が開設されている[2]。
開館時間
休館日
入館料
使用料
※お茶、句会、舞踊、パッチワークなどに、利用されている。 [3]
旧来住家住宅に併設して西脇市のアンテナショップ「西脇情報未来館21」が設けられている[4]。西脇情報未来館21では2023年春まで播州織のワイシャツも販売していたが、同館の新装にあわせ、播州織の販売コーナーは播州織工房館内に移設された[4]。