毛利 五郎(もうり ごろう、1871年12月2日(明治4年10月20日) - 1925年(大正14年)12月22日)は、日本の男爵、貴族院議員。従四位勲四等
最後の長州藩主であった毛利元徳と妻の安子の五男として生まれる。父の跡を継いだ長兄元昭、再興小早川家の当主になった兄三郎・四郎、また他の華族家へ養子に出た弟たちとは異なり、1892年(明治25年)に毛利の家名で分家を興し、男爵位を受ける。慶應義塾幼稚舎を経てイギリス・ケンブリッジ大学ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジに入学し、卒業する。
1896年(明治29年)に帰国し、1897年(明治30年)7月10日、貴族院男爵議員に選ばれる[1][2]。また、第百十銀行取締役となる。関東大震災の時に受けた怪我がもとで死去した。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 | 男爵 (萩)毛利家(分家)初代 1892年 - 1925年 | 次代 毛利元良 |