老松 一吉(おいまつ かずよし、おいまつ かずきち[1]、1911年(明治44年)10月30日 - 2001年(平成13年)3月24日[2])は、日本の男性フィギュアスケート選手。富山県[3]東礪波郡出町(現・砺波市)[4]出身。1932年レークプラシッドオリンピック、1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック男子シングル日本代表。ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックでは日本選手団の旗手[2]。日本初のフィギュアスケートのオリンピック代表選手の一人。
中学2年の時、大阪でスケートを始める。1930年(昭和5年)、第1回全日本選手権に最年少で出場し5位に入る。翌1931年、第2回全日本選手権では優勝する。1932年(昭和7年)には北米に遠征し、1932年レークプラシッドオリンピックで9位、世界選手権で7位となった。
1933年、第4回全日本選手権で2位。1935年、第6回全日本選手権で3位。1935年11月のオリンピック最終予選で3位となり、代表となった。翌1936年(昭和11年)には欧州に遠征し、ヨーロッパ選手権で9位、1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックで20位、世界選手権では15位となった。
戦後、フィギュアスケートのコーチとなる。
大会/年 | 1929-30 | 1930-31 | 1931-32 | 1932-33 | 1933-34 | 1934-35 | 1935-36 |
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オリンピック | 9 | 20 | |||||
世界選手権 | 7 | 15 | |||||
ヨーロッパ選手権 | 9 | ||||||
全日本選手権[5] | 5 | 1 | 2 | 7 | 3 |
オリンピック出場のため、1932年と1936年の全日本選手権には出場していない[5]。
1929年 – 1999年 |
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2000年 – | |
※ 開催年は年度 1929-65年度は翌年1-4月、1966-81年度は同年11-12月、1982-96年度は翌年1月、1997年度以降は同年12月に開催された。 |