アメリカグランプリ

アメリカグランプリ(アメリカGP, : United States Grand Prix)は、アメリカ合衆国1959年から断続的に行われているF1世界選手権レースのひとつ。その他、アメリカ国内で開催された、アメリカグランプリ以外のF1選手権レースについても本項目で記述する。

United States Grand Prix
サーキット・オブ・ジ・アメリカズ
レース情報
周回56[1]
コース長5.513[1] km (3.426 mi)
レース長308.405[1] km (191.634 mi)
開催回数44[2][注 1]
初回1908年
最多勝利
(ドライバー)
イギリスの旗 ルイス・ハミルトン (6)[3][注 1]
最多勝利
(コンストラクター)
イタリアの旗 フェラーリ (10)[4][注 1]
最新開催(2023年):
ポールポジションモナコの旗 シャルル・ルクレール
フェラーリ
1:34.723
決勝順位1. オランダの旗 マックス・フェルスタッペン
レッドブル-ホンダRBPT
1:35:21.362
2. イギリスの旗 ランド・ノリス
マクラーレン-メルセデス
+10.730s
3. スペインの旗 カルロス・サインツ
フェラーリ
+15.134s
ファステストラップ日本の旗 角田裕毅
アルファタウリ-ホンダRBPT
1:38.139

歴史

前史

1912年のアメリカン・グランド・プライズ

19世紀末の自動車の発明以来、アメリカでは草競馬場のコースを利用したオーバルレースが人気となり、インディ5001908年-)を含む全米選手権の発足に至る。その一方、ヨーロッパタイプの公道サーキットでレースを行おうとする者も現れ、1904年には欧米交流戦のヴァンダービルト杯が始まり、1908年には欧州のグランプリ規定に則ったアメリカン・グランド・プライズ (American Grand Prize) が創設された。アメリカン・グランド・プライズはジョージア州サバンナウィスコンシン州ミルウォーキーカリフォルニア州サンタモニカ、カリフォルニア州サンフランシスコといった場所で1916年までに7回開催された(1911年以降はヴァンダービルト杯との同時開催)。1914年の大会を制したマーサー (Mercer) を除けば、いずれも優勝したのは欧州車であった。第一次世界大戦によりヨーロッパのレース界との交流が絶たれると、この種のイベントは開催されなくなった。

1950年にF1世界選手権が創設されると、インディ500も選手権の1戦に組み込まれたが、ヨーロッパからの参戦者も少なかったため、1960年限りでF1のカレンダーから姿を消した。

アメリカグランプリの成功と衰退(1958年-1991年)

フェニックス市街地コースで行われた1991年アメリカGP

1958年にカリフォルニア州リバーサイド・インターナショナル・レースウェイにて開催されたUSACスポーツカー選手権 (USAC Road Racing Championship) の1戦に「アメリカグランプリ (United States Grand Prix) 」の名が冠せられた。そして翌1959年に、フロリダ州の飛行場跡地に出来たサーキット、セブリング・インターナショナル・レースウェイでF1世界選手権のアメリカGPが初開催された。1960年にリバーサイドで開催されたあと、翌1961年から1980年まではニューヨーク州ワトキンズグレン・インターナショナル・レースウェイで行われた。「グレン」ことワトキンズグレンでは紅葉の美しい季節に開催され、シーズン終盤の名物レースとなった。

当地では徐々にF1が浸透し、商業的観点からモータースポーツが重視されるようになっていくと、1976年から1984年までは年2回開催されるようになった(1982年は年3回)。この期間はアメリカGPの他に「アメリカ西グランプリ」「シーザーズ・パレスグランプリ」「デトロイトグランプリ」「ダラスグランプリ」といった名称も使用された(詳細は後述のアメリカグランプリ以外の名称で行われたF1レースを参照)。

しかし、サーキットは市街地の仮設コースばかりで、レースが行われる際の安全性確保や興行的問題、さらにCART(後のチャンプカー)人気上昇等の問題から、開催数は次第に減少していった。そして1991年にアリゾナ州フェニックス市街地コースで行われたアメリカGPを最後に、一旦は米国内でF1が開催されなくなる。

インディアナポリスでの復活(2000年-2007年)

インディアナポリスのコースレイアウト。F1ではオーバルトラックを逆走し、インフィールドのロードコースも使用する。

F1は「世界選手権」の名を掲げているが、アメリカ国内においてはNASCARインディカーなどの人気が高く、F1は人気が定着しきれないでいた。こうした事態を打破するため、インディ500ブリックヤード400が行われているアメリカンモータースポーツ界の聖地、インディアナポリス・モーター・スピードウェイを舞台にして、2000年よりアメリカGPが復活することとなった。初開催の決勝日には巨大なスタンドを埋める20万人もの観客を集め、当地における潜在的なF1人気を実証することになった。

2003年まではシーズン終盤のレースとして9月末に開催されてきたが、2004年以降は参戦チームの遠征費用効率化を目的とし、6月にカナダGPとの連戦で開催されるようになった。

2005年はミシュランタイヤのトラブルに端を発し、ミシュランタイヤ装着全7チーム14台がフォーメーションラップのみで自主リタイア。ブリヂストンタイヤを装着する3チーム6台のみでレースが行われるという異常事態が発生した(詳細は2005年アメリカGPを参照)。この事件はミシュランと国際自動車連盟 (FIA) の間に大きな亀裂を生む事となり、2006年のミシュランF1撤退に少なからぬ影響を及ぼした。加えて退屈なレースに観客からの不満が爆発し、主催者はチケットの返金などの対応に追われる事になった。

こうした経緯から主催者とFIAの関係も悪化の一途を辿り、2008年のF1アメリカグランプリ開催を断念する共同声明を発表するに至った。

オースティンでの開催(2012年-)

F1に参戦するチーム・自動車メーカー・スポンサーからは「大消費地であるアメリカでF1が開催されないことは、宣伝媒体としてのF1の価値を低下させる」としてアメリカでの開催を復活させるよう根強い要望があった。F1の興行権を持つフォーミュラ・ワン・マネジメント(FOM)が米国内の様々なサーキットと交渉を行った結果、2012年より新たにテキサス州オースティンにサーキットを建設してアメリカグランプリを復活させることが決定した[5]

2010年9月にはヘルマン・ティルケ率いるティルケデザインの設計による新サーキットのコースレイアウトが公表された[6]。サーキットの建設は同年12月に開始され、建設費用は約2億ドル[7]。サーキット建設に当たっては、NFLミネソタ・バイキングスNBAサンアントニオ・スパーズなどのオーナーを務めたこともある投資家のレッド・マコームズ、元ロードレース世界選手権(WGP)・GP500クラスチャンピオンのケビン・シュワンツなどの支援を受けている[8]。後にこのサーキットはサーキット・オブ・ジ・アメリカズと名づけられた。

メディアの中にはサーキットの建設費用などの調達ができず開催が流れる危険性を憂慮するものもあり[9]、実際プロモーター側でも、場合によっては同地でのグランプリ初開催が1年延期され2013年にずれ込む可能性を認めていたが[10]、予定通り2012年11月にレースが開催された。

2022年2月、オースティンとの開催契約が2026年まで延長された[11]

主な出来事

過去の結果と開催サーキット

  • ピンク地はF1世界選手権以外で開催された年。

アメリカン・グランド・プライズ (1908年-1916年)

決勝日開催地優勝者コンストラクター結果
1908英語版11月26日サバンナ ルイ・ワグナー英語版フィアット詳細英語版
1909開催されず
1910英語版11月12日サバンナ デビッド・ブルース=ブラウン英語版ベンツ詳細英語版
1911英語版11月30日サバンナ デビッド・ブルース=ブラウンフィアット詳細英語版
1912英語版10月05日ミルウォーキー ケイレブ・ブラッグ英語版フィアット詳細英語版
1913開催されず
1914英語版02月28日サンタモニカ エディ・プーレン英語版マーサー英語版詳細英語版
1915英語版02月27日サンフランシスコ ダリオ・レスタ英語版プジョー詳細英語版
1916英語版11月18日サンタモニカ ハウディ・ウィルコックス英語版
ジョニー・エイトケン英語版
プジョー詳細英語版

アメリカグランプリ (1958年-)

1958年のみ国内スポーツカー選手権「USACロードレーシング・チャンピオンシップ英語版」の一戦として開催。ラウンドの数字は同選手権のもの。

決勝日ラウンドサーキット優勝者コンストラクター
(括弧内はノンワークスチーム)
結果
195810月12日4リバーサイド チャック・デイ英語版スカラブ英語版-シボレー詳細
195912月12日9セブリング ブルース・マクラーレンクーパー-クライマックス詳細
196011月20日10リバーサイド スターリング・モスロータス-クライマックス
ロブ・ウォーカー
詳細
196110月08日8ワトキンズ・グレン イネス・アイルランドロータス-クライマックス詳細
196210月07日8ワトキンズ・グレン ジム・クラークロータス-クライマックス詳細
196310月06日8ワトキンズ・グレン グラハム・ヒルBRM詳細
196410月04日9ワトキンズ・グレン グラハム・ヒルBRM詳細
196510月03日9ワトキンズ・グレン グラハム・ヒルBRM詳細
196610月02日8ワトキンズ・グレン ジム・クラークロータス-BRM詳細
196710月01日10ワトキンズ・グレン ジム・クラークロータス-フォード詳細
196810月06日11ワトキンズ・グレン ジャッキー・スチュワートマトラ-フォード
マトラ・インターナショナル
詳細
196910月05日10ワトキンズ・グレン ヨッヘン・リントロータス-フォード詳細
197010月04日12ワトキンズ・グレン エマーソン・フィッティパルディロータス-フォード詳細
197110月03日11ワトキンズ・グレン フランソワ・セベールティレル-フォード詳細
197210月08日12ワトキンズ・グレン ジャッキー・スチュワートティレル-フォード詳細
197310月07日15ワトキンズ・グレン ロニー・ピーターソンロータス-フォード詳細
197410月06日15ワトキンズ・グレン カルロス・ロイテマンブラバム-フォード詳細
197510月05日14ワトキンズ・グレン ニキ・ラウダフェラーリ詳細
197610月10日15ワトキンズ・グレン ジェームス・ハントマクラーレン-フォード詳細
197710月02日15ワトキンズ・グレン ジェームス・ハントマクラーレン-フォード詳細
197810月01日15ワトキンズ・グレン カルロス・ロイテマンフェラーリ詳細
197910月07日15ワトキンズ・グレン ジル・ヴィルヌーヴフェラーリ詳細
198010月05日14ワトキンズ・グレン アラン・ジョーンズウィリアムズ-フォード詳細
1981
-
1988
1976年-1983年にロングビーチで開催されたレースはアメリカ西グランプリ
1982年-1988年にデトロイトで開催されたレースはデトロイトグランプリ
1981年-1982年にシーザーズ・パレスで開催されたレースはシーザーズ・パレスグランプリ
1984年にダラスで開催されたレースはダラスグランプリの各節を参照。
198906月04日5フェニックス アラン・プロストマクラーレン-ホンダ詳細
199003月11日1フェニックス アイルトン・セナマクラーレン-ホンダ詳細
199103月10日1フェニックス アイルトン・セナマクラーレン-ホンダ詳細
1992
-
1999
開催されず
200009月24日15インディアナポリス ミハエル・シューマッハフェラーリ詳細
200109月30日16インディアナポリス ミカ・ハッキネンマクラーレン-メルセデス詳細
200209月29日16インディアナポリス ルーベンス・バリチェロフェラーリ詳細
200309月28日15インディアナポリス ミハエル・シューマッハフェラーリ詳細
200406月20日9インディアナポリス ミハエル・シューマッハフェラーリ詳細
200506月19日9インディアナポリス ミハエル・シューマッハフェラーリ詳細
200607月02日10インディアナポリス ミハエル・シューマッハフェラーリ詳細
200706月17日7インディアナポリス ルイス・ハミルトンマクラーレン-メルセデス詳細
2008
-
2011
開催されず
201211月18日19オースティン ルイス・ハミルトンマクラーレン-メルセデス詳細
201311月17日18オースティン セバスチャン・ベッテルレッドブル-ルノー詳細
201411月02日17オースティン ルイス・ハミルトンメルセデス詳細
201510月25日16オースティン ルイス・ハミルトンメルセデス詳細
201610月23日18オースティン ルイス・ハミルトンメルセデス詳細
201710月22日17オースティン ルイス・ハミルトンメルセデス詳細
201810月21日18オースティン キミ・ライコネンフェラーリ詳細
201911月03日19オースティン バルテリ・ボッタスメルセデス詳細
2020新型コロナウイルス感染症の世界的流行により中止
202110月24日17オースティン マックス・フェルスタッペンレッドブル-ホンダ詳細
202210月23日19オースティン マックス・フェルスタッペンレッドブル-RBPT詳細
202310月22日19オースティン マックス・フェルスタッペンレッドブル-ホンダ・RBPT詳細
202410月20日19オースティン詳細
出典: [16]

優勝回数

F1世界選手権として開催されたレースを対象とする。

ドライバー

(2勝以上)

回数ドライバー優勝年
6 ルイス・ハミルトン2007, 2012, 2014, 2015, 2016, 2017
5 ミハエル・シューマッハ2000, 2003, 2004, 2005, 2006
3 グラハム・ヒル1963, 1964, 1965
ジム・クラーク1962, 1966, 1967
マックス・フェルスタッペン2021, 2022, 2023
2 ジャッキー・スチュワート1968, 1972
カルロス・ロイテマン1974, 1978
ジェームス・ハント1976, 1977
アイルトン・セナ1990, 1991
出典: [3]

コンストラクター

(2勝以上)

回数コンストラクター優勝年
10 フェラーリ1975, 1978, 1979, 2000, 2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2018
8 ロータス1960, 1961, 1962, 1966, 1967, 1969, 1970, 1973
マクラーレン1976, 1977, 1989, 1990, 1991, 2001, 2007, 2012
5 メルセデス[注 3]2014, 2015, 2016, 2017, 2019
4 レッドブル2013, 2021, 2022, 2023
3 BRM1963, 1964, 1965
2 ティレル1971, 1972
出典: [4]

エンジン

(2勝以上)

回数メーカー優勝年
11 フォード *1967, 1968, 1969, 1970, 1971, 1972, 1973, 1974, 1976, 1977,
1980
10 フェラーリ1975, 1978, 1979, 2000, 2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2018
8 メルセデス[注 3] **2001, 2007, 2012, 2014, 2015, 2016, 2017, 2019
4 クライマックス1959, 1960, 1961, 1962
BRM1963, 1964, 1965, 1966
ホンダ ***1989, 1990, 1991, 2021
2 ルノー1986, 2013
RBPT / ホンダ・RBPT ***2022, 2023
出典: [17]

過去の開催サーキット

アメリカ国内におけるグランプリ開催地

アメリカグランプリ以外の名称で行われたF1レース

米国内で実施されながら、複数回の開催のためにアメリカグランプリ以外の名前で行われたレースがある。1982年及び2023年以降は米国内で実に3回ものグランプリが開催されている。また、1950年から1960年はインディ500もF1選手権に組み込まれていた。

アメリカ西グランプリ

United States Grand Prix West
ロングビーチ市街地コース
(1983)
レース情報
周回75
コース長3.275 km (2.035 mi)
レース長245.625 km (152.620 mi)
開催回数8[18]
初回1976年
最終開催1983年
最多勝利
(ドライバー)
複数回優勝者なし[19]
最多勝利
(コンストラクター)
フェラーリ (3)[20]
最新開催(1983年):
ポールポジション パトリック・タンベイ
フェラーリ
1:26.117
決勝順位1. ジョン・ワトソン
マクラーレン-フォード
1:53:34.889
2. ニキ・ラウダ
マクラーレン-フォード
+27.993s
3. ルネ・アルヌー
フェラーリ
+73.638s
ファステストラップ ニキ・ラウダ
マクラーレン-フォード
1:28.330

1976年から1983年までロングビーチ市街地コースを使用して開催された。カリフォルニア州ロングビーチ市街をサーキットとして使用した。1周3.251kmを初め多彩なレイアウトがある。

アメリカ西GPの主な出来事

アメリカ西GPの結果

決勝日ラウンドサーキット優勝者コンストラクター結果
19763月28日3ロングビーチ クレイ・レガツォーニフェラーリ詳細
19774月03日4ロングビーチ マリオ・アンドレッティロータス-フォード詳細
19784月02日4ロングビーチ カルロス・ロイテマンフェラーリ詳細
19794月08日4ロングビーチ ジル・ヴィルヌーヴフェラーリ詳細
19803月30日4ロングビーチ ネルソン・ピケブラバム-フォード詳細
19813月15日1ロングビーチ アラン・ジョーンズウィリアムズ-フォード詳細
19824月04日3ロングビーチ ニキ・ラウダマクラーレン-フォード詳細
19833月27日2ロングビーチ ジョン・ワトソンマクラーレン-フォード詳細
出典: [21]

アメリカ西GPの開催サーキット

デトロイトグランプリ

Detroit Grand Prix
デトロイト市街地コース (1983-1988)
レース情報
周回63
コース長4.023 km (2.500 mi)
レース長253.449 km (157.500 mi)
開催回数7[22]
初回1982年
最終開催1988年
最多勝利
(ドライバー)
アイルトン・セナ (3)[23]
最多勝利
(コンストラクター)
ロータス (2)
マクラーレン (2)[24]
最新開催(1988年):
ポールポジション アイルトン・セナ
マクラーレン-ホンダ
1:37.041
決勝順位1. アイルトン・セナ
マクラーレン-ホンダ
1:54:56.035
2. アラン・プロスト
マクラーレン-ホンダ
+38.713s
3. ティエリー・ブーツェン
ベネトン-フォード
+1 lap
ファステストラップ アラン・プロスト
マクラーレン-ホンダ
1:44.836

1982年から1988年までデトロイト市街地コースで開催された。開催開始当初はアメリカで複数のレースが開催されていたが、1985年以降はデトロイトのみとなった。

デトロイトGPの主な出来事

デトロイトGPの結果

決勝日ラウンドサーキット優勝者コンストラクター結果
19826月06日7デトロイト ジョン・ワトソンマクラーレン-フォード詳細
19836月05日7デトロイト ミケーレ・アルボレートティレル-フォード詳細
19846月24日8デトロイト ネルソン・ピケブラバム-BMW詳細
19856月23日6デトロイト ケケ・ロズベルグウィリアムズ-ホンダ詳細
19866月22日7デトロイト アイルトン・セナロータス-ルノー詳細
19876月21日6デトロイト アイルトン・セナロータス-ホンダ詳細
19886月19日6デトロイト アイルトン・セナマクラーレン-ホンダ詳細
出典: [25]

デトロイトGPの開催サーキット

シーザーズ・パレスグランプリ

Caesar's Palace Grand Prix
シーザーズ・パレス・グランプリサーキット
レース情報
周回75
コース長3,650 km (2,270 mi)
レース長273.750 km (170.250 mi)
開催回数2[注 1]
初回1981年
最終開催1982年
最新開催(1982年):
ポールポジション アラン・プロスト
ルノー
1:16.356
決勝順位1. ミケーレ・アルボレート
ティレル-フォード
1:41:56.888
2. ジョン・ワトソン
マクラーレン-フォード
+27.290s
3. エディー・チーバー
リジェ-マトラ
+56.450s
ファステストラップ ミケーレ・アルボレート
ティレル-フォード
1:19.639

1981年1982年ラスベガスのホテル、シーザーズ・パレスの巨大駐車場にコンクリートウォールを設置、1周3.650kmのシーザーズ・パレス・グランプリサーキットを急造して開催された。1981年はウィリアムズアラン・ジョーンズが、1982年はティレルミケーレ・アルボレートがそれぞれ勝利したが、観客動員の伸び悩みによりF1での開催は2年で打ち切られた[26][注 4]

F1開催終了から41年後の2023年からラスベガス・ストリップ・サーキットで開催されている「ラスベガスグランプリ」については後述の「ラスベガスグランプリ」の節を参照。

シーザーズ・パレスGPの主な出来事

  • 1981年 - ブラバムネルソン・ピケが5位フィニッシュして自身初のチャンピオンを獲得。ピケは酷暑のレースで体力を消耗し、コクピット内で失神寸前だった。

シーザーズ・パレスGPの結果

決勝日ラウンドサーキット優勝者コンストラクター結果
198110月17日15シーザーズ・パレス アラン・ジョーンズ ウィリアムズ-フォード詳細
198209月25日16シーザーズ・パレス ミケーレ・アルボレートティレル-フォード詳細
出典: [27]

ダラスグランプリ

Dallas Grand Prix
ダラス・グランプリ・サーキット
レース情報
周回67
コース長3.901 km (2.424 mi)
レース長261.367 km (162.406 mi)
開催回数1[注 1]
初回1984年
最終開催1984年
最新開催(1984年):
ポールポジション ナイジェル・マンセル
ロータス-ルノー
1:37.041
決勝順位1. ケケ・ロズベルグ
ウィリアムズ-ホンダ
2:01:22.617
2. ルネ・アルヌー
フェラーリ
+22.464s
3. エリオ・デ・アンジェリス
ロータス-ルノー
+1 lap
ファステストラップ ニキ・ラウダ
マクラーレン-TAG
1:45.353

1984年ダラスフェア・パークにある道路を使用した急造コース「ダラス・グランプリ・サーキット」で開催。真夏の猛暑に見舞われたサバイバルレース[28]ウィリアムズケケ・ロズベルグが優勝し、ホンダの第2期活動(ターボエンジン供給)での初優勝を印した。

ダラスGPの結果

決勝日ラウンドサーキット優勝者コンストラクター結果
19847月8日9ダラス ケケ・ロズベルグウィリアムズ-ホンダ詳細
出典: [29]

マイアミグランプリ

Miami Grand Prix
マイアミ・インターナショナル・オートドローム
レース情報
周回57[30]
コース長5.412[30] km (3.363 mi)
レース長308.326[30] km (191.585 mi)
開催回数3
初回2022年
最多勝利
(ドライバー)
マックス・フェルスタッペン (2)
最多勝利
(コンストラクター)
レッドブル (2)
最新開催(2024年):
ポールポジション マックス・フェルスタッペン
レッドブル-ホンダRBPT
1:27.241
決勝順位1. ランド・ノリス
マクラーレン-メルセデス
1:30:49:876
2. マックス・フェルスタッペン
レッドブル-ホンダRBPT
+7.612s
3. シャルル・ルクレール
フェラーリ
+9.920s
ファステストラップ オスカー・ピアストリ
マクラーレン-メルセデス
1:30.634

フロリダ州マイアミにあるマイアミ・インターナショナル・オートドローム2022年から開催されている。

マイアミGPの開催に至る経緯

2016年フォーミュラワン・グループを買収しF1の興行権を持つことになったリバティメディアは、テキサス州オースティンサーキット・オブ・ジ・アメリカズで開催されているアメリカグランプリに続くアメリカ国内での2レース目の開催に積極的な姿勢を見せ、翌2017年末にマイアミがその最有力候補として浮上した。アメリカン・エアラインズ・センター(現:カセヤ・センター)周辺とビスケーン大通りを下るダウンタウンでの市街地コースで早ければ2019年に開催する計画が立てられたが[31]、地元からの反対意見もあって難航し[32]、2019年にこの計画は断念された[33]

代わってNFLマイアミ・ドルフィンズの本拠地ハードロック・スタジアム周辺での開催案が浮上し[33]、同チームのオーナーを務めるスティーブン・ロス英語版が率いるコンソーシアムリバティメディアとの交渉が進み、政治的支援やマイアミ市議会の承認が必要ではあるが、2021年からの開催に原則合意した[34]。ところが、新型コロナウイルス感染症の世界的流行によってこの計画の破棄はされていないもの、感染症の解決のめどが立つまで計画は凍結することが決定した[35]

2021年4月18日、2022年シーズンからマイアミグランプリを開催すると正式発表した[36]。これにより、1984年以来38年ぶりにアメリカ国内での複数レース開催が復活することになった。契約期間は2031年までの10年間[37]

マイアミGPの結果

決勝日ラウンドサーキット優勝者コンストラクター結果
20225月8日5マイアミ マックス・フェルスタッペンレッドブル-RBPT詳細
20235月7日5マイアミ マックス・フェルスタッペンレッドブル-ホンダ・RBPT詳細
20245月5日6マイアミ ランド・ノリスマクラーレン-メルセデス詳細
出典: [38]

マイアミGPの冠スポンサー

マイアミGPの外部リンク

ラスベガスグランプリ

Las Vegas Grand Prix
ラスベガス・ストリップ・サーキット
(2023-)
レース情報
周回50[42]
コース長6.201[42] km (3.853 mi)
レース長310.050[42] km (192.656 mi)
開催回数1
初回2023年
最新開催(2023年):
ポールポジション シャルル・ルクレール
フェラーリ
1:32.726
決勝順位1. マックス・フェルスタッペン
レッドブル-ホンダRBPT
1:29:08.289
2. シャルル・ルクレール
フェラーリ
+2.070s
3. セルジオ・ペレス
レッドブル-ホンダRBPT
+2.241s
ファステストラップ オスカー・ピアストリ
マクラーレン-メルセデス
1:35.490

2023年からネバダ州ラスベガスに新設されたラスベガス・ストリップ・サーキットで開催されている。

ラスベガスGPの開催に至る経緯

2021年よりF1の関係者がラスベガスを訪問し、2023年の初開催を前提に交渉。2022年3月31日、2023年からの開催決定がアナウンスされた。コースはラスベガスのカジノ街を貫く「ストリップ」を含む公道コース、ラスベガス・ストリップ・サーキットを使用する。決勝レースは土曜日の22時スタートという極めて異例の形態となる。これにより、オースティン(アメリカGP)とマイアミ(マイアミGP)に続き、アメリカ国内で3レースが開催されることになった[43]

ラスベガスGPの結果

決勝日ラウンドサーキット優勝者コンストラクター結果
202311月18日22ラスベガス マックス・フェルスタッペンレッドブル-ホンダRBPT詳細
202411月23日22ラスベガス詳細
出典: [44]

ラスベガスGPの冠スポンサー

ラスベガスGPの外部リンク

インディ500

F1世界選手権初年度の1950年から選手権レースの一戦に組み込まれたが、「世界選手権」を名乗るためにはヨーロッパ以外のレースを入れたいというFIAの思惑があったためであり、形式的なものに過ぎなかった。当時のインディ500のエンジン排気量は最大4.5LとF1の自然吸気エンジンと同じ[注 5]で、選手権ポイントも他のGP同様与えられたが、インディ500と他のF1GPに参戦するドライバーはほとんどなく[注 6]1959年からアメリカGPが選手権レースの一戦となったことから、1960年をもって選手権レースから除外された[47][48]

ニュージャージーグランプリ(開催構想)

2012年からオースティンでアメリカGPが再開された一方、2013年からはニュージャージー州でもう1つのグランプリが開催される予定とされ、2011年10月25日に同州知事が開催を発表した。ハドソン川を挟んでニューヨークマンハッタンの対岸に位置するウィーホーケンウェストニューヨークにまたがる市街地を使用する[49]としていたが、サーキット建設の認可手続きが間に合わず、実際の開催は2016年からにずれ込む見込みとされていた[50]ものの、2016年度はまたしても開催が見送られた。名称はニュージャージーグランプリとなる予定らしいが、2015年度のアメリカグランプリの開催料金の延滞が報道されるなど、ポート・インペリアル市街地コースへの移転は遅々として進んでいない[注 7]

脚注

注釈

出典

関連項目

外部リンク

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