ウラジーミル・ヴァシリコヴィチ

ウラジーミル・ヴァシリコヴィチロシア語: Владимир Василькович1249/50年 - 1288年12月10日)は、ヴォルィーニ公ヴァシリコと1人めの妻ドブラヴァとの間の子である。ヴォルィーニ公(在位:1269年 - 1288年)。聖名イヴァン。

ウラジーミル・ヴァシリコヴィチ
Владимир Василькович
ヴォルィーニ公
在位1269年 - 1288年

出生1249/50年
死去1288年12月10日
子女イジャスラヴァ(養女)
家名リューリク家
父親ヴォルィーニ公ヴァシリコ
母親ドブラヴァ・ユーリエヴナ
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生涯

父ヴァシリコの所有していたヴォルィーニ公位を得た後、ヤトヴャグ族との戦いを始めた[1]。1270年代にカメネツの街と城(ru)を建設した。数度に渡るヤトヴャグ族との戦いを繰り広げる一方、1279年の飢饉の年にはヤトヴャグ族への穀物の販売を行った。ジョチ・ウルスは東欧諸国への遠征(1277年にリトアニア、1283年、1286年にポーランド、1285年にハンガリー)への参加を強要したが、跛行を理由としてこれに参加しなかった。

ウラジーミルは1288年の末に死亡した。『イパーチー年代記』の1288年の項では、書物を愛する教養のある人物と記されている。ウラジーミルには相続人がなく、その所領全てをルーツク公ムスチスラフに寄贈した。

出典

参考文献