エクトル・ファウベル

エクトル・ファウベル(Héctor Faubel Rojí、1983年8月10日 - )は、スペインバレンシア県リリア英語版出身のオートバイレーサー。

エクトル・ファウベル
2010年 オーストラリアGP
国籍スペインの旗 スペイン
現在のチームバンキア・アスパー・チーム
ゼッケン55
レースでの経歴
ロードレース世界選手権 Moto2クラス
活動期間2010年
マニファクチャラーSuter-Honda
チャンピオン0
2010年 順位26th (18 pts)
出走回数勝利数表彰台PPFL総ポイント
17000018
ロードレース世界選手権 250ccクラス
活動期間2002年2004年, 2008年2009年
マニファクチャラー
  • Aprilia
  • Honda
チャンピオン0
2009年 順位9th (105 pts)
出走回数勝利数表彰台PPFL総ポイント
780100248
ロードレース世界選手権 Moto3クラス
活動期間2012年
マニファクチャラー
チャンピオン0
2012年 順位16th (63 pts)
出走回数勝利数表彰台PPFL総ポイント
12000063
ロードレース世界選手権 125ccクラス
活動期間2000年2001年, 2005年2007年, 2011年
マニファクチャラーAprilia
チャンピオン0
2011年 順位5th (177 pts)
出走回数勝利数表彰台PPFL総ポイント
7082539764

経歴

2002年ロードレース世界選手権250ccクラスにフル参戦デビューを果たした。同年には並行して参戦していたスペイン国内選手権250ccクラスでチャンピオンを獲得した[1] が、世界選手権の方では成績は伸び悩み、2005年からは125ccクラスで出直しを図ることになった。

2006年にはシーズン2勝を挙げシリーズランキング3位に入る活躍を見せ[2]、翌2007年にはチャンピオン候補の筆頭に挙げられたが、ガボール・タルマクシに僅か5ポイント差で敗れ、シリーズ2位に終わった。

2008年、250ccクラスに復帰を果たし、チーム・アスパーアルバロ・バウティスタのチームメイトを務めることになったが、バウティスタがシリーズ2位に入る活躍を見せた一方、ファウベルはシリーズ14位に沈んでしまった。

2009年はスペインの Stop and Go Racing が運営し、リーガ・エスパニョーラバレンシアCFがスポンサーに就く "バレンシアCF・ホンダ・SAG" チームに移籍し、デビュー以来乗り続けたアプリリアから、ホンダ・RS250RWにマシンを変更することになった。スポンサーは異なるが、同じく Stop and Go Racing が運営する "タイ・ホンダ PTT SAG" チームのラタパー・ウィライローとは実質的にはチームメイト同士であった。ファウベルはウェットレースとなった第4戦フランスGPでクラス初表彰台となる2位を獲得し、シリーズランキングでもクラス自己ベストとなる9位を記録した。

2010年シーズン、ファウベルはウィライローと共にSAGチームに残留する予定だったが[3]、資金難に苦しむチームはスポンサー資金を集められなかったファウベルに代わりベルナト・マルティネスとの契約を発表した。一時的にシートを失ったファウベルだったが、開幕直前になってマークVDSレーシングチームのシートを確保、スコット・レディングをチームメイトにスッターのシャシーを駆って、250ccクラス後継のMoto2クラスに参戦することとなった[4]。事前テストが一切できなかった[5] ファウベルは開幕から苦戦が続き、ポイント圏内での完走はわずか4回でシリーズ26位に沈んだ。

2011年は125ccクラスに再び戻り、古巣アスパー・チームで同クラスのラストシーズンを戦うことになった[6]

ロードレース世界選手権 戦績

シーズンクラスバイク出走優勝表彰台PPポイント
2000年125ccアプリリア2000--
2001年125ccアプリリア2000--
2002年250ccアプリリア160001423位
2003年250ccアプリリア160003413位
2004年250ccアプリリア140003117位
2005年125ccアプリリア160301139位
2006年125ccアプリリア162501973位
2007年125ccアプリリア1751322772位
2008年250ccアプリリア160006414位
2009年250ccホンダ160101059位
2010年Moto2スッター170001826位
2011年125cc
合計1487222853

脚注

外部リンク