カフー

ブラジルのサッカー選手

カフー(Cafu)ことマルコス・エバンジェリスタ・デ・モラエスMarcos Evangelista de Moraes, 1970年6月7日 - )は、ブラジルサンパウロ州サンパウロ出身の元サッカー選手。元ブラジル代表。現役時代のポジションはディフェンダー

カフー
2017年のカフー
名前
本名マルコス・エバンジェリスタ・デ・モラエス
Marcos Evangelista de Moraes
愛称il Pendolino
右サイドの支配者
ラテン文字Cafu
基本情報
国籍ブラジルの旗 ブラジル
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1970-06-07) 1970年6月7日(53歳)
出身地サンパウロ
身長176cm
体重75kg
選手情報
ポジションDF(RSB)
利き足右足
ユース
1988-1990ブラジルの旗 サンパウロ
クラブ1
クラブ出場(得点)
1990-1994ブラジルの旗 サンパウロ 117 (7)
1994-1995スペインの旗 サラゴサ 16 (0)
1995ブラジルの旗 ジュヴェントゥージ 2 (0)
1995-1997ブラジルの旗 パルメイラス 35 (0)
1997-2003イタリアの旗 ローマ 163 (5)
2003-2008イタリアの旗 ミラン 119 (4)
通算452(16)
代表歴
1990-2006[1]ブラジルの旗 ブラジル142 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。2009年6月16日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

「カフー」はニックネームで、1970年代に活躍したカフリンガ (Cafuringaという名前のサッカー選手に由来する。長らく活躍したイタリアでは特急列車を意味する「イル・ペンドリーノ(il Pendolino)」という異名で呼ばれたこともあった[2]史上最高の右サイドバックとも評され、2020年に右サイドバックの歴代1位としてバロンドール・ドリームチームに選出された[3]

経歴

クラブ

初期

7歳の頃にはナショナル・アトレチコ・クルーベ英語版でプレーしていた[4]。1983年から1987年にかけて、SEパルメイラスサンパウロFCコリンチャンスなどのトライアウトで9回連続不合格になった[4]。1988年、18歳の時、サンパウロFCのプリマベーラとの試合で活躍、これが目に留まり、サンパウロの下部組織に入団した[4]。入団後にサイドバックにコンバートされ、1989年にトップデビューを果たした[4]。1992年、トヨタカップでは、FCバルセロナを破り優勝、1993年、トヨタカップACミラン戦ではパリ―ニャの先制ゴールをアシストし[5]、大会連覇に貢献するなど活躍した。1994年、レアル・サラゴサに優勝への切り札と期待されて移籍するも[6]、攻撃を警戒され、対戦チームに厳しくマークされ[6]、加入後出場した数試合でチームは勝利出来ないなど[6]、レアル・サラゴサでは目立つ活躍が出来ず、1年で退団し、再び地元ブラジルに帰国し、SEパルメイラスに移籍することになる。

ASローマ

1997年、イタリアセリエAの強豪ASローマに移籍。すぐに適応し、キープレーヤーの一人になり、ファンからペンドリーノ(右サイドの支配者)というニックネームを付けられた[4]。1998年4月11日のインテル戦でセリエA初得点を決めた[4]。2000-01シーズンには、ASローマの18年ぶりとなるスクデット制覇に貢献するなど主力として活躍、218試合に出場8ゴールをあげた[2]

ACミラン

ACミラン時代

33歳となった2003年夏にはASローマを退団し、Jリーグ横浜F・マリノスへの入団合意が伝えられたが[7][8][9]、最終的には違約金を横浜FMに支払う形で、ACミランがカフーを獲得した[10]。ACミラン移籍後は右サイドバックのレギュラーとしていきなり2003-04シーズンのACミランのスクデットに貢献するなど、主力としての変わらぬ活躍を見せることになる。また、この年にペレの選んだ偉大なサッカー選手100人、「FIFA 100」に選ばれている。

2004-05シーズン、チャンピオンズリーグ決勝では、リヴァプールに延長PKで敗れた[4]。2006-07シーズン、チャンピオンズリーグ決勝では、出場機会は無かったものの、優勝を果たした[4]。2007-08シーズン、クラブワールドカップ決勝のボカ戦では、後半途中から出場、現役生活最後のタイトルを獲得した[4]。シーズン終了後、ACミランとの契約満了に伴い退団と同時に現役引退。2008年5月18日、現役最後の試合となった、ウディネーゼ戦で1得点を決めた[4]

引退後は、指導者には転身せず、夫人と共にスポーツ代理店を経営するなど実業家となった。

ブラジル代表

1990年9月12日のスペイン戦で代表デビューを果たした[11]。その後の1994年のワールドカップでは3試合に出場[11]、決勝のイタリア戦では、試合中のジョルジーニョの故障に伴い、途中交代で[12]、優勝に貢献した。以後、代表のレギュラーとしての地位を確立し、1998 FIFAワールドカップでは決勝で開催国フランスに敗れ連覇を逃したが、出場停止になったオランダ戦以外の6試合に出場、グループリーグ第2戦のモロッコ戦ではリバウドのゴールをアシストした[11]

2002 FIFAワールドカップではキャプテンとして全試合に出場し、優勝に貢献した。

2006年のドイツ大会ではグループリーグ初戦のクロアチア戦でカカのゴールをアシスト[11]、ラウンド16のガーナ戦ではアドリアーノのゴールをアシストし[11]、準々決勝まで進むが、フランス戦で破れ敗退。

ドイツW杯後は、元ブラジル代表ドゥンガが代表監督に就任し、同監督の構想から外れたことや、年齢のこともあり、これ以後代表招集されることは無かった。

代表通算キャップ数は142を数えており、これはブラジル代表における歴代最多記録である。また、1994年、1998年、2002年、2006年の4度のFIFAワールドカップに出場しているが、このうち2006年を除く3回はいずれも決勝まで進んでおり(優勝2回、準優勝1回)、決勝戦の試合出場を3度経験した唯一の選手である。

エピソード

  • サッカー界きっての"ガム好き"を公言している[13]
  • セリエAにおいて、最も嬉しかったのは、ASローマ時代のスクデットだと答えている[14]
  • 2019年9月、友人や息子のダニーロとサッカーで遊んでいたところ、試合中にダニーロが昏倒。カフー自ら病院へ搬送したが、30歳という若さでそのまま帰らぬ人となった。ダニーロは元々、冠動脈硬化症を患っており、数日後に手術を受ける予定だった。

個人成績

所属クラブシーズン番号リーグ戦
出場得点
1990サンパウロ2202
1991201
1992211
1993181
1994162
1994-95サラゴサ160
1995パルメイラス190
1996160
199700
1997-98ローマ311
1998-99201
1999-00282
2000-01311
2001-02270
2002-03260
2003-04ミラン281
2004-05331
2005-06191
2006-07240
2007-08151
通算42815

代表での成績

出典[1]


ブラジル代表国際Aマッチ
出場得点
199030
199190
199220
1993120
199471
199550
199630
1997200
1998122
1999120
2000102
200160
2002120
200370
200490
200580
200650
通算1425

タイトル

代表

クラブ

サンパウロFC

ASローマ

ACミラン

個人

脚注

外部リンク