ゲルト・ミュラー

ドイツのサッカー選手 (1945–2021)

ゲルハルト・"ゲルト"・ミュラーGerhard "Gerd" Müller1945年11月3日 - 2021年8月15日[1][2])は、ドイツネルトリンゲン出身のサッカー選手。ポジションはフォワード

ゲルト・ミュラー
バイエルン・ミュンヘンでのミュラー (1973年)
名前
本名ゲルハルト・ミュラー
Gerhard Müller
愛称Der Bomber (爆撃機)
ラテン文字Gerd Müller
基本情報
国籍ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1945-11-03) 1945年11月3日
出身地ネルトリンゲン
没年月日 (2021-08-15) 2021年8月15日(75歳没)[1][2]
身長175cm
体重77kg
選手情報
ポジションFW (CF)
利き足右足
ユース
1958-1963西ドイツの旗 TSV1861ネルトリンゲン
クラブ1
クラブ出場(得点)
1963-1964西ドイツの旗 TSV1861ネルトリンゲン 31 (51)
1964-1979西ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 453 (398)
1979-1980アメリカ合衆国の旗 フォートローダーデール・ストライカーズ 71 (38)
1980-1981アメリカ合衆国の旗 スミス・ブラザーズ 42 (33)
通算597 (520)
代表歴
1966 西ドイツ U-231 (1)
1966-1974西ドイツの旗 西ドイツ62 (68)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

抜群の得点感覚とポジショニングで泥臭いゴールを得意とし、どんな体勢からでもゴールを奪った。驚異的な数の得点を量産し、デア・ボンバー爆撃機)と呼ばれた[3]。バイエルンでは通算515ゴールを決め、クラブ歴代最多ゴール数の記録を保持している[4]

クラブ経歴

ボールにサインするミュラー(1967)。彼から見て右はフランツ・ベッケンバウアーとヴェルナー・オルク.

1963年、地元のクラブ・TSVネルトリンゲンでデビュー。ここでの活躍がスカウトの目に留まり、翌シーズンにはバイエルン・ミュンヘンと契約。在籍15年間で4回のリーグ優勝(1969 / 72 / 73 / 74年)、7回の西ドイツ・ブンデスリーガ得点王(1967 / 69 / 70 / 72 / 73 / 74 / 78年)、チャンピオンズカップ優勝3回(1974 / 75 / 76年)、カップウィナーズカップ優勝1回(1967年)、西ドイツカップ優勝4回(1966 / 67 / 69 / 71年)、ブンデスリーガ 通算427試合365得点の成績を残した[5]

1979年、西ドイツを後にしてアメリカへ渡り、フォートローダーデール、スミス・ブラザーズに所属した後、1982年に現役を引退した。

引退後は一時期アルコール依存症に苦しんだ時期があったが、旧知の仲であるバイエルン・ミュンヘンのウリ・ヘーネスGMやフランツ・ベッケンバウアー会長、ゼップ・マイヤーGKコーチの助けもあり、アルコール依存症を克服[6]。同クラブの育成部門でアシスタントコーチなども務めた。

1992年から2014年まで、バイエルン・ミュンヘンサテライトチームのアシスタントコーチを務めていた。

2015年10月、アルツハイマー病に罹患しており、同年2月から専門的な治療を受けていることをバイエルン・ミュンヘンが発表した[7]

2021年8月15日、早朝に亡くなったことをFCバイエルン・ミュンヘンが発表した[1][2]。75歳没。

2022年バロンドールの開催者として知られるフランス・フットボールがそのシーズンの得点王を表彰するゲルト・ミュラー・トロフィーを新設した。

代表歴

1974 FIFAワールドカップの表彰式後のミュラー(右)。左はヴォルフガング・オヴェラート

1966年10月12日 vsトルコ戦で代表デビュー、無得点に終わるが2戦目のアルバニア戦では4ゴールを挙げた。

1970年メキシコワールドカップではグループリーグのブルガリア戦、ペルー戦でハットトリックを決め、準決勝のイタリア戦で2ゴールを決めるなど(3位決定戦となったウルグアイ戦以外の全ての試合でゴールを決めた。)[8]、10得点で大会得点王を獲得した。

1974年西ドイツワールドカップでは、オランダとの決勝戦で決勝ゴールを決めるなど[8]、4得点3アシストを挙げた[8]。ワールドカップ通算14ゴールは、ブラジル代表のロナウド2006年ドイツワールドカップで塗り替えるまでは、32年間歴代最多記録であった(2014年現在歴代3位。2010年南アフリカ大会でドイツ代表の後輩となるミロスラフ・クローゼに並ばれた。クローゼは2014年ブラジル大会で通算16得点とし、最多記録保持者となっている)。

1972年の欧州選手権では決勝のソビエト戦で2ゴールを挙げるなど、4得点を記録し、得点王に輝く活躍でチームを優勝へ導いた。なお、1974年決勝オランダ戦を最後に28歳で代表を引退した。

歴代最多得点記録

獲得タイトル

クラブ

代表

個人

脚注

外部リンク