サッカーウルグアイ代表

ウルグアイの男子サッカーナショナルチーム

サッカーウルグアイ代表(サッカーウルグアイだいひょう、西: Selección nacional de fútbol de Uruguay)は、ウルグアイサッカー協会(AUF)によって構成される、ウルグアイサッカーナショナルチームである。

サッカーウルグアイ代表
国または地域ウルグアイの旗 ウルグアイ
協会ウルグアイサッカー協会
FIFAコードURU
愛称La Celesteラ•セレステ (スペイン語で空色)
Los Orientales (東方人)
Los Charrúas (先住民チャルーア族に由来する、頑強で不屈な魂)
監督アルゼンチンの旗 マルセロ・ビエルサ
最多出場選手ディエゴ・ゴディン(161試合)
最多得点選手ルイス・アルベルト・スアレス(68得点)
ホームスタジアムエスタディオ・センテナリオ
ホームカラー
アウェイカラー
初の国際試合
 ウルグアイ 0-6  アルゼンチン
モンテビデオ, 1902年7月20日)
最大差勝利試合
 ウルグアイ 9-0  ボリビア
リマ, 1927年11月6日)
最大差敗戦試合
 ウルグアイ 0-6  アルゼンチン
モンテビデオ, 1902年7月20日)
FIFAワールドカップ
出場回数14回(初出場は1930
最高成績優勝 (1930, 1950)
コパ・アメリカ
出場回数45回
最高成績優勝15回 (1916, 1917, 1920, 1923, 1924, 1926, 1935, 1942, 1956, 1959, 1967, 1983, 1987, 1995, 2011)

愛称は、代表チームのユニフォームカラーから「セレステ」など。ホームスタジアムは、首都モンテビデオにあるエスタディオ・センテナリオ

歴史

前史

第1回FIFAワールドカップ大会で優勝したウルグアイ代表

ウルグアイ代表による最初の試合は1901年5月16日のアルゼンチン戦であったが、この試合はウルグアイサッカー協会が主催したものではなく、ウルグアイ最古のクラブチームであるアルビオンFCが主催したもので公式戦とはみなされていない。この試合ではウルグアイ側は9人がアルビオンから、残りがナシオナル・モンテビデオの選手が召集された。ウルグアイ代表が初めて公式戦を行ったとされる試合は、1902年7月20日に行われたアルゼンチン戦だった。ウルグアイは約8,000人の観客の前で0-6で敗れた[1][2]

20世紀前半において世界屈指の強豪国として君臨し、1924年1928年オリンピックで連覇。ワールドカップでは1930年に憲法発布100周年を記念し開催された地元での第1回大会1950年ブラジル大会で優勝。コパ・アメリカではブラジルを抑えてアルゼンチンと並び、最多となる15回の優勝を誇る。

1970年代以降はワールドカップでは度々南米予選で敗退するようになり、国際タイトルからも1995年のコパ・アメリカを最後に遠ざかるなど長きに渡り低迷していた。一方で、選手個人では欧州トップリーグで活躍する選手を多く輩出していたため、「古豪」と紹介されることが多かった。

2010年代

2010年のワールドカップ南アフリカ大会でも、予選では大陸間プレーオフで出場権を手にするなど苦戦したが、本大会ではディエゴ・フォルランルイス・アルベルト・スアレスエディンソン・カバーニらの活躍もあり、開催国南アフリカも含むグループAを2勝1分かつ無失点で突破し、決勝トーナメントでは韓国ガーナを下すも準決勝でオランダに2-3で競り負けて決勝進出はならず、さらに3位決定戦でもドイツに2-3で競り負け4位に終わったが、下馬評を覆して40年ぶりのベスト4入りを果たす。フォルランは、ウルグアイ代表初の大会得点王とMVPに輝いた。古豪の復活をたたえ、帰国後の凱旋パレードではおよそ50万人の国民が出迎えた。

2011年の南米ユース選手権(U-20の大会)では準優勝し、2011 FIFA U-20ワールドカップへの出場権を得ると同時に、1928年に優勝した以来84年ぶり(18大会ぶり)にオリンピック本大会へ出場[注釈 1]2012年ロンドンオリンピックのサッカー競技も参照)。さらに同年のコパ・アメリカ2011ではグループリーグを2位通過すると準々決勝でアルゼンチンを下し、決勝でもパラグアイに3-0で勝利。6大会ぶり15度目の優勝を果たし、強豪国としての地位を取り戻しつつある[3][4][5]

2014年ブラジルW杯イングランド戦のウルグアイサポーター

2014年のワールドカップブラジル大会では前回同様予選では苦戦し、2002年の日韓大会から4大会連続で大陸間プレーオフに回るも[注釈 2]ヨルダンを下して本大会出場権を獲得。GLではイタリアイングランドといった強豪国を下しグループ2位で突破したが、決勝トーナメント1回戦でハメス・ロドリゲスらを擁する同じ南米コロンビアに敗れた。

オーストリアとの親善試合(2017年)

2018年のワールドカップロシア大会では、南米予選第17節の時点で2位(最低5位で大陸間プレーオフ確定)につけていたがチリ(第17節終了時点で3位)、コロンビア(第17節終了時点で4位)、ペルー(第17節終了時点で5位)、アルゼンチン(第17節終了時点で6位)、パラグアイ(第17節終了時点で7位)と本大会出場を争う混戦となっていた。最終節でボリビアを逆転で下して予選2位をキープし、本大会出場を果たした[6]。本大会では開催国ロシアのほか、サウジアラビアエジプトと同じグループAに入り、3勝0敗で首位通過及び唯一無失点のまま決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメント1回戦ではポルトガルと対戦しカバーニの2ゴールで2-1で勝利したものの、カバーニがポルトガル戦途中で左足脹脛を負傷して退場、準々決勝ではそのカバーニを怪我で欠いたこともあり、フランスに0-2で敗れ2010年大会以来となる準決勝進出を逃した。

2020年代

2021年から2022年にかけて開催された2022 FIFAワールドカップ予選では、第14節のボリビア代表戦で0-3と完敗した後に15年以上代表を率いていたオスカル・タバレス監督を解任し、ディエゴ・アロンソを新監督に据えた。その結果、就任後の3試合で全勝したことで、残り1節を残してワールドカップ本大会出場を確定させた[7]。前任者のタバレスはA代表だけでなく、ユース世代の代表強化にも力を入れた。タバレスの就任以降、将来有望な若手選手には必ずU-20世代別代表を通してからA代表へと招集するようになった[8]

14回目のW杯となったカタール大会では、ポルトガル韓国、そして2010年の南アフリカ大会でスアレスのハンドが影響してウルグアイに敗れたガーナと同じグループHに組み分けされた。本大会ではスアレスの他、カバーニやゴディンといったベテランとヌニェスバルベルデペリストリら若手をバランス良く招集[9]。初戦の韓国戦ではお互い攻撃的な展開となったが、2度のポストに嫌われるなど決め手を欠いて得点を奪えず0-0のスコアレスドローで勝ち点を分け合った[10]。続くポルトガル戦ではブルーノ・フェルナンデスに2得点を挙げられ0-2で敗れた[11]。2試合無得点未勝利のグループ最下位で迎えたガーナ戦では、GKのセルヒオ・ロシェがPKストップを含むファインセーブを連発。攻撃面でもジョルジアン・デ・アラスカエタが2ゴールを決めて4大会連続でグループステージを突破するかと思われた。しかし、同時開催していたポルトガル代表と韓国代表の試合で韓国が試合終盤に逆転勝利したことで、状況が一変。韓国に対して勝ち点と得失点差で並ぶも総得点が「2」少なかったことにより、ガーナに2-0で勝利したが、3位でのグループステージ敗退が決まった[12][13]。アロンソはカタール大会後に監督を退任したが後継が決まらぬまま2023年3月24日の日本代表戦を迎えたため、同試合はU-20代表監督のマルセロ・ブロリが代行で務めることとなった[14]

ユニフォームとロゴ

ホーム用ユニフォームには突き抜けるような空色が伝統的に使用されており、これが代表の愛称「セレステ」(スペイン語で空色の意)の由来となっている[15]。アウェイ用のメインカラーは主に白であるが、赤・もしくはオレンジをメインカラーとして使用されることもある。ロゴ上には4つの星が付けられているが、これは2度のワールドカップ制覇とW杯開催前の2度のオリンピック制覇を合わせて記している。

A代表の成績

FIFAワールドカップ

開催国 / 年成績
1930優勝4400153+12
1934不参加
1938
1950優勝4310155+10
19544位5302169+7
1958予選敗退
1962グループリーグ敗退310246-2
1966ベスト8412125-3
19704位621345-1
1974グループリーグ敗退301216-5
1978予選敗退
1982
1986ベスト16402228-6
1990411225-3
1994予選敗退
1998
2002グループリーグ敗退302145-1
2006予選敗退
20104位7322118+3
2014ベスト16420246-2
2018ベスト8540173+4
2022グループリーグ敗退3111220
合計 出場14回/優勝2回592513218976+13

FIFAコンフェデレーションズカップ

コパ・アメリカ

サッカー南米選手権/コパ・アメリカ
開催国 / 年成績
1916優勝321061
1917330090
1919準優勝321074
1920優勝321092
19213位310234
1922421131
1923優勝330061
1924321081
1925不参加
1926優勝4400172
1927準優勝3201153
19293位310246
1935優勝330061
19373位52031114
19392位4301135
19414301101
1942優勝6600212
19454位6303146
19465203119
19473位7502218
19496位72141420
19533位6312156
19554位52121212
1956優勝541093
19573位64021512
19595位62041514
1959優勝4310131
1963不参加
1967優勝5410132
19754位210113
1979グループリーグ敗退412155
1983優勝8521126
1987220020
1989準優勝7403113
1991グループリーグ敗退413043
1993ベスト8412155
1995優勝6420114
1997ベスト8310222
1999準優勝612349
20014位622277
20043位63211210
20074位622289
2011優勝633093
2015ベスト8411223
2016グループリーグ敗退310244
2019ベスト8422072
2021ベスト8522142
合計出場45回/優勝15回2051123855410221

パンアメリカン競技大会

開催年結果試合勝利引分敗戦得点失点
1951不参加
1955
1959
19634位410346
1967不参加
1971
1975グループリーグ敗退201112
1979不参加
1983優勝440051
1987不参加
1991
1995
1999グループリーグ敗退401329
2003不参加
2007
20113位521268
2015優勝540182
合計6/1724113102628

世代別代表の成績

オリンピック

FIFA U-20ワールドカップ

開催年結果試合勝利引分敗戦得点失点
19774位531165
19793位6411103
1981ベスト8430162
1983421175
1985予選敗退
1987
1989
1991グループリーグ敗退301207
1993ベスト8421165
1995予選敗退
1997準優勝7421146
19994位722378
2001予選敗退
2003
2005
2007ベスト16411246
2009421175
2011グループリーグ敗退302112
2013準優勝7421103
2015ベスト16412133
20174位734073
合計14/21693121178863

歴代監督

現招集メンバー

No.Pos.選手名生年月日(年齢)出場数ゴール在籍クラブ
1GKフェルナンド・ムスレラ (1986-06-16) 1986年6月16日(37歳)1160 ガラタサライ
12GKマルティン・シルバ (1983-03-25) 1983年3月25日(41歳)110 リベルタ
23GKマルティン・カンパーニャ (1989-05-29) 1989年5月29日(34歳)50 CAインデペンディエンテ
3DFディエゴ・ゴディン (1986-02-16) 1986年2月16日(38歳)1358 CAベレス・サルスフィエルド (主将)
22DFマルティン・カセレス (1987-04-07) 1987年4月7日(37歳)984 フィオレンティーナ
2DFホセ・ヒメネス (1995-01-20) 1995年1月20日(29歳)588 アトレティコ・マドリード
18DFセバスティアン・コアテス (1990-10-07) 1990年10月7日(33歳)391 スポルティングCP
17DFディエゴ・ラクサール (1993-02-07) 1993年2月7日(31歳)240 ACミラン
DFガストン・シルバ (1994-03-05) 1994年3月5日(30歳)190 CAインデペンディエンテ
DFマティアス・ビーニャ (1997-11-09) 1997年11月9日(26歳)60 パルメイラス
DFロナルド・アラウホ (1999-03-07) 1999年3月7日(25歳)00 バルセロナB
DFダミアン・スアレス (1988-04-27) 1988年4月27日(36歳)00 ヘタフェ
15MFマティアス・ベシーノ (1991-08-24) 1991年8月24日(32歳)413 インテル
MFナイタン・ナンデス (1995-12-28) 1995年12月28日(28歳)310 カリアリ
6MFロドリゴ・ベンタンクール (1997-06-25) 1997年6月25日(26歳)290 ユベントス
10MFジョルジアン・デ・アラスカエタ (1994-06-01) 1994年6月1日(29歳)253 フラメンゴ
15MFフェデリコ・バルベルデ (1998-07-22) 1998年7月22日(25歳)202 レアル・マドリード
MFガストン・ペレイロ (1995-06-11) 1995年6月11日(28歳)104 カリアリ
MFブリアン・ロサノ英語版 (1994-02-23) 1994年2月23日(30歳)80 サントス・ラグナ
MFブリアン・ロドリゲス (2000-05-20) 2000年5月20日(23歳)63 ロサンゼルス
MFマウロ・アランバリ (1995-09-30) 1995年9月30日(28歳)00 ヘタフェ
MFディエゴ・ニコラス (1997-06-01) 1997年6月1日(26歳)00 リーベル・プレート
21FWエディンソン・カバーニ (1987-02-14) 1987年2月14日(37歳)11650 パリ・サンジェルマンFC
11FWクリスティアン・ストゥアーニ (1986-10-12) 1986年10月12日(37歳)508 ジローナ
FWホナタン・ロドリゲス (1993-07-06) 1993年7月6日(30歳)203 クルス・アスル
FWダルウィン・ヌニェス (1999-06-24) 1999年6月24日(24歳)11 アルメリア

歴代選手

W杯の大会メンバー

主な代表選手

歴代記録

出場数ランキング

2023年10月18日時点

  水色は現役代表選手
順位名前出場得点期間
1ディエゴ・ゴディン16182005-2022
2ルイス・アルベルト・スアレス137682007-
3エディンソン・カバーニ136582008-
4フェルナンド・ムスレラ13302009-
5マキシミリアーノ・ペレイラ12532005-2018
6マルティン・カセレス11642007-
7ディエゴ・フォルラン112362002-2014
8クリスティアン・ロドリゲス110112003-2018
9ディエゴ・ルガーノ9592003-2014
10エヒディオ・アレバロ・リオス9002006-2017

得点数ランキング

2023年9月12日時点

  水色は現役代表選手
順位名前得点出場期間
1ルイス・アルベルト・スアレス681372007-
2エディンソン・カバーニ581362008-
3ディエゴ・フォルラン361122002-2014
4エクトル・スカローネ31511917-1930
5アンヘル・ロマーノ28691913-1927
6オスカル・ミゲス27391950-1958
7セバスティアン・アブレウ26701996-2012
8ペドロ・ペトローン24281923-1930
9カルロス・アルベルト・アギレラ22641982-1997
フェルナンド・モレナ531971-1983

エピソード

脚注

注釈

出典

関連項目

外部リンク