シルビア・ハニカ

ドイツのテニス選手 (1959-)

シルビア・ハニカSylvia Hanika, 1959年11月30日 - )は、旧西ドイツミュンヘン出身の元女子プロテニス選手。1981年全仏オープン女子シングルス準優勝者。左利き。WTAツアーでシングルス6勝、ダブルス1勝を挙げる。旧西ドイツのテニス界の黄金時代を築いた先駆者のひとりである。

シルビア・ハニカ
Sylvia Hanika
基本情報
国籍ドイツの旗 ドイツ
出身地同・ミュンヘン
生年月日 (1959-11-30) 1959年11月30日(64歳)
身長172cm
体重58kg
利き手
バックハンド片手打ち
ツアー経歴
デビュー年1978年
引退年1990年
ツアー通算7勝
シングルス6勝
ダブルス1勝
生涯通算成績151勝108敗
シングルス140勝95敗
ダブルス11勝13敗
生涯獲得賞金1,296,560 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪ベスト8(1983)
全仏準優勝(1981)
全英4回戦(1982・87)
全米ベスト8(1979・81・83・84)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪3回戦(1989)
キャリア自己最高ランキング
シングルス5位
ダブルス?位

1977年にプロ入り。1978年に地元の大会「ドイツ室内選手権」でプロ初優勝。1981年全仏オープン決勝戦では、チェコスロバキアハナ・マンドリコワに 2-6, 4-6 のストレートで敗れた。1982年女子ツアー年間最終戦(当時の名称は「エイボン・チャンピオンシップス」)決勝戦でマルチナ・ナブラチロワを 1-6, 6-3, 6-4 の逆転で破り初優勝。女子国別対抗戦「フェデレーション・カップ」(現在の名称はフェドカップ)の西ドイツ代表として、1978年-1981年1984年1985年1988年の7度出場した。

ハニカはテニスがオリンピック競技として復活したソウル五輪にも、西ドイツ代表として出場している。先駆者としてのハニカの活躍に刺激されて、ベッティーナ・バンジクラウディア・コーデ=キルシュが西ドイツの女子テニス界を盛り上げ、やがて同国最大の選手シュテフィ・グラフが世界の頂点に立った。ハニカはソウル五輪代表として、後輩のグラフの金メダルを見守ることができた。1990年に31歳で現役を引退した。

参考文献

  • ITF World of Tennis 1985 (ワールド・オブ・テニス 1985) Willow Books Collins, London (1985) ISBN 0-00-218172-X 国際テニス連盟が毎年発刊するテニス年鑑。
  • ITF World of Tennis 1989 (ワールド・オブ・テニス 1989) Willow Books Collins, London (1989) ISBN 0-00-218311-0

外部リンク